BY TAMAKI SUGIHARA
シェアを通じて、アートのエコシステムを健やかにする
「アートウィーク東京」(以下、AWT)は、2021年のプレ開催を経て、2022年より毎年開催されている国際的なアートイベントだ。
六本木の森美術館や国立新美術館、銀座メゾンエルメス フォーラムといった都心の美術館・施設から新進ギャラリーまで、東京のアートスペース50カ所以上を無料のシャトルバスで接続。人々の移動性と見通しを高め、コレクターや親子連れなど多様な層に向けたプログラムを展開することで、幅広い観客と東京の現代アートシーンの「今」の接点を創出してきた。
スイスのバーゼルほかで毎年行われる世界最大級のアートフェア「アートバーゼル」との提携でも注目され、2023年は4日間の期間に国内外から4万3000⼈が訪れている。
そんなAWTが、今年も11月7日〜10日に開催される。第3回目の今回は、過去最多53カ所のアートスペースが参加。「買える展覧会」がコンセプトの「AWT FOCUS」といった従来の独自プログラムに加え、世界的建築家と企画する建築ツアーなど新しい試みも追加された。より多角的になった内容で、東京のアートシーンに関心を持つ参加者を迎える。
──AWTの構想は、どのような問題意識から生まれたのでしょうか?
蜷川:AWTの背景のひとつには、コロナ禍で国際的なアートのディスコース(言説)が日本国内に届きにくくなった状況がありました。国際展やアートフェアがなくなり、人々の移動が制限されるなかで、グローバルに共有される価値が見えづらくなり、世界との断絶がアートマーケットでもみられるようになりました。
そもそも、こうしたアートのマーケットの問題は、コロナ禍以前からアートワールドの主な議題のひとつでした。アートのエコシステムが崩れ、若手から中堅、さらにはすでに地位を確立している老舗のギャラリーまでもが苦しんでいるなか、いかに従来のエコシステムを守り、健全なアートマーケットを作るかが議論されてきたのです。もちろんこれは喫緊の課題でしたが、コロナ前にはなかなか問題に取り組む時間の余裕がなかった。ただ、コロナ禍で自分の時間ができたことに加え、国際的なギャラリーが集まるオンラインミーティングに毎週参加したことで、第一線のギャラリストたちが抱える共通の課題を再認識できました。そうしたグローバルな問題には、まずはそれぞれがローカルに取り組むことが有効ではないか? そう考え、第一歩として東京で動き始めたことがAWTにつながったのです。
──当時、アートのエコシステムにはどのような課題があったのでしょうか?
蜷川:健全なエコシステムとは、アートに関わる多様なプレイヤーが有機的につながり、その規模や考え方の違いに関わらず、誰もがそれなりに生きやすい状況があることです。しかし近年では、メガギャラリーの台頭やアートフェアの価格高騰によって、若手や中堅、さらには老舗のギャラリーまでもが持続的な運営が苦しくなるなど、パワーやお金が一部に集中し他が生き残れなくなる構造的な問題が生まれていました。
成熟したアートシーンを築くには多様な才能が必要です。最初にアイデアや価値を生み出すプレイヤーがいないとメガギャラリーも仕事ができません。では、どう共存するのか? AWTはこうした課題に対して、コミュニティをフラットにつなげることで解決しようとしました。まずは、参加費を無料にして、手段やリソースを持たない若いギャラリーも気軽に参加できるようにしました。また、シャトルバスで各所をつなぐことで、新進のアートスペースが多く位置する、中心から離れたエリアへも足を運びやすくしました。
このようなネットワーク化は、東京のアートシーンを可視化することにつながります。そもそも日本では、市場を作るギャラリーと、市民の文化遺産をつくる美術館の間の溝が深く、交流がないとされてきました。それをひとつのパッケージとして紹介すれば、両者の交流が生まれ、コミュニティが育まれるだけでなく、国内外の観客やVIP、関係者に、都内の多様なアートの現場で働く人たちが見えやすくなりますよね。
また、日本のギャラリーは厳しい評価基準がある国際的なアートフェアにはなかなか入ることができないという問題があります。「アートバーゼル」と提携するAWTへの参加が、国内のギャラリーが世界につながるための後押しとなればいいと考えています。
──まるで、都内のアートコミュニティの血の巡りを良くするような試みですね。
蜷川:そうですね。重要なことは、コミュニティのネットワークをみんなでつくり、従来は関わりのなかった人たちをつなげたり、互いに持っているものを共有したりすることだと思います。例えば、キャリアのあるギャラリーのお客さまを、バスで新進ギャラリーにお連れすることもできます。実際昨年も、私がバーゼルで出会った海外のコレクターがAWTに参加し、若いギャラリーから作品を購入するということがありました。
こうしたことは、すでに地位を確立した大きなギャラリーにとっても悪いことではありません。業界が大きくなればなるほど、その方たちもますます伸びる余地が生まれるからです。
どこから入って、出てもいい。アートの多角的な楽しみ方を提示する
──AWTでは、展示作品を購入できる展覧会「AWT FOCUS」や、建築家やアーティストと協働した空間や食事が楽しめる「AWT BAR」、学術的なシンポジウム、子どもやコレクターを目指す人向けの企画など、独自プログラムの幅広さも目を引きます。
蜷川:私自身も、アートを多角的に楽しむことが好きなんです。それに、現代の人たちはとても忙しいですよね。限られた時間のなかで訪れるなら、できるだけ多くのものを持ち帰っていただきたいという思いからこうした作りをしています。
今回のシャトルバスはどの停留所でも自由に乗り降りできるようになっていますが、「どこから入って、どこから出てもいい」という考え方はアートの楽しみ方にも言えることです。例えば「AWT BAR」ではアーティストたちと考案したカクテルを提供しています。最初から展示を観るのが億劫だという方は、まずカクテルを楽しみ、そのアーティストの世界観に興味を引かれたら展示を訪ねてみるのもいいでしょう。アートの買い方や保存方法、あるいは手放し方などに関心のある方は、参加ギャラリーが丁寧にご案内します。
こうした楽しみ方や関係者の間で共有されてきた情報を外へも発信し、アートへの関心をより多くの方に広げたい。AWTは、そうした一般の観客の方たちに向けた教育普及という側面も兼ね備えています。
さまざまな背景を持つ観客に向けたプログラムを展開しているのは、AWTがパプリックイベントだからです。公共が必要とするものは何なのか? お子さんといらっしゃる保護者の方ならどうか? 学生なら? リタイア後の方なら? 海外の方ならどうか? 20年以上、いわゆるアートシーンに携わってきた見地から、こうした立場もアートに求めるものも異なる方たちのことを想像しながらプログラムを組んでいます。そうした取り組みを通して、アートをより身近で、民主的で、自活的なものにしたいと考えています。
──過去2回の開催に対しては、どのような声が届いていますか?
蜷川:海外からの参加者は、コレクターや美術館のキュレーター、ジャーナリストなど、いわゆるアートのプロの方が多いのですが、評判はとても良いですね。なぜかというと、AWTではアート作品やアートシーンに対して、より深く関わることができるからです。
例えばアートフェアの場合、巨大な会場に並ぶ均質なブースを回っていくので、ウインドウショッピングのような体験になりがちです。それはそれで便利なのですが、AWTではアートのために作られた空間を直接訪れ、そこでアーティストやキュレーターが生み出すものを体感しながら、じっくり話を聞けるという体験を大切にしています。またアートを、それを取り囲む東京の文化のなかで味わってもらうことも、AWTの狙いのひとつです。
東京にはビル街から下町まで、多彩な顔がありますよね。参加者はバスに乗りながら、そうした街のいろいろな表情に触れます。そして、ファッションや食なども含む、現代の東京のさまざまなカルチャーにも出会う。このように、街並みや、都市の文化の延長上に現代アートを見られるというのが、とても豊かで得難い体験だという評価をいただいています。
民主主義を獲得する有効なツールとしてのコンテンポラリーアート
──11月に開催される今回のAWTの目玉や注目点を教えてください。
蜷川:まずおすすめしたいのは、虎ノ門にある現存する日本最古の私設美術館、大倉集古館でAWTの期間限定で開催される展覧会「AWT FOCUS」です。「買える展覧会」がコンセプトのこの展示は、出品作品を実際に購入できる珍しい試みで、AWTが目指すアートの学術的側面とマーケットの側面の接続を具現化しています。今年は森美術館館長の片岡真実さんの監修のもと、「大地と風と火と:アジアから想像する未来」と題して開催予定です。世界の各地域から57組のアーティストが参加し、その作品を通じてアジア的な観点から未来を考えます。
南青山に期間限定でオープンする憩いの場「AWT BAR」は、設計をランドスケープアーキテクトの戸村英子さん、フードを⻘山の「EMMÉ」の延命寺美也さんにお願いしました。ここでは先ほどお話しした、AWTの参加施設で作品を見られるアーティストとのコラボレーションカクテルを飲むこともできます。さらに「AWT BAR」では、今回新たに音のプロジェクトも行います。常に音を感じられるような仕掛けがあったり、ライブパフォーマンスも行われたりする予定で、これらのデザインは、実験的な音楽を紹介するイベントシリーズ「MODE」の共同ディレクターである中野勇介さんにお願いしました。
また新しい試みとして、建築家・妹島和世さんの事務所と提携して、普段はアクセスできない都内の建築物を巡るツアーも企画中です。日本人建築家が設計した住宅などをAWTの間だけ開放していただく貴重な機会です。ほかにもニューヨークのスカルプチャーセンターでディレクターを務めるソフラブ・モヘビさんが選んだ映像作品を上映する「AWT VIDEO」など多彩なプログラムがありますので、どの入口からでも気軽にご参加いただきたいですね。
──最後に、AWTを通じて実現したい未来のヴィジョンについてお聞きできますか?
蜷川:国際社会に属する一人として、社会貢献やサステナブルな文化のインフラづくりに携わりたいという思いは、コマーシャルギャラリーを始めた頃から変わっていません。AWTがそうした自分の資本を投じる従来の仕事と異なるのは、これが文化庁のサポートを得て、東京都と共に行うパブリックな事業であるということです。そのなかで私自身は、AWTを、日本社会にコンテンポラリーアートとはどういうものかを共有する、一種の教育的な事業であると捉えています。
日本では、義務教育で現代の美術史を学ぶ機会はありませんよね。しかし私は、コンテンポラリーアートとは、この不安定な情勢のなかで、政治的な活動にはできないかたちで民主主義を獲得することのできる有効なツールと考え、この仕事をしてきました。集団行動やイデオロギーを重視する政治に対し、アートは個人の感覚や感情を大切にしながら、観客に新しい世界や社会の複雑さ、ときにはその解決方法を見せてくれます。そうした可能性を、コミュニティの力を借りながら、今後もより多くの方に共有していきたい。そのように考えています。