平成から令和へと時が流れ、世界も日本も先行きが見えず不安にさいなまれる日々。姜尚中氏が激動の時代を読み解き、これからの幸福のあり方を提言する

BY HIROMI SATO, PHOTOGRAPHS BY SHIN WATANABE

 ミリオンセラー『悩む力』の著者として知られる政治学者・姜尚中氏の新著『それでも生きていく 不安社会を読み解く知のことば』が1月26日に上梓された。2010年から2021年までの約11年間、雑誌で連載されていた記事をまとめたもので、トピックはグローバル資本主義の功罪からジェンダーをめぐる問題まで多岐に渡る。その中で一貫しているのは、社会に置き去りにされた人たちにつねに寄り添い、過去から未来へと深長に時代をひもとく著者の透徹したまなざしだ。長らく経済が低迷し、余裕を失いつつある社会の中で、私たちはどう生きていくべきか。著者にインタビューした。

画像: 今、生き方に迷う大人たちへ。姜氏の最新刊には、政治、経済、社会に対する奥深い見識から、示唆に富む提言があふれている

今、生き方に迷う大人たちへ。姜氏の最新刊には、政治、経済、社会に対する奥深い見識から、示唆に富む提言があふれている

――新著『それでも生きていく』を拝読すると、この11年は、激動の時代だったことがよくわかります。日本では、東日本大震災があり、平成から令和へと時代が変わりました。国外ではアメリカでトランプ大統領が登場したり、中国の台頭で世界の勢力図が変わったりと大きなうねりがありました。またこの2年は、新型コロナウイルスのパンデミックで、世界中が未曾有の危機にあります。まずはこの11年を振り返って、どんな時代だったと姜さんは見ていますか。

 連載をしていたのは、ちょうど「平成」の終わりの時期と重なっていたのですが、ひとことで言うと、「相対化の時代」だったと思います。つまりこれまで信じてきたことが、唯一絶対なものではないということが、「平成」という時代を通してしてあらわになったということです。

 具体的には、まず平成2年にバブルが崩壊し、その後も経済は回復しないままです。世界におけるGDP(国内総生産)ランキングは、平成の始まりではアメリカに継いで世界第二位でしたが、平成22年には、中国に抜かれました。この20年、労働賃金が上がるどころか下がっているのは、主要先進国の中で日本だけで、「経済大国・日本」の地位は、脆くも崩れ去りつつあります。

 さらに阪神・淡路大震災(平成7年)や、東日本大震災(平成23年)といった自然災害も大きなダメージとなりました。なかでも東日本大震災に伴う福島第一原発の事故は、「技術立国・日本」の信頼や安全性を失墜させるものでした。世界を見渡してもアメリカ同時多発テロ事件(平成13年)以降、リベラルな秩序は相対化され、もはや混沌としています。それは民主主義のお膝元のアメリカで、ドナルド・トランプのような内向きの人が大統領になったことに象徴されています。

 つまり技術立国、経済大国、民主主義……といった戦後の日本を支えてきたものが、ことごく崩壊したのがこの30年でした。屋台骨がなくなり、「何を信じればいいんだろう」と人々がぐらついている。加えて長引く経済の低迷やコロナ禍で、経済的にも精神的にも追い詰められている人々が増えているというのが、今の時代だと思います。 

――社会が停滞していて、閉塞感のある時代ということですね。そうなってしまった原因は、どんなことが考えられますか。

 始まりは、平成元年、冷戦崩壊だったと思います。ここで世界はドラスティックに変わりました。それまで政治やイデオロギー優位の中で押し込まれていたものが、一挙に解き放たれ、経済優位のグローバル経済へと世界はシフトしていきました。「冷戦」という日本に豊かさをもたらせていた外部要因が崩れていったわけですが、日本はその劇的な変化に対応することができませんでした。多くの人が日本特殊論を信じていたし、エズラ・ヴォーゲルが書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がこのまま続くだろうと思っていたんですね。 

 でも、僕は当時からそれには懐疑的でした。むしろ日本を経済大国に押し上げていた要因が、日本の「蹉跌」になるのではないかと考えていました。成功の要因とは、たとえば終身雇用だとか、年功序列、男性優位といったものに代表される昭和的な日本の組織構造のことです。

 昭和の時代は、それで良かったし、それらのシステムがうまく機能することで、日本は経済大国になりました。しかしその成功が大きかったゆえに、変えることができなかったんですね。大企業の利益確保のために下請けの中小企業が薄い利益で我慢しなければならないなど、日本独特の社会構造は、労働者を貧しさの中に閉じ込めましたし、「ものづくりこそが尊いんだ」といった古い価値観に縛られて、IT企業などの新規産業も世界に遅れをとりました。それがここ10年で一気に顕在化したことが、『それでも生きていく』を読むと、よりわかると思います。

――世界から日本が遅れてしまったことは、コロナ禍でもたびたび痛感させられました。また、時代の荒波の中で、取り残された人々、忘れ去られた人々の苦しみや哀しみは、社会に暗い影を残しています。それは決して他人ごとではなく、弱者は簡単に切り捨てられるという国家の冷酷さがコロナ禍では露わになりました。しかしそんな絶望的な状況にあっても、「それでも生きていく」ことが大事だと、本書は教えてくれます。「幸せと不幸は地続きであり、すべてを引き受けて生きていかざるをえない」という最終章の「幸福論」には、姜さんの静かな決意を感じて心にしみました。これから私たちは何を信じて、どう生きていけばいいのでしょうか。

 かつてバブル期によく言われた言説に、「欲望肯定論」があります。欲望があるから、経済も社会も文化も発展していくことができるんだと。そしてそれまでのように「生産」ではなく、「消費」を通じて、人々の自己実現は計られるのだと当時は言われていました。

 ただ、欲望の実現には限界があることに、今の時代を生きる人たちは気づいています。欲望のために環境に負荷がかかれば、公害が発生したり、気候変動を引き起こしたりすることになる。僕自身、福島第一原発の事故で、東京の欲望を満たすためのエネルギーが福島で作られていることを目の当たりにして愕然としました。

 ですから大切なことは、自分の欲望を満たすために、実態はどうなっているのか、ということをしっかり見届けなければならないということです。これは何も欲望を否定しようと言っているわけではありません。ただ、これからの時代、他者に対する負荷をできる限り少なくしていくというのが、マチュアな人間の生き方だと考えています。それは環境だけでなく、動物に対してもそうですし、もちろん他国や他人に対しても、そういう配慮が求められる時代になっています。

画像: コロナ禍が続き、経済も低迷する先行きが見えない時代の幸福とは? インタビューでは、ささやかな希望を見出すきっかけを与えてくれる数々の言葉が紡ぎだされた

コロナ禍が続き、経済も低迷する先行きが見えない時代の幸福とは? インタビューでは、ささやかな希望を見出すきっかけを与えてくれる数々の言葉が紡ぎだされた

 欲望の時代において、幸せのあり方は、「快・不快」に大きく左右されていました。おいしいものを食べたり、ラグジュアリーに暮らすことが幸せと直結していましたが、それも少しずつ変わっていくのではないでしょうか。本来、「快・不快」と「幸・不幸」は異なるものです。みなさんも仕事でたいへんな思いをしたけれど、やり遂げたときの達成感や、他者と築いた信頼関係に、満足感を覚えたという経験をした方は多いと思います。つまり「幸せ」とは、その人の人格に依拠したものであり、そのようにして得た「幸せ」は、時代の変化にも揺らぐことがないと思います。

 また、コロナ禍を通して、他者なしには自分は生きていけないと感じた人は多かったのではないでしょうか。ドクターやエッセンシャルワーカーの方々にはたいへんお世話になりましたし、リモートワークをしたことで、他者とのかかわりが、自分にさまざまな影響や刺激をもたらしてくれることに、あらためて気づいた人もいたと思います。ですから他者は決してじゃま者ではなく、むしろ他者を内面化することで、自分の世界観がより豊かになることを知ってほしいと思います。

 そういえば、昨年、話題となった韓国ドラマ『イカゲーム』を観ました。過激な暴力シーンもありますが、あの作品のテーマは「愛」だと僕は思います。こんなこと言うと、頭がおかしくなったと思われそうですが(笑)、信頼とか、隣人愛とか、キリスト教の影響が強い韓国ならではの作品だと思いました。だからコロナ禍の中で、世界中の人の心に響いたのだと思います。

 世界は愚かだけど、それを高みから批判しても何の意味もないし、シニシズムは何も生み出しません。この世には、信じるに値するものがまだあると、僕は思っています。

画像: 『それでも生きていく 不安社会を読み解く知のことば』¥1,650 姜尚中 著/集英社 ©SHUEISHA

『それでも生きていく
 不安社会を読み解く知のことば』¥1,650
姜尚中 著/集英社
©SHUEISHA

姜尚中(KANG SANG-JUNG)
1950年、熊本県生まれ。東京大学名誉教授、熊本県立劇場館長、鎮西学院学院長。専門は政治学、政治思想史。ミリオンセラーになった『悩む力』をはじめ、『トーキョー・ストレンジャー』、『朝鮮半島と日本の未来』、小説『母―オモニ―』など著書多数。

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