BY ASAKO KANNO
奈良の人々は、春を待ちわびながら、こう言いあうそうです。
「東大寺の「お水取り」が終わらないと、本格的な春は訪れない」と。「修二会(しゅにえ)」とも呼ばれる、この日本で一番古い仏教儀式は、今まで1度たりとも途切れることなく続き、2023年には1272年目を迎えます。東大寺がある限り続くものとして「不退の行法(ふたいのぎょうほう)」と言われているそうです。この特別な伝統行事が、古都で生きる人々の生活や文化の中に、深く息づいてきたのであろうことを感じます。
お家元のお点前によるお茶席には、ひとあし早く「お水取り」の景色が設えられていました。お家元の山居から運ばれた真っ赤な藪椿と清楚な白花侘助が黒い壁に浮き上がり、なんとも幻想的な景色です。長いテーブルには、かつて「お水取り」の本行で使われたという籠松明(かごたいまつ)が置かれています。「お水取り」の法要では、3月1日から2週間にかけて毎夜、お松明(おたいまつ)に火をつけ、火の粉を散らしながら東大寺・二月堂の回廊を駆け抜けるのだとか。3月12日に
火が灯されるのは、籠松明(かごたいまつ)と呼ばれる特に巨大なお松明。僧侶が私たち市民に代わり苦行を行います。東大寺二月堂のご本尊である十一面観音菩薩へ懺悔し天下泰平や五穀豊穣を祈るのです。火の粉を浴びると災厄が祓われるとされ、参拝者は古都の夜空に舞う火の粉を受けて無病息災を願うのだとか。
お茶は、お家元が運営する、奈良県山添村「瑞徳舎」の茶園で、お家元自ら製茶された烏龍茶。無農薬・無肥料で育てられた茶葉は、口に含むと力強くもたおやかな大地の味がします。花の蜜のような甘い香りが、日本の原風景を見るかのような「瑞徳舎」の豊かな景色を思い出させてくれます。
白檀の香りが立ち込めるお茶席は、お香の煙や、炭で湧かした鉄瓶から上がる湯気が白くゆらゆらゆれています。掛け軸の言葉通り、夢か現実か。煎茶道の楚ともなる文人趣味は、現実を逃避し風雅の世界に遊んだといいます。椅子に座っていただく立礼式(りゅうれいしき)のお茶席は、正座が苦手な私にとって心置きなく非現実の世界にワープできるよう。仙人のような佇まいのお家元のお点前を見ていると、桃源郷とはこんな場所なのかしらと、ついつい妄想が広がってしまいます。
“椿”は、「お水取り」にゆかりの深い花なのだそうです。儀式では、本尊の十一面観音に、和紙で作られる椿の造花を捧げるのだとか。「糊こぼし」と呼ばれるお茶菓子は、東大寺・開山堂の庭に咲く、赤い椿に白い斑点の入った良弁椿(ろうべんつばき)を模したもの。お水取りの時期だけの、春を告げるお菓子なのだそうです。「糊こぼし」というユニークなこの名前。由来は、僧侶が造花の椿を作っていた際、誤って赤い和紙に糊をこぼしたことだとか。その糊が乾き、白い斑点のあらわれた椿が、開山堂の良弁椿(ろうべんつばき)に似ていたことから、良弁椿に「糊こぼし」という別名がつけられ、以来、紅白の花弁を組み合わせた造花で飾り付けを行うようにもなったのだそうです。
点心席は、お嬢様たちが作ってくださる精進料理です。お家元のテーマや設えにあわせ、何日も前から仕込みをされるそうです。その繊細な盛り付けや色彩。一品一品変化に富んだ味付けと食感。そこに、愛らしい紅白の干支のうさぎや、「美風」の焼印がほどこされた高野豆腐の遊び心。お家元の美風流スタイルを見事に引き継いでいらっしゃるなと感心してしまいます。
お茶席で飾られていた椿を、お土産に持ち帰らせていただきました。蕾が次々に花開き、我が家に奈良の森の景色が映し出されるさまに、うっとりと目を細める毎日です。
このお茶会で、初めて椿がこんなにも美しいことに気がつきました。実は、椿に全くもってよい思い出がなく、どちらかといえば、今までは苦手な花だったのです。猫の額ほどの我が家の庭には、3メートルをこえようかという椿の木が植えられています。以前、椿に茶毒蛾が大発生したのも知らずに近づいて、顔がお岩さんのように腫れ上がったことがありました。病院に駆け込むと「あら、もう茶毒蛾が発生したのね、今年一番最初の患者さんよ」と先生。かつて人生で一番になったこともないのに、こんなことで一番かと、余計に苦々しく思ったものでした。そうそう、庭いじりをしていて、初めてぎっくり腰になったのも、この椿の下でしたっけ。それが今では、庭の椿の蕾を毎朝確認し、いつ花開くのだろうと、そわそわしながら待っている自分がいます。
椿は、寒さに耐えて冬に花を咲かせます。また冬にも葉を落とさないのは魔力を持つためと信じられ、神聖な木ともされてきたそうです。古からの物語を知ると、今までの価値観ががらりと変わってゆくものですね。苦手だったものが、いつの間にやら大好きになっている。美風流の交わりは、いつも新しい自分を発見させてくれます。2023年の初煎会は私にとって、おみくじの大吉以上の慶びであったことは間違いありません。
菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」