BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

自ら窯を設計した「コンパン」の伊藤源喜さん
《BUY》「Compain(コンパン)」
炎の奥行きを纏う薪窯パンと焼き菓子

店名の「Compain」は古いフランス語で“ひとつのパンを分け合う”ことを意味する
ここ「Compain」は自作の薪窯を持つ。そのパンを初めて口にしたのは、あきる野の旅のvol.2で訪れたレストラン「ラルブル」でのこと。山羊の稲藁焼きに添えられたブリオッシュを意識せずに口に運んだ際のふくよかな余韻に驚いた。 バターをたっぷり用いるパリのブリオッシュも美味なれど、同店の目指しているものはブリオッシュ発祥の地と言われているノルマンディに古くから伝わる“ガーシュ”と呼ばれるタイプ。卵や砂糖、バターが入り、素朴でありながらリッチな奥行きが感じられる。それは、ブリオッシュの概念がガラリと変わった体験だった。特殊なレシピゆえか、それとも炎の神様が宿る薪窯ゆえか……美味しさの記憶を携えたまま足早に工房を訪ねる。

店は金・土・日(日曜は不定休)のみ。Instagramにて営業日を告知
檜原街道から山間へと小路を折れ曲がり、小さな川を越え、野菜の無人販売を横目で見送り、住宅街の外れにシャビーな木の看板を見つける。週末だけオープンするという一軒家を改装した「Compain」が誕生したのは、2023年4月のこと。パンを焼くのは京都出身のご主人の伊藤源喜さん。関西のリテールベーカリーに勤め、31歳で渡仏。パリのモンマルトルで1日1500本ものバゲットを焼く人気店に勤める。一方、奥様の華奈さんも天然酵母を得意とするベーカリーを経て渡仏。パリでは老舗のパティスリー「ラ・ヴィエイユ・フランス」で研鑽を積む。彼の地で出会った二人はパリに居を据え、それぞれパンとフランス菓子の腕を磨いていた。
フランスに移り住むこと源喜さんは12年、華奈さんは10年を経た頃、新たに人生設計を見直すきっかけがあり日本に帰国。華奈さんの出身地、自然豊かなあきる野らしいパン工房の在り方を考え、薪窯でパンを焼くことに決めた。『捨てないパン屋』の著書で知られ、昔ながらの薪窯で自然発酵のパンを焼く広島県の「ブーランジェリー・ドリアン」で1カ月の研修を経て、自ら窯の図面を引く。それから半年かけて奥行き240×幅240mもの大きな薪窯を完成させた。

奥はノルマンディーのスタイルに倣ったブリオッシュ。右は噛むほどに味の広がりを感じるカンパーニュ。ハチミツや無塩バター、オリーブオイルなどと相性がよい。左はその名もライ麦100%、デンマークの基本のロブロを忠実に簡素な作り方で再現

「ラ・ヴィエイユ・フランス」で卒業の記念にと親日家のパトロンから貰ったマドレーヌの型。この型を使うたびに、パリでの日々が思い起こされるそうだ
国産有機小麦粉と水だけで48時間かけてゆっくり発酵させる自家製のルヴァンを礎に、源喜さんが焼くパンは約6〜7種類。じっくり焼きあげる芳ばしい皮のコンパンをはじめ件のブリオッシュ、エポートルやノアレザンなど、ハーフサイズでもどっしりと大きなパンばかり。「1週間程度は保存がきくため、食べる直前に霧吹きで水を含ませ、アルミホイルで包んでトーストすると焼きたてのように美味しく食べられます」と源喜さん。仰せの通りに家で試すと、静かに佇んでいた酵母がにわかに目覚めたかのように、甘さも香ばしさもサワー感もしっかり蘇った。

潔いよいほどにシンプルなマドレーヌとサブレ。季節のタルトやコンフィチュールも人気
パンと一緒に華奈さんの焼き菓子を手土産に求めたいと申し出ると、フランスの型を用いたちょっと大きめのマドレーヌと土地の名前をつけた小和田サブレをおすすめされた。家まで待ちきれず、その場でしっとりとしたマドレーヌを味わう。一般的とされるアーモンドプードルは入れず、バターも少なめ、1843年創業のパリの名店のレシピは、素朴で堂々とした風味をまとっていた。帰路につく車中、バッグの中でふんわり香るサブレにも手が伸びる。ホロホロした見た目に反して、口の中でバターの豊かさが溶け出す。この美味しさは、独り占めするのではなく、店名の“コンパン”が意味するように大切な家族と分かち合いたいと、これ以上のつまみ食いを思いとどまった。

山間部に位置するあきる野は、薪の調達にも困らないとか
コンパン
住所:東京都あきる野市小和田197-1
公式インスタグラムはこちら
《BUY》「養沢ヤギ牧場」
里山から届いたヤギのラブレターを食す

4月に生まれたばかりの子ヤギが伸びのびと斜面の草を喰む
旅をすることの一番の魅力は、精神的な清潔感を保つため。そう思って旅先を巡ると、日常のルーティーンで見落としていた、大切な“何か”を掬い上げる瞬間がある。今回訪れた「養沢ヤギ牧場」でも、そんな出会いが待っていた。迎えてくれたのは、ヤギ専門の牧場を営み、自ら搾乳してチーズを手がけている堀 周(いたる)さん。体裁よりも人間性がビシビシ伝わる、真っ直ぐで心地よい不器用さは、いかにも美味しいチーズにありつけそうな印象を受ける。
だが、意外にも大学での専攻は物理学。あるとき、テレビ番組で特集された岡山県の吉田牧場に心を打たれ、自らが進むべき人生設計を再構築。組織に依存せずに暮らしに密着した仕事を考え抜き、選んだ道が酪農だった。

ヤギ小屋は、木工職人の父親とともに建てた堀さんのお手製。その表情から居心地の良さが伺える

「搾乳がはじまると手が離せない」と言いながら、その時間を利用してインタビューに応じてくれた堀 周さん
「酪農なら、草さえ調達できれば家畜を育て、その恵を原料とした製品をアウトプットすることが成り立つとイメージできた」と堀さんは語る。大学卒業後、まずは資金調達のために就職。休日の度に各地の牧場を巡ってイメージを膨らませ、3年後に満を持して北海道へわたり2年かけてチーズ作りを学ぶ。続いて八王子市で酪農を学びながら牧場の一角を借り、まずは1頭のヤギを飼育しはじめる。
現在の養沢の地に牧場を構えたのは2020年のこと。3頭のヤギからスタートし、現在は母ヤギが12頭、今春生まれた子ヤギは29頭にもなる。朝夕の1日2回、1頭あたり約5〜6リットルを搾乳。その2日分のミルクを加熱殺菌し、冷やしたミルクに乳酸菌を加え布袋に入れてホエーを抜いた後に、塩を調整してチーズを丸めて形成。約2週間かけて熟成させる。

定番の「養沢ヤギチーズ」。販売は4〜11月の期間限定

こちらはブルーチーズの試作。今後バリエーションが増えそうだ
完成した「養沢ヤギチーズ」は、優しい風味とフレッシュ感の残るキメ細やかな口当たりが特徴。蜂蜜やベリー系のジャムを加えると、滑らかさと甘みが増しデザート感覚で食卓を彩る。スライスしたチーズをサラダにトッピングして、オリーブオイルをかけまわして食べるのも堀さんのおすすめ。件の定番アイテムに加え、現在は近隣のレストランに向けて「フロマージュブラン」も手がけ、さらにブルーチーズの試作研究にも挑戦している。
ヤギとともに生きる堀さんの姿と林道の清々しい空気に、自らの精神を洗いながら帰路につく。途方に暮れるようなことがあったとしても、絶えず新しい地平を遠望し、志向していく日々を過ごせますように、そう心から祈った。

山の緑に溶け込むチーズ工房も、堀さんの父親と建てたそう

生後2ヶ月の子山羊に見送られて
養沢ヤギ牧場
住所:東京都あきる野市養沢414
TEL:042-588-4696
公式インスタグラムはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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