チェーン系のブックショップが閉店していくなかで、「スリー・ライブス&カンパニー」は健在だ。ここは、いまも地域住人たちの典型的な溜まり場になっている

BY REGGIE NADELSON, TRANSLATED BY MASANOBU MATSUMOTO

 この連載は、作家のレジー・ナデルソンが、数十年にわたってニューヨークをニューヨークたらしめてきた老舗のレストランや無名のバーを再訪し、紹介するシリーズである。


 昨年の夏、グリニッチ・ビレッジで人々に愛されてきた書店「スリー・ライブス&カンパニー」がシャッターを閉めた。それを見た顧客たちは、喪に服すように悲しみに明け暮れた。西10丁目とウェイブリー通りの交差点の角に40年以上、店を構えてきたこの小さな書店は、“本当に本が大好きな文学的なスタッフがキュレーションする、気品があって心地よく、精神的な欲求を満たしてくれる理想の場所”というオープン当時から変わらぬ雰囲気をいまも残している。それが失われてしまったようで、そのニュースは人々の絶望の声とともに広まっていった。「自由で輝かしい日々を思い出させてくれるものは、もうグリニッチ・ビレッジに残っていない」という“いつもの会話”とともに。

画像: 西10丁目とウェイブリー通りの角にある書店「スリー・ライブス」は、1978年創業以来、作家やアーティストを魅了してきた PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHER L. SMITH / COURTESY OF THREE LIVES & CO.

西10丁目とウェイブリー通りの角にある書店「スリー・ライブス」は、1978年創業以来、作家やアーティストを魅了してきた
PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHER L. SMITH / COURTESY OF THREE LIVES & CO.

 しかしながら、それは少し誇張された情報だった。単にスリー・ライブスの建物の改修工事があり、1カ月間たらず店を閉めただけだったのである。私が、先日の日曜日の朝に訪れたときには、太陽の光が窓から差し込み、新刊を並べたディスプレイと蜂蜜色の木製の本棚や床を照らしていた。天井には、商品を見るのにちょうどいい明るさの古いガラス製の傘をしたランプがぶら下がり、床には可愛らしいピンク色のラグが敷かれている。そして、机の向こう側にはオーナーのトビー・コックスが立っていた。

「もともと本を売る仕事をしたかったんです」とコックスは言う。これは自分の仕事を愛している人に多いことだが、コックスは一度この仕事を離れ“出戻ってきた”人間だ。ブラウン大学を卒業した後、彼はしばらくの間(ブラウン大学のある)ロードアイランド州の書店で販売の仕事についていた。その後、出版社での仕事を探しに、ニューヨークにやってきた。グリニッチ・ビレッジに住んでいた彼の兄弟がスリー・ライブスの常連で、コックスもすぐに通いつめるようになった。そして、90年代からそこで働きはじめ、2001年に前オーナーからスリー・ライブスを購入した。

画像: 42年前にオープンした時とまるで変わっていないような、スリー・ライブスの店内 PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

42年前にオープンした時とまるで変わっていないような、スリー・ライブスの店内
PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

 店内の壁には、作家ガートルード・スタインの小さな写真がかけられている。しかし、店名は、スタインが書いた小説『Three Lives』(邦題:三人の女)と関係はなく、創業者の3人の女性の名前に由来したものだ。ジル・ダンバーとジェニー・フェダー、ヘレン・ウェブーーこの3人が1978年、7番街にこの店をオープンした。そして、83年に現在の場所に店を移した。当時のニューヨークは景気が悪く、グリニッチ・ビレッジも時代遅れでみすぼらしいエリアだった。周辺には書店がたくさんあり、人々は、今でいうスターバックスでたむろするように入り浸った。ただ、当時の書店ではめったにコーヒーや食べもの、お土産などは販売していなかったが。そこにあったのはたくさんの本、交遊、アイデア、そしておそらくセックスーー大勢の人が書店で出会った。

「ジルは57丁目の『ベティパーソンズギャラリー』で働いていました」とフェダーは当時を振り返る。「ヘレンと私は、グリニッチ・ビレッジの当時『ジェファーソン・マーケット』だった建物の隣にあった書店で働いていて、ヘレンは優れたグラフィックアーティスト、私も7番街にあるサークルレパートリー社でセットやコスチューム作りの見習いでもありました。いろんな人が店にやってきました。この周辺は、俳優や作家、出版関係者、アーティストなどもいて、ある種、共同体のようなものが出来ていました。当時、そういった芸術に関わるさまざまな人が一時的にこの店でも働いていて、それが店に独自のムードをもたらしていました。彼らの存在によってこの書店が出来ていったのです」。また、出版業界ととても近かったことも、この店にいい影響をもたらした、とも話す。

「“街角にある本屋”という概念も、私は気に入っています」とコックスは言う。「それはある種、どこか文明的な雰囲気がありながら、親しみやすい一面もあるーーそんなグリニッチ・ビレッジらしさを含意するからです。ここは、人々が本を買いに来る場所ですが、ときどき自宅の鍵を預けていく人もいます」

画像: エドワード・ホッパーが描いた《ドラッグストア》(1927年) BEQUEST OF JOHN T. SPAULDING. PHOTO © MUSEUM OF FINE ARTS, BOSTON

エドワード・ホッパーが描いた《ドラッグストア》(1927年)
BEQUEST OF JOHN T. SPAULDING. PHOTO © MUSEUM OF FINE ARTS, BOSTON

 この交差点には、歴史がある。1927年、画家のエドワード・ホッパーは、当時、薬局「シルバーズ・ファーマシー」だったこの建物を絵にしている。20世紀の最初の50年から60年、グリニッチ・ビレッジの大部分がまだイタリア人街だったとき、ここはイタリア食品店「アンジェロズ・マーケット」だった。通りの向かいには、ニューヨークで最も古いゲイバーのひとつ「ジュリアス」がある。1966年、ジュリアスでの“Sip-In”(註:当時、同性愛者へのアルコールの提供が禁じられており、法的状況を変えるため、LGBT団体が行なった一連のできごと)は、同性愛者による権利獲得運動の発端になった。スリー・ライブスの壁には、ジュリアスで映画『Next Stop, Greenwich Village』(1976年、邦題:グリニッチ・ビレッジの青春)の撮影が行われたときに撮られた俳優のアンソニー・パーキンスとクリストファー・ウォーケンの写真が掛けられている。また、数ブロックほど西にあるバー「ホワイトホースタバン」で撮影された詩人ディラン・トーマスの写真も飾られている。トーマスは、まさにそこでの過度な飲酒によって倒れ、死亡した。

 いま、店の中は棚や長テーブル、フロントのデスクの上まで、本でいっぱいだ。ペーパーバックもハードカバーも、フィクションから歴史モノ、犯罪モノ、そして「スリー・ライブス・プレス」によって印刷された最初の本『The Last Leaf』(邦題:最後の一葉)を含む、ニューヨークについての素晴らしいセレクションも置かれている。ちなみにこの『The Last Leaf』は、昔のグリニッチ・ビレッジでのアートと生活を題材にしたO.ヘンリーの短編小説である。

画像: スリー・ライブスが入っている建物の1940年代後半の様子。当時のグリニッジ・ビレッジは、他に稼ぎどころのない作家や芸術家たちの“避難所”的なエリアだった。このとき、建物に店を構えていたのはウエスト・ビレッジにサービスを提供するデリ&食料品店だった COURTESY OF THREE LIVES & CO.

スリー・ライブスが入っている建物の1940年代後半の様子。当時のグリニッジ・ビレッジは、他に稼ぎどころのない作家や芸術家たちの“避難所”的なエリアだった。このとき、建物に店を構えていたのはウエスト・ビレッジにサービスを提供するデリ&食料品店だった
COURTESY OF THREE LIVES & CO.

 毎日、店長のトロイ・チャタートンが店を開けると、客たちがどっとスリー・ライブスに入ってくる。まるで酸素がどっと体を巡り細胞を修復していくように。トロイは、ある種、昔ながらの男で、“グリニッチ・ビレッジの本屋で働く青年の21世紀バージョン”といった感じの人間だ。親しみやすく、クールで、スリー・ライブスをよく訪れた作家のエドマンド・ホワイトやオリバー・サックスらの優れた作品もよく読んでいる。私は、スリー・ライブスをトロイという管理人による街中に隠れた“秘密の庭”だと思っている。お互いのことや友人のこと、見知らぬ人たちについての低俗的なおしゃべりをする人は少なく、人々は好きな作家について話し合ったり、古典作品の改訂版について意見を述べあったりする。そんな楽しい賑わいがある。

 スリー・ライブスで20年働いているジョイス・マクナマラは「最高のお客様というのは、1時間ここで過ごすだけで、店内のあらゆるものを見て、それを理解し、“あなただったらどう思う?”と尋ねてくる人」だと言う。マクナマラは、ある一冊の本をきっかけにこの仕事についた。「マイケル・カニンガムの『THE HOURS』(邦題:めぐりあう時間たち)で、マイケルがスリー・ライブスへの謝辞を記していたのを見たのです」と彼女は言う。

 私は、かび臭い過去を祝うようなニューヨークの感傷主義が苦手だ。しかし独立系の書店がなくなっていくのは辛い。私がグリニッチ・ビレッジで育ったころ、この交差点の書店は、薬局やバーと同じように街の一部になっていた。夕食後の散歩に、ほとんどいつもここを訪れ、そしてドラッグストア「シーオービゲロウ」に寄ってアイスクリームを買うという家族もいる。「散歩の後に、子どもを連れてきて、それが子どもたちにとって初めての読書体験になったという家族も、数え切れないほどいるでしょう」とフェダーは話す。

画像: 店内のあらゆる空間は本で埋め尽くされている PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

店内のあらゆる空間は本で埋め尽くされている
PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

 昔を懐かしがるのはこの辺でやめておこう。ロンドンの優れた書店を多く所有しているジェームズ・ドーントは、アメリカ最大の書店チェーン「バーンズ&ノーブル」を“本屋らしい本屋”に戻すだろうか?(註:2019年、経営難が噂されていたバーンズ&ノーブルを、2019年、ヘッジファンド「エリオット・マネジメント」が買収。ジェームズ・ドーントがCEOに就任した)。今、成功しているのは、西61丁目の書店「アーゴシー」やフランス大使館にある「アルバーティン」のような特徴のある書店だ。スリー・ライブスも週末は人でごった返しになる。私は『ハリーポッター』が発売された時と同じように、昨年、村上春樹の新刊を手に入れるために、この店で深夜1時から順番待ちしなければいけなかったのを覚えている。また、あまり名が知られていないノルウェーの小説やチェコの詩集の翻訳版を、いつも誰かが購入している姿がある。

「私はいつも、店員におすすめを聞くようにしています」と、ニューヨーク大学の人類学の教授マイケル・ギルセナンは話す。彼は少なくとも週に一度はスリー・ライブスに立ち寄るという。「店員はいつも、顧客がどんなことに興味をもっているかを考えながら、忙しく働いています。ここは本当の意味で、開かれた場所であり、地域の一部分になっているのです」

 太陽がいつもとおなじく西に沈んだころ、スリー・ライブスは、ハリウッドのデザイナーが作り出した書店のような美しい姿を見せる。夢の本屋だ。ここは、ニューヨークの独立系企業の美しく完璧な形態であり、顧客の興奮で活気に満ちていて、ニューヨークの小売業には、まだこうした本当のロマンスが存在しているのだという安心感を与えてくれる書店なのである。

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