ジャケット¥315,000

セリーヌ ジャパン(セリーヌ)

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ドレス¥87,000

マックスマーラ ジャパン(マックスマーラ)

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 逆説的だが、スターになれるかどうかは、いかに普通の人々の生活を演じられるかにかかっている。つまり、普通の人々に共感できるか、役者自身の人間性を演技に反映させることができるかということだ。実際に会ったアダムスは映像を通して時折受ける印象どおり、感じがよく、思慮深く、少し傷つきやすそうに見えた(大きな瞳もそんな印象を与えている)。それと同時に、芯の強さも感じられた。インタビューを受けにやってきたアダムスは、心配そうな広報担当者に付き添われることもなくひとりで現れ、帰るときは自分で運転して帰っていった。


セレブという人種は普通の人々とはかけ離れた別世界に入り込んでいるものだが、アダムスはそうした風変わりな人種ではなく、われわれと同じ世界の住人のように思える。どんなスターにも言えることだが、こうした人間性が感じられるからこそ、作品を支え、観客を惹きつけることができるのだ。アダムスは自分をセレブリティのひとりとは認めたがらないようだ。私がインタビューの中でシャーリーズ・セロンの名前を挙げると、アダムスの顔がパッと輝いた。「彼女はソファに座っているだけで、『ああ、あのことね。それでどうしたの?』と観客に言わせることができる。私にはそういうところはないわ」


 アダムスは間違っている、と私は主張した。あなたの魅力はセロンとは違う。あなたは観客を自分に引きつけるが、セロンは距離をおく。しかしどちらも、スクリーンに映っているあいだは彼女だけを見ていたいと思わせるのだと。アダムスは手を振って、そんな称賛の言葉をはねのけた。これがほかの誰かだったら、謙虚なふりをしているだけだと思うかもしれない。だが、アダムスは他人の褒め言葉をそのまま受け取るような単純なタイプには見えない。こうした懐疑的な姿勢は、彼女の経験に根ざしているような気がする。ミネソタのディナーシアターで働きながら、『ブリガドーン』などの地元のミュージカルで踊っていたアダムスは、1999年に24歳でロサンゼルスにやってきた。ほどなくしてマネジャーを見つけたが、クレジットに名前が出たのは、ミスコンの裏側を皮肉たっぷりに描いた『わたしが美しくなった100の秘密』(’99年)の1作だけ。しかも、ずらっと並んだ前途有望なかわいい若手女優の一人にすぎなかった。


 アダムスは当時をこう振り返る。「何度もオーディションを受けたけれど、素の私以外、3つのタイプしか演じることができなかった。結局、役をつかむことはできなかったわ」。ちょうどTVドラマ『ドーソンズ・クリーク』への出演をきっかけに、ケイティ・ホームズがブレイクした頃だった。アダムスもWBネットワークのTVドラマにかたっ端からゲスト出演したが、役を勝ち取るためビキニ姿になってもうまくいかなかった。「オーディションに受かるためにはセクシーさが必要なんだといつも思っていた。でも私にはそれが全然ないの」。自信喪失に陥っていたアダムスを救ってくれたのはマネジャーの言葉だった。「自分がどうなりたいのか決めること。エイミー、あなたはまずそれをはっきりさせなきゃだめよ」


 スティーヴン・スピルバーグの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(’02年)で、1960年代初めのボランティアの看護助手という魅力的な役を射止めたときのことを、アダムスは今もまざまざと覚えている。主役の詐欺師フランク・アバグネイルJr.を演じたのはレオナルド・ディカプリオだ。アダムス扮するブレンダは、ディカプリオとの最初のシーンでずっと泣きじゃくり、目を赤く泣きはらし、金属の矯正装置が見えないように手で口を隠している。観客になりかわって、ディカプリオ演じる女たらしに簡単に誘惑されるアダムス。やがて歯の矯正装置がはずれて、ブレンダはフランクの膝の上にぎこちなくはいあがる。アダムスはブレンダの純真さと情熱を絡み合わせ、不器用な少女と欲望を抱いた女性を同時に表現してみせた。


 批評家たちはアダムスの演技に注目したが、結局はディカプリオの人気に便乗した作品の脇役にすぎなかった。アダムスの言葉を借りれば、「しょせんは歯並びを矯正中の女の子。美しいドレスを身にまとってタイタニックの階段をディカプリオと一緒に降りてくるヒロインじゃないもの」。これをきっかけにさまざまな役のオーディションが舞い込むようにはなったが、大成功とまではいかず、どうにかチャンスをつかんだ程度だった。作家の友人がある映画会社の企画にアダムスを売り込んだ際には、スピルバーグ作品の恩恵にも限界があることが明らかになった。アダムスによれば、映画会社の反応は「ああ、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のやぼったい子ね」。身もふたもない失礼な言いようで、映画業界特有の女性蔑視だが、アダムスはそうは言わなかった。「あのとき、ベストを尽くせなかった私が悪いのよ。観る人に自信を感じさせられなかったんだと思う」


「自信」は、成功した多くの女性たちに共通するテーマだ。こうした女性たちは、自分が抱える不安を克服しながら、同時に、女性の成功をよく言って喜び半分、不満半分というアンビバレントな気持ちで受け止める世間とも戦わなければならない。このインタビューで、アダムスはこれまで歩んできた道のりを自分の言葉で大いに語ってくれた。だが、映画業界が彼女の女優人生に大きな役割を果たしたことは間違いない。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』に出演後のことについて、アダムスは言う。「30歳になろうかという頃、当時の惨めな状況にも、自分には手の届きそうもないものを追いかけることにもうんざりしてしまったの。映画やテレビでキャリアを積むとかね」。アダムスは、女優とは何かとか、こんな映画スターになりたい、こういうセクシーな女性になりたいといったことを考えるのはもうやめようと決心した。演技力を磨くことに集中して、心機一転、再出発するためにニューヨークに移ろうと考えていた。そんなときに飛び込んできたのが、『Junebug』(’ 05年。日本未公開)の出演オファーだった。


 この映画でアダムスが演じたのは、無垢な妊婦アシュリー。上映機会の少ないこのインディペンデント映画で、無名で遅咲きの女優アダムスはインディペンデント・スピリット賞と全米映画批評家協会賞を受賞し、アカデミー助演女優賞にもノミネート。彼女のキャリアを語るうえで重要な作品となった。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』が新人女優としてアダムスの存在を世に知らしめたのに対し、『Junebug』では陽気な明るい妊婦が見せる心の闇、そしてふたたび太陽のような明るさへと戻る、豊かで幅のある感情表現で圧倒的な演技力を披露した。アダムスはクリスタルのように澄んだ感受性で深い共感を観客から引き出し、アシュリーの善良な性格は物語に重要な役割を果たした。『Junebug』をわざとらしい駄作だとして評価しない向きもある。だが、そういう人たちでも、たったひとりの役者の演技が作品の欠点をほとんど補い、その価値を高めたことは心に残ったに違いない。次の転機となったのは、ディズニーのヒット作『魔法にかけられて』への大抜擢だった。アニメの世界のプリンセスが現実世界に迷い込むという単純なストーリーが素晴らしいおとぎ話になりえたのは、ひとえにアダムスの演技力のおかげだ。ダンスを学んだアダムスは、優雅な身のこなしで画面に登場する。おどおどした感じやぱたぱたと手を動かすしぐさはアニメのプリンセスそのもの。本作で類まれな演技力を見せつけたアダムスは、ついに女優としての成功を確かなものにしたのである。