BY KANAE HASEGAWA, PORTRAIT BY TAISUKE YOSHIDA (FOR BÉATRICE GRENIER)

カルティエ現代美術財団の新たな拠点、パレ・ロワイヤル広場に面して立つ歴史的建造物の長さ50mに及ぶ重厚なファサード。来館者はこの正面から入る。写真右手にルーヴル美術館がそびえ立つ。ジャン・ヌーヴェルによるデザインの建物は、界隈に多くみられるクラシカルなアーチが特徴の、雨天でも傘をさすことなく歩けるライムストーン製の屋根つき回廊や外観がそのまま保存され、周囲のショッピングアーケードになじむ。内部をごっそり解体し、変容自在な空間をつくりだした。
The Fondation Cartier pour l’art contemporain by Jean Nouvel, 2 Place du Palais-Royal, Paris
© CYRIL MARCILHACY
現代アートに捧げる美術財団
創造性豊かなデザインの宝飾品や機械式時計─カルティエが誇る芸術品だ。芸術表現であるアートも、カルティエにとって袂(たもと)を分かちがたく重要な存在だ。だから1984年、当時のカルティエのプレジデント、アラン=ドミニク・ペラン氏の「カルティエのコミュニケーション予算の一部をアートに充てる」という強い思いから、現代美術のためのFondation Cartier pour l’art contemporain(カルティエ現代美術財団)が生まれたことは自然な流れだった。日本語では現代美術財団としているが、「フランス語の“pour l’art contemporain”に意義がある」とカルティエ現代美術財団マネージング ディレクターのクリス・デルコンは言う。

1986年、ジャック・シラク首相内閣の文化大臣、フランソワ・レオタールに企業のメセナ活動に関する報告書を渡すカルティエのプレジデント、アラン=ドミニク・ペラン(写真左)。この翌年、企業によるスポンサー契約を可能にするレオタール法が成立した。
© SBJ / ADAGP, PARIS, 2024 PHOTOGRAPHER © DOMINIQUE FAGET / AFP
「現代美術の"ため" の財団。現代美術に奉仕する財団なのです」。というのも、1980年代はアーティストたちが盗作に悩まされ、自分たちの作品が売れないという経済的環境に苦しんだ時代だった。そうした状況のなか、偽造品からアーティストを守る法を整えるよりも、アーティストに創作活動のための十分な経済的サポートを提供し、発表の場を与えることが肝要というペラン氏の思いのもとに財団は生まれている。
「同じ頃、ジュエラーや時計メゾンの間でも、増える偽造品問題に直面し、われわれ自身、苦汁をなめていたのです。われわれが支えないと芸術は生まれなくなると思ったのです」という内容を氏は記している。

1984年、パリ郊外のジュイ=アン=ジョザスに建てられたカルティエ現代美術財団の最初の拠点。
PHOTOGRAPHER © DANIEL BOUDINET - MISSION DU PATRIMOINE PHOTOGRAPHIQUE, MINISTÈRE DE LA CULTURE, PARIS
カルティエ現代美術財団の運営の柱は三つある。一つめは現代アーティストに創作するための資金を提供し、展覧会を財団で開催すること。二つめは、そのアート表現は美術、建築、デザイン、ファッション、写真、映像、パフォーマンスと領域を限定しないこと。そして三つめはメゾン カルティエのビジネスから切り離されていること。つまり、財団にサポートされているアーティストはカルティエの商業活動に一切関わる必要はなく、独立性が保証されているということだ。そうして40年余、さまざまな領域で活動する500名以上のアーティストたちが財団のサポートで作品を制作し、展覧会を開催してきた。そして個展のために制作されたアートは財団が買い取っている。そうすることでアーティストには経済的な見返りが回ってくる。財団の所蔵作品が増えていくなか、財団も必要に応じて作品を売却し、次の作品購入の資金に充てることにした。こうしてカルティエ現代美術財団は、現代アートのエコシステムを築いてきた。財団という組織形態からはイメージしにくいかもしれないが、最初の柱にあるように、カルティエ現代美術財団は展覧会を開催する"場"としてのミュージアムでもある。アートのパトロネージという表現が多く使われる昨今であるが、財団の姿勢は「庇護」だけでなく、より深く関与しているといえるだろう。

1994年、パリ14区にジャン・ヌーヴェルが更地から設計した二番目の拠点。光によって周りの景色がガラス張りの建築を透過するため、存在が消える建築と言われた。全面ガラス張りの建築には絵画や写真をかける壁が存在せず、アートの展示のあり方を根本から考え直すことになった。
© JEAN NOUVEL, EMMANUEL CATTANI & ASSOCIÉS / ADAGP, PARIS, 2024 PHOTOGRAPHER © LUC BOEGLY

財団はアーティストの領域を限定せず、絵画、彫刻、写真、映像、ファッション、建築とどんな表現でも支援。2005年、プロダクトデザイナーのマーク・ニューソンが構想したジェット機《Kelvin 40》も財団によって制作が実現。
© MARC NEWSON LTD. PHOTOGRAPHER © DANIEL ADRIC
そんな財団の活動は1984年、パリ郊外のジュイ=アン=ジョザスで幕を開けた。続く1994年からはパリ14区に拠点を移し、フランスの現代建築の巨匠、ジャン・ヌーヴェルによる設計の、絵や写真を展示するための壁がない、ミュージアム建築の概念を覆す透明なガラス建築を舞台に、第二章を歩んできた。そして去る2025年10月25日、カルティエ現代美術財団はパリで最も歴史のある1 区に拠点を移し、活動の第三章の幕を切って落とした。
パリの歴史の中に、空間とアートで現代の息を吹き込む

建築家ジャン・ヌーヴェル。1945年フランス生まれ。建築を静止したものと捉えず、周囲の環境を採り入れ絶えず見え方や感じ方が変化するような設計をする彼は、光の魔術師と言われる。2008年、建築界で最も権威あるプリツカー賞を受賞。
© THIBAUT VOISIN
新たな拠点のアドレスは、ルーヴル美術館に面したパレ・ロワイヤル広場を囲む、2 Place du Palais-Royal。その地に立つ19世紀半ば建造の歴史的建物だ。パレ・ロワイヤル広場はパリで最も古い場所の一つ。そして財団が拠点とするのは19世紀半ば、セーヌ県知事であったオスマンの政策により近代的な都市となったパリを象徴する建物だ。こうした背景から、財団がここパレ・ロワイヤル広場に面した建築に移ることは、美術界にとどまらず大きな話題となっていた。ここは年月によって形作られ、フランスの記憶が蓄積する場所だ――初めは1855年のパリ初の万国博覧会に合わせて建設されたホテル「グラン ホテル デュ ルーヴル」(1855〜1887)として。その後、ホテルから形態を変えて百貨店「グラン マガザン デュ ルーヴル」(1887~1974)が誕生した。その後には骨董品店街「ルーヴル デ アンティケール」(1978~2019)として、パリの街とともに歩んできた建物だ。そして向かい側には古典美術の殿堂、ルーヴル美術館がそびえ立つ。しかしながら、財団は現代アートをはじめ、"現代"の思想、文化の発信を標榜する。パリを象徴する歴史が刻まれた建物をすみかとすることの意義はどこにあるのだろうか?

サントノーレ通りに面した全長150mのガラス張りの壁からは、既存の19世紀の建物のアーチ型回廊を望むことができる。
© JEAN NOUVEL / ADAGP, PARIS, 2025. PHOTO © MARTIN ARGYROGLO
「現代建築を強いるのではありません。歴史を重ねてきた枠組みの"中"での可能性を探りました。この場所がもつ歴史そのものが一つの素材です。とはいえ、歴史的建造物を完全に保存するのではなく、異なる形でそこに住み着くことによって、積層されてきた記憶を問い直し、再び活性化したいと考えました。その場所が、まっさらな状態からはつくり出せない記憶や密度を内包していることを受け入れ、パリの街が織りなすものについて、オスマン様式の建築と対話したかったのです」と、カルティエ現代美術財団の以前の場所と同様、新たな拠点の建築を手がけたジャン・ヌーヴェルは言う。ヌーヴェルが語るように、19世紀に建てられた際の枠組みを保存し、建物を象徴するライムストーンの構造体の化粧直しに尽力した。一方で、内部空間はごっそりと解体した。かなり乱暴なたとえ方をすると、19世紀の作曲家による時代を超えて演奏されてきた楽譜に、現代の音楽家が作曲家の思いをくみ取りながら息吹を与えるようなものかもしれない。

展示空間は地下1 階、地上2 階だが、可動式の床(プラットフォーム)を底部ギリギリまで下げると最高11mの天井高の巨大な箱となる。
© JEAN NOUVEL / ADAGP, PARIS, 2025. PHOTO © MARTIN ARGYROGLO
「この場所がもつ歴史を断絶するのではなく、ひもとくこと――現代が歴史と対話できる空間、空間の中に動きが宿る場を生み出すことを目指しました。われわれは、過去に根ざしつつも、押しつけることなく、現代のアーティストたちに新たなツール、すなわちアーティストの創造のためのサンクチュアリを提供します。歴史が完結したかに見える場に、息吹と空気感と光を再び呼び起こしたいのです。ミュージアムとは、歴史と現代の時間が互いに打ち消し合う場所ではなく、重なり合う場所となるのです」

開館記念展『エクスポジション ジェネラル』の展示風景。正面エントランスを入って最初に展示されている建築作品。小さな教会建築や未来都市の模型が並置されている。右端の色鮮やかな立体作品《OMG!》は2014年、イタリアの建築家アレッサンドロ・メンディーニによってアーティストのピーター・ハリーの抽象画《Code Warrior》をかけるための壁として制作された。
©MARC DOMAGE
かつて近代性を象徴するパリで最初のホテル、モダンライフを提案する最新の百貨店、そして骨董店が集まるアーケードとして、時代ごとにパリ市民にモダニティを提案してきたこの場所から、今度はミュージアムが今の時代のモダニティを提案し、暮らしを醸成していく。以前のカルティエ現代美術財団の建物をはじめとして、ケ・ブランリー美術館、ルーヴル・アブダビ、カタール国立博物館など、現代におけるミュージアム建築を数多く設計してきたジャン・ヌーヴェル。財団の新たな拠点で思い描く、今のミュージアム像について次のように語る。
「私の構想は、来館者と通りゆく人、そしてパリの街がクロスオーバーする多孔質で開放的な空間でした。日々の暮らしとアートの接点となる場です。今日、ミュージアムは保存のみを目的とした、静止した箱ではいられません。現代においてミュージアムは、対話と変容、共有された創造の場であり、環境や社会の変化に適応し、予期せぬものを受け入れる場であるべきと考えます。その使命はアートの展示空間を超え、状況や体験、出会いを創出すること。ミュージアムは市民社会の一員であり、歓迎の場であり、避難所でもある─都市の文化的、そして社会的な生活に不可欠な存在となるべきでしょう。ミュージアムにはさらに次の責務も課せられています。それは、ますます画一化が進む世界において、自由な空間を提供すること。均質化に抵抗し、形態や思想、感性の多様性を守ること。ミュージアムの未来は、展覧会や、アーティスト自身、来館者がその空間で自らを再創造する能力にかかっていると思います」
時間の流れ、アートの歴史をシャッフルする空間

ベアトリス・グレニエ。カルティエ現代美術財団の戦略・国際プロジェクトディレクター。開館記念展『エクスポジション ジェネラル』をグラツィア・クアローニと共同でキュレーションした。それ以前は中国におけるGoogle Arts & Cultureのコンテンツ戦略コンサルタントを務めた。2015年から2019年にかけては蔡國強のもとで大規模プロジェクトを統括した。
そうした意図のもと財団の拠点の内部は、多様な領域のアートを表現できるように設計された。最大の特徴は、床(プラットフォーム)が上下し、空間が変容する点だ。総展示面積6500㎡のミュージアムには5 つの上下する可動式プラットフォームが設けられ、それらがエレベーターの箱のように滑車によって垂直方向に移動し、固定されることで最高11mの天井高の空間が生まれる。
「プラットフォームが上下に移動することで生まれる隙間により、アーティストは常に空間と対話しながら、そこに想像力を吹き込み、ほかではできない大胆なプロジェクトを実現できることになります。ここにあるすべてが、クリエイションに捧げる建築という理念を体現しています――ここは実験を誘う柔軟なツールです。また、来館者にとっても、自然光や十分な天井高、そして空間の透明性によって、訪れるたびに新たな気づきがあるでしょう」とヌーヴェル。

ミュージアムの中からはアート越しに人が往来する街の光景が重なり、一方で外からは、ブティックのウィンドウのように道行く人の視線をミュージアムへと誘う。
© MARC DOMAGE
ヌーヴェルが言う"対話と変容、予期せぬものを受け入れる場"と呼応するように、作品を時代や作家の地域ごとに分けるのではなく、混然と展示し、順路も決めないことで、歴史の流れにとらわれないアート体験を促す。開館記念の展覧会『エクスポジション ジェネラル(百貨展)』は、財団が注視してきた「建築という装置」「自然であること」「ものをつくる」「現実の世界」の4つの章立てで構成されている。財団の40年余の活動の中で所蔵してきた100名以上のアーティストの作品約600点を、中庭のような地下とそれを取り囲むようにつくられた地上2 階、そして高さの異なるプラットフォームという幾層にも交差する空間を生かして展示している。地球の縮図さながらの展示は、財団の活動の縮図でもある。

地下階に展示された、2018年に財団で開催した石上純也の個展の作品、シドニーの空に弧を描くモニュメントの実寸模型。その先に見えるのは生態系を探究するブラジルのアーティスト、ルイス・ゼルビニによる台座に植えた樹木。
© MARC DOMAGE

アマゾンの先住民マクシ族出身で、教育者、活動家のジャイデル・エスベルによるマクシ族の神の姿を描いたアクリル画《Makunaimî cria o espelho universal》。
© FILIPE BERNDT, © JAIDER ESBELL ESTATE
パレ・ロワイヤル広場に面した、高さ7mのアーチ窓が開いた正面エントランスから入ると、街の延長のように既存のアーチ壁が保存された展示空間が広がる。この建築空間の中にイタリアの建築家アレッサンドロ・メンディーニ作の小さな教会建築が展示され、スケール感を揺るがす。そのそばにはコンゴ民主共和国の彫刻家、ボディス・イセク・キンゲレスが制作した西暦3000年の自国の空想都市模型が対峙する。ミュージアムの中が街の延長のような空間だ。街の中を歩くようにアーチに沿って通路を進んでいくと、この建築の特徴である異なる階層のプラットフォームによって階下の空間が見えてくる。ここではブラジルのアーティストの、生態系を研究するための植物を使ったインスタレーションと、「シドニーの空に線を描きたかった」という建築家の石上純也がシドニーの街に提案した伸びやかな弧を描いた建築モニュメントの実寸模型が対峙する。

地下階の通路で、現代音響芸術集団サウンドウォーク・コレクティヴと音響生態学者バーニー・クラウスのコラボレーションによる、自然の音を5000時間も録音したという音声が空間を包む。
© MARC DOMAGE
「そもそもミュージアムのあり方は百貨店を手本にしています。百貨店は誰にでも開かれた民主的な場所であり、世界から最新のファッション、珍しいもの、あらゆるものが集まり、新しいものに出会う場所でした。ミュージアムのあり方の起源といえます」と、本展を共同キュレーションしたベアトリス・グレニエは言う。そして「展覧会のタイトル『エクスポジション ジェネラル』も、グラン マガザン デュ ルーヴルで当時開催された文化的なイベントの名前に由来します」と続ける。地下にあたるフロアでは「ものをつくる」と題した章の中から、火薬を発火させた大がかりな作品で知られる蔡國強とハンガリー出身のシモン・アンタイによる、キャンバスを折り畳んだあとに絵の具を施した作品が並ぶ。「蔡は火薬を使った壮大なパフォーマンスの印象が強いと思いますが、絵を描く素材としての火薬の可能性を探ってきたともいえます。一方でアンタイはキャンバスを折り畳んだり、くしゃくしゃにしてから絵の具の液に浸し、キャンバスを広げたりする手法で絵を描く作家です」とグレニエは説明する。有松(ありまつ)絞りを想起させる手法だ。こうした展示方法によって、思いもよらなかった絵画の技法に気づかされる。

独学で建築を学んだ南米ボリビアの建築家フレディ・ママニは、先住民アイマラ族の文化特有の幾何学パターンと鮮やかな色彩を組み合わせたネオアンデス建築の旗手。財団ではこうしたアイマラ族の暮らしを伝える建築もコミッションし、所蔵する。
© MARC DOMAGE

建築家集団のディラー・スコフィディオ+レンフロによる、人口移動や気候変動のデータによって地球の状態を可視化させた映像が、過去と現代の暮らしをつなぐ。
© MARC DOMAGE
「目の前にあるルーヴル美術館はかつての王宮であったことから、まっすぐに並んだ部屋の配置に合わせて時代ごとに分けられた美術品を展示しています。美術の歴史というのは過去から現代への一方通行だったのです。これが美術展示の模範でした。カルティエ現代美術財団ではそのルールが崩されます。ここでは制作された時代も地域もシャッフルし、アートをフラットな目で見る状況をつくっていきます」とグレニエ。
カルティエ現代美術財団の新しい拠点は、中世から18世紀にかけての建築様式が顔をのぞかせるノートルダム寺院やルーヴル美術館など、さまざまな時代が共存するパリの街そのもののようでもある。
カルティエ現代美術財団
Fondation Cartier pour l’art contemporain
2, place du Palais-Royal, Paris
問い合わせ先:カルティエ カスタマー サービスセンター
TEL. 0120-1847-00






