日本で最も有名なツリーハウスビルダー・小林崇。彼が取り組む壮大な企画とは

BY TOM VANDERBILT, PHOTOGRAPHS BY JOSH ROBENSTONE, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

画像: 板材として主にヒノキを使ったこの構造物は、日本のツリーハウスビルダー小林崇の作品。東京の南西、海沿いの街にあるリゾート施設「星野リゾート リゾナーレ熱海」の敷地内で、クスノキをホストツリーとしてつくった

板材として主にヒノキを使ったこの構造物は、日本のツリーハウスビルダー小林崇の作品。東京の南西、海沿いの街にあるリゾート施設「星野リゾート リゾナーレ熱海」の敷地内で、クスノキをホストツリーとしてつくった

「揺れているのがわかりますか」。地上約10mの高さで小林崇が問いかける。私たちがいるのは、東京、ある店舗のささやかな中庭に立つクスノキの上だ。四方を建物に囲まれているので、理論的には風の影響は受けない。しかし、樹齢およそ60年のこのクスノキは、陽射しを求め空に向かって高く枝葉を伸ばしている。樹冠が周囲の屋根にかかるほどで、一番上の葉が風を受けるので、その下の全体がやさしく揺れるのだ。少しドキドキしながら、ツリーハウスの原理とでもいうべき事実を思い出す――コンクリートの建物にいるときには特別考えない「高さ」でも、枝の上で感じると、とたんにそれがありありと迫って来る。

 周囲の人々は小林を「タカ」、あるいは「コバさん」と呼ぶ。彼は日本で最も有名なツリーハウスビルダーだ。これまで設計・建築に携わった数はおよそ250軒。私有地の裏庭に建てたもの、2011年の東日本大震災からの復興のシンボルとなった作品、それからカンボジアのジャングルから世界遺産アンコールワットを望むツリーハウス(日本の宝くじの宣伝用番組のために制作)など、さまざまだ。中国の富裕層のためのツリーハウスもあれば、幼稚園のためのツリーハウスもあり、特に後者は子どもが自然と触れ合う機会が少ないことを心配する親の関心を引いている。新型コロナウイルスの感染拡大が始まると、少人数で集まれるプライベート空間の魅力がにわかに高まり、屋外に出ることへの興味もあらためて強く感じられるようになったことから、小林および小林の会社ツリーハウス・クリエーションは、いっそう多忙になった。これまでに建てた最小のツリーハウスは小屋面積0.4㎡、最大は約25㎡。彼を「ツリーハウスアーキテクト」と呼ぶ人もいる。本人は肩書きにはこだわらないが、ビルダーよりもアーキテクトのほうが、地位や建築基準法のことだけでなく、たとえば永続性など、さまざまな制約と対峙する役割も示唆できる。

 こうしたことを踏まえると、いささか驚かずにはいられないのだが、実は小林は高所が怖いのだという。それでも、「地上で何かを建てるなら、あれこれルールが多いけれど、ツリーハウスなら自由度が大きいんです」と小林は語る。

 小林が現在手がけているツリーハウス――今のところ、土台となるヒノキのビーム(梁)を組み合わせて柱で支えただけの状態だ――があるのは、東京の高級住宅街である白金台の「ビオトープ」という4階建ての店舗(註:ツリーハウスは今年7月にリニューアルオープン済み)。付近は高層ビルが少なく、緑も多い。セレクトショップとして最先端のファッションと自然派スキンケアプロダクトなどを扱い、1階の園芸店から植物が外まであふれ、3階には広々としたカフェがある。14年前、ビオトープのオーナーからの依頼で、小林がここに小さなツリーハウスをつくった。現在はそれをもう少し大きく改築する計画を進めている。カフェの客がそこで食事をとることも想定しているという。

 65歳になる小林は、小柄で、身のこなしはしなやかで迷いがなく、慎重なふるまいをする。長年サーフィンをやってきただけあってたくましい外見だ(ただし、肩の故障が長引いていて――「調子の悪いチェーンソーを持ったせいで」と本人は言う――ウェットスーツの着脱がつらいので、冬の海に行くことは少なくなった)。大木の枝に腰掛け、側面に刻まれた溝を指す。改築前のツリーハウスの端が食い込んでいた跡だ。すでに床や壁の板材は取り外したが、最初にそれらを組んだ時点よりも、ホストツリーがだいぶ成長している。枝は溝よりも下のほうが太い。最初のツリーハウスが木を圧迫して、上への栄養の流れをせき止めていたようだ。小林はこの様子に心を痛めているらしく、木を尊重しなければならないと言った。「ツリーハウスがだめになっても、木はその後も生き続けるんですから」

画像: 京都の北西、京丹後の国立公園内、海を見晴らす場所のツリーハウス。龍神伝説をモチーフに、タブノキをホストツリーとしてつくった。ヒノキとスギを使った内装。下の写真はその外観だ

京都の北西、京丹後の国立公園内、海を見晴らす場所のツリーハウス。龍神伝説をモチーフに、タブノキをホストツリーとしてつくった。ヒノキとスギを使った内装。下の写真はその外観だ

画像1: 樹上の居場所をつくるひと──
日本人ツリーハウスビルダー
小林崇がめざすもの

 ツリーハウスは、重力や、ちょっとした地震などの影響を受けながら、徐々に定着する。しかし、その構造は木々の力でだんだん押し広げられてしまうのだという。一般的な建築物とツリーハウスが異なるのは、ある程度の不完全さを受け入れる必要がある点だ。「少しゆるめにしなければならないんです。大工さんがやるように建ててしまうと、ぱっくり割れてしまいます」。小林は設計図や3Dモデルに頼りきることはしない。構造にすきまを残し、ホストツリーが構造物で遮られることなく伸びていけるようにする。ツリーハウス自体はどうしても木に固定しなければならないが、それについても「ツリー・アタッチメント・ボルト」という専用の取付ボルトや可動式金具を使う。幹を裂かずに打ち込めるし、さらに重要な点として、多少の屈曲の余地ができて衝撃を受け流す役割を果たす。

 小林がつくるツリーハウスは、ホストツリーの縦横無尽な枝ぶりや不思議な形の屋根板に注目されることが多いが、どれも素朴で遊び心があって、鳥の巣か、もしくはJ・R・R・トールキンが描いたエルフやホビットの世界を彷彿とさせる。すべては根底に日本の「侘び寂び」というコンセプトがあるようだ。本人もその指摘を否定しない。美術研究家レナード・コーレンは、日本にとって重要で固有の概念である「侘び寂び」について考察している。現代では形式的な言葉として使われることが多いが、これは「ひとつの明確な美的宇宙」である、とコーレンは言う。1994年の著書『Wabi-Sabi』によれば、「わびさびものは(中略)人の手や風化作用に明白に影響されやすい素材からできている」。「しばしば風変わりで、不格好で、野暮ったく」つくられるのも特徴で、何より重要な点として、「わびさびは、生命(いのち)のはかなさの美的鑑賞」なのだという(註:引用は日本語版『Wabi-Sabi わびさびを読み解く』〈ビー・エヌ・エヌ〉より)。

 その点でツリーハウスは存在そのものが本質としてはかない。多くの建築家は自分が建てた建物が何世紀も残り続けることを願うものだが、小林は違う。後世には残らないとわかっている家の建築に精を出す(この点は日本ではさほどめずらしくはない。建築家アラステア・タウンセンドが建築情報サイト『ArchDaily』で、耐震補強のため定期的な改築を要するなどさまざまな理由から、日本では「住居は一般的に建築後15年経てば価値を完全に失い、平均30年ほどで取り壊される」と指摘している)。ツリーハウスの寿命は、小林によれば、だいたい10年程度だ。「石のような永続性はありません。それがいいんだと僕は思っています」

 形はいずれ消えるとはいえ、人の想像力をかきたてるツリーハウスの歴史はとても古い。根源的な本能を刺激すると言ってもいいだろう。人類の祖先アウストラロピテクスは木の上に寝床をつくっていた。人間の肩は枝から枝へ懸垂移動をしやすいよう進化したらしい。神経科医フランク・R・ウィルソンの考察によれば、現在の人間の手のひらに畝状の肉質があり、親指と人差し指のあいだでモノを握る構造があるのは、そうした進化の名残だ。ウィルソンは1998年の著書『The Hand: How Its Use Shapes the Brain, Language, and Human Culture』で、手がこのように進化したことで「木の幹や枝を伝って、のぼったり移動したりできる能力」が向上したと書いている(註:引用は日本語版『手の五〇〇万年史 手と脳と言語はいかに結びついたか』〈新評論〉より)。近代におけるツリーハウスへの憧れに最初に火をつけたのは、1813年にドイツで出版された児童文学『The Swiss Family Robinson』(日本語版『ふしぎな島のフローネ:家族ロビンソン漂流記』)だった。孤島に漂着した家族が工夫して生活する様子を描いた本である。工業化の影響もあいまって、ツリーハウスは、自然とふれあう人間の失われたバイタリティを象徴するものになった。

 小林の説明によれば、日本ではほんの少し前まで、ツリーハウスというものは全く知られていなかった。日本は森林の多い国として世界でも上位に入ることを考えると、これは少し意外だ。少なくとも戦前までは、日本の住宅は基本的に木造だった。木々は昔から社会および宗教にとって重要なもので、森には木霊(こだま)と呼ばれる精霊が住むという言い伝えもある(1997年の映画『もののけ姫』にも描かれている)。「森を浴びる」という意味の「森林浴」という言葉も編み出されている。

 東京ディズニーランドには1993年に、前述の児童文学の世界を表現した「スイスファミリー・ツリーハウス」というアトラクションがオープンしている。小林に尋ねてみると、「あれはコンクリート製ですから」という答えが返ってきた。アメリカの田舎で子ども時代を過ごした者なら知っているような、オークの木に質素な箱を取り付けたタイプのツリーハウスは、日本にはほぼ無縁だったのだ。人口が密集する東京では、高架下のフードコートや、高速道路のトンネルの上のテニスコートなど、非常に実験的な建築設計が数多く試されているというのに――「東京の名もない奇妙な建物」を調べた異色の名著『メイド・イン・トーキョー』(鹿島出版会)の著者たちは、「空白恐怖症」と表現している――その都市構造の中にツリーハウスをまぎれこませようとは、誰も考えなかった。今から30年ほど前に生まれた小林の着想が、ほとんど初めてだったのだ。

 小林は一直線にツリーハウスビルダーになったわけではなく、いわば円を描くようにして、この仕事にたどり着いた。生まれ育ったのは伊豆半島の下田という町の近く。ペリー提督の「黒船」来航後、1854年に開港しアメリカの船舶を受け入れた最初の二港のひとつが下田だ。小林いわく、港町の生まれが、外の世界へのまなざしを根づかせた。一時期はテレビ制作の仕事に就いたが、辞めてから古着市場にかかわり、1987年からアメリカと日本を行き来するようになった。ヴィンテージストアの「グッドウィル」で掘り出しものを探し、ゴミ袋いっぱいに古着を買い付けて日本に持ち帰る。そして1994年の渡米で一冊の本に出合った。アメリカの樹上建築のパイオニア、ピーター・ネルソンがツリーハウスについて書いた本だ。ネルソンはのちにツリーハウス建築の権威として、アニマルプラネットの番組『Treehouse Masters』(邦題『仰天!夢のツリーハウス』)で一躍有名となった人物である。小林はこの本に刺激を受けた。実は彼自身、東京の原宿で経営するようになった古着屋の前に立つヒマラヤ杉で、簡単なツリーハウスをつくっていたからだ。古着屋を改装し、ツリーハウスを含めて「エスケープ」という名前のバーにした。「ただツリーハウスをつくりたい、というわけではなかったんです」と小林は語る。「求めていたのは、ツリーハウスが象徴するライフスタイルでした」。そこは読書をしたり、日常の喧騒から逃れたりすることができる場所だった(法律的にはグレーゾーンで、最終的には大家の判断で取り壊された)。

画像: 兵庫県の大学敷地内につくったツリーハウス。板材は主にヒノキ、ホストツリーはアベマキとクヌギ

兵庫県の大学敷地内につくったツリーハウス。板材は主にヒノキ、ホストツリーはアベマキとクヌギ

 ネルソンの本に出合ってしばらくした頃、日本の雑誌の特集でネルソンが来日してツリーハウスをつくると知り、小林はなんとか企画に加わることに成功した。現在はワシントン州のサンフアン島に住むネルソンは、本記事の電話取材で、「タカは、絶対に私の右腕になるという強い決意をもっていた」と語っている。「でも、英語はほとんど話せなかったし、大工でもなかったから、私もどう対応したらいいか最初はわからなかった」

 おそらく純粋に意志の力によって、小林は、ネルソンが「この風変わりでささやかなビジネス」と呼ぶ世界で名が知られるようになっていった。小林自身の影響も広がった。今では沖縄にもツリーハウス・リゾートがある。2014年には、小林と建築家の中村拓志が手を組み、東京に拠点を置く中村の建築設計事務所NAPと、持続可能なデザインを専門とするコンサルティング会社Arupの手を借りつつ、樹齢300年のクスノキに壮大なツリーハウスを建築した。場所は東京の南西2時間の場所にある「星野リゾート リゾナーレ熱海」だ。鉄棒を三角形にいくつもつなぎあわせ、枝のあいだをくぐるようにして――枝には決して触れることなく――鳥の巣のように組み上げて約25㎡の構造をつくり、その上に小さな茶室をこしらえた。これも、日常からつかのまの隔絶を確保する場所として、日本に伝わっている建築構造だ。「ツリーハウスはもともと茶室と似ています」と小林は説明する。「とても狭くて、中に入った人は、みな対等な立場になります」。小林の着想の前例として、建築家の藤森照信による作品がある。藤森は2004年に、栗の木の上に「高過庵」という茶室をつくった(小林は藤森の作品を美しいと評価するが、高過庵はその場で生息していた木につくったものではなく、別の場所で伐採され運ばれてきた栗の木を柱としている点を指摘した。小林によれば、藤森は当初この作品を「ツリーハウス」と呼んでいなかったのに、「最近ではそう言っているみたいですね」)。

 説明が終わり、ビオトープのカフェでお茶を飲みながら、小林に質問を投げかけた。いつかつくってみたい夢のツリーハウスはあるだろうか。「日本では、大木はみんな寺や神社にあるんです」と小林は答えた。神聖な場所なので、みだりに手を入れることは許されない。たとえば天皇陛下から特別な許可がいただけるようなことがあれば、木々を大切にするこの国で一番上質な樹木をホストツリーとして選ぶこともできるかもしれない……。それが実現しそうにないのだとすれば、別の夢として、違う意味で神のような人物のためにツリーハウスをつくってみたいのだという。「僕、キース・リチャーズがすごく好きなんですよ」と小林。「彼から制作依頼をもらえたらいいな、と思いますね」

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