BY CHIKO ISHII
40代後半の主人公に何が起こったのか
『はいつくばって』
『はいつくばって』は、ミランダ・ジュライが2024年に発表した長編だ。岸本佐知子の訳者あとがきによれば、〈発表と同時に旋風と言っていいほどの反響を巻き起こした。何週にもわたってベストセラーリストに入りつづけ、全米図書賞と英国の女性小説賞の最終候補にノミネートされ、年末恒例の各媒体のベスト本リストを席巻した〉という。更年期にさしかかった女性の“ゆきて帰りし物語”だ。

『はいつくばって』 ミランダ・ジュライ 著、岸本佐知子 訳 ¥3,245/新潮社
装幀: Helen Yentus/Cover design, Detail of Sunset in the Rockies by Albert Bierstadt,1866(oil on canvas)/Cover art, ⓒChristie’s Images/Bridgeman Images/Photo 新潮社装幀室/デザイン
語り手の「わたし」は45歳の女性。有名なアーティストで、ハンサムで冷静沈着で知的な夫と、愛する7歳の子どももいるのに、どうしようもない鬱屈を抱えていた。過去の作品の一部が広告に採用されて2万ドルの報酬を得た「わたし」は、LAからニューヨークへ、2週間半の予定でドライブ旅行に出発する。ところが、自宅から車で30分ほどの距離にあるモンロビアという小さな町で高速を降りて、そのまま先に進めなくなってしまう。「わたし」は旅費の2万ドルをつぎ込んで、B級モーテルの部屋(エクセルシオール321号室)をパリの高級ホテル風に改装。レンタカー屋の店員で、自分より14歳年下のデイヴィーに恋をする。めくるめく日々を過ごして、「わたし」は家に戻るのだが……。
“ゆきて帰りし物語”とは、J・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』の主人公が綴る回想記の題名だ。転じて、どこかへ行って帰ってくる構造の物語を指す。旅をするのはたいてい若者で、帰還したときには成長している。
「わたし」の場合、旅といっても遠くには行っていない。帰ってきても成長していない。むしろ、帰ることによって精神はますます安定を失い、ほんとうの冒険が始まる。デイヴィーのことが忘れられず、感情が暴走列車みたいに止まらなくなってしまうのだ。おまけに、婦人科クリニックでプレ更年期と診断される。
作中に出てくる〈年齢にともなう性ホルモン量の変化〉のグラフが印象的だ。女性のエストロゲンの量は10代前半に急上昇し、40代後半に急降下する。「わたし」はグラフを見ながら、親友に〈わたしたち、崖から落っこちる寸前なのよ。あと何年かしたら、もうすっかりべつの人間になっちゃうんだよ〉と言う。これからどう生きるべきか。「わたし」の混乱と焦燥には、鬼気迫るものがあって恐ろしい。恐ろしいけれども、ユーモアがある。美しい場面もある。「わたし」がアーティストで、自分の心身を容赦なく素材にしてしまうからだろう。とりわけ、タイトルの由来になっているダンスのシーンにはしびれた。
「わたし」が衝動的に創造したエクセルシオール321号室という異世界に、40代から50代の既婚の知り合いを招いてインタビューするくだりもいい。「わたし」は自分の苦悩を語るだけではなく、他者の話も聞いて人生という旅の仲間にするのだ。家庭の問題、性の問題、トラウマの問題など、誰にも言えないもやもやを打ち明けられる友達のような本。アメリカで無数の読書会が開かれたというのも納得だ。感想を語り合いたくなる。
『あれは何だったんだろう』
岸本佐知子の日常はかくも面白い
『あれは何だったんだろう』は、『はいつくばって』を翻訳した岸本佐知子のエッセイ集だ。エッセイは日常について書くことが多いけれども、本書を読んでいると日常ってなんだろうと思う。
たとえば、「失くしもの」。「私」が映画館で失くしてしまったお気に入りの手ぬぐいを、一度も降りたことのない駅の落とし物集約センターのようなところに取りに行く話だ。落とし物をするのも、思いがけない場所に保管されているのも、よくある出来事だ。しかし、目的地にたどりついたあとに、「私」は不思議な世界に迷い込む。どこまでが現実なのかわからない。「私」の頭の中で起こっていることも日常に含まれるからだ。

『あれは何だったんだろう』 岸本佐知子 著、クラフト・エヴィング商會(吉田篤弘・吉田浩美) 装幀・イラスト
¥1,980/筑摩書房
食べかけのイチジク、バスケットボールの動画、仕事場の隅っこに置いてある小さなスノードーム、今年の干支、誰かとすれ違いざまに聞こえた〈苔バーっていうところにね、行ったのよ〉という言葉。身近にあるあらゆるものが「私」の妄想の種になる。その種から何が芽生えるのか、まったく見当がつかなくて楽しい。
表題の「あれは何だったんだろう」は、「私」がパーティでなんだか見覚えのある人に会ったという話。相手も「私」に見覚えがあったにもかかわらず、前にどこで会ったのかわからない。記憶に欠落があって、全体的に辻褄があわないところが、ものすごく生々しくてざわざわする。そういう記憶が自分にもないか掘り起こしたくなる。
この「あれは何だったんだろう」とか、やはり飲み会の奇妙な経験を語った「窓」などは、内田百閒の『冥途』や筒井康隆の『遠い座敷』といった小説を思い出す。エッセイと小説の境界もわからなくなる、怪談として面白い文章だ。登場人物が実在するのかどうかどうでもよくなる「耳田さんと私」も素晴らしい。
小説家とその作品の翻訳家が似ているとはかぎらない。でも、ミランダ・ジュライと岸本佐知子の世界には、かなり通じるところがあると感じる。ふたりとも、ひとりぼっちでも遠くに行かなくても、書くことで冒険している。言葉の勇者なのだ。

石井千湖
書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。
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