ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターとして昨秋2回目のコレクションを発表し、さらなる注目を集めるマチュー・ブレイジー。ブランドのレガシーを守りながら、新しい価値観を込めて再構築する原動力を探るスペシャルインタビューをお届けする

BY SOPHIE BEW, PHOTOGRAPHS BY STEPHEN SHORE, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

画像: ニューヨークのNoHo、ラファイエット通りにて2022年7月撮影

ニューヨークのNoHo、ラファイエット通りにて2022年7月撮影

 9月25日、日曜日。ミラノ・ファッションウィークが終盤を迎えたその日、ミラノ南部の工業地帯に設置されたホールに、マチュー・ブレイジーの姿があった。コンクリートの壁が取り囲むホールは工場跡地を利用したもので、プラダ財団美術館が開設した壮大な複合型アートギャラリーから数百メートルほどの場所にある。ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターとして席につくブレイジーのいでたちは、白いTシャツの上に、スポーツウェアブランド「チャンピオン」のロゴが入った鮮やかなブルーのスウェットシャツ。ボトムは自身のデビューコレクションで披露したデニムプリントを施したレザーパンツだが、手ごろな価格で知られるチャンピオンは街で見かけないことはないというほど浸透しているので、本当に普通の格好に見える。まさにノームコア(究極の普通)の典型で、彼が指揮を執るイタリア生まれのブランドが放つラグジュアリーさは影をひそめている。

 同じ会場に、83歳のイタリア人建築家兼デザイナー、ガエタノ・ペッシェの姿もあった。レジン(樹脂)、発泡ポリエチレン、ポリウレタンで造る彼の幻想的なオブジェは、世界の名だたる美術館30カ所以上(イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館、ニューヨークのMoMAやメトロポリタン美術館など)で常設展示されている。アート界の重鎮である彼のいでたちは、糊のきいた白のシャツ、グレーのリブカーディガン、そしてチャコールのコーデュロイ地のリブパンツ。右手の杖で体を支えつつも、軽やかな足取りで広い会場を回り、集まったプレスや業界関係者に「ボンジョルノ!」と何度も大きな声で呼びかけている。今からこの会場で、ブレイジーとペッシェが2人の最新コラボレーションについて対談する予定なのだ。聴衆を出迎えるのは、400脚ものカラフルなチェア。オレンジ、ピスタチオ、チェリー、ライラック、スカイブルーなど、さまざまな色調のレジンを手作業で成形したもので、タイダイ柄もあり、パステル調もあり、アシッドカラーもあり。キャンディをちりばめたかのような華やかな会場セットは、もともと前夜に開催されたショーの客席として用意された。ブレイジーがボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターとなって2度目のコレクション発表である。

 チェアはひとつとして同じものがない、とペッシェは誇らしげに語る。着色したレジンにコットンの布地を浸し、型に収めて造るのだという。床にもロイヤルブルーのレジンを流して水たまりを思わせる模様を描き、その上にチェアをゆるやかなカーブで並べている。床のレジンはブルーからショッキングピンク、ライムイエロー、カスタード色、ストロベリー色に広がって、まるで絵の具をぶちまけたかのよう。心躍るキャンディカラーのあいだにいくつか混ざる真っ白なチェアにも、赤や黄のゼリーを塗りつけたという雰囲気で、子どもの落書きを思わせるイラストや文字があしらわれている。スマイリーフェイス、「?」や「!」の記号、ワインボトルとグラス、ブロック体で書かれた「BOTTEGA VENETA」の文字など。触るとすべすべした感触なのだが、バターナイフで勢いよく擦りつけたようなラフな仕上げになっている。

 このにぎやかな会場セットと対極をなすのが、ブレイジーの洗練されたコレクションだ。たとえばカジュアルでアメリカ風のデニムとフランネルのシャツ。あるいは、非のうちどころがないソフトレザーのパジャマ。前から見ればコンサバなのに後ろ姿にうねりや躍動感のあるコートドレスやスーツ。サイドから見たときだけ彫刻のような裾が現れるエキゾチックなテーラーリングは、前シーズンで披露したものと同じ、人の動きからインスピレーションを受けて表現したシルエットだ。ボタンが一揃いだけのダブルレイヤードシャツ、ヘリンボーンの柄がプリントされた防水ジャケット(非常に軽量なレザーでつくられている)、歩みに合わせて背中で揺れるシルクスカーフつきの美しいネックレス。前回、大きな話題になったブレイジーのファーストコレクションでは、丸いスタッズをあしらった白のファーコート、乳白色に光るスパンコールドレス、レザーのフリンジが爆発したように広がるペチコート付きの50年代風レザースカート、レイヴ感覚の配色が斬新なニット、レザーを編んだファジーなオーバーコートなど、いずれもやや落ち着いたクールさを伴うルックを披露していたが、今回のコレクションもその流れを汲んでいる。ボッテガ・ヴェネタは「ステルス・ウェルス」であると言われるが(註 あからさまなロゴで主張せずに高級品らしさを漂わせること)、丁寧に見て初めてわかる美しさ、「ステルス・ビューティ」という表現のほうが、ここでは的を射ているのかもしれない。

 ペッシェのレンジチェアがかもし出す、あえての不完全さや手づくり感。そしてブレイジーがデザインする多種多様な服に一貫して流れる軽やかさや繊細さ。それらが相まって、「多様性を賛美する」というふたりの意図を伝えている。会場に足を踏み入れるゲストへの挨拶として、ブルーの床の端にさりげなく書かれた文章も、イタリア語でそう宣言している。「これは多様性へのトリビュート。多様性とは、ひとりひとりを認め、決してひとくくりにはしないこと」

 対談の進行役を務めるのは、スイスの高名なアート批評家兼キュレーターであり、めがねがトレードマークのハンス・ウルリッヒ・オブリスト。ふたりの宣言について、フランス領マルティニーク出身の哲学者エドゥアール・グリッサンの言葉を引用して解説した。「均質化したグローバリゼーションは絶滅につながり、環境を危うくします。私たちはそうしたグローバリゼーションを食い止めていかなければならない、とグリッサンは語っていました。その一方で彼は、グローバリゼーションに反発することで生じるローカリズムやナショナリズムについても言及しています。昨今では世界各地で目にするようになりましたが、グリッサンはそうした傾向にも流されてはいけないと語っています。私たちが考えるべきは“世界性”なのだ、と。差異を喜び合うグローバルな対話を考えていく必要があるのだ、と」

 ブレイジーとペッシェもこの考察に賛同し、さらにペッシェはデザインの衰退を嘆いた。「美術館で見るものだけがアートではない、と私は信じています。アートは商業の世界にも現れるのです。昨日はここに多くのアートが登場しました。これが未来なのです。企業はモノをつくる、カネを稼ぐ、でも文化もつくる。昨日、ここで輝いていたのは文化です。そうでしょう? 違いますか?」大声をはりあげ、賛同の拍手を誘う。フューシャピンクとバイオレットのキャンディのようなチェアに座る私(記者)の周囲で、熱烈な拍手がまきおこった。インスタグラムのフィードを見ても、前夜のボッテガ・ヴェネタのショーでランウェイを歩いたケイト・モスの写真が何枚も流れてくる。コットンタンクトップに、フランネルに見えるシャツとゆったりしたブルーデニム風パンツ(実はレザー製)で、今回のコレクションの中でも一番シンプルで地味な格好をしている。ゆるくウェーブした髪はごくナチュラルで、メイクもミニマル。ブレイジーと同じノームコアのルックだ。これもアートなのだろうか。

画像1: マチュー・ブレイジーが
ボッテガ・ヴェネタで切り拓く
新たなヴィジョンと真摯な服づくり

 インスタグラムのフィードをさらに見ていけば、同じ日の朝に開票された選挙のニュースが続々と目に飛び込んでくる。ナショナリズム色の強い政党「イタリアの同胞」の党首ジョルジャ・メローニの首相当選が確実になった。1934年のムッソリーニ以来の極右指導者の誕生だ。アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙は、メローニが以前から「EUや国際銀行家や移民を叩いてきた」ことで「西側世界でイタリアの信頼性に対する懸念を生んでいる」と論じた。党は同性愛を嫌悪しイタリアに住むムスリムを敵視する姿勢が知られているが、それらと地続きの党是として「イタリア人らしさ」を礼賛し、よりよい国民を生み出す場所として、国の文化施設──美術館やギャラリーなど──の利用しやすさの改善を謳っている。

 そんな時期に、フランス系ベルギー人のファッションデザイナーであるブレイジーがボッテガ・ヴェネタに「イタリアの血統」との結びつきを取り戻そうとしているのは、興味深いことだと言える。ボッテガ・ヴェネタで初のコレクションを発表する直前、『The Business of Fashion』に寄稿するジャーナリストのティム・ブランクスから取材を受けた際に、ブレイジーは意気込みとしてそんなことを語っていた。極右政党が党是のために文化を利用しているが、ブレイジーもまた、自分のミッションのために文化の力を借りている。ペッシェと手を組んだ今回のプロジェクトの前にも、現存するタイプライター製造会社オリベッティや、ヴェネツィア・ビエンナーレのダンス部門など、イタリア文化の象徴的存在とのコラボレーションを実現させてきた。後者に対してはボッテガ・ヴェネタが2021年からスポンサーを務めている。2022年初頭からは、ニューヨークのハドソン川上流にある美術館「Dia:Beacon(ディア・ビーコン)」のスポンサーにもなった。すべてブレイジーのクリエイティブ・ディレクター就任から1年も経たないうちの成果なのだから、驚異的だ(2022年9月、ニューヨークでカルト的人気を誇る書店「ザ・ストランド」との大胆なコラボレーションを実現させたことも記憶に新しい)。だが、ブレイジーは信念を打ち出すと同時に難しい試練を背負ったと言える。文化を通じてイタリアらしさを礼賛し、なおかつナショナリズムに陥らずにいるには、どうしたらいいか。イタリアらしさを強調しすぎれば、ボッテガ・ヴェネタのようなラグジュアリーブランドが頼りにしているグローバルな市場を遠ざけてしまうことになるのではないか。

 ボッテガ・ヴェネタの前クリエイティブ・ディレクター、ダニエル・リーが2021年11月に何の説明もなく退任を発表したときには、業界に大きな衝撃が走った。それは無理もない──何しろコンサルティング会社ベインの調べによれば、親会社ケリングから2018年6月に起用されたリーのもと、2019年に売上2.2%増の約11.8億ドルを達成し、さらに「コロナ禍でラグジュアリー市場が23%縮小した」2020年においても成長基調を維持し続けた。売上の数字だけではない。セリーヌのフィービー・ファイロのもとで実力を磨いたリーは、ボッテガ・ヴェネタで数々のベストセラーを生み出した。豪華なクラッチバッグ「ポーチ」。ブランドのシグネチャーであるイントレチャート(短冊のレザーを格子状に編み込む技法)をぷっくり膨らませた楽し気なバッグ「カセット」。ラバー製ブーツでユーモラスな形の「パドル」と、武骨さをかもし出す「タイヤ」ブーツ。さらに、ブランドのアーカイブから復活させた鮮やかなグリーン──グリーンスクリーンと同じ緑色──も、リーの手で洗練されたレイヴファッションに鮮烈なエネルギッシュさをもたらした。ボリューミーであったりそぎ落としたものであったり、きらびやかであったり泥臭いものであったり、コントラストで遊ぶリーのルックはZ世代を新たなファン層として取り込んだ。公式インスタグラムは閉鎖されたが、ネットでは「New Bottega」という呼称が広まり、リーの主導するブランドに一種のカルト的人気が生まれた。インスタグラムの非公式アカウント@newbottegaのフォロワーは現在110万人。女性ラッパーのアジーリア・バンクスは、ブレイジーの2度目のショーの数日前にリリースした新曲に「ニュー・ボッテガ」というタイトルをつけた(歌詞では「モスキーノ、ヴェルサーチェ、ヴァレンティノじゃダメ、ニュー・ボッテガかプラダじゃなきゃ」と歌っている)。リーによる「New Bottega」は爆発的に売れたが、本来の顧客基盤──60年代に創業したイタリアのレザーウエアブランドがもつ控えめで由緒あるヘリテージや、リーの前任者トーマス・マイヤーが根づかせた大人の洗練さを好む人々──を遠ざけたという批判もあった。

 そんなリーの退任のニュースこそ衝撃的だったが、後任の名前には誰も驚かなかった。ブレイジーはリーの下でデザインディレクターを2年間務めていたからだ。当時は業界関係者だけに知られる存在だったが、ついにマチュー・ブレイジーの時代が来た──と、ニコール・フェルプスは『Vogue Runway』でブレイジーの最初のショーを批評した記事を書いたとき、冒頭で断言している。『The New York Times』のヴァネッサ・フリードマンは、かつてブレイジーのことを「業界関係者以外はその名を聞いたこともないが、業界では最も注目されている公然の秘密」と表現した。イギリスのファッション批評家スージー・メンケスが2014年7月に、メゾン マルジェラの「アーティザナル」ラインを手がけたチームのリーダーとして、ふだんは匿名にされる慣例に反してブレイジーの名を明かしたときから、彼は知る人ぞ知る存在だったのだ。メンケスは、アーティザナルの2014年秋コレクションを紹介したUK版『ヴォーグ』の記事で、「これほどの才能を隠したままにはできない」と書いた。

 メンケスによる情報リークは、メゾン マルジェラ創設者マルタン・マルジェラの規範に反するものだった。内向的な性格で知られるマルジェラは、メディアの過度な注目を避けるためにあらゆる対策をとっていたからだ。メンケスの記事をきっかけとした騒ぎや、殺到するインタビュー依頼に対し、同ブランドのPRチームは次のような声明を出している。「メゾンは何も変わっていません。メゾン マルタン マルジェラは特定の1人によって表現をしているわけではありません。当ブランドの作品はチームによるものであり、チームとしてのみ評価されます」。だが、ブレイジーは別格だったらしい──彼の時代は匿名のまま早くから始まっていた。アーティザナル2012年秋コレクションのショーでは、2日前にディオールで初のコレクション披露を成功させたラフ・シモンズがフロントロウに座っていたこともあって、誰がメゾン マルジェラのデザインを主導しているのか、かなりの関心が寄せられていた。シモンズの友人でもあるマルタンがひそかに第一線に復帰したのではないか、という声もあった。ランウェイを歩くモデルはクリスタルのマスク(パッチワークのマスク、タペストリー風のマスク、中世の鎧のようなマスク、カクテルドレス風のマスク、あるいはSFのようなマスク)で顔を覆っていたのだが、これと同じマスクのデザインがのちにカニエ・ウェストの2013年のツアーでも登場し、メゾン マルジェラの謎の新デザイナーに同業者以外からも興味が向けられるようになった。

 メンケスがブレイジーの名を暴露したのは、彼がマルジェラに在籍して2年が経った頃だ。マルジェラのレガシーの独創性に欠ける焼き直しが続いていたのを、あらためて洗練させたデザイナーとして、すでにその手腕は有名になっていた(ダダイズムやジャポニズムを自由にミックスしたような、と言えばいいだろうか。50年代のプロムドレス、30年代の京劇で使われたスパンコール衣装、アールヌーヴォーのカーテンといったアンティーク品を取り入れて、メゾン マルジェラらしいミニマリズムで描き直していた)。ラフ・シモンズとつながっていたのも当然だ。ブレイジーは2007年にベルギーのラ・カンブル国立美術学校を卒業し、ニコラス・ジェスキエールが在籍していた頃のバレンシアガでインターンとして修業を積んだあと、ラフ・シモンズのメンズウェアのチームで初めてデザイナーとしての仕事を経験した(このときに、人生のパートナーであり、現在はアライアのクリエイティブ・ディレクターを務めるピーター・ミュリエと出会っている)。シモンズと知り合ったのは偶然だ。フランス人のバイヤーで、今は亡きマリア・ルイーザ・プマイユがパリに開いていたブティックでコンペがあり、そこで勝利を収めたブレイジーが「ちょっとほろ酔い」になっていたときだったという。会話の相手がシモンズだとは気づかずに自信満々で話しかけ、それがきっかけで縁ができた。シモンズの推薦を受けて、ブレイジーはメゾン マルジェラのチームに入り、4年後にフィービー・ファイロに引き抜かれてセリーヌに移籍した。ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターとなるダニエル・リーとはそこで知り合っている。その後にカルバン・クラインに移籍し、ニューヨークでシモンズとともに同ブランドにたずさわったが、2019年にシモンズが突然退任した。ブレイジーはその後、多方面で活躍するロサンゼルス在住アーティストで、シモンズとコラボレートしたこともあるスターリング・ルビーとの仕事を短期間ながらも経験し、リーに引き抜かれてボッテガ・ヴェネタに加わる。この時点ではまだ彼の名はほとんど知られていなかった。

画像: ブレイジーが撮影時に身につけていた時計とバングル

ブレイジーが撮影時に身につけていた時計とバングル

 ブレイジーがボッテガ・ヴェネタで2度目のショーを開催してから5日後、私はパリで本人に会った。取材場所として指定されたのは、高級ショッピング街フォーブール・サン=トノレ通りの奥にあるホテル、ジャルダン・デュ・フォーブル。19世紀のパリ美化計画のときに建てられたホテルのテラスは、植栽がゆたかに配されていて、張り出した屋根のおかげで雨にも濡れない。最新コレクションの披露を終えたばかりの彼は、ようやく疲れがとれてきたところのようだ。「昨日は一日中寝ていました。今日も犬の散歩に出たくらいかな」と、満ち足りた表情で言う。このあとは高校時代の友人と一緒に「いつものカフェ」に行き、さらに羽を伸ばす予定だという。

 5日前のショーは、少なくとも批評家の声とインスタグラムの反応を見る限り、成功だった。『Vogue Runway』のフェルプスは、今回の批評記事の冒頭で「マチュー・ブレイジーはただ者ではない」と書いている。『WWD』は「まぎれもなく最高」と表現した。『Hypebeast』は「今シーズン最も期待されていたショーのひとつ。ブレイジーは期待をまったく裏切らなかった」と述べた。最初のコレクションと同じく、今回も繊細で、しかも──会場入り口にイタリア語で書かれていた宣言が示すように──多様性に満ちたコレクションという印象を受けた。ただし、その「多様性」は、昨今の私たちが耳なじんでいる言葉とは少し意味が違う。確かにキャスティングされたモデルの年齢や人種は多岐にわたっていたが(体型という点ではさほど多様性はなかった)、それよりも印象的だったのは、服を通して表現されていたキャラクターの多彩さだ。最初に登場したのはトロンプルイユ(註:だまし絵のこと。別の素材のように見せるテクニックを指す)の日常着たち。フランネルのシャツ、グレーの混紡Tシャツ、ストライプのコットンシャツとボクサーパンツ、デニムパンツ、コットンのチノパンツは、実のところ、すべてマルチプリントされた非常にやわらかなレザーでできている。それらに続いて登場したのが都会の上流階級らしい色合い(タバコブラウン、オックスブラッド、フレンチネイビー)のロマンティックなレザーアウター、シルクスカーフをなびかせるブルジョワジーなブラックドレス、オールブラックのテーラーリング、メンズスーツ。ベルエポック風のジャカードドレスはカラーとテクスチャーで遊びつつ、ぎざついたデジタル感のあるプリント(本当はすべてハンドメイド)が施されている。さまざまな日にさまざまな気分で着るであろう服たちは、不統一でありながら全体がまとまっていて、どれかひとつのアイデンティティを入り口として無理なく次のレベルへと引き込んでいく。ショーの説明に書かれていたとおり、「小さな部屋の中の世界」が生まれていた。心地よく、そして、平穏な世界だ。

 ケイト・モスの画像はその後何日もインスタグラムのフィードを埋め続けた。ペッシェのにぎやかなチェアも同様だ。少なくともネット上では、こうした話題がコレクションそのものよりも目立っていたのかもしれない。だが、実際に目の当たりにしたコレクションは本当に気品があった。フランネルにしか見えないレザーはとてもやわらかく、まるでコットンの起毛生地のよう。キャットウォークではエフォートレスに体にフィットして見えたシルエットは、ハンガーに吊るすとはっきり立体的なラインを表した。正面からはブルジョワ風だったセーターは、後ろ姿ではセクシーさをかもし出す。離れて眺めるとふっくらしたブークレニットに見えるトップスも、実は未来風のフラットな生地でつくられていた。どの服も、インスタグラムの画像では決して伝わらない、まばたきすると見逃してしまうようなディティールが凝らされている。遊び心のある会場セット、長身のモデルたち、複雑につくられた衣装──どれもこれも個性的なアイテムが集まって、すべてが溶け合っている。これは何かのトリックなのだろうか。テラス席のティーセットを前に、私はブレイジーに問いかけた。

「トリックではありません」ブレイジーはきっぱり答えた。「僕の頭の中ではきわめてはっきりしています。ボッテガ・ヴェネタを任された時点で、必然的に、一種のヘリテージも担うことになりました。マルジェラにはマルジェラのヘリテージがあり、僕はそこに自由を持ち込んでみました。でも、ブランドはそのブランドらしくあるべきだと思うのです。サンローランですること、ヴェルサーチェですることを、ボッテガでやってみようとは思いません。ボッテガにはブルジョワな発想があります。その一方で、バッグというのは機能的なモノでもありますよね。ボッテガは、人は日常生活で何を着るのか、ということを考えています。心地よさだけではなく、使いやすさや、その服を着て行く場所についても。キャロラインを見てください……」。取材に同席するキャロラインこと、ボッテガ・ヴェネタのグローバル・コミュニケーション・ディレクターであるキャロライン・デロッシュ・パスキエは、ブルーとホワイトのストライプのコットンシャツにジーンズとローファーというスタイルだ。

 実用性はボッテガ・ヴェネタのモットーというだけではない。ブレイジーのDNAに刻まれ、彼の適応力に根ざしていると言ってもいい。ブレイジーは、フランス語話者が多いベルギーの首都ブリュッセルで、絵画のように美しいキャンパスが広がるラ・カンブル国立美術学校に入学し、のどかな環境でファッションを学んだ。「ファッションだけではありません。ラ・カンブルでは、具体的に職に就けることを重視するのです」とブレイジーは語る。「たとえばセントラル・セント・マーチンズ(ロンドンの芸術大学)やアントウェルペン(ベルギーの王立芸術学院)では、卒業直後から突出した個性を発揮できることを目指します。ですがラ・カンブルは違います。いきなりクリエイティブ・ディレクターになれ、という方針ではないのです。デザイナーとしてではなく、あくまで学生として、ワードローブについて学びました。イメージやショーのためのものではなく、プロダクトとして、身に着けるものとして、服を考えるのです。ベルギーという街自体、毎日ファッションのことを考えるような場所ではありませんからね。アントワープは港町ですし、ミュージックシーンも素晴らしいです。ファッション業界が活発というわけではないので、業界に触れるならパリ、ロンドン、ニューヨークまで行かなくてはなりません。ベルギーにはファッションの歴史がないからこそ、デザイナーたちは革新を恐れません。(ベルギー出身のデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテン、マルタン・マルジェラ、アン・ドゥムルメステールなども)周囲をうかがうのではなく、自分自身の思いがある人たちですよね」

 そういえばボッテガ・ヴェネタのショーで、ひとりのファッションエディターが前列に集った面々を指して、「ベルギーマフィア」と冗談を言っていた。最前列ではシモンズとミュリエが、プラチナブロンドのボブスタイルでクールさと愛らしさを漂わせた女優、キルスティン・ダンストとハグをしていた(ダンストのそばにはミュージシャンのソランジュやエリカ・バドゥ、そして韓国の俳優ユ・アインなど、さまざまなVIPが来ていた)。シモンズは2年前から、ミラノのファッション界の大御所ミウッチャ・プラダとともにプラダの共同クリエイティブ・ディレクターを務めている。ミュリエのほうはアライアのクリエイティブ・ディレクターとして、故アズディン・アライアその人からレガシーを引き継いでいる。彼らのようなベルギー生まれのデザイナーたちがファッション業界のトップの座に君臨しているのだ。シモンズはブリュッセルのLUCAスクール・オブ・アーツでインダストリアルデザインやファニチャーデザインを学び、ミュリエはブリュッセルのサンリュック美術学校で建築を学んだ。そうした背景に何か共通点があるかもしれないし、もしくは、単に実用主義が流行しているということなのかもしれない。

画像2: マチュー・ブレイジーが
ボッテガ・ヴェネタで切り拓く
新たなヴィジョンと真摯な服づくり

 ブレイジーは、本人いわく職人だ。芸術家ではない(ペッシェは違う意見かもしれないが)。だが、彼自身はパリのモンパルナスにある芸術家たちのコミューンで、芸術に囲まれて育った。ベルギー人の母はアフリカのアートと文化を専門とする歴史学者で、フランス人の父もプリミティブアートの専門家だ。ブレイジーときょうだいたちは蚤の市やオークションハウスを遊び場にしていた。父は収集家から譲られた工芸品や芸術作品などをよく自宅に持ち帰っていたという。「いろいろなことを教えてもらいました」とブレイジーは語る。「文化に上下関係はなく、どれもこれも僕たち家族のお気に入りでした。父が連れて行ってくれたのは、たとえばアマゾン先住民族の羽根飾りの展覧会。そうかと思うと、次はフリーダ・カーロの美術展。母はフェミニストだったので、そうした素養も身につきました。こういうことがまじり合う中で僕の好奇心は育っていったんです」(ただし、アメリカの青春ドラマ『ドーソンズ・クリーク』や、90年代のフランスのシットコム『Hélène et les Garçons (エレーヌ・エ・レ・ギャルソン)』、それから『タイタニック』やバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』などの映画からも影響を受けたと本人は認めている)。

 こうした背景を知ると、ブレイジーの2023年春夏コレクションが放つ多彩なムードも理解できる気がしてくる。ウール地のテーラード・コートドレスは襟元がさりげなくチャイナドレス風で、絞ったウエストをパッド入りのヒップで強調したスタイルはSF映画の衣装のようだ。フォックスにしか見えない豪華なファーコートは、実はヤギの皮を加工してプリントしたもので、あたかも祖母のお下がりといったずっしりした貫禄がある。彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの作品を思わせる金色の魚のオブジェを持ち手にしたバッグもあった。カラフルなジャカードドレスは、幾何学模様などのさまざまなパターンと、ビーズのついたフリンジと、毛足がカールしたウール地と、シルクのレリーフ部分とがパッチワークのように全体を構成しており、色や配置も1着ずつ異なる。「世界を旅するというアイディアに心を惹かれたんです」とブレイジーは説明した。イタリアの未来派の芸術家ジャコモ・バッラが描いた、鮮やかな色調の抽象画もインスピレーションをもたらした。「南米、アジア、アフリカなど、世界のさまざまな柄を参考にしました。世界は混沌と混ざり合っているのですから、そうした人類の未来を表現してみたかったんです。しかもシックにね。たとえば50年代の女性のような……リビエラでは、女性たちが世界各国の衣装を寄せ集めて着ていたそうです。そういう着こなしにはたくさんのストーリーがあります。そういうものを単なるインスピレーションとするのではなく、ひとつの新しい文化、たとえばアトランティスのような独特な文化ひとつをつくり出せないだろうか、という思いがありました」

 だとすれば、ファッションはやはり高度な芸術なのだ──ブレイジーがその賛辞を受け入れるかどうかは別として。その一方で、ファッションは日常に使用されるもの、実用的なものという側面も確かにある。たとえば、茶色の紙袋に紐の持ち手をつけたように見える、実はスエードのバッグ。信じられないくらい上質なリブ編みのコットンタンクトップ。紐を結びつけたようなクリーム色のレザーのトートバッグ……。大衆的なもの(ローアート)を高級品(ハイアート)として再構築している。結局のところ、ボッテガ・ヴェネタはバッグブランドとして創業したのだから、精巧なレザーバッグを身につければ、そのラグジュアリーさを隠すことはできない。艶めく一枚の長いレザーを縫い目なく手編みした「カリメロ バケット」バッグや、枕のようにボリュームのあるクラッチバッグなどがそうだ。高級クラッチと、一見普通に見えるブックトート(実はもちろんレザー)を2個持ちしてもいい。異なるアイディア、ムード、イメージが幾重にも重なり合う──そこに上下関係はなく、ただかすかに、けれど明らかに、新しさがある。そしてリアルさも。

画像: (左)「カリメロ」バッグ。(右)「トスカ」ショルダーバッグ

(左)「カリメロ」バッグ。(右)「トスカ」ショルダーバッグ

画像: (左)「モストラ」メアリージェーン。(右)「ストレッチ」ミュール COURTESY OF BOTTEGA VENETA

(左)「モストラ」メアリージェーン。(右)「ストレッチ」ミュール
COURTESY OF BOTTEGA VENETA

 ブレイジーの説明によると、ペッシェと仕事をすることで、その多彩さは新たなレベルへと達した。「面白かったのは言葉によるコミュニケーションですね。彼のボキャブラリーは本当に楽しいんです。それが彼らしさであり、彼のパレットなのですね。僕らしさとは違う。でも、確かに同じ発想もあって、それをどうにかして表現したいと思いました。多様性について、個性について、独自性について。ただ同じものとして見せるのではなく、ひとつの空間に共存させてみようと思ったんです。カオスになるかもしれないけれど、面白い化学反応が起きるかもしれない……。結果的に成功していたでしょう?」

 トロンプルイユ・レザーのことにも触れておかなければならない。言うまでもなく、ブレイジーのボッテガ・ヴェネタにおけるファーストコレクションで一番広く知られたルックのひとつ──白のコットンタンクトップに、デニムに見えるレザーパンツがショーの皮切りだった──を継承している。あのルックは2022年秋冬コレクションの記事で数えきれないほど登場していた。キム・カーダシアンが『Interview』誌の表紙で自慢のヒップをあらわにしたときにも、このレザーパンツを半分引っかけていた。大きな反響が生じたのは偶然ではない。ブレイジーはこのルックの案をかなり前から練っていたのだ。「ボッテガに入ったときから、ファーストルックはこれだと思っていたんです」と本人は語る。「契約書にサインしたときから心は決まっていました」。何かを象徴するものなのかと尋ねると、ブレイジーは「そうです」と答えた。「ボッテガの価格帯は大衆向けというわけではありません。でも、ブランドの背景には『人々のため』という理念があるのです。優れた製品、実用的な商品を提供したいという思いが集まって、ボッテガというブランドは成り立っています。イントレチャートはそうして生まれたものです。レザーを使ってシンプルなものをつくるという発想があり、それがバッグだったというわけなのです」

 1966年にミケーレ・タッデイとレンツォ・ゼンジアーロがイタリアのヴェネト州で立ち上げたブランド、ボッテガ・ヴェネタ(「ヴェネトの店」という意味のシンプルなネーミングだった)は、「when your own initials are enough(自分のイニシャルだけで充分)」というモットーを掲げ、イントレチャートという技法で広く知られるようになった。女優ローレン・ハットンは、1980年に公開されたポール・シュレイダー監督のネオ・ノワール映画『アメリカン・ジゴロ』の中で、ワインレッド色をしたイントレチャートの美しいクラッチバッグを携えていた(このバッグには、のちに「ローレン」という名がついた)。1985年にはアンディ・ウォーホールが、短編映画『Bottega Veneta Industrial Videotape(ボッテガ・ヴェネタ インダストリアルビデオテープ)』を撮った。70年代前半にボッテガ・ヴェネタの店を任されていたラウラ・モルテド(タッデイの元妻で、一時期はウォーホルのもとで受付係を務めていた)が、創造的なディレクションでブランドを有名にした経緯を描いた作品だ。その後、2001年にグローバル・ラグジュアリー・グループであるケリングが同ブランドを買収すると、トム・フォードの指名により、ドイツ人デザイナーのトーマス・マイヤーがボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターに就任。マイヤーは繊細さの追求にいっそう力を入れ、「ステルス・ウェルス」の時代をスタートさせる。2012年には売上10億ドルを達成し、ケリング・グループで最も急成長したブランドとなった。マイヤーはボッテガ・ヴェネタに17年間在籍したが、2015年に、よくあることとはいえ売上が落ち始める。2016年は前年比9%減の14億ドルで、2017年はほぼ横ばいだった。そして2018年、マイヤーはダニエル・リーと入れ替わることとなった。

 さほど知名度はなかったものの、リーは目覚ましい成果を出し、Z世代のファン層を築いた。それはマイヤーが遂げられなかったことだ。その点でブレイジーは、若年層と往年のファンの双方に対応し、幅広く多様な顧客基盤を築けるのではないか。ボッテガ・ヴェネタはインスタグラムの公式アカウントをもたない方針を続けているが、ブレイジー個人は自身のアカウントで発信するときに「#BottegaVeneta」というハッシュタグをつける。インスタグラムを利用しないのは時代に合わない印象がある──ブレイジーのショーには、ケイト・モスのルックや、あの楽しげなチェアなど、インスタ映えするモーメントが満載だというのに。だがおそらく、服の美しさがインスタグラムでは伝わらない、という理由があるのだろう。ブレイジーとペッシェの対談を進行した批評家のオブリストは、「私も(前夜のショーの)写真を何枚か撮りましたが、見返してみると、私の腕が悪いというのもありますが、あの複雑さがちっとも伝わってきません」と語っていた。「あなたの作品は、あのこみいった複雑さが素晴らしいのですが」インスタグラムではすべてが平面的に見えてしまうのだろうか、と私もブレイジーへの取材の際に問いかけてみた。

「そうです。本当にそうなんです。個人的にはインスタグラムは好きなんですが、体験を表現しようとすると平たくなってしまうんですよ」とブレイジー。「当面はインスタグラムはなくていいと思っています。コミュニケーションの方法はほかにもありますしね。つねづね思っているんですが、プロダクトは試すもの、触ってわかるものなんです。僕たちがつくっているのは単なる画像ではなく、質感を伴うプロダクトです。身に着けてこそ愛着が生まれ、ストーリーやエモーションが宿り、それを周囲に広げていくことになるのです。インスタグラムではそういうものは見えてきません。日常生活で普通に感じる気持ちが画像では伝わらないんです。家族や友人とのやりとりとか、そういうのが僕は大好きですし、実際に触れて体験できるというのは素晴らしいことです。とはいえ、ファッションという名の舞台で僕たちは戦っていかなければならないわけですから、セレブが着たり持ったりしてくれるのも、すごく嬉しいですけれどね」。ここにも実用主義が表れている──触れること、形があることへの評価。そして具体的な共感を評価する姿勢だ。

 セレブの存在は昨今では有力な販促ツールだ。ただしブレイジーにとってはセレブの存在こそが、スタイリッシュさというものに触れた原点だったとも言える。少年の頃、近所のモデルエージェンシーが処分したファッション誌を読みふけっていたからだ。『ヴォーグ』、『ハーパーズ・バザー』、それから『i-D』や『The Face』。必ずしもデザイナーになろうと思ったわけではなかったが、16歳のときには、絶対にファッションの世界で働くと決意していた。「父からリチャード・アヴェドンの写真集をもらったんです。すごく心に響きました。まず写真を見てのめりこんで、それからファッションの勉強もしていったんです。カルバン・クラインを着たケイト・モスの姿は忘れられません。ラフ・シモンズ、マルタン・マルジェラ、ニコラス・ジェスキエールのことも知りました。彼らがデザインする服だけでなく、彼らのオーラに惹かれました。クールという概念を知り、次はどんな服をつくるんだろう、と関心をもちました」

 ブレイジーのショーでフランネルシャツを着たケイト・モスは、輝いていると同時にごく普通にも見え、なんとも衝撃的だった。それはネット越しでも伝わるようで、彼女の写真は多数のネット記事のトップを飾った。ブレイジーは仕事としての判断でモスにランウェイを歩かせたわけだが、そこには純粋なファン心理もあったという。「昔から大好きでした。彼女は毎回違う自分になれる。アーヴィング・ペンが撮ったケイトは、アヴェドンが撮ったケイトとは別人です。ほかのカメラマンのときはまた別の顔になります。本物のミューズですよね。この時代で一番世に知られた顔、知られたモデルのひとりです。僕が望んだのはケイトがケイトらしくあることでした──着ているものではなく、彼女として見てもらえるような。ショーを見に来たゲストたちに、彼女は自分と似ている、と感じてほしいと思いました。より過激かもしれないし、より輝いているかもしれないけれど。こういうアイディアをうまく形にできたと思います」。コリーヌ・デイが撮ったケイト・モスの写真が思い出される。太陽の下できつく眉を寄せたり、目じりを皺だらけにして笑ったり、ただ私服を着ているだけといった雰囲気で、ファッションフォトらしさはまったくなかった。彼女の写真は新しい美の表現を生み、現代のファッションイメージに受け継がれているカジュアルさや無遠慮さを打ち出したのだ。「それに、ケイト自身が楽しい人ですし」とブレイジーは付け加えた。「僕が彼女に会いたかったから起用したんです。何もかも理性で決めなくたっていいですよね」と笑う。

 とはいえ、ブレイジーは理性と感性を軽やかに行き来しているように見える。アート界の重鎮たちと対談する場にチャンピオンのスウェットシャツを着てくるのも、そんな軽やかさの一例だ。おそらく、それが彼にとってただただ自然なことなのだろう──アートや文化が多種多様にまじりあう環境に身を置いてきた過去があるからこそ、そうしたことが居心地がいいのだ。何か新しいものを生み出そうとするなら、過去を振り返り、自身のルーツを理解する作業と無縁ではいられない。ブレイジーがパートナーであるミュリエと一緒にアーカイブコレクションを始めたのも、ごく自然な流れだった。「最初は別々に集めていたんですが、あるときから一緒にしたんです」とブレイジーは笑顔を見せる。ジャン・ポール・ゴルチエが1986年秋冬向けに発表した「ロシア構成主義コレクション」の収集に始まり、メゾン マルジェラのアイテムのほか、第二次世界大戦時のウエアのリメイク品も集めている。「60年代のシャツもあります。破けたのを持ち主が作り直しているんです」男性用だったスーツを女性用に生まれ変わらせたものもある。ブレイジーが特に気に入っているのは、女性用の水着を男性用のタンクトップにリメイクした作品だという。

画像3: マチュー・ブレイジーが
ボッテガ・ヴェネタで切り拓く
新たなヴィジョンと真摯な服づくり

 こうした自由気ままな情熱と、世界各地を飛び回り複数のアイディアを同時進行する稀有な能力をもつ彼は、なぜ「ボッテガ・ヴェネタをイタリアに回帰」させる必要を感じているのだろうか。「ボッテガが生まれた場所だからです」と本人は答える。「出発点なんです。ルーツがそこにあります。グローバリゼーションに反発するわけではなく、自分たちらしさに目を向けることが重要なのです。ボッテガのチームには世界中からメンバーが加わっています。ニューヨークやロサンゼルスでできるイベントを、上海でやることに意味があるのだろうか、ということです」。つまり、まさに哲学者グリッサンが謳ったように、ブレイジーは差異を歓迎するグローバルな対話を大切にしているのだ。極右政党「イタリアの同胞」はナショナリズム高揚のために文化を利用するかもしれないが、ブレイジーはファッションという舞台で戦うために文化の力を借り、人と人とを結びつけていくことができるのではないか。

「ボッテガ・ヴェネタは政治的なブランドではありません」と、ブレイジーはきっぱりと言う。「これは僕の個人的関心です。すべてのブランドが同じようにするべきだとも思いません。でも、僕は旅先ではまっさきに書店に行くんです。街を歩き、よさそうなレストランを探してみます。体験が大事なんですよ。ボッテガを通じて、ほかの国の魅力を体験してもらえることを期待しています。異文化同士を必ずしも融合させるべきとは思いませんが、出会う機会はあるべきです。そこからきっと何か楽しいもの、面白いものが生まれます──それはプロダクトに限りません。ニューヨークの書店『ザ・ストランド』とのコラボレーションでバッグをつくりましたが、あれは本というよりザ・ストランドそのものについて語るというのがメインのアイディアでした。書店はファッションの場ではないけれど、なぜ僕がこの場所を好きなのか説明したくて、書店でディナーパーティを開き、たくさんの人を集めました。新しい場所に行けば、新しいものと出会う。そういうものですよね」

 もしかしたら、きっかけは単にお気に入りの書店だったり、ディナーパーティを開く口実だったりするのだろうか。文化批判や政治改革が念頭にあるのでは、という推理は考えすぎかもしれない。だが、ブレイジーは無限に思えるほど多彩なアイディアや思いを織り込む人なのだから、可能性は色々と考えられる。いずれにせよ、ブレイジーはそれほど雲の上の人ではない、という気がしてくる。店頭でボッテガ・ヴェネタのニットを手に取る客が、そのニットにインスピレーションをもたらした芸術家ジャコモ・バッラのことを思い浮かべなかったとしても、あるいはバッグの持ち手を見てウンベルト・ボッチョーニを連想しなかったとしても、それで何か困るだろうか。「まさか」とブレイジーは言う。「ショーには特定の視点がありますし、メッセージがあります。でも究極的には、体験はショーではなくてお店にあるんです。何を連想するか、どう理解するかは自由です。好きなように服を見てほしいと思っています。『こう解釈せよ』なんてものはありません。パンツを試着するときにボッチョーニのことなんか思い浮かべなくていいんです。思う人もいるかもしれませんけど、そうじゃなくてもいい。どちらでもかまいません。服やバッグひとつひとつにストーリーを理解しなきゃいけないとしたら、うんざりしますよね? そんなの、ストレスが溜まってしまいますよ」

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