BY JUNKO HORIE, PHOTOGRAPHS BY KAZUYA TOMITA

──まずは名監督、小津安二郎をモデルに描くことについて、その経緯をお聞かせください。
行定勲(以下、行定) 10年近く前に、中井貴一さんから作品の出発点になるような実話をお聞きしたんです。中井さんのご両親の結婚秘話に、小津安二郎監督が登場するんですね。当時、映画『君の名は』の公開後から大スターだった俳優・佐田啓二さんと、松竹撮影所の近くにある食堂の看板娘の恋愛。その看板娘を非常に可愛がっていらしたのが小津監督で。佐田さんご夫妻の間に生まれた長男が中井貴一さん。実は小津監督が中井さんの名付け親であったりするなど、中井さんのご両親と小津さんにまつわるお話を聞いていたら、それはまるで一本の映画のストーリーのようで。こういう実話は、非常に王道かつ豊かな人間関係だと感じましたし、そこに小津監督が登場するならば、どう描いても面白くなるだろうと思ったんです。
──それを、映画ではなく舞台で。
行定 最初は映画で、と考えていました。それも大長編ということではなく、本当にささやかな感じで。ささやかなのに、当時の大巨匠が登場するような物語で。ただ、その構想を叶えるにはなかなかハードルが高かったんです。当時の時代背景を全て映画で再現するには、大変質の高いものを用意しなければならない。映画会社との交渉は非常に困難だろうと思っていたところに、パルコさんから“舞台ではどうでしょう?”とご提案いただいたのが、今回の作品の始まりですね。

──舞台演出はどのようなプランをお持ちですか?
行定 色々と装置を含めた企みはありますが(笑)。どんな風に小津調と向き合って、どこで人間小津安二郎に踏み込めるかを考えています。小津監督のような有無を言わせない、誰も介入できないところまで突き詰めた方って、もはや小津監督ご自身との戦いでしかないんですよ。たぶん、そういうことなんです。小津監督が徹底したこだわりに、僕は美しさみたいなものを見ていて。小津監督の会話のリズムって非常に等間隔で、編集でコマ数が決められているんです。それは映画でしかできないことをやっています。それを今回、舞台でも極力、再現しようと思いました。会話口調は再現できるんですよ。それは(脚本・鈴木)聡さんも意識して書かれています。ただ、小津さんは人と人の会話の間に16コマ空けているんですね。この“16コマの間”というものを舞台上で人間が確実に空けるなんて、かなり困難なことで(笑)。小津さんは編集で緻密にそれをやって、映画の中でのリズムを徹底していたんですね。
──その緻密さを舞台に求めるわけではない。
行定 映画でも僕はマスターショットを、シーンを通して撮影して、その後にカットインとしてアップを撮る。ワンカットワンカット緻密に構図を作って撮られる小津監督とは真逆ですね(笑)。僕は決め込んでガッチガチな芝居になってしまうのがイヤなんです。今回の舞台でも小津監督の世界を求めつつ、生の人間が演じる、人間味があっていいんじゃないかなと思っています。自分が作るものにおいて、映画だから、舞台だから、特に何かが違うわけではなくて。ただ、自分が面白くないものにイエスと言いたくはない。特に舞台では、観客は座席を振り分けられるわけで、その席から見える世界を見ることにもなる。だから自分のこだわりよりも、トータルで多くの人の目線に立って、それが反映されたものでないといけないと思っています。それに、舞台は誰がキャスティングされたかによって、その面白さがかなり変わってくる。今回は豊かなキャスティングだと思っています。それを見てくださった観客がどう感じてくださるか。この作品が小津的だったか否かは、最後の最後の話ですね。僕はそう思っています。
──大事にされているのは、小津的であることよりも俳優陣のこと。
行定 演出家のこだわりを俳優たちに押しつけて、彼らの中に“演じていて結局よくわからなかった”という疑問が残ってしまうのがイヤなんですよ(笑)。俳優の皆さんたちが納得できるものを残すのが僕の役目であり、そう言いながらちょっと小津的な仕掛けを入れる(笑)。それは最初から提示しておいて、稽古場で一緒に作って、疑問があれば解消してもらうんです。
──キャスティングが重要というお話がありましたが、そこに生きとし生ける中井貴一さんが小津監督をモデルにした役を演じるということに、期待は膨れ上がります。
行定 中井さんが実際に小津監督の肉声を覚えていることはないと思うのですが、日に日に小津に近づいていく。けれど、小津そのものを演じているわけではない。中井貴一が“小田”という映画監督を演じているわけです。そこには小津監督にインスパイアされながらも、中井貴一という俳優の真骨頂が発揮されている。いち人間としての小津を描く中に、中井貴一が混ざるところが面白いなと思っています。僕が見たい、そして観客が期待する中井貴一が、そこにあります。

──行定さんから見た、中井貴一という俳優のすごさとは?
行定 裏表があまりない方なんですね。“自分は俳優に最も向いていない”ってよく言われるんですけど、中井さんにはご自身を“こう見せよう、ああ見せよう”というところがないからだと思うんです。そこがいいんですよね、照れも含めて。演じることは、照れくさいことをやっているという正直さがあるんです。それが人間味を増すことにつながっている。
──ああ、なるほど。特に日本人の中にある“照れ”の性質。だから、中井さんの演じる男性に多くの共感が生まれるのかもしれません。
行定 人と人が向き合っていれば、誰しも照れくさいことがありますよね。いい会話の中でも、“俺、何言ってんだろう? ちょっといいこと言っちゃった”みたいな(笑)。それを人に褒められたら余計に照れくさくなっちゃって。僕には、中井貴一さんはそういう人に見えます。非常に多くの経験をお持ちなのに、どこかご自身は未完成のまま人と向き合っている。中井貴一を完成させて、“こうだ!”っておっしゃるような威圧感がないんですね。でも、もっとこうあるべきじゃないかっていう理想はお持ちで、僕は中井さんから教わることだらけです。僕なんてもっといい加減なところにいますから(笑)。ありがたいことに、素晴らしい方々が集まってくださるから作品が完成しちゃうんですよ。僕が黙っていても、いい作品ができちゃったね、というのが理想ですね。ダメな監督がずっと悩んでいて、ああでもない、こうでもないって言っていると、俳優たちは背を向けていくんですよね。
──理想は黙っていて、納得のいく作品を送り出すには何が必要でしょうか?
行定 最初の企画力ですね。誰かが“これは面白い”と思うものであること。それがあれば演出家なんて後付けでもいい。たまにいらっしゃるんですよ、“あの人何も言わないよね”っていう演出家が。でも、それで出来上がったものが素晴らしい作品だったりするんです。監督で言うと、相米慎二さんなんですけどね(笑)。みんなに言いたいこと言わせて、いろいろやってみて“いいんじゃないか”で進んでいく。相米監督が何度も中井貴一さんを起用していたのは、中井さんが「ここ、こうやってみていいですか?」とか「こういうことなんじゃないですかね?」という積み重ねがあったんじゃないかと思うんですよ。相米監督は、それがわかっていて、達観していたんだと。そういう綿密な関係や環境がそろってこそ、素晴らしい作品ができあがるんだと思いますね。中井さんは、こういうエピソードをたくさんお持ちなんですよ。

舞台『先生の背中〜ある映画監督の幻影的回想録〜』
<東京> PARCO劇場
6月8日(日)~6月29日(日)
<大阪> 森ノ宮ピロティホール
7月5日(土) ~7月7日(月)
<福岡> J:COM北九州芸術劇場 大ホール
7月11日(金)~7月12日(土)
<熊本> 市民会館シアーズホーム夢ホール
7月15日(火)
<愛知> 東海市芸術劇場 大ホール
7月19日(土)~7月20日(日)
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