BY KURIKO SATO

ケイト・ブランシェット(左)とニーナ・ホス(右)。ロンドンで行われた『TAR/ター』のプレミアにて
©️ 2023 Getty Images
名優だからといって、つねにリスクを冒すことを引き受ける者ばかりではないだろう。だが新作『TAR/ター』でケイト・ブランシェットが見せる演技は、外見の信憑性という以上に、一人の複雑な人間を体現することの真髄を見せつける。それも観客に疑問とショックを与えかねないようなやり方で。
いまだ男性優位のクラシック音楽界において、天才指揮者として頂点に立つリディア・ターには強力なブレーンがついている。ふたりで養子を育てている、ヴァイオリン奏者でコンサートマスターのパートナー、シャロン(ニーナ・ホス)と、リディアを崇拝する秘書で自身も指揮者を目指すフランチェスカ(ノエミ・メルラン)だ。だが、自身の芸術しか見えないリディアは彼女たちの信頼を裏切るような行為も辞さず、やがてその肥大したエゴと狂気が人間関係を崩壊させる。

ケイトが演じるのはベルリンフィル初の女性マエストロ、リディア・ター
© 2022 FOCUS FEATURES LLC.
前作『リトル・チルドレン』から16年ぶりにメガホンを握ったトッド・フィールド監督がブランシェットのために書いた、野心と嫉妬に満ちた人間模様を、俳優たちはいかに解釈し演じたのか。オフ・スクリーンでは気さくなおしゃべりに嵩じるブランシェットとニーナ・ホスが、インタビューに応えてくれた。
ケイト トッドとは10年ぐらい前に、ある題材をきっかけに話をしたことがあった。彼はとても緻密で厳格な人で、一本の映画に身を捧げる人だから、映画を作ることは多くを要する。前作から16年ぶりというのも納得できる。もちろん彼の映画はそれ以前から観ていた。彼の映画は驚きと感動に満ちていて、人間について深く考察している。だから脚本をもらって、たとえ不安があっても断るなんて考えられないと思った。
じつは最初にこの脚本を読んだときは、暗い気持ちになってしまったの。あまりに権力に左右される人間関係が描かれていたから。自分がこの役を演じられるかどうかも不安だった。でも読み直して、リディアからパワーをもらった気がした。彼女の人生は悲劇的だけど、並外れた勇気がある。
ニーナ わたしは『リトル・チルドレン』を観て衝撃を受けて以来、トッドは真の映画作家だと思っていた。だから彼から電話が来たときは、天にも昇るぐらいの気持ちになった。一緒に仕事をして思ったことは、彼自身がミュージシャンで素晴らしい耳を持っているということ。サウンドやリズムに関して、とても緻密に設計している。彼の要求に答えるのは大変だけど、一緒に仕事をしていると、要求が多いと感じさせるのではなく、鼓舞されている気になる。とくにオーケストラとの演奏シーンは、トッドがわたしたちに多大な信頼を寄せているのがわかったし、ケイトが指揮台に立って演奏が始まった瞬間、『わたしたちは一緒に音楽を作っているのだ』という感覚があって、個人的にとてもエモーショナルになった。

リディアとパートナーのシャロン(ニーナ・ホス)の関係性も見どころだ
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女性を愛するリディアをめぐる、さまざまな女性たちの因果関係は、ジェンダーというテーマを彷彿させるが、ふたりはとくにそこに趣を置いた見方はしていないと語る。
ケイト 不思議なことに、脚本を最初に読んだときから、彼女のセクシュアリティはまったく気にしなかった。映画のなかで音楽にジェンダーは関係ないとリディアが語るように、ただ彼女はそういう人なのだと受け止めた。クラシック音楽界はいまだに男性社会だし、とくにリディアの育った階級や地域では、彼女がモデルにできる女性は誰もいなかった。だから男性のマエストロを手本にして、自分の出自や過去を隠して自分を再創造した。
トッドと話し合ったときに彼が言っていたことは、これは彼にとって寓話であり、政治的なメッセージを込めたものではないということ。権力と、それがもたらす影響についての物語であると。だからわたしもジェンダーのことは気にしなかった。たしかに女性たちが主役の映画ではあるけれど、描かれていることは女性に限らず、とても人間的なものだと思う。
ニーナ わたしもケイトと同様に感じた。わたしが演じるシャロンというキャラクターも、たまたま好きになった人が同性だったという風に考えた。ただ権力という主題に関して言えば、シャロンはコンサートマスターで、オーケストラのなかで権力を握る存在であり、そんな彼女にとって自分のパートナーのリディアが健在でいてくれることは大事なこと。だからリディアの行き過ぎも受け入れるところがあったのだと思う。
ケイト たしかに、映画に出てくるのはどんなキャラクターも、完璧に善人でも悪人でもない、グレーな存在。そこがこの物語の面白いところもである。

指揮者と奏者たちの力関係が物語を複雑にしていく
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自らの理想を追求するあまりに、狂気すら垣間見せるケイトの渾身の演技に注目
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自身の完璧な芸術を目指し、タガが外れていくリディア。これは俳優にとっても共通する危険性を含むテーマだろう。ブランシェットはこう解釈する。
ケイト それはどんな領域においても当てはまる問題ね。ただリディアの場合は指揮者であり、彼女の楽器は人間。だから彼女の内にある音楽を表現するには他人の力が必要になるけれど、自分の理想に達しようとする行為を他人はときに攻撃的だと感じる。だからよけいに複雑な問題になってしまう。
この映画は安易な答えは与えてくれない。白黒はっきり描いて観客を楽しませるエンターテインメントなタイプの作品ではない。その代わり、いつまでも脳裏に残ってわたしたちに多くのことを考えさせてくれる。
映画「TAR/ター」日本版予告編/5.12劇場公開
www.youtube.com
『TAR/ター』
5月12日(金))TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
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