海外旅行が夢だった時代から世界の文化や暮らしを伝え続けた紀行番組の金字塔「兼高かおる世界の旅」。自身の視点で世界に切り込み、自身の言葉で優雅に語った兼高の存在が、私たちに与えた影響は計り知れない。一昨年、天国という未知の国に旅立った彼女が撒いた種が、今、さまざまな場所で芽吹きの時を迎えている

BY NAOKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY YUJI ONO(OBJECTS), STYLED BY YUKARI KOMAKI(OBJECTS)

 兼高に常に降り注がれた“エレガント”という称賛の言葉は、“マナーとTPOを徹底して守る”ことからきていると語るのは、秘書を一年間務めたのち、生涯にわたり深い交流のあった長内恵子だ。「着飾った自分を見てほしいという気持ちは、本人には一切なかったでしょう。周囲に失礼にならないように、あるいは取材相手からきちんとした対応を引き出すために、という気配りを常におもちでした」。

画像: 兼高56歳の頃のスナップ。「兼高かおる世界の旅」放送25周年を記念した特別番組収録後に。1984年、ホテルオークラのスイートルームにて COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

兼高56歳の頃のスナップ。「兼高かおる世界の旅」放送25周年を記念した特別番組収録後に。1984年、ホテルオークラのスイートルームにて
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「世界の旅」で出演者も兼ねていた兼高は、衣装も自分で用意した。基本は、ワンピース。放送一回分の取材時は同じ服装で通し、ホテルで毎晩洗濯したという。乾きやすく、かさ張らないことから、薄手の素材のものを愛用した。30日間休みなしの海外取材を終えると、次の30日間は日本で編集とナレーション収録、次の取材準備という多忙な日々。空路は香港経由が多かったため、取材先で求めた布地を帰路、香港のお気に入りのテーラーに預けてオーダーしておき、次の取材に向かう際に立ち寄って受け取り、取材先でそのまま着用するという“技”も駆使した。「晩年まで、椅子に座る際も膝が常に揃っていました。いわゆる“運動”はなさいませんでしたが、足腰の筋力は相当だったと思います」と長内。オフィスでお茶を淹れ、スタッフに振る舞う所作も惚れぼれするほど美しかったという。

画像: 収録スタジオにて。芥川隆行との当意即妙な会話も人気を呼んだ。1978年からは英語の副音声も放送。協賛社であるパンアメリカン元極東地区広報担当支配人のジョーンズ氏とその妻がナレーションを担当した COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

収録スタジオにて。芥川隆行との当意即妙な会話も人気を呼んだ。1978年からは英語の副音声も放送。協賛社であるパンアメリカン元極東地区広報担当支配人のジョーンズ氏とその妻がナレーションを担当した
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画像: ポルトガルのサンタマリア島にて、ミリカメラを手に田園風景を撮影中 COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

ポルトガルのサンタマリア島にて、ミリカメラを手に田園風景を撮影中
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 そのオフィスは兼高の実家の敷地に建てたマンションの2階にあり、7階に住む兼高は、エレベーターで出勤。別フロアには母と兄夫妻の住まいもあった。新井は「ママさん(兼高の母)が"電球を替えて"と顔を出すこともあった」と回想する。オフィスで忘年会を開いたことも。「酔っ払ったスタッフが暴れて、兼高さんのデスクのそばの壁に穴をあけてしまったことがありました。兼高さんはまったく怒らなかったのですが、その穴は、修理をせずに長い間見せびらかされていました」。胆力とユーモア。知性とエレガンスにこれらが加われば、魅了されない人などいないだろう。

画像: アフリカ・ベナン(旧ダホメ)では、弓矢の技を伝授された。V.I.P.も一般の人々も分け隔てなく、好奇心と敬意をもって接した COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

アフリカ・ベナン(旧ダホメ)では、弓矢の技を伝授された。V.I.P.も一般の人々も分け隔てなく、好奇心と敬意をもって接した
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「世界の旅」終了後から、“残りの3 分の1”が始まった。秘書を辞してからは夫の海外駐在先で暮らしていた長内の家を、兼高はよく訪れたという。「ハバロフスクに住んでいた2005年には、シベリア鉄道でモスクワまで旅をしました」。長内の夫がラトビア大使として赴任した際は、ロシアのサンクトペテルブルクで待ち合わせて観光したあと、ラトビアの首都リガへ。私的な旅でも常にメモを取り、時刻表などを調べていたそうだ。

画像: TBS支給のメモ帳。ワンピースの上から愛用のゴムベルトを締め、置き忘れないように挟んで常に持ち歩いた。取材先の緯度・経度や交通費、訪ねた場所の名前などが、細かい字でびっしりと。番組終了後も旅先では常にメモを取った

TBS支給のメモ帳。ワンピースの上から愛用のゴムベルトを締め、置き忘れないように挟んで常に持ち歩いた。取材先の緯度・経度や交通費、訪ねた場所の名前などが、細かい字でびっしりと。番組終了後も旅先では常にメモを取った

 その頃、新たに親しくなったのが、親子以上に年の離れた森繁牧子だ。「パリ留学中、知人の家に滞在していたのですが、夏休みに一時帰国する際、入れ替わりに兼高さんをお泊めすると伝えられたのです。“あの兼高さんが!”と、夢中で掃除しました」。そのときに森繁が残したベッドメイクを兼高が気に入り、「この娘(こ)に会いたい」と食事に誘われたという。親交を深めるうち森繁の母とも親友になり、さらに兼高と旧知だった森繁の祖父、俳優の森繁久彌を含めた家族ぐるみの付き合いが続いた。

画像: 孫娘のベッドメイクがきっかけで始まった縁が、家族ぐるみの親しい付き合いへと発展した森繁久彌と COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

孫娘のベッドメイクがきっかけで始まった縁が、家族ぐるみの親しい付き合いへと発展した森繁久彌と
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 兼高は、晩年まで日々新聞を読み込み、戦争と環境破壊がやまない世界を「このままでは地球がだめになってしまう」と憂えた。そのために何かしなければと、2014年、「一般財団法人兼高かおる基金」を設立。長内が代表理事の一人、森繁が理事の一人を務めている。まずは“医学に関わる学生を支援したい”と、2016年に関西看護医療大学にて給付型の奨学金制度を設けた。ほかに、国公立の医科大学でも同様の制度を準備中だ。今後も多種多様なサポート活動を続けていく。また、2021年度から中学の道徳の教科書、2022年度からは高校の英語の教科書に兼高の言葉や人生が紹介される。加えて、放送大学の講義として「世界の旅」が採用され、兼高の“世界の見かた”を学問とする話が進行中である。

画像: 南アフリカ共和国・ケープタウンのテーブルマウンテンにてロックハイラックスに餌をやる兼高。大の動物好きだった。「基金」では今後、リタイア・アニマル保護にも注力する予定 COURTESY OF KAORUKANETAKA FUND

南アフリカ共和国・ケープタウンのテーブルマウンテンにてロックハイラックスに餌をやる兼高。大の動物好きだった。「基金」では今後、リタイア・アニマル保護にも注力する予定
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“世界を旅すると、日本のように一つの言語で話が通じ、比較的同じような価値観で生活している国民というのはごく少ないことがわかります。広く世界を知るとは、「他者」というものを理解することにつながります。世界にはさまざまな人がいることを知れば、簡単に人を見下すこともなくなります”(『わたくしたちの旅のかたち』(曽野綾子との対談集/秀和システム)より)。

画像: 昨年閉館した淡路島の「兼高かおる旅の資料館」に展示されていた、兼高が世界各地で求めた数百点の人形コレクションの一部。現在、新たな資料館を準備中だ。兼高は1986〜2005年、「横浜人形の家」の館長も務めた

昨年閉館した淡路島の「兼高かおる旅の資料館」に展示されていた、兼高が世界各地で求めた数百点の人形コレクションの一部。現在、新たな資料館を準備中だ。兼高は1986〜2005年、「横浜人形の家」の館長も務めた

「これからは、私たちが学び、世に尽くす番です」と長内。兼高が「世界の旅」を通じて撒いた種が、今後さまざまな場所で花開いていく。そして結実し、また種を残すだろう。

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