豊かな風土に彩られた日本には、独自の「地方カルチャー」が存在する。郷土で愛されるソウルフードから、地元に溶け込んだ温かくもハイセンスなスポットまで……その場所を訪れなければ出逢えないニッポンの「ローカル・トレジャー」を探す旅へ出かけたい。南アルプスや八ヶ岳連峰が深緑に包まれる初夏、山梨県北西端に位置する北杜市を訪れた。移住者や二拠点生活者も多く、進化し続けるこのエリアで、圧倒的な山岳景観を望みながら洗練されたカルチャーの数々に触れた

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

 北杜市には数多の美術館や博物館が集まり、地域をあげてアートツーリズムに力を注いでいる。そうした公共の芸術施設もさることながら、遠方からもファンが集う指折りのギャラリーが存在する。今回訪れたのは、担い手の人生模様に裏付けられた、空間とアートのフュージョンに心遊ぶ3軒。心地よい刺激を堪能してほしい。

《SEE》「GASBON METABOLISM(ガスボン メタボリズム)」
感性の新陳代謝を促すアート空間

画像: 敷地面積1000㎡以上の工場跡地がアート空間に。オートモアイの巨大なバルーンフィギュアや宮原嵩広の《missing matter》は収蔵作品として常設

敷地面積1000㎡以上の工場跡地がアート空間に。オートモアイの巨大なバルーンフィギュアや宮原嵩広の《missing matter》は収蔵作品として常設

 現代アートとは、何なのか?どんな視点で、どんな価値を見出せばよいのか──“頭でっかち”な大人となった今、つい理論で立ち向かおうとしてしまう。だが、圧倒的な体積や物質的な存在を超えたアートを前にすると、言葉による理解は必要ないのだと気づく。「瞬間的にわからなくても、個人的な体験を重ねて自分の視座とアティチュードで楽しめたら十分です」と語るのは、「GASBON METABOLISM」のオーナー・西野慎二郎さんだ。ここは国内外のアーティストやクリエイターが作品の制作やメンテナンスをしながら長期滞在できるレジデンシーであり、作品を保管・展示するスペースでもあり、購入可能な作品も扱うギャラリーでもある。クリエイティブの多目的施設をコンセプトに据え、巨大なアートの実験的な施設として2022年8月にオープンした。

画像: 30年以上にわたり、アートやカルチャーの新たな才能との共創を実現する西野慎二郎さん

30年以上にわたり、アートやカルチャーの新たな才能との共創を実現する西野慎二郎さん

画像: 幅広いテイストのアートに合わせて、空間の印象も一変。まるで巨大なアートのおもちゃ箱のよう。作品は玉山拓郎《DIRTY PALACE REVISITED》

幅広いテイストのアートに合わせて、空間の印象も一変。まるで巨大なアートのおもちゃ箱のよう。作品は玉山拓郎《DIRTY PALACE REVISITED》

 西野さんがアートビジネスに関わったのは、大学卒業後にソフトウェア/IT業界でクリエイティブ知財のライセンスに携わったことに始まる。ファインアートと商業アートのヒエラルキーに疑問を感じたことから、若手のアーティストにとってキャリアの可能性を広げるために1996年にアート関連の出版レーベル「GAS BOOK」を立ち上げる。その10年後には、リアルに作品を展示できる場として西麻布にギャラリー「CALM&PUNKGALLERY」を開設。

 多角的にアートを見つめてきた西野さんが次に目指したのが、アーティストのモチベーションを高める刺激的な場を企てることだった。巨大なスタジオをアーティストに解放することで、将来持つべき大きなアトリエや大型作品のイメージを抱いて欲しいという願いが込められている。広大な敷地では複数のアーティストが同時に創作することも可能。初対面のアーティストが互いの作品を設営する時間を共有することで、インスタレーションとしての価値を生み出す「出張モノローグス」というエリアも企画。さらに、若手だけに限らずベテランのアーティストと時空を共有し、アーティスト同士の創作の芽を育む場としても注目を集めている。

画像: 西野さんが手がけるアート関連の出版レーベル、「GAS BOOK」の書籍も揃う

西野さんが手がけるアート関連の出版レーベル、「GAS BOOK」の書籍も揃う

画像: 取材時に開催されていた「出張モノローグス#3」。写真中央は、木村桃子さんの「星をたくわえたひと」

取材時に開催されていた「出張モノローグス#3」。写真中央は、木村桃子さんの「星をたくわえたひと」

 来場者へのもてなしの場ではなく、アーティストファーストをコンセプトとした「GASBON METABOLISM」。それだけに、訪れる最大の楽しみは滞在アーティストの制作風景を垣間見たり、直接アーティストとコミュニケーションを持てることにある。今回の取材時には、陶芸オブジェを手がけるRena Kudohさんが滞在。自作の火の神様にメキシコの蒸留酒をお神酒として捧げ、窯入れの無事を祈ったというエピソードを明かしてくれた。さらに、移住者の多い地域性をいかし、クリエイティブなマインドを持つ人の集いの場として、新たなコミュニティも生まれている。英語で“新陳代謝”を意味する“METABOLISM”を冠した効果は、アーティストだけでなく北杜に住まう人々や、ここを訪れる人にも波及しているようだ。

 絵画や彫刻、抽象的なオブジェから写真やデジタルを駆使したインスタレーションまで。バラバラのジャンルが一つの空間で溶け合う光景を、西野さんは「自らの原風景」だと語る。福岡の大学で、美術教員を養成するコースを学ぶなか、コンパクトな学舎に多様な創作に没頭する学生が集って互いに影響しあった体験が、この施設の絶妙な調和を生み出したともいえる。建物を後にして、ふとサン=テグジュペリの『星の王子さま』を思い出した。王子さまが箱の中に羊を見出したワンシーンのように、アートへの先入観や疑問を忘れ、心に浮かんだ「?マーク」と素直に向き合うことで、目に見えない“本当に大切なもの”が感じられるのかもしれない。

画像: 作品を制作するRena Kudohさん。棚には完成を待つ作品がいくつも並べられている

作品を制作するRena Kudohさん。棚には完成を待つ作品がいくつも並べられている

画像: ギャラリーの“倉庫びらき”は毎週金曜〜月曜、インスタグラムでイベントやスケジュールの変更を随時更新

ギャラリーの“倉庫びらき”は毎週金曜〜月曜、インスタグラムでイベントやスケジュールの変更を随時更新

住所:山梨県北杜市明野町浅尾新田12
電話:0551-30-4090
公式インスタグラムはこちら

《SHOPPING》「diorama(ジオラマ)」
温故“刷新”の美を見つけに

画像: 工場だった頃の気配を残しながら、細やかな美意識が宿る空間へとリノベーション

工場だった頃の気配を残しながら、細やかな美意識が宿る空間へとリノベーション

「古びたものが醸し出す佇まいに美を見いだし、新しい価値を発見する、筺のような存在でありたい──」。その想いから、平尾ダニエル甲斐さんが営むギャラリー「diorama」は2020年に幕を開けた。モルタルの床は、油染みによって重機の痕跡が浮かび、ここが元プラスチック工場だったクロニクルを物語っている。その一方で、配管用の床の溝には砂利が敷き詰められ、枯山水の庭のような趣を醸している。入り口で目を引くのは、深さ120cmもの工業用の坩堝(るつぼ)だ。アルミを溶解していたという巨大な容器を覗くと、なんと天然のポプリが設えられ、意表を突く優しい香りと遭遇する。役目を終えた坩堝が辿り着いた、あまりにもドラマティックな用途に心が踊り出す。窯変を重ねてきた質感も、「diorama」のフィルターを通すと唯一無二のオブジェへと翻訳されるのだ。

画像: 古い坩堝と現代アートが不思議と溶け合って

古い坩堝と現代アートが不思議と溶け合って

画像: ギャラリーを主宰する平尾さん、空間デザインや家具の制作も手がける

ギャラリーを主宰する平尾さん、空間デザインや家具の制作も手がける

 セレクトされたヴィンテージの家具や骨董、巨大な現代アートから若手の工芸作家が手がける作品、さらには自ら制作を手がけるアートや家具まで──。「diorama」に存在するものは、時代も国もテイストさえもボーダーレス。共通するのは、主宰者の平尾ダニエル甲斐さんの“心が動いたもの”ということだけである。インテリアショップで働きながらプロダクトデザインに対する目を養い、リノベーション会社や設計事務所で空間構成の知識やテクニックを重ねるうちに、「自分が美しいと感じる価値を、独自の空間で発信したい」と考えた平尾さんは、30歳という節目でギャラリーをスタート。人々が見過ごしてしまう古い道具や廃材に焔を灯し、形やテクスチャーを少しずつ変化させながら、アート的な価値や用の美として新たな解釈を加えるスタイルを確立した。

画像: バックヤードで出番を待つ“古き”もの、懐かしくも平尾さんの視線を通した新鮮さが潜む

バックヤードで出番を待つ“古き”もの、懐かしくも平尾さんの視線を通した新鮮さが潜む

画像: 壁面をモダンに飾るアートパネルは平尾さんの作、空間に馴染むようにアルミをエイジングさせたという。ヴィンテージの家具やオリジナルの照明なども扱う

壁面をモダンに飾るアートパネルは平尾さんの作、空間に馴染むようにアルミをエイジングさせたという。ヴィンテージの家具やオリジナルの照明なども扱う

 取材に訪れた時には、都内のギャラリーからもオファーが絶えない若き陶芸家「オノエコウタ展」を開催していた。オノエコウタと言えば、独特のエクリュの色味が代名詞という印象だが、今回は古代土器のような割れや欠けがあるクレイカラーの作品が目立った。その点を尋ねると、「diorama」の空間に合わせて新作に挑んだそうだ。ここは、作家自身にとっても新たな試みと可能性を委ねたくなるギャラリーなのだろう。広い空間に点在する作品は、古材のテーブルや北欧のヴィンテージチェスト、モダンなホワイトシェルフなど、異なる表情の“居場所”で、優しい化学反応をおこしていた。決して奇を衒っているわけではない、平尾さんが創り出す「温故“刷新”」の欠片を、旅の証として暮らしのワンシーンへと持ち帰りたい。

画像: オノエコウタの作風には珍しいクレイカラーの器。時代を経た建具や古材を用いた家具と融合し、プリミティブな美しさを放つ

オノエコウタの作風には珍しいクレイカラーの器。時代を経た建具や古材を用いた家具と融合し、プリミティブな美しさを放つ

画像: 外観は工場だった風貌をそのままに、牧歌的な田園風景の一角に佇む

外観は工場だった風貌をそのままに、牧歌的な田園風景の一角に佇む

住所:山梨県北杜市高根町上黒澤841-1
公式サイトはこちら

《SEE&CAFE》「Gallery Trax (トラックス)」
自分の内なる“HOPE”に気づく場所

画像: 展示室の窓から、ギャラリーを照らしてきた「HOPE」の文字

展示室の窓から、ギャラリーを照らしてきた「HOPE」の文字

「八ヶ岳に「Trax」が在るだけでいい──」。その言葉を残し、約20年前に空に旅立った空間デザイナーの木村二郎さんと、パートナーの三好悦子さんによって「Gallery Trax」は誕生した。関西から移住した二人が、かつて保育園だった木造平屋建ての建物に心を動かされたのは1993年のこと。木村さんのインスピレーションに舵を委ね、わずか4ヶ月ほどで、現代アートをしつらえる空間へと姿を変えた。子どもたちの学び舎だった健やかな包容力が礎にあるからだろうか。初めて訪れたとは思えない穏やかな安心感にたゆたいながら室内に目を配ると、 “ありそうで、どこにもない”家具や什器の佇まいに引き寄せられる。廊下に並べられたユニークな形状のベンチや置き時計のオブジェ、カフェの椅子さえも一つ一つスタイルが異なり、わずかな滞在時間ですっかり「Trax」という“作品”に魅了されてしまった。

画像: 古き良き時代にタイムスリップしたかのような外観、垣根のない優しさで訪れる人を温かく迎え入れてくれる

古き良き時代にタイムスリップしたかのような外観、垣根のない優しさで訪れる人を温かく迎え入れてくれる

画像: 展示室からカフェにつながる廊下には、一つとして同じものがないオブジェのような木村さんの家具が並ぶ

展示室からカフェにつながる廊下には、一つとして同じものがないオブジェのような木村さんの家具が並ぶ

「土の上で暮らしたい──」。それが縁もゆかりもないこの地に、大阪から移り住んだ理由だ。田舎暮らしを謳歌するかと思いきや、単調な日々にエネルギーを持て余しギャラリーを始めたいと考えた。いずれも言い出しっぺは、自称“おてんば”と語る三好さん。物件探しをするなかで、お寺の境内にある元・保育園の建物に出会い、ノスタルジックな佇まいを見て木村さんの血が騒いだという。自らの手でリノベーションをしてギャラリーが完成すると、木村さんのモノ作りへの情熱はますます加速する。

 展覧会に合わせ、什器はもちろん空間から大胆に造り変え、巧妙な仕掛けとなって訪れる人を驚かせる。作品の印象がスポイルされることなく、インパクトが120%も150%も昇華される装置。照明から設えまで、ドアを開けるたびに全く違う場所を訪れたような演出は、アーティストにとっても、訪れる人にとっても意表を突く刺激となった。さらに木村さんは、解体される古民家から出た古材や廃材に、鉄やガラスといった硬質なマテリアルを組み合わせて、斬新な家具を生み出す。100年前の木材を使いながらも全く古さを感じさせない作品は、多くのクリエイターの目に止まり多くの店舗設計や空間デザイン手がけるように。今では世界へと羽ばたいた気鋭の若手アーティストにとっても、「Trax」は創造力の“着火点”となった。

画像: ギャラリーのオーナー兼キュレーターとして運営を続けている三好悦子さん

ギャラリーのオーナー兼キュレーターとして運営を続けている三好悦子さん

画像: 入り口のシンボルは、薪ストーブと木村さん作の個性的な椅子

入り口のシンボルは、薪ストーブと木村さん作の個性的な椅子

 2004年に56歳という若さで旅立つ少し前に、木村さんは展示室の窓ガラスに白いペイントで「HOPE」という言葉を綴った。「9.11」の悲劇を機に、社会のあり方やお金の価値観、人と自然の未来に心を寄せ、案じていたある日、「遠くに灯りが見えるんだけど、消えそうなんだよね」と語り、「HOPE」の文字をしたためた。それを見た三好さんが「まだ地球にHOPEはあるの?」と尋ねると「消えそうだけど、まだ付いているよ」と告げた。

 今年は、ギャラリーにとって30周年のアニバーサリー。「Gallery Trax」と所縁のあるアーティストの企画展が開かれている。そのラストを飾るのは、12月に開催される「木村二郎展」である。「二郎さんが、この空間を残してくれたから。彼は日常の中に非日常を見つける天才、すごく格好いい人でした」。木村さんの肉体は土に還ったが、いくつもの愛おしさが層となって詰まった、この建物こそが今では最愛の存在だという。いざというときに頼りになり本当に必要なのは、実は、きちんと手入れされ、しっかりと世界に根を張った「自分」なのだ、と三好さんの佇まいが教えられたような気がする。そして、「HOPE」とは、自分の内側にあるものだと気づいた。

画像: 小麦粉やバターを使わない自家製の焼き菓子と、湧き水で割ったエルダーフラワーのジューズ。木村さんの作った椅子に座って楽しみたい

小麦粉やバターを使わない自家製の焼き菓子と、湧き水で割ったエルダーフラワーのジューズ。木村さんの作った椅子に座って楽しみたい

画像: 現在、三好さんのパートナーを務める愛犬のビビ。出勤後の定位置はカフェのソファ

現在、三好さんのパートナーを務める愛犬のビビ。出勤後の定位置はカフェのソファ

住所:山梨県北杜市高根町五町田1245
電話:080-5028-4915
公式サイトはこちら

画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

日本のローカルトレジャーを探す旅 記事一覧へ

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.