最新長編『世界99』について、そして過酷な現実で自分を生につなぎとめてきた小説について語る
BY CHIKO ISHII, PORTRAITS BY MAKI OGASAWARA
村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年千葉県生まれ。玉川大学文学部芸術学科卒業。2003年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞し、作家としてデビュー。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。
コミュニティによって性格が変わる
空子の一生を描いた『世界99』
芥川賞受賞作『コンビニ人間』(2016年)が海外でも高く評価され、日本を代表する作家のひとりになった村田沙耶香。今年3月、長編ディストピア小説『世界99』を上梓した。舞台は現代の日本にそっくりだが、架空の生き物や技術が存在し、差別と暴力が先鋭化していく世界。如きさらぎ月空そら子こ という性格のない女性の一生を描く。文芸誌「すばる」で3 年以上にわたって連載された作品の待望の書籍化で、読者の反響は大きい。村田は「読んでくださった方からいただいたお手紙の"すごく苦しい部分があったけど、これは自分も経験したことで、パラレルワールドというよりは現実の話だと思いました" という感想が印象的でした」と語る。
主人公の空子は、コミュニティに「呼応」して、他人のリアクションを「トレース」し、自分のキャラクターを変える。たとえば、大学では女の子らしい〈姫〉、バイト先では下ネタも平気な〈おっさん〉、彼氏の前では従順な〈そーたん〉としてふるまう。「以前『孵化』(2018年)という短編で、いくつものキャラを使い分けている女の子が、どのキャラで結婚式に出るかという話を書いたんです。いろんな側面を持った女の子を、今度は長編で書いてみたいと思って、『世界99』の連載を始めました」

『世界99』(上・下)各2,420円/集英社
可愛さを凝縮させた生き物「ピョコルン」や、特殊なDNAを持つ「ラロロリン人」が存在するもうひとつ
の日本を舞台に、如月空子というからっぽな女性の一生を描く。新興住宅地、思春期の少女の孤独、性欲に翻弄される人々、ディストピアなど、村田沙耶香らしい要素を詰め込んだ集大成的な長編小説。
PHOTOGRAPH BY HALLEL MIURA
村田も、自分のキャラが環境に応じて変わった経験があるという。
「私はすごくおとなしくて、泣き虫の子どもだったんですよ。"沙耶香は女の子だからいつかお嫁にいくんだよ" という感じで育てられたので、自分の性別も過剰に意識していました。繊細すぎて扱いにくかったと思います。でも、小学3 年生のとき、お兄ちゃんみたいに遊んでくれる若い男の先生が担任になりました。その先生のおかげでクラスのみんなが仲良くなって、私も声の出し方やしゃべり方が自然と元気な感じに変わったんです。男の子とも分け隔てなく話せるようになって。その先生が担任だった2年間だけ、キャラが変わって自分の性別を意識せずに過ごすことができました」
その後、心理学の本で「ペルソナ」の概念を知り、キャラが変わるのは自分だけではないこともわかった。「呼応」と「トレース」を発見したのはコンビニ店員時代だ。「『コンビニ人間』(2016年)の主人公とは少し違いますが、アルバイトをするうちに、同年代の人たちのファッションやしゃべり方が似てくることに気がついて、私も頑張ってトレースしたことがあるんです。コミュニティの中で生き延びるための術だったのだと思います」
友達にキャラをつくっているとバレたときに〈自身の言葉で喋って!〉と言われても、空子は〈私自身の喋り方なんて、存在しないのよ〉と返す。キャラという仮面の下に「本当の自分」はないのだろうか。「私はあまりないような気がしています。むしろ子どもの頃から、"本当の自分"を粉々にして生きてきた感覚があるんです。家でも学校でも、自分を消したときのほうが人間関係はうまくいきました。小説を書くときの言葉も、本当の自分の言葉ではなくて、小説のための言葉なんです」
誰とも摩擦を起こさず、楽に生き延びるために、空子は自分をからっぽにする。〈世界を吸収して、そのデータから一時的な『キャラ』ができているだけなの。でも、みんな本当はそうでしょう? 私は、それを他の人より自覚しているというだけなのよ〉というセリフが印象的だ。
「AIはいろんなデータを取り込んで人間らしいふるまいを学習しますが、人間も同じなのではないかなと思います。そういうことを考えるようになったのは、歌人で作家の加藤千恵さんの言葉がきっかけです。加藤さんは私の友人で、とても気遣いがこまやかでやさしい人なのですが、みんなで旅行したときに"私のやさしさってデータなんだよね" と言っていたことが忘れられなくて。言われてみれば、私も、誰かがケガをしたら自分がケガをしたときにしてもらったことを思い出してまねしてみたりします。性格って実は生まれ持ったものではなくて、自分の中に蓄積されたデータからできているのかもしれない、と気づいたんです」
空子は幼少期から人生に何も期待していない。それは会社に酷使される父と家族に酷使される母を見て〈いつか世界の道具になるために育てられてる〉と感じているからだ。『地球星人』(2018年)の主人公も、自分に求められているのは〈お勉強を頑張って、働く道具になること〉〈女の子を頑張って、この街のための生殖器になること〉だと考えていた。「道具」は村田作品を読み解くひとつのキーワードだ。
「コンビニに勤めていたとき、私はうまく洗脳されていたんでしょうね。お店に愛があって、毎日一生懸命頑張って働いていました。当時すでにサービス残業は禁じられていましたけど、退勤予定の時間になっても"POPを書いてから帰ります"とか言って。でも、スタッフが次々と体を壊して辞めていって、代わりの人が入ってきたときに、自分は使えなくなったら取り替えのきく道具なんだとおぼろげに感じたんです」
女性として生きる苦しみを
委託した生き物・ピョコルン
男も女も世界にとって便利な道具になることを強いられる。そこで登場するのが「ピョコルン」という、パンダとイルカとウサギとアルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさってできあがった生き物だ。可愛さを極めたピョコルンはペットとして人気が高かったが、やがて社会において性的な役割を
担っていく。男と女のほかに、ピョコルンという第三の性が生まれるのだ。
「ピョコルンは、私が女性として生きてきて苦しかったことを何かに委託できたらと考えていて、なんとなく出てきた生き物です。子どもの頃、父の田舎に行くと、祖父母や親戚にいろいろと言われました。"この子は骨盤がしっかりしているから安産型だ" とか。それが庭で飼っている鶏に対して"そろそろ卵を産むんじゃないか" と言うときと同じ言い方だったんです」
後年、政治家の「女性は産む機械」という発言が問題になったとき、子ども時代におぼえた違和感と苦痛が腑に落ちたと言う。
「やっぱり女性は家畜みたいに扱われているんだなって。"自分の子宮の使い方を見張られている" という言葉が思い浮かびました。そこからさらに女性にとって家畜になる生き物を想像したら、ピョコルンになったんです。私はきっと、女性に子どもを産ませる側の感覚、女性に性欲を向ける側の感覚を書いてみたかったのだと思います」
ピョコルンは人間の性欲を処理し、人間の子どもを産み、家事や介護などのケア労働も担う、便利な道具になるのだが……。
「空子がピョコルンの料理の味や家事のやり方に文句をつけだしたとき、こんなことを書くのは嫌だと思いました(笑)。空子は自分が男性にされた仕打ちと同じことをピョコルンにしてしまうんですよね」
村田に手紙を書いた読者が「パラレルワールドというよりは現実の話」と感じたのは、ピョコルンのような架空の生き物にも、現実の人間の生きづらさが反映されているからだろう。「ラロロリン人」という、同じく架空の存在として描かれる人々も忘れがたい。人種や国籍に関係なくラロロリンDNAを持っており、当初は優秀で素晴らしいと持ち上げられるが、次第に迫害されるようになる。
「私は空子と同じく新興住宅地で育ちました。新興住宅地の住民はお互いのルーツをほとんど知らずに暮らしている。過去がない街なので、土地に根ざした差別を感じることはありませんでした。ところが、大人になって幼なじみと再会したら、レイシストみたいなことを口にするようになっていたんです。幼少期に刷り込まれなくても、急に差別意識を植えつけられることがあるんだと驚きました。そういう状況になったときの感情の動きを、ラロロリン人を通して書いてみたかったのかもしれません」
物語の後半ではピョコルンやラロロリン人にまつわる恐ろしい秘密があらわになり、世界が「リセット」される。
「私の周りでもリセットは起こっている気がします。以前『変容』(2019年)という短編で、人間から怒りがなくなる世界を描きました。それは自分の中にそういう光景をチラチラ見ているような感覚があったからです。いつからか、地元の友人たちと話していて悪口が出てくると"嫌な気持ちにさせてごめんね"って謝られるようになったんです。友人や編集者の話によれば、悩み事があるときも若い人たちはまずはChatGPTに言いたいことを全部入力するそうです。AIに聞いてもらって気がすむ場合もあるし、やっぱり誰かに相談したいという場合も、冷静にまとまった形で伝えることができるから。負の感情をそのまま他人にぶつけたら申し訳ないという感覚があるのかもしれないですね」
小説は自分を生きることに
つなぎとめてくれる紐のようなもの
衝撃的な結末まで、空子のサバイブから目が離せない。しかし、村田はなぜ生き延びようと闘う人々を描くのだろうか。
「幼少期からずっと、みんなはマスターしているルールや常識が私にはわからないという感覚があって。自分は世界に処分されてしまうかも、家族にいらないって捨てられてしまうかも、という恐怖を抱いていたんです。中学生のとき、クラスの女の子に"死ね" と言われたこともありました。無視されて孤独だったし、希死念慮に苛さいなまれたけど、根底には生きたいという気持ちもあった。だからユーモアを使ったり、いろんな工夫をしたりして、なんとか殺されずに生き延びてきたという自負があります」
生き延びるために闘うなかで、小説はどんな役割を果たしてきたのだろうか。
「中学校の女子グループから弾き飛ばされて、心を回復させる場所がなくなったとき、私は小説を命につなぎとめるための紐にしたんですね。ガーッとのめり込んで書くことが、自分を生きるほうへ引っ張ってくれました。今はもう、死ぬかもしれない緊急事態は乗り越えたけど、しっかり縫いつけてしまった紐は取れないという感じです」
村田にとって、小説は生き延びる術であり、実験でもあると言う。
「私の場合、小説を書く自分と、書いていない自分は分裂しているんです。普段の自分は空想癖があって、幼少期から頭の中にふわっとある架空のアニメーションの続きを作ったりしています。それは自分の脳を楽しませるためだけに作っているので、意外なことは起こらない。一方、小説を書いているときの私は実験室の中にいるようなイメージです。実験室には時代設定とか場所とか登場人物とか小説を構成する要素が入った清潔な水槽があって、その隣のベッドに、もうひとりの自分が横たわっている。私は自分の身体からいろんな記憶の結晶を切り出して、水槽の中に入れていきます。すると理解不能な出来事が起こって、人間の奥底にある未知の何か、開けちゃいけないかもしれない箱が開く。それは小説でしかできない実験じゃないかと思います」
『世界99』は上・下巻、全850ページ以上。村田の中でも最大の実験になった。「連載中はずっと、仲良くしている作家の朝吹真理子さんの"奇書だから大丈夫" という言葉に励まされていました(笑)。変な本だから中で何が起こっても大丈夫だって。書けば書くほどいろんな記憶が掘り起こされて、永遠に終わらない気がして怖かったですが、なんとかここがラストだと思うシーンにたどりつくことができました」
自分の小説はデビュー作からすべてどこかで連結していると言う村田。
「『孵化』や『コンビニ人間』で書ききれなかったことを『世界99』で書いたみたいに、一作書き終わると書ききれなかったことが出てくるんです。今回も次に実験したいテーマが見つかったので、どうなるかわかりませんが、書きはじめています」

「自分の身体から記憶の結晶を切り出す。開けてはいけない箱を開く。それは小説でしかできない実験なんです」。
本人の柔和な雰囲気にぴったりのワンピース姿で、インタビューに答える村田。多忙な日々の楽しみは、友達と一緒にモーニングを食べることだそう。
村田沙耶香 主な作品(西暦は初刊年)
家父長制と資本主義社会のもとで「道具」として扱われる人間、抑圧されて育つ少女の心理、規範からはずれた性愛、異物として排除されるマイノリティ……。シリアスな題材をドライブ感のある文体で、ユーモアも交えながら描いてきた村田沙耶香。『世界99』とあわせて読むと理解がより深まる8 冊を案内する。

『授乳』講談社文庫/2005年
思春期の少女が家庭教師の「先生」に奇妙なゲームを仕掛けるデビュー作「授乳」のほか、少女とぬいぐるみの危険な愛を描いた「コイビト」、道路で倒れた大学生が理想郷を見つける「御伽の部屋」を収録。

『ギンイロノウタ』新潮文庫/2008年

『しろいろの街の、その骨の体温の』朝日文庫/2012年
小学4 年生の結佳(ゆか)は、同じ習字教室に通う伊吹と親しくなる。結佳は次第に伊吹を「おもちゃ」扱いするようになって……。開発途中のニュータウンを舞台に少女の成長を描く。三島賞を受賞した長編。

『消滅世界』河出文庫/2015年

『コンビニ人間』文春文庫/2016年

『地球星人』新潮文庫/2018年

『生命式』河出文庫/2019年

『丸の内魔法少女 ミラクリーナ』角川文庫/2020年
36歳になるまで魔法少女ごっこを続けている主人公が、親友の恋人のモラハラ男に会う表題作、介護に追われるうちに時代の変化についていけなくなった主人公の葛藤を描く「変容」など4 編を収録。
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