富山県南西部に位置する砺波地方。ここには民藝運動の創始者、柳宗悦が心を動かされた人々の暮らしぶり、「土徳」が存る。2022年10月、そんな砺波の暮らしと精神にアクセスする拠点として、宿「楽土庵」が誕生した

BY KANAE HASEGAWA

 庄川と小矢部川に挟まれて広がる砺波平野。一面の田畑の間に約7千戸の民家が点在する、地理用語で「散居村」と呼ばれる景観が印象的だ。一見するとどれも似通った切妻屋根の家屋は、「アズマダチ」と呼ばれる、この地域特有の住居形式である。冬の西からの季節風、夏の強烈な西日から家屋を守るため、敷地の西側全体を、屋敷林と呼ばれる杉を主にした防風林で囲み、玄関は東向きに設けられている。砺波の環境に適応するために生じた住まいの姿だ。

画像: 黒瓦葺きの切妻屋根の民家形式を残したアズマダチの住居を活かした、「楽土庵」の外観。二つの屋根に挟まれた妻側に太い束と梁を格子状に組み、大貫を入れて木部に漆を塗り、壁面は白壁で仕上げてある PHOTOGRAPH BY NIK VAN DER GIESEN

黒瓦葺きの切妻屋根の民家形式を残したアズマダチの住居を活かした、「楽土庵」の外観。二つの屋根に挟まれた妻側に太い束と梁を格子状に組み、大貫を入れて木部に漆を塗り、壁面は白壁で仕上げてある
PHOTOGRAPH BY NIK VAN DER GIESEN

 ここに誕生した「楽土庵」も他のアズマダチと同じように、農地の中に建つ。築200年あまり、この地に移築されれて120年のアズマダチ民家を改修して生まれた宿は、表札がなければこの地に暮らす人たちの住まいと変わらない。ホテルや旅館の外観の異質な存在ではなく、周囲に溶け込んだ宿を起点に、砺波の暮らしや文化に触れてほしいとの思いから、楽土庵は生まれた。

画像: 部屋は「紙」「絹」「土 」と自然の素材の力を生かした3室のみ。玄関の土間から上り框で外靴を脱ぎ、一段上がって床に上がる日本の伝統的家屋の形式をそのまま残している。 広間に飾られているのは芹沢銈介による型染め屛風 PHOTOGRAPHY BY NIK VAN DER GIESEN

部屋は「紙」「絹」「土 」と自然の素材の力を生かした3室のみ。玄関の土間から上り框で外靴を脱ぎ、一段上がって床に上がる日本の伝統的家屋の形式をそのまま残している。
広間に飾られているのは芹沢銈介による型染め屛風
PHOTOGRAPHY BY NIK VAN DER GIESEN

画像: 茶道に親しむ人の数が全国一の富山県。とりわけ前田利長が居を構えた砺波では茶道文化が花開いたそうで、宿ではまず抹茶のお点前でゲストをお迎えする PHOTOGRAPH BY NIK VAN DER GIESEN

茶道に親しむ人の数が全国一の富山県。とりわけ前田利長が居を構えた砺波では茶道文化が花開いたそうで、宿ではまず抹茶のお点前でゲストをお迎えする
PHOTOGRAPH BY NIK VAN DER GIESEN

「楽土庵」の内側にも、砺波の風土、文化がふんだんに取り入れられている。インテリアには濱田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介ら、民藝の作り手たちによる作品が配され、美術品ではなく、日用品に「用の美」を見出し、日々の暮しに活用する品々をつくることを大切にした民藝運動の姿勢に触れることができる。

画像: 客室「紙」。和紙作家 ハタノワタルによる手漉き和紙を壁と天井に貼った部屋。窓からは散居村の景観が広がり、霊山、牛岳を望める COURTESY OF RAKUDOAN

客室「紙」。和紙作家 ハタノワタルによる手漉き和紙を壁と天井に貼った部屋。窓からは散居村の景観が広がり、霊山、牛岳を望める
COURTESY OF RAKUDOAN

 砺波地方は、民藝との関わりがとても深い地だ。第二次世界大戦中を機にこの地に暮らした画家の棟方志功は、〝我を排し、大いなるものに委ねて生きる″砺波の人々の心のありように触れ、目を開かされた。約7年にわたるこの地での暮らしは、その作風を大きく変えることになった。棟方志功を訪ね、その変容ぶりを見た哲学者の柳宗悦もこの地に息づく「おかげさま」の精神に惹かれ、そうした気風を「土徳」と呼んだ。

画像: 砺波平野の散居村、冬の風景 COURTESY OF RAKUDOAN

砺波平野の散居村、冬の風景
COURTESY OF RAKUDOAN

 砺波地方での暮らしは厳しい。古くから暴れ川の庄川の氾濫に悩まされ、冬は豪雪とともにある過酷な環境の中、人は自力でできることの限界を知り、共同体の中で互いに助け合うことで命をつないできた。そうした暮らしからは、おのずと“おかげさま”“ありがたい”の気持ちが生まれる。また、自然という自分たちより遥かに大きな存在によって生かされていることを理解し、自然の力を借りるつもりで、自然に導かれた営みを続けてきた。仏を信じ、大いなる働きに身を任せれば特別な修行を積まなくても誰もが救われるという親鸞聖人の説いた浄土真宗の思想は、そうした砺波の人々に違和感なく受け入れられ、長きにわたり人々の心の支えとなり、この地では今も篤い信仰を集めているという。

 砺波の人々の浄土真宗への篤い信仰は、アズマダチの住居の形にも映し出されている。僧侶を自宅に招き、近隣の人々を呼んで講を催すことは砺波の人々にとって誇り。そのために3世代かけて大勢が入ることのできる広いアズマダチを建てるのだという。「楽土庵」の広大さもそれを聞いて納得した。

画像: 道端の、2歳の聖徳太子を象る石仏。誰かがお供え物をしている COURTESY OF RAKUDOAN

道端の、2歳の聖徳太子を象る石仏。誰かがお供え物をしている
COURTESY OF RAKUDOAN

 外を歩いていても、砺波の人々の精神風土に触れることができる。日本石仏協会の統計によると砺波には江戸時代から明治にかけて約4250体もの石仏が造立され、お寺でなくとも道を歩けばそこかしこでお供え物とともにお地蔵さま、観音さまの石仏に出会える。目に見えないけれども日常の中に石仏信仰が浸透しているのである。

画像: 1998年に来日し、富山県南砺市に窯を設ける韓国の陶芸家、金京徳さんの工房 COURTESY OF RAKUDOAN

1998年に来日し、富山県南砺市に窯を設ける韓国の陶芸家、金京徳さんの工房
COURTESY OF RAKUDOAN

 こうした感謝の気持ちが基盤になっている砺波の暮らしは、昔も今も遠来の人々を惹きつけてきた。韓国から来日し、砺波の人々の気質と風土に魅了され、ここに窯を築いて作陶をする陶芸家、金京徳さんもその一人。「楽土庵」では、金さんの花器や食器をふんだんに取り入れ、地域とのつながりを大切にする。

画像: 楽土庵のイタリアンレストラン「イルクリマ」で供される金さんの器。季節により、また日ごとにメニューは変わるが、こちらは秋から冬にかけて富山湾のアオリイカを、砺波地方の伝統料理である和え物「よごし」をイタリア風に仕立てた一皿 COURTESY OF RAKUDOAN

楽土庵のイタリアンレストラン「イルクリマ」で供される金さんの器。季節により、また日ごとにメニューは変わるが、こちらは秋から冬にかけて富山湾のアオリイカを、砺波地方の伝統料理である和え物「よごし」をイタリア風に仕立てた一皿
COURTESY OF RAKUDOAN

「楽土庵」では、旅を通じて砺波の地域とのつながりを感じることができるように、宿泊費の2%を散居村保全活動団体に寄付する仕組みを取っている。また、宿泊者に砺波に暮らす人たちとの触れ合いの機会を作るプログラムも計画されているという。たとえば、散居村で大きく成長した屋敷林を手入れする保全団体の活動を見学することもそのひとつ。

画像: 散居村に点在する、屋敷林に囲まれた「アズマダチ」の家屋 COURTESY OF RAKUDOAN

散居村に点在する、屋敷林に囲まれた「アズマダチ」の家屋
COURTESY OF RAKUDOAN

「その先に、散居村保存コミュニティを構想しています。砺波を訪れた人たちにこの土地の風土、土徳を知っていただき、その次には地元の方と一緒に散居村保全に関わっていただく仕組みを作りたい」と楽土庵を運営する一般社団法人 富山県西部観光社「水と匠」の林口砂里さんは言う。

 旅人が風となり、砺波に対する異なる視点をもたらすことで、地元の人たちの土地に対する意識にも新たな発見がもたらされるかもしれない。風土とはそうやって育まれていくのだろう。

楽土庵
住所:富山県砺波市野村島645
営業期間:火曜休館(祝日は営業)
料金:2名1室33,000円/人(朝食付き)~
公式サイトはこちら

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