初の単独インタビュー。ヴァージル・アブローの未亡人は影から一歩踏み出し、責任を引き継ぐ

BY VANESSA FRIEDMAN, PHOTOGRAPHS BY LELANIE FOSTER, TRANSLATED BY T JAPAN

 OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOHの創設者であり、ルイ・ヴィトンのメンズ アーティスティック・ディレクター、ナイキのコラボレーター、アーティスト、デザイン界の万能選手、引用の達人であった夫、ヴァージル・アブローの一周忌を数週間後に控えた11月初旬、シャノンは彼の代理として賞を受けとるために、シカゴからニューヨークへと飛んだ。

 その賞はCouncil of Fashion Designers of America(アメリカ・ファッション・デザイナー協議会)から授与されるもので、ヴァージルは生前何度もノミネートされ、いつもタキシードを着て授賞式に出席していたが、シャノンは違った。夫がケンダル・ジェンナーとメットガラに行った時や、コーチェラでDJをしていた時と同じように、彼女は2人の幼い子供と犬と一緒に家にいた。

 ヴァージルが世界中を飛び回り、さまざまなアートサークルにWhatsAppメッセージを送っていた一方で、シャノンはプライベートな存在だった。彼女はインタビューに応じたことは一度もない。二人が一緒に写っている写真もほとんどない。昨年12月、リアーナやエイサップ・ロッキー、ローリン・ヒル、タイラー・ザ・クリエイターらはシカゴ現代美術館で行われたヴァージルの追悼式に出席したが、彼の自宅を訪れるのはそのほとんどが初めてだったという。

 シャノンはスポットライトを浴びないという決断について、「話し合ったことは一度もなかった」と、授賞式に行く準備をしながら語った。「私たちの関係は、そういうものでした」。彼女はザ・マーサーに滞在し、色あせたボーイフレンドジーンズとTシャツを着て、ヴァージルが彼女の好きな紫の色に染めたOFF-WHITE ×エアジョーダン4を履いていた。

「私たちは家族の関係を親密なものにしたいと考えていて、そのためには安定したパートナーが必要だとわかっていました」と彼女は続けた。「そうした家族を作り上げることができて幸せでした」。

 しかし今、スポットライトは彼女に向けられている。専門家や著名人がヴァージルの人生と仕事、そして彼が望んだであろうことについて語るのを1年間、礼儀正しく見守ってきたシャノン・アブロー(41)は、夫のレガシーを自ら定義する時が来たと判断した。

「夫のレガシーは私のものであり、彼の子供たちのものです」と彼女は言う。「彼が亡くなった後、多くの人が私のところに来て、『ヴァージルは私の親友だった』と言ってくれました。ファッション界における彼の親友、音楽界における彼の親友。多くのコラボレーターや、彼とそれほど親密でなかった人たちでさえも、『彼の遺産を守るために自分はこれができる、あれができる』と感じるのです。それはまるで時速500マイルで走り続ける列車のようで、こう思ったのです。私はこの列車に乗り続けなければならない。そうしなければ、列車はどこへ行ってしまうかわからない。これが私の居場所であり、立場なのです。

画像: OFF-WHITEのドレスを着たシャノン・アブロー(右)とブラザー ベリーズのオーロラ・ジェームズ。CFDAアワードで、シャノンは夫の代わりに賞を受け取った PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

OFF-WHITEのドレスを着たシャノン・アブロー(右)とブラザー ベリーズのオーロラ・ジェームズ。CFDAアワードで、シャノンは夫の代わりに賞を受け取った
PHOTOGRAPH BY NINA WESTERVELT

 昨年5月には、ロンドンのクリエイティブスタジオAlaska Alaskaや、ナイキとのジョイントベンチャーArchitectureなど、彼のクリエイティブベンチャーを束ねるVirgil Abloh Securitiesを設立し、シャロンはチーフエグゼクティブに就任した。マイアミのアートウィーク期間中には、VA SecuritiesとNikeが主催する、ヴァージル・アブローの人生を祝い、彼のアイデアをオープンソース化することを目的とした4日間のフェスティバルを開催する予定だ。彼女はこのイベントが一度きりでなく、今後も毎年行われることを願っている。

 Rubell Museumを中心に、討論会やワークショップ、展示会、そしてヴァージルがナイキのために初めてゼロから作ったスニーカーである「Nike Air Terra Forma」のお披露目が行われる予定で、シャノンが選んだパフォーマーによる音楽フェスティバルや、スケートボードのコンペティションも開催されるという。

 2017年にヴァージルのビジネスアドバイザーとなり、現在はシャノンと仕事をするハワード・フェラーは「新たな一歩を踏み出す時だ」と言う。彼女が責任者であることを世間に知らしめる言葉だ。 

 来春には、ヴァージル・アブロー財団の会長として、彼の最も親しいコラボレーターたちによる発足記念サミットを開催し、次世代のマイノリティの学生たちにクリエイティブな機会を増やすための方法を話し合うことも予定している。彼女はアーカイブを作成中で、そしてアーカイブが意味するものについて語る準備もしている。

「彼の頭の中の隅々までわかっていました」。

「理解しなければならないのは、計画がなかったということです」と、シャノンはホテルのソファに座って言った。

 テーブルの上には、仕事用と家族用の2つの携帯電話が置かれていた。片方の手には、ヴァージルが2021年8月の合同誕生日パーティーで再プロポーズした際に贈った大きなエメラルドの婚約指輪がつけられている。もう一方の手には結婚指輪と、クロムハーツに依頼した「Ablohs」と書かれたシルバーリングで、彼の死後に届いたものだった。手首には、第一子のロウ(現在9歳)を妊娠中に彼が贈ったゴールドのカルティエのLOVEブレスレットと、2017年のクリスマスに贈ったゴールドのカルティエのジュスト アン クル ブレスレットがつけられていた。

 カルティエのブレスレットの間には、子供用のアルファベットビーズブレスレットが付けられていて、そこには"I love you "と書かれている。ヴァージルが42歳になるはずだった誕生日に、息子のグレイ(6歳)が彼女のために作ったもので、理由は 「私が悲しんでいるのを知っていたから」だという。

「泣きそう」とシャノンは手を合わせながら言った。20代前半からの友人で、彼女の付き添いとしてやってきたマーシー・ヘイリーは、ソファから飛び起きると彼女にティッシュを手渡した。

 シャノンはヴァージルの死後、両手首の内側に1つずつ、計2つのタトゥーを入れた。セレブリティ タトゥー アーティストのスコット・キャンベルは追悼式に出席し、彼女が望むことは何でもやると申し出たという。ヴァージルは大きなタトゥーを入れていた時期もあったので、シャノンはそれが理にかなっていると考えた。2021年の結婚記念日にヴァージルは彼女にラブレターを書いたが、彼女の左手首には彼の筆跡で「Like a ton of bricks」(「彼はいつも『I love you like a ton of bricks(ものすごく愛してる)』と言っていた」とシャノン)と書かれ、右手にはその出典として「A love letter」と書かれている。

「彼が亡くなることを私たちが知っていたわけではないんです」とシャノンは語った。ヴァージルは2019年7月、珍しい心臓の癌である心臓血管肉腫であることを告げられたが、二人は最も親しい友人以外には病気のことを隠しておくことにした。自分の姿を見て、「大丈夫?」と思われたくなかったのだ。

「彼の戦いの難しさはわかっていましたが、私たちが考えていたよりもずっと早く進みました」とシャノンは続ける。だから、「“これが残していってほしい遺産”というような話し合いはしたことがなかった。でも長い間一緒にいたので、彼のことをよくわかっていました。彼の頭の中の隅々までわかるのです」。

 二人が出会ったのは、彼女が17歳、彼が18歳のとき、高校時代のサッカーの試合会場だった。二人ともイリノイ州ロックフォードに住んでいて、別々の学校に通っていた。彼女は他の人と付き合っていたが、翌週、ヴァージルは彼女の車(黒の日産パスファインダーに乗っていた)に2ダースの赤いバラを、ボーイフレンドを捨てて彼と付き合うべき理由を説明した手紙を添えて置いた。

 その後、彼が父親の希望でマディソンのウィスコンシン大学へ土木工学を学びに行き、彼女が4年生を終える頃になっても、2人は一緒にいた。彼女がマディソンのエッジウッド大学でマーケティングを学んだ時も共に過ごし、彼がシカゴのイリノイ工科大学で建築を学んだ時も共に過ごした。彼女が都会に出てきた最初の数年間も一緒だった。当時、彼女は2人の女友達とシェアハウスで暮らし、彼は建築家ではなく、カニエ・ウェストのもとで働き始めた。

 彼が緑のホンダ車に乗り、JNCOのジーンズとラルフローレンのポロシャツを着て、「インテリアには四角い箱がクールだと思っていた」とき(シャロンは凝ったフレンチスタイルのインテリアが好きだった)から一緒にいたと彼女は言う。ヴァージルがカニエと世界中を飛び回っていた頃、彼女はヤフーで働いていて、時間があれば彼に合流していたそうだ。

 ある時、彼はオーストラリアに行く用事があると言って、空港まで送ってくれるように彼女に頼んだ。オヘア空港で彼を降ろし、彼女が助手席から運転席に移って家に帰ろうとした時、彼は地面に膝をついてプロポーズをした。最初は車から落ちたのかと思ったという。

 娘が生まれてから彼女は仕事をやめたが、「ヴァージルとは何でも話した」という。「最新コレクションのスケッチを見せてくれたり、DJセットを聴かせてくれたり」。

 ヴァージルの症状を知る数少ない人物の一人だったルイ・ヴィトンの最高責任者マイケル・バークは、夫の初となるルイ・ヴィトンのショーのバックステージで、ゲストがヴァージルにビズをしたり、彼と自撮りをしようと争う中、ひっそりと佇むシャノンを見たことを覚えているという。

画像: シャノンとヴァージル・アブロー。2019年にニューヨークで開かれた、マーク・ジェイコブスの結婚パーティーで PHOTOGRAPH BY PHILIP ANDELMAN

シャノンとヴァージル・アブロー。2019年にニューヨークで開かれた、マーク・ジェイコブスの結婚パーティーで
PHOTOGRAPH BY PHILIP ANDELMAN

「彼女はただ見ているだけだった」 と彼は述べた。「とても誇らしげで、ちょっと信じられないような顔をしてね」。

 友人たちは、夫がベラ・ハディッドと延々と写真を撮られていることに、シャノンがどうやって不安を感じないようにしていたのか不思議に思うだろう。「彼女はそうじゃないんです」とヘイリーは言う。

 ブルックリン美術館で開催されたヴァージルの「Figures of Speech」展のキュレーターを勤めたアントワン・サージェントによると、「家という概念は彼にとって非常に重要なものでした。それは、後人たちのために彼が築いた道筋の根底にあるものだったのです」。

 2021年7月、ヴァージル・アブローはOFF-WHITEをLVMHに売却したが、それはブランドの未来を確実にするため、そしてLVMHの中でより大きな役割を担うためだったが、シャノンと子どもたちが「管理することができる」という意味でもあったとバークは言う。

 パンデミックによるロックダウンの期間は、一家はウィスコンシン州レイク・ジェニーバにある週末用の別荘に滞在することが多かった。「COVIDは、多くの人々にとって信じられないほど大変なことだったと思います」とシャノンは振り返る。「でも私たちにとっては、ヴァージルがショーやDJを休むために言い訳をする必要がない、素晴らしい時間だったんです。誰もどこにも行けませんでしたから。だから、私たちは最後の2年半を一緒に過ごすことができました」

50年計画

 シカゴにある自宅の寝室のテーブルには本が積み上げられているが、その中に作家のジョーン・ディディオンが夫を亡くした後の日々を綴った回顧録『悲しみにある者』が何冊もある。人々が彼女に送り続けたのだ。

「いつか必ず読むことができると思う」とシャノンは言った。「でも、悲しすぎて頭がおかしくなり、座って集中するのが難しい日もあります。この1年の最初の半年は、あまり記憶がありません。これが普通なのだろうかとずっと考えていたんです。最近になって少し頭がクリアになってきたというか、意味のある言葉を言えるようになってきました」

 自宅には彼女のスニーカーも置かれている。それはシャノン曰く「スニーカーマニアが夢見るスニーカーコレクション」であり、ヴァージルがナイキのために作った70モデルすべてと、生産されなかったプロトタイプのいくつかだ。彼の靴もすべてそこにある。彼らの息子は、いつかサイズが合う日が来るか尋ね続けていると言う。

 彼女は今でも彼の友人や家族のほとんどと親しくしている。「大きなグループチャットで グレイとロウとフェイスタイムをして、皆で彼らを笑わせてくれるんです。3月のロウの誕生日には、みんなでディズニーランドに行きました」

 シャノンは、彼が世界中に持っていたさまざまな倉庫(約20ヶ所あると彼女は考えている)を整理して、作品の照合を行い始めた。「喪の作業(グリーフワーク)と呼んでいます。彼をより身近に感じることができるんです」。

 レイク・ジェニーバの家の地下室だけでも、ターンテーブルやアート、バーキンのバッグ、賞品、レコードが所狭しと並んでいると、ヘイリーは言う。シャノンは、ヴァージルを「リス」と呼んでいたそうだ。自分のアイデアを書いた紙片をいつまでもしまっておくからだ。ヴァージルとのコラボレーションを手がけたナイキのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるジョン・ホークは、少なくとも1年分のOFF-WHITE×ナイキの商品がすでに用意されており、ナイキは次のコレクションに向けてArchitectureと計画を練っていると語った。シャノンは、Alaska Alaskaでも「彼が手がけたプロジェクトで、外に出さなかったものが何百もある」と語り、それを実現させたいと考えている。

「私たちには今後50年におよぶ計画がある」とビジネスアドバイザーのフェラーは述べる。

 ヴァージルの元パートナーたちの多くが、シャノンについて語るときに使う言葉は 「潔い」だが、彼女の夫のデザインに関しては、もうひとつ「妥協しない」という言葉が多く出てくる。

画像: (左)シャノン・アブロー。ザ・マーサー ホテルにて撮影 (右)シャノンが履いているのは、ヴァージルがデザインしたが発売されなかったOFF-WHITE x エアジョーダン4 “Bred” のプロトタイプ

(左)シャノン・アブロー。ザ・マーサー ホテルにて撮影
(右)シャノンが履いているのは、ヴァージルがデザインしたが発売されなかったOFF-WHITE x エアジョーダン4 “Bred” のプロトタイプ

 展覧会を一緒に企画し、彼の死後はシャノンと仕事をしたブルックリン美術館ディレクターであるアン・パステルナックは、「彼が望んだ通りに実現するか、まったく違う結果になるかのどちらか」だと言う。しかし、マイケル・バークは、彼女は「オノ・ヨーコではない」と言い、ヘイリーは彼女をとても "忠実 "だと言う。

 シャノンは、イブラヒム・カマラ率いるOFF-WHITEにはほとんど関わっていない。ヴァージルは、ファッション界での仕事が最も知られているが、彼は自分自身をデザイナーとは考えていなかった(有名な話だが、彼は自分自身を“メイカー”と呼んでいた)。デザインはあくまで手段であり、それは視認性と表現に関わるものだった。クリエイティブな思考に制限はなく、コーラやイケアといった商業的なアイコンから村上隆のようなアーティスト、シカゴのスカイラインなど、その思考の源泉は様々だった。それこそが彼のアートの核心であり、シャノンがヴァージル・アブロー財団の本質として捉えているものなのだ。

「彼は、部屋の中でテーブルに座っている唯一の黒人男性になりたくなかった」と彼女は言う。「バスケットボール選手やサッカー選手ではなく、建築家やヴィトンのデザイナーになれることを知らない子供たち」の未来のモデルになるだけではなく、彼らがそうなるための手助けをしたかったのだ。だからこそ、彼はそれを実現した最初の人物だったかもしれないが、最後になることはないだろう。「この財団は、彼のそうした思いを実現することに焦点をあてています。12歳から17歳の子どもたちに必要なポートフォリオを提供するのです。私は白人女性ですが、彼が何を望んでいたかわかりますし、彼と同じように強く思っています」。

 彼女は、自身とヴァージルのセラピストであり「彼の思考を理解している」人物と定期的に話し、家を建てようとしている。今、家族が住んでいる家は「美しい思い出がある」が、「悲しい思い出もたくさんある」とも語った。

 ザ・マーサーで、シャノンは授賞式のガラに出席すべく、OFF-WHITEの黒いドレスに着替えた。この後、彼女は、同じく受賞したキム・カーダシアンと、カニエ・ウェストのもとで一緒に仕事をしたデザイナーのジェリー・ロレンゾにハグされるだろう。翌朝9時の飛行機で帰るので、子どもたちが学校から戻ってくる時間には家にいることができる。そしてマイアミに行くのを楽しみにしていた。

「子供たちが20年後に、パパが実現しようとしていたこと、そしてママが本当によく頑張ったのだということを、わかるようにすることが大切だと思う」と彼女は言う。「あらゆることを乗り越え、すべての悲しみを乗り越え、彼女は前に進むことができたのだ、と」。

 ヴァージル・アブローは、彼女が大きなイベントに行きたがらないことをよく笑い、「いずれ連れて行くよ、シャノン」と言ったという。彼女は笑うべきか泣くべきか決めかねているような顔をしていた。「今、私はここにいる。"やられた"と思っています」。

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