「一番好きな料理はイタリアン。お菓子は、あんこよりも断然クリーム派。趣味は「旅」で も、国内旅行は仕事で訪れる撮影ロケ地くらいの経験値。日本の伝統文化や和の作法に触れないまま、マチュアな年齢となってしまった私ですが、この度、奈良の煎茶道美風流に入門させていただくことになりました。」そんなファッション・ディレクター、菅野麻子さんが驚きと喜びに満ちた、日本文化「いろはにほへと」の学び路を綴る。最終回となる連載十八は、入門後のさまざまな変化についてです

BY ASAKO KANNO

 奈良に本部を置く、煎茶道美風流に入門して早一年。今回で、連載も最終回となりました。

 未知の世界から降り注ぐ教養のシャワーをたくさん浴びて、本当に刺激的な一年でした。お家元に費やしていただいたお稽古のお時間と情熱。それに比例するほどの進歩が私にあったかと問われると、非常に申し訳ない気持ちになりますが、意識の変化という面では胸をはれる一年だったように思います。美風流の精神が、私のありふれた日常に彩りを添えてくれるように感じるからです。

画像: 線香立ての台は、お家元が水墨画を描いてくださったもの

線香立ての台は、お家元が水墨画を描いてくださったもの

 まず、お香をたく習慣ができたこと。お茶会はもちろん、奈良の本部を訪れると、いつも清らかなお香の香りに包まれます。お稽古では、香りについても教えていただきました。
 伽羅(きゃら)・沈香(じんこう)・白檀(びゃくだん)。日本のお香に使われる香木は、大きく分けるとこの3種類とのこと。なかでも伽羅は沈香の最上品で、別格。希少価値が高く、純度の高いものは今やなかなか手に入らないのだとか。お茶会やお稽古で、最上級の伽羅の香りを初体験させていただいたのも、入門してからです。

 何種類ものお香を聞きながら、その香りからイメージする情景を物語のように描写する、というお稽古も大好きでした。
「光と影に彩られたふかふかの苔の上を、女性が裸足で歩いているイメージです」と妄想を膨らませると、「僕にとっては、その場所は北欧の森の中ですね。女性の髪の色は、光に照らされた赤毛をイメージします」とお家元。なんだか、ファッション撮影の女性像を話しあう時のようで、とても楽しい時間でした。「こういう会話のやりとりを、文人趣味の世界では“清談”というのですよ」と。

 香が運ぶ景色に逃避する。そんな贅沢な時間を教えていただけたように思います

画像: 美風流本部の1階「茶・アート カフェ うつぎ」では、選び抜かれた様々な品種のお茶が楽しめます

美風流本部の1階「茶・アート カフェ うつぎ」では、選び抜かれた様々な品種のお茶が楽しめます

 一番変わったのは、煎茶を「おいしい」と感じ、ほぼ毎日のように自分で淹れて飲むようになったことでしょうか。正直、今まで緑茶を飲む習慣は皆無でしたから。
 美味しいお茶の淹れ方と味を教えていただいたこと。お茶にまつわる歴史や文化といった教養を学べる機会。お茶摘みや製茶の体験を通して、茶葉の種類にも興味が湧いてきたこと。お茶が好きになった理由はたくさんあります。

画像: 苦手だった和菓子も、お家元のお嬢様の手作り和菓子のおかげで、その美味しさに開眼。写真は、連載「よ」でも触れた、ファッション撮影用に作ってくださった、宝石のような和菓子

苦手だった和菓子も、お家元のお嬢様の手作り和菓子のおかげで、その美味しさに開眼。写真は、連載「よ」でも触れた、ファッション撮影用に作ってくださった、宝石のような和菓子

 そもそも、お茶に関する一般的知識というものが著しく欠けていましたが、今ようやくパズルのピースが埋まってきたような気がします。例えば、緑茶、白茶、烏龍茶、プーアール茶、紅茶。「1本のお茶の木から、すべての種類のお茶が作られる」というのを聞いたことはあれど、あまりに味が違いすぎるゆえ、半信半疑くらいの気持ちでした。が、発酵の度合いでここまで色も味も変わるのだと納得したのは製茶体験からです。
 さらに、一番茶、二番茶、三番茶、番茶にほうじ茶。暮らしの中で耳慣れた単語ながら、ちゃんと説明はできなかった案件も、遅ればせながらようやく頭の中で整理されたようです。

画像: 香風先生に贈っていただいた“結び糸”の反物。何色に染めようか、妄想するのも嬉しい時間

香風先生に贈っていただいた“結び糸”の反物。何色に染めようか、妄想するのも嬉しい時間

 この一年で、目標もできました。ひとつは、着物を着られるようになること。これは、ある出来事による自分への約束です。
 連載「へ」で、着物にまつわるお話と、美風流の教授方のお着物姿を取材させていただきました。連載の公開も間近に迫ったある日のこと。ご登場いただいた美風流会長の香風先生から、小包が届きました。開けてみると、なんということでしょう。先生がお召しになっていた珍しい“結び糸”という反物でした。

 香風先生がお召しになっていた着物は、今は亡き先生の師匠から「この生地を染めて、お茶会に行ってくださいね」と、贈られたものだったそうです。そのうち、染めずに手元に残しておいたという貴重な一本を、私ごときに贈ってくださったのです。あまりのお心遣いに、感涙せずにはいられませんでした。
「いつかこの反物で作った着物を着て、お茶会に伺わせていただきます」香風先生とのお約束は、いつか必ず果たしたい目標となりました。棚に飾った反物は、着付け教室への予約を思い出せてくれる、私にとっての“着物の番人”ともなっています。

画像: お家元の「野点茶道具」セット。籠のなかには茶道具はもちろん、茶道具の下に敷く布の茶具褥(ちゃぐじょく)や、お盆まですべておさまっています

お家元の「野点茶道具」セット。籠のなかには茶道具はもちろん、茶道具の下に敷く布の茶具褥(ちゃぐじょく)や、お盆まですべておさまっています

もうひとつは、“My野点茶道具”を揃えること。お家元がなんとも素敵な籠に自分の好みの茶道具をつめ、ふらりとひとり旅に出ている姿に強烈に憧れを抱いているのです。

 連載「ぬ」では、先輩がお家元から野点茶道具をお借りして、古墳地帯の丘の上でお茶を淹れてくださったお話をしました。夕日を眺めながらのお茶は、楽しい記憶とともに今も忘れられない味となりました。国内、海外問わず、籠につめた茶道具と旅ができたらどんなに素敵でしょう。イタリアやインドに住む友人たちにも、お茶をふるまえる日が待ち遠しいのです。

画像: 2023年の初煎会の掛け軸は「夢」でした。東大寺の佐川明俊長老の書

2023年の初煎会の掛け軸は「夢」でした。東大寺の佐川明俊長老の書

 そんな目標が、この夏イタリアを旅したことで、大きな夢に変わりました。きっかけは、驚くほどの日本ブームが沸き起こっていたこと。ミシュランの星つきレストランでは、競うかのように「柚子風味の〜〜」「味噌風味の〜」というメニューが並んでいました。

「イラッシャイマセ~!」カプリ島で今一番ホットなレストランは、オープンしたての和食レストラン。若いイタリア男たちが誇らしげに甚平のユニフォームをまとい、大きな声の日本語で出迎えてくれたのには、びっくり。連日満席のレストランでは、お客さんたちがパーティー会場さながらに着飾り、楽しそうにお寿司や焼き鳥をほおばる姿がありました。

「日本人?なんてうらやましい。日本が大好きすぎて、住みたいくらい!」 何より嬉しかったのは、旅の間、何人もの人にそう声をかけられたこと。私がイタリアに住んでいた頃にはありえなかった現象です。

 かくいう私も、日本ファンのイタリア人たちと同じです。美風流煎茶道に入門してから、日本文化の素晴らしさ、奈良の歴史の深さを知り、日本が大好きになってきたのですから。もっと日本について学びたい。日本の素晴らしい文化を、海外に住む友達以外の人たちへも伝えたい。そんな思いが湧き上がる旅となりました。 

 またいつか、連載の続編を語れる日がきた時は、夢が叶った自分でいたいなと心から思います。

 今までお話を聞いてくださって、ありがとうございました!

煎茶道美風流
公式サイトはこちらから

菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」

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