35歳のいまも快進撃を続けるテニス界のキング、ロジャー・フェデラー。人々を魅了するその強さの秘密とは

BY MIHO NAGANO

画像: 摂氏45度近い気温の中での試合。フェデラーは時折「カモン!」と雄叫びを上げる以外、言葉を発さず、感情を顔に出さない。「いかに効率よく勝つかを常に考えている」と語る彼の試合運びはアングルの深いショットの連続で、圧倒的に速い CLIVE BRUNSKILL / GETTYIMAGES SPORT

摂氏45度近い気温の中での試合。フェデラーは時折「カモン!」と雄叫びを上げる以外、言葉を発さず、感情を顔に出さない。「いかに効率よく勝つかを常に考えている」と語る彼の試合運びはアングルの深いショットの連続で、圧倒的に速い
CLIVE BRUNSKILL / GETTYIMAGES SPORT

 カリフォルニア州、砂漠地帯のインディアンウェルズ。灼熱の太陽の下、ロジャー・フェデラーがコートに姿を現した。「ロジャー、俺と結婚して!」。野太い声の男性ファンが叫ぶと約2万人の観客がどっと笑った。対戦相手と最初の一球を打ち合う前から、フェデラーは会場をすでに自分の「庭」に変えていた。

 四大大会に次ぐ規模のテニストーナメントである、マスターズ1000のインディアンウェルズ大会。毎年3月に開催されるこの大会のオーナーは、世界でも10本の指に入る億万長者で、IT企業オラクルの創設者のラリー・エリソンだ。彼はすべての試合コートにデジタル審判設備をいち早く設置した。試合を観ながら食事ができる「NOBU」や「Spago」などの高級レストランが、大会中の2週間のみ会場内で営業し、超有名シェフが腕をふるう。「20万ドルもするキッチン設備をエリソン氏が導入してくれた」と語るのは、Spagoのシェフ、ウルフギャング・パックだ。NOBUの松久信幸シェフは選手にてんぷらの盛りつけを披露する。

 コートぎわの高価な席は白人富裕層の社交場で、客たちはシャンパングラス片手に試合を見る。そしてオーナーの招待客専用のVIP席では、ビル・ゲイツがエリソンと並んで観戦している。IT長者ふたりが、UFOが降りてきそうな砂漠の真ん中でテニスの試合を眺める光景はシュールだ。観客の白人率は圧倒的に高い。日本人選手の西岡良仁の試合を記者席で見ていた私が、大会スタッフに「君、ニシオカのワイフ?」と聞かれたぐらい有色人種の客は少ない。

 だが一歩会場を出れば、炎天下の大会駐車場で働く男性の9割はメキシコ系だ。大会の看板スポンサーはフランスの金融機関BNPパリバ。ロレックス、エミレーツ航空など、富裕層狙いの企業もスポンサーに名を連ねる。フェデラーの試合の120秒間の休憩中、巨大画面にフェデラー本人が出演するロレックスのCMが流れ、対戦相手も客もそれをあたりまえのように眺めるのだ。

画像: インディアンウェルズ大会の2週間の総観客数は約44万人。優勝したフェデラーの賞金は117万ドル(約1億3千万円)だ CLIVEBRUNSKILL / GETTY IMAGES SPORT

インディアンウェルズ大会の2週間の総観客数は約44万人。優勝したフェデラーの賞金は117万ドル(約1億3千万円)だ
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 35歳のフェデラーは、左膝の手術とそれに続く6カ月のリハビリを経て蘇り、1月の全豪大会で宿敵ラファエル・ナダルを敗って優勝。男子シングルス史上初のグランドスラム18勝獲得を達成した。その復活の謎を知ろうと取材陣が殺到する。「自分のランキング? まったく気にしてない。健康な状態でプレーできることに感謝して、行けるところまでいくだけだ」と語るフェデラー。

 会見後、スタッフが用意した黄色いボールにサインをするように言われた彼は、ほかの選手たちのサインがすでに所狭しと書かれたボールを手に取るとつぶやいた。「どの選手のサインがどれだか全然わからないな。あ、このサインはアンディ・マリーか? これをもらうファンは果たしてうれしいのかな。各サインの下に選手の名前を書いてあげたほうが親切じゃないか?」。そしてあいている場所にさらさらとペンを走らせ、笑顔で去った。10年以上も世界中でスーパースター扱いされ、何万回とサインしてきたはずの彼が、サインボールを受け取るファンの気持ちを今でも想像している点にはっとした。自分の名声や人気をどこか冷静に俯瞰しているような発言にもとれた。

 数年前にこの大会を取材するまで、正直、フェデラーの業績があまりに有名すぎて、逆に彼に興味が湧かなかった。だが、彼のプレーを初めて間近で見た瞬間、魂を根こそぎ持っていかれたような衝撃を受けた。鋭角で打点の高いフォアハンドに、幾何学的な美の粋を極めたような片手バックハンド。相手選手をコートの外に追い出して、とどめを刺すときに打つ正確なダウンザライン。対戦相手にしてみれば2万人の客の前で「公開処刑」を受けるような屈辱的な場面の連続なのだが、見る側はうっとり陶酔してしまう。

「まるでバレエのバリシニコフの舞を見ているよう」と言い、80歳の誕生日の記念にとオレゴンから大会を観にきたスーザン・レイドは、フェデラーを見るために13万円強のチケット代を年金から捻出した。富裕層だけがフェデラーの観客ではない。4階席のてっぺんのいちばん安い席で、たとえ豆粒大の大きさでもいいから生涯に一度、生のフェデラーを見るために来たという客も大勢いる。フェデラーを近距離で見るたびに驚くのが、その腕の細さととがった肘だ。この細腕でどうやってあの攻撃的なフォアハンドや強力なサーブを打ち込むのか。反対にふくらはぎは、太腿と変わらない太さに見えるほど筋肉が張り出している。

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