BY AIMEE FARRELL, PHOTOGRAPHS BY HENRY BOURNE, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

藤の花で覆われた邸宅裏側の外観と裏庭の眺め。
この家を今見ると、以前にもまして"別世界" の趣をたたえていることに気づくはずだ。その古雅な、時間から切り離されたような佇まいは魅力的だが、年月が刻んだ跡は隠しきれない。東側のファサードには、つるがびっしりと絡みつき、芝生は伸び放題だが、幸いこれを食べてくれる数頭の乳用ヤギがいるおかげで、何となく手入れされているように見える。スイミングプールには藻が層を成し、温室は崩壊寸前で、複数の部屋は閉ざされたままか、物置として使われている。だがこの荒廃した姿がかえって独特の美しさを生み、訪れる人々を魅了しつづけている。写真家ティム・ウォーカーはここで何度も撮影を行い、映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014年)のロケ地となった際には、トム・クルーズもやってきた。ロンドンを拠点に活動する写真家でビジュアルアーティストのリチャード・レアロイド(59歳)は「とてもロマンチックな空間」と形容する。彼はカーラの友人で、2010年代初頭に初めてここを訪れて以来、時折ふらりとやってきて、気ままにシャッターを切る。「ここに来ると、現実とは思えない世界に迷い込んだような気がするんだ。存在するはずがないのに、なぜかそこにある世界と言ったらいいかな」

エントランスホール。ベンチを製作したのはベルンハルトだが、デザインしたのは妻、ブランカ。着想源はケント州のシシングハースト・カースル・ガーデンのベンチ。壁の四つの額装作品はプリチャードによるもので、卓球台に積まれているのはベルンハルトの版画コレクション。天井のガーランドは誕生日パーティ用の飾りで、今もそのまま残されている。
ARTWORK ON WALL: HELENA PRITCHARD, “RORSCHACH ROSE PRINT INK BLOTS,” 2021, SERIES COLLECTION OF 4 © HELENA PRITCHARD, COURTESY OF THE ARTIST.
積み上げた切り石に、粗面レンガの隅石(註:建物や石垣の角部分に積まれる大きな石)で縁取りをしたファサードには、複数のサッシ窓が整然と並んでいる。ドリス式(註:古代ギリシャ建築における様式の一つ。縦に溝がある柱と、鏡餅風の柱頭などが特徴)の枠に囲まれた6 枚パネルのドアを開けると、そこには長方形のホールが広がり、塗装がはがれた壁と、幾何学模様のエンコースティックタイルの床が目に飛び込んでくる。18世紀の新古典主義様式のオーク材でできたマントルピースの上に立てかけられているのは、ベルンハルトが撮影した、草原で遠くを見つめるブランカの写真だ。さらにその上部では、この家にもともとあったという巨大なヘラジカの頭部のはく製が、不気味な存在感を放っている。向かい側には、ベルンハルトが彫り上げた、一対の木製ベンチが置かれている。デザインしたのはブランカで、ケント州にあるシシングハースト・カースル・ガーデンのベンチから着想を得たという。この部屋で一番大きな家具は卓球台だが、ベルンハルトの大量の版画コレクションの下に埋もれてしまっている。17〜18世紀のゲルマン文化圏の地図や、花の静物画、バロック期の狩猟風景などが描かれた鋼版画や銅版画を精密に再現した版画作品が山のように積まれているのだ。いずれも細密な美術複製に用いられるコロタイプという技法で刷り、水彩で手彩色を施したものらしい。最近では、この版画作品の山が展示台の役目を果たしている。南アフリカ出身のアーティスト、ヘレナ・プリチャード(50歳)は、そこに小さなトーテム風の木彫作品を並べた。彼女はこれまで何度も、数カ月単位でこの家に滞在し、インテリアや庭にインスパイアされた作品を生み出してきた。捨てられていた漆喰のフリーズ(註:壁や柱の上部に巡らせる帯状装飾)やアーキトレーブ(註:柱の上に渡された横板)、伐採した木の輪切りなどを素材とし、屋敷内で見つけた1920年代頃の塗料で作品を彩色したこともある。プリチャードはこんなふうに言っている。「この家は美しいだけでなく、どこか不確かな危うさがあって、それが魔法のような、不思議な魅力を生んでいる」

2階の寝室から1 階へと続く階段。
メインホール脇のサロンには、シルク張りのストライプの長椅子が置かれ、花のモチーフが施されたアンティークのタペストリーが掛けられている。ライティングデスクの上に並ぶのは、家族写真や手紙、ガラスシェードがついたオイルランプにダイヤル式電話など。ルドルフ・イバッハ・ゾーン社による1840年代のローズウッドのグランドピアノは、かつてここで長期滞在をしたゲストが残していったものだ。また、壁にはもともとベルンハルトの版画が飾られていたが、ヴィクトリア朝の時代に流行したプリントルーム(註:版画を壁一面に飾るインテリア)へのオマージュとして、プリチャードがさらに多くの版画を張り巡らせた。

サロンは壁もテーブルもベルンハルトの版画コレクションで覆われている。暖炉の上と左側に置かれたオブジェもプリチャードの作品。
SCULPTURE: HELENA PRITCHARD, “FREE-FORM VERTICAL SCULPTURE 54,” 2021 © HELENA PRITCHARD, COURTESY OF THE ARTIST
2 階には寝室が六つあり、そのひとつがブランカが使っていた部屋だ。アンティークのアイアンフレームのベッドが置かれ、大きな鎧戸つきの窓からは周囲の野原が見渡せる。隣接するベルンハルトの部屋は、まるで大学の寮のような雰囲気で、壁にはチェ・ゲバラの有名なポートレートを模したイエス・キリストのポスターが貼られ、棚には岩石や貝殻、流木や動物のスカルなどが所狭しと並んでいる。ベルンハルトが撮影した白黒写真と、イギリスの新聞から切り抜いた政治風刺のイラストが混在した一角もある。シンプルなデイベッドや、赤と黒の幾何学模様が印象的な座面の広いアームチェアなど、木製家具の大半はベルンハルトが手がけたものだという。

ベルンハルトの部屋には、大判フィルムカメラや写真関連の小物、彼がつくった木製の椅子やデイベッドが並ぶ。
子ども時代を過ごしたこの家に戻ったカーラにとって、何よりうれしいのは、この空間を多くの人と分かち合えるようになったことだ。歳を重ねるにつれ、自分たちの世界に閉じこもるようになっていった両親とは対照的に、彼女は夏になるとアート界の友人を招いてランチ会を催したり、創作意欲を刺激するこの特別な空間を、滞在制作の場として開放したりしている。「両親は、歴史あるこの家の持ち味を損なわずに自分たちの美意識を重ね、時の流れに静かに寄り添って暮らしていました。今なら"リワイルディング"(註:自然を尊重し、時を経た風合いや劣化も受け入れる美学的な姿勢)と呼ばれるようなことを、この言葉が広まるずっと前から実践していたんです。ここに来た人が心地よさを感じるのは、この家ではすべてが今も、あるがままの姿をとどめているからでしょう」
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