BY JUN ISHIDA, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
パリ左岸にある総合美容薬局「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー」。この店のルーツは、19世紀にさかのぼる。1803年に調香師ビュリーが香粧品の開発に着手し、「オフィシーヌ・ユニヴェルセル」という名を掲げた香水と香り酢の店を開いたのが始まりだ。そして時を超えた2014年、ヴィクトワール・ドゥ・タイヤックとラムダン・トゥアミのカップルが、この伝説の店を蘇らせた。ふたりが世界各地を旅して集めた知られざる「美の秘密」、美容に役立つ天然素材を用いた製品や道具が置かれた「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー」は、一躍評判を集めパリの人気スポットに。そして2017年4月、東京・代官山に日本第一号店がオープンした。
オープンに先立ち、ヴィクトワールとラムダンは日本に移り住んだ。彼らの目的のひとつは日本の「美の秘密」を探すこと。大成功に終わった代官山店オープンから数日後、ヴィクトワールは再び旅に出た。
ヴィクトワールが向かったのは、長野県にある木祖村だ。新宿から電車を乗り継ぐこと3時間半、木曽川の源流の地でもある山あいの村は、「お六櫛(おろくぐし)」の産地としても知られている。お六櫛は、この地方でとれる“みねばり”の木を原料とした櫛で、江戸時代前期から木祖村の藪原宿で作られてきた。
村に着いたヴィクトワールは、まず藪原神社へと向かった。藪原神社の神域には櫛の神様を祀る八品社がある。現在の八品社の社殿は1816年に建てられたもので、今も櫛職人たちは、櫛を挽くにあたり心身を清めるべくこの社に日参している。
宮司夫人は「櫛は、大和言葉で『霊妙な力』を意味する『奇(く)し』が語源で、古くから不思議な力があると考えられていました」と話す。「皇室の結婚式でも、おすべらかしの髻(もとどり)の部分に櫛を添えます。櫛は魔除けと守護の役割も果たすのです」。
使用した櫛を奉納する風習に、櫛を子どもへと受け継がないのかとヴィクトワールが尋ねると、「櫛には使う人の魂が宿るというほど。自分の分身のようなものなので、使うのはその人限りです」との答え。「フランスでは櫛は装飾品であり、日本のようにパーソナルなものとしては捉えていません。万物に神が宿るという日本特有の発想からもきているんでしょうね」と、ヴィクトワールも興味深げだ。
神社を後にしたヴィクトワールは、櫛作りの職人を訪ねに「木祖村郷土館」と「工房ふるかわや」へと向かった。お六櫛には、全工程を手作業で行う「手挽き櫛」と歯を機械で挽く「とかし櫛」がある。かつては藪原宿の70%の人々が製造に携わっていたというが、今では宿にいる職人は10人ほど。「木祖村郷土館」で手挽き櫛の製造工程を見せてくれた北川聰さんは83歳。貴重な技の伝承者だ。
「近年みねばりの木は村ではとれず、植林活動をしています。硬さを特徴とするみねばりは育つのに200~300年かかる。果たしてそれまで技術を受け継げるかどうか。後継者のためにもいい素材を残したい」と語る。
現在、ビュリーで扱っているのは、「工房ふるかわや」で作られるとかし櫛だ。当主の古畑益朗さんは三代目。息子とともに日々、櫛作りを行なっている。とかしは、機械で歯を均等に挽くため目が揃い、髪のキューティクルを傷めない。歯挽きと磨きに機械を使うといっても、作業の大部分は手作業だ。腕と経験がものをいう。古畑さんは自信ありげに腕をたたくと、その場で櫛を作り、プレゼントしてくれた。
二組の職人の仕事を目にしたヴィクトワールは、「毎日同じ工程を繰り返すことで、職人たちは自我を捨てて、本物の職人になるんでしょうね」とつぶやいた。櫛にはそれを使う人の魂、そしてそれを作った職人の魂もこもっている。