とある中学校を舞台に、世界中のコミュニティでいつ暴発してもおかしくない「不寛容が引き起こす不都合」を描き、各国の映画祭で話題をさらった映画『ありふれた教室』。本作で監督・脚本を務めたイルケル・チャタクが問題提起する教育現場と現代社会の共通項とは?

BY YUKO TAKANO

画像: イルケル・チャタク 1984年、トルコ系移民の息子としてドイツ・ベルリンに生まれる。最新作『ありふれた教室』でベルリン国際映画祭2部門受賞や米アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートを果たし、いま最も注目すべき映画監督のひとり © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

イルケル・チャタク
1984年、トルコ系移民の息子としてドイツ・ベルリンに生まれる。最新作『ありふれた教室』でベルリン国際映画祭2部門受賞や米アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートを果たし、いま最も注目すべき映画監督のひとり

© if… Productions/ZDF/arte MMXXII

 核家族化やテクノロジーの発達など、めまぐるしく変化する現代社会を映し出す縮図の一つが教育現場だろう。映画『ありふれた教室』は、ドイツの中学校の新任教師が、校内の盗難問題解決を試みるうちに、自らが様々な問題に直面し渦中の人になってしまうという異色のドラマだ。一見急進的に見える学校内で、日常的に思えた一つの問題が複雑に湾曲し思わぬ方向へと向かっていく過程を、スリラーのような手法で追う。観る者をはりつめる緊張感で包み、事件の渦中へと巻き込んでいくパワーが圧倒的だ。

「圧力釜のようなプレッシャーをスクリーンに生み出したいと意図した。観ている人が息をつく暇もないような。教室のいろいろなところで衝突が起こり、それが連鎖反応を引き起こす。それを最後まで維持していくような映画にしたかった」と語るのはイルケル・チャタク監督だ。  

 ベルリン生まれのトルコ系ドイツ人であるチャタク監督は、12歳でトルコのイスタンブールに移り、高校で、友人としてヨハネス・ドゥンカーと出会う。その後ドイツに戻り映画制作を学び、以来ドゥンカーとは友人でありクリエイティブなチームとして、現在に至るまで数々の短編映画や長編作をドイツで共に制作している。

画像: 主人公の新任教師・カーラを演じるレオニー・ベネシュ。ドイツで引く手あまたの若手俳優のひとりとされる ©ifProductions_JudithKaufmann © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

主人公の新任教師・カーラを演じるレオニー・ベネシュ。ドイツで引く手あまたの若手俳優のひとりとされる

©ifProductions_JudithKaufmann © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

イルケル・チャタク(以下、チャタク) 本作の何もかもが自分の経験からきている。先生が教室にやってきて一緒に叫ぶシーンや、自分の母国語を使うことを避けている点など──それが、若いころの自分が無意識にやっていたことだと気がついた。僕はトルコ系であるということを隠そうとしていた。クラスで唯一肌が茶色の生徒だったから。それらの事実がこの映画に大きく関係している。例えば盗みの疑いをクラスで最初にかけられるのは、移民の生徒だ。小さな出来事が度重なるうちに、それは次第に大きな事件や誹謗中傷にふくれあがっていくんだ。

 主人公の教師カーラを熱演するのは、ミヒャエル・ハネケ監督の名作『白いリボン』で注目されたレオニー・ベネシュ。切迫感あふれる彼女の演技なしには、この映画は成り立たない、とさえ言える。

チャタク レオニーには、ソフトで優しさがあるのに時には厳しく強烈な面もあり、相反する二面を併せ持った点がとても面白いと感じた。17歳の時の彼女のデビュー作を見て以来、彼女の才能に驚かされている。これまでの出演作は映画としてはいま一歩でも、彼女の演技は常に輝いていた。本物で信頼できる演技を維持している。脚本を書いている最中に、この主人公は赤面できる人でなければならないと感じた。俳優にとってはとても難しい演技の一つだ。それが彼女にはできると思ったんだよ。

 例えば是枝裕和監督の『怪物』などを見てもわかるが、教育というものは国によって非常に異なる。制度としてだけではなく、その国の社会の慣習や国民性というのもが多大に影響する。この難題にどうやって取り組んだのだろう。

チャタク ドイツで教育に携わる多くの人、学校関係者から話を聞いた。気がついたのは、それぞれの学校には異なる方針があり、それぞれの問題をかかえているという点だった。リベラルで自由、北欧のような学校もあれば、伝統的で権威主義寄りの学校もあり様々だったが、どの学校にもそれぞれの政治色があった。この映画で描く学校は、最も今日の状況を象徴している学校にしたかった。権威主義が世界の一部で復活しつつある現在、指導者は国民の友達だと言いつつ実はそうではない。そんな世界を学園内の事件に置きかえ比喩的に描いている点もある。また、この学校をある政府という風に理解することも可能だ。

 このようにチャタク監督は、本作の真意が教育の域を越えうることも指摘する。

画像: 生徒や保護者、教員たちとの緊迫した関係を息詰まるような展開で描くサスペンススリラー ©ifProductions_JudithKaufmann © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

生徒や保護者、教員たちとの緊迫した関係を息詰まるような展開で描くサスペンススリラー

©ifProductions_JudithKaufmann © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

 主人公の教師カーラは、とある間違いを犯し、そのせいで生徒や父母の批判にあう。挙句の果てに学園新聞を編集する生徒から取材を受け、一層の窮地に追い込まれる。新聞に限らず、現代マスコミやソーシャル・ネットワークのありかたなどについて、考えさせられるシーンでもある。

チャタク 多くの現代人は、モラルの理想を人に押しつけようとする。カーラ自身がそうだ。ところが生徒たちはさらに高い理想を彼女に強いてくる。それに応えようとして、自分が渦中の人になってしまう。それはどこかしら、中世のようでもある。何か過ちを犯すと村の広場にひきずり出され、つばを吐きかけられるみたいな感じだ。我々は人間として社会的にも進歩した。しかし時々、これが現代なんだろうか? あまりに過酷すぎる、と感じる瞬間もある。例えばソーシャル・メディアで、人を侮辱、誹謗中傷したり、証拠もなくはっきりとした調査もせずに、批判したり──それによって人をこの世界から消滅させてしまう。それは大きな問題だと思う。ヒステリー的な状況を避け、冷静に話し合う機会が少なくなったと思う。相手に弁解する機会を与えようとしない。人の関心を得るために爆弾発言をしたがる人があまりに多いと思う。

 彼が小学生だった時代と現在では、教師という職業のありかたも随分変わったはずだ。

チャタク 僕が子供だった頃よりも、教師でいることが困難な時代になったのではないかと思う。教師という職業が侵食されたと思うから。僕が子供のころは、“先生が言うんだから正しい”と考えた。ところが現在は、逆。子供の成績が悪いのは教師のせいだ、と親はいう。親が教師を強く批判する時代になった。また、親がもはや親でいたくない時代でもある。現代の親は子供と友達でいたい、権威をふるいたくないという。そんな子供に親を尊敬しろというのは不可能だと感じる。親を尊敬しない子供が、学校で教師を尊敬できるのか? それが大きな問題だろう。

画像: 5.17公開『ありふれた教室』本予告 youtu.be

5.17公開『ありふれた教室』本予告

youtu.be

『ありふれた教室』
5月17日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
公式サイトはこちら

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