BY CARL SWANSON, PHOTOGRAPHS BY D’ANGELO LOVELL WILLIAMS, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
《メン・イン・ザ・シティーズ》は彼にとって、最もウォーホル的な試みだ。同じような作品を複数制作しており、さらに版画版のポートレートのように、見た瞬間にすぐにあの作品だとわかる。ロンゴは1979年から1983年の間に約40枚の《メン・イン・ザ・シティーズ》の絵画を制作している。彼の友人たち――シャーマン、そしてアートディーラーのラリー・ガゴシアンとジェフリー・ダイチ、その他ダウンタウンの仲間たち――はロンゴが撮影する際にモデルとして協力し、その後、それらの写真の構図を元にして同シリーズ作品が描かれた。

《無題(シンディ)》。《メン・イン・ザ・シティーズ》シリーズの絵画の一枚。モデルを務めたのはシンディ・シャーマン。
ROBERT LONGO, “UNTITLED (CINDY),” FROM THE SERIES “MEN IN THE CITIES,” 1979-83, CHARCOAL AND GRAPHITE ON PAPER, COURTESY OF ROBERT LONGO STUDIO © 2025 ROBERT LONGO/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK
モデルたちのポーズをつける際に、ロンゴは、サム・ペキンパー監督の映画に出演した俳優たちが作品内でひとり何役もこなしていたのを参考にした。またパンクロックのバンドの公演で人々が跳びはねる様子も取り入れた。それだけではなく、ミケランジェロが制作した奴隷たちの彫刻や、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の1970年の映画『アメリカの兵隊』からもロンゴは人体のポーズのアイデアを得た。芸術トークを得意とするロンゴは、自分自身と作品を売り込むことにも長(た)けている。長年、カジュアルなポップ文化から高尚な美術作品まで、この代表作のインスピレーションの源について幅広く言及することも忘れなかった。
当時の時代の空気を切り取った《メン・イン・ザ・シティーズ》は、時を経てもその輝きを失わない、きわめて普遍的な力をもつ作品でもある。ある時代や場所を象徴している芸術作品でありながら、今振り返ってみれば、その先の時代に起こる変化を十分に予言していた。ワールド・トレード・センターから死を覚悟し飛び降りていく会社員たちの映像や、人気テレビドラマの『マッドメン』のオープニング映像も、この作品と重なる。《メン・イン・ザ・シティーズ》の影響力は何十年もさまざまな形態に及んで長く続いた。たとえば1991年に作家のブレット・イーストン・エリスがヤッピーたちの飽くなき欲望をダークに風刺した小説『アメリカン・サイコ』を発表すると、この小説を原作にした同名の映画が2000年に公開された。その中で投資銀行員であり連続殺人鬼でもある主人公のパトリック・ベイトマンのマンションの部屋の壁に《メン・イン・ザ・シティーズ》の絵画が複数飾られていたが、これも不思議ではない。「シンディと話していたんだけど、人はもし運がよければ、歴史の教科書に自分の作品の写真が一点だけ掲載されるって」とロンゴは言う。
「自分の場合、歴史の教科書に掲載される一枚の写真は《メン・イン・ザ・シティーズ》だ」
この作品は出世競争に励む若い人々の葛藤の象徴のように受け止められたが、ロンゴの制作の意図はそこにはなかった。彼は聞かれるたびにこう言ってきた。「彼らは決してヤッピーではないし、彼らは自分の友達だ」。彼らは撮影時に、ロンゴもそうだったが、たまたまジャン=リュック・ゴダールの映画に出てくるような格好をしていただけだ。ロンゴはモデル役の友人たちに写真のフィルムの容器やテニスボールを投げつけることで、あの不安定なポーズを実現させた。
この作品は出世競争に励む若い人々の葛藤の象徴のように受け止められたが、ロンゴの制作の意図はそこにはなかった。彼は聞かれるたびにこう言ってきた。「彼らは決してヤッピーではないし、彼らは自分の友達だ」。彼らは撮影時に、ロンゴもそうだったが、たまたまジャン=リュック・ゴダールの映画に出てくるような格好をしていただけだ。ロンゴはモデル役の友人たちに写真のフィルムの容器やテニスボールを投げつけることで、あの不安定なポーズを実現させた。
80年代の終わり頃には、美術界はロンゴに対する忍耐力を失っていく。たとえば、彼のファッション的な側面も美術界を苛立たせた。時代の寵児(ちょうじ)としての役割をそつなくこなし、バッドボーイとして時の注目を集めた人物は、時代の転換期には少し足を踏みはずしてしまうのが常だ。それ以外にも、批評家たちはしばしば、ロンゴがさまざまなジャンルにわたって大量の作品を生み出す様子を、思いつき主導で不安定だと見ていた。ビデオ製作やライブ・パフォーマンスから彫刻までと彼の活動は幅広い。かつてロバート・ラウシェンバーグが「コンバイン・ペインティング」と呼ばれる、絵画と写真と彫刻と工業製品を組み合わせてインスタレーションをつくったように、ロンゴは自分なりの「コンバイン」を表現していたのだと語る。
一部の批評家たちにとって、そんな行動は理解の範疇を超えていた。1989年にロンゴはロサンゼルス・カウンティ美術館で展覧会を開催し、SF小説からアイデアを得て、将来不吉なことが起きるという禍々(まがまが)しい前兆を表現した数々の彫刻を展示した。その中には1986年制作の《All You Zombies: Truth Before God 輪廻の蛇:神の御前の真実》という作品も含まれていた。突然変異した二つの顔をもつエイリアンが、武士の甲冑(かっちゅう)のようなものを身につけ、ボロボロになった旗を高く掲げて、勝利か敗北を宣言しているように見える。ロサンゼルス・タイムズ紙はこの展覧会のことを「ギャラリー界の基準で言えば、『オペラ座の怪人』同様に壮大であり、さらに作品の底に一貫して流れる“抑圧された社会”というテーマから見ても、ダース・ベイダーに匹敵するぐらい不吉だ」と評していた。また批評家のロベルタ・スミスはニューヨーク・タイムズ紙でこう書いた。「ロンゴ自身のカリスマ性や、美術界での彼のこれまでの成功や影響力がもしなかったとしたら、彼のアート作品は恐らく、コンピュータ上に表示されたグラフィック・データのように見えていただろう」
1990年には、湾岸戦争と美術業界の景気の冷え込みを理由に、ロンゴは身辺を整理してパリに引っ越した。美術業界に拒絶されたことで、もっと多くの観客にアクセスしたいという欲求が高まったようだった。彼はケーブルテレビのHBOで放映されたドラマ『ハリウッド・ナイトメア』のエピソードの監督をし、人気のミュージック・ビデオの監督も務めた。また、1995年に映画監督デビューを果たしたときにはすでに米国に戻ってきていた。その作品は、ウィリアム・ギブソンの短編小説を題材にした映画『JM』で、主演はキアヌ・リーブスだった。アイス-Tやヘンリー・ロリンズらも共演した。ディストピア化した世界が舞台で、小説の筋にちなんだ色彩豊かな美術セットとロンゴの美術作品も映画内に登場する。ギブソンのほかの多くの小説に共通するように、あらすじには未来を予言する要素が織り込まれていた。リーブスが演じる人物は、脳内に記憶装置を埋め込まれており、安全に情報を伝達するためのいわば「歩くフラッシュドライブ」の役割を果たす。当時の社会では「情報過多」が原因で、ブラック・シェイクス、通称NASと呼ばれる不治の病が蔓延していた。その治療法の鍵となる情報を脳内に埋め込まれたリーブスを敵が追う。だが、脳の許容量以上の情報をインストールされてしまうと命の危機が――というあらすじだ。また、この映画の設定となった未来は2021年。奇しくもコロナ禍が全世界を襲った年だった。
ロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された回顧展と同様に、この映画は酷評された。ロンゴは、映画スタジオが特定の役者を起用するようにごり押ししたと感じていた――たとえば、アクション俳優でスターのドルフ・ラングレン(註:『ロッキー4/炎の友情』にも出演)は米国外で特に人気があった。さらに、ロンゴはスタジオ側が脚本を編集したことで、起承転結がぼやけてしまったとも感じていた。
彼は自分が置かれた状況を振り返り、再び絵画の道に集中することにした。そしてこれまでずっとやってきた作業を繰り返すことで、21世紀に通用する作品を生み出すことに成功した。毎日洪水のように流れてくる報道写真や映像を丹念に吟味して探索する作業を地道に続けたのだ。新聞やテレビの画面からインターネットにメディアの主戦場が替わるにつれて、そこに掲載される写真や映像は以前より過激さが抑制されてはいたが。そんな画像の中から、アメリカ人として生活している彼自身の心に訴えかけてくるものを選び、それらを元に、絵画を細部に至るまで徹底的に精密に制作した。対象をあえてシンプルに設定し、自分の強みを活かした。一方、ハリウッドでの監督初体験は彼にとって強烈なトラウマとなり、その後彼は映画を一本も撮っていない。映画『JM』の巨大なポスターは、今、彼のスタジオの扉の上に貼られている――スタジオを出るときに誰もがちょうど目にする位置にある――まるで、狩猟で仕留めた美しい動物の毛皮のように。
コペンハーゲンは穏やかな都市だ。だが、この4月、ルイジアナ近代美術館で開催されたロンゴの回顧展の初日にはピリピリした緊張感が漂っていた。《メン・イン・ザ・シティーズ》の写真入りのポスターが、まるで新規開店の店舗の広告のように、首都の街じゅうに貼られていた(2010年にロンゴはボッテガ・ヴェネタの宣伝キャンペーンのために、同作品を元にした広告写真のディレクションを務めたことがある)。しかし、このとき、同じ作品がこの街に不安と緊張をもたらすのを誰もが感じていた。

三連画の《無題(海に浮かぶ救命ボート)》(2016-2017年)。地中海を渡るシリア人難民たちの報道写真からアイデアを得て描いた。
ROBERT LONGO, “UNTITLED (RAFT AT SEA),” 2016-17, CHARCOAL ON MOUNTED PAPER, COURTESY OF ROBERT LONGO STUDIO © 2025 ROBERT LONGO/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS)
回顧展を祝う夕食会の席で、私はデンマーク人たちから何度も信じられないという言葉を聞いた。そのほとんどが「あなたの国はどうなってしまったのか? 私たちは友好な関係を結んでいると思っていたのに」という点に集約される。人々はこの展覧会、つまり観客に対して拳銃の銃口をまっすぐに向けて描いた作品――《ボディーハンマーズ》(1993-1994年)――や海兵隊員らが波打つような巨大な星条旗を抱えている様子を描いた作品――2022年制作の《無題(帝国の終焉)》などが、現在のアメリカが抱える問題点のひとつなのではないかと知りたがっていた。
その日に一足早く行われた報道陣向けの展覧会で、ロンゴ自身も謝罪を口にせざるを得なかった。「これが自分にできる精いっぱいだ。もっと何かできればいいのに」と彼は言い、デンマーク人たちに向かって、彼自身はグリーンランドを自分のものにしたいという意思は微塵もないと明言した。そしてロンゴはいつも口にしているジョークを披露した。最近、ロンゴは戦後ドイツで生まれた元妻に向かって、自分がアメリカのパスポートを持っていることが恥ずかしいと話した。「すると彼女は『その感覚、私は生まれたときからずっと感じてる』と言ったんだ」
夕食会の席で、回顧展のキュレーターのアンダース・コールドがダンテの『神曲 地獄篇』の冒頭の一部を引用してスピーチをした。「人生の歩みの道半ばで、気づくと私は、暗い森の中をさまよっていた」と。そしてさらに「危険がすぐそばに迫っているのを感じる」と続けた。
コールドはゴヤの絵画《巨人》を題材にして、ロンゴが木炭で描いた小さなドローイング画について語っていたのだ。1808年頃にゴヤが手がけた原作では、丘の近くの街を見下ろすように立つ巨人が描かれている。だがそれだけでなく、コールドは夕食会に出席した誰もが心の中で感じていたことにあえて言及したのだ。それは世界が突然、制御不能な方向に変化しているという不安だった。
コールドはアルベルティーナ美術館からこの回顧展が移動してきてから追加された、注目すべき二つのロンゴ作品があるのだと私に言った。一点目は《南北戦争のさなかに》(1986年)と題された壁掛け型の彫刻だ。1863年にアンドリュー・J・ラッセルが撮影したバージニア州フレデリックスバーグでの2回目の戦闘の実際の写真を引き伸ばしてシルクスクリーンに印刷し、その上に合衆国の地形を模した鋼製のワイヤーを接着した。さらにその写真の下に18本の野球のバットをぶら下げた(ロンゴが繰り返しモチーフにしてきたのが、米国の歴史が、敵か味方のどちらかを選ばなければならないスポーツにいかに酷似しているかという点だ)。さらに今回追加されたもう一点の作品は、2024年にガザへの爆撃に反対し、デモを行なった学生たちを描いたものだ。
夕食会が終わりに近づくと、ロンゴがひとりで展覧会場を歩いているのが見えた。ギャラリーにはほかに誰もいなかった。「自分で描いたことすらすっかり忘れていた作品も何点かあるな」と彼は静かに言った。彼の最近の作品の中で最も有名な絵画の前で私たちは立ち止まった。《無題(海に浮かぶ救命ボート)》(2016-2017年)と題された作品で、地中海上をボートで漂う一群のシリア人難民たちを描いたものだ。2016年に撮影された報道写真とロンゴ自身が撮った海の写真を組み合わせ、それを原案にして作画した。同年、シリアの内戦で約100万人が難民となり、その多くがヨーロッパに逃げようとして溺れ死んだ。この作品はあまりにサイズが大きいため、観客は、救命ボートに乗った人々を下から見上げる構図になっている。鑑賞する側の視線の高さは海面と同じぐらいで、まるで自分が水中に浮いているように感じる。
ロンゴはこの作品の前で静止した。「空気を入れたボートに乗ってまで逃げようとするなんて、いったいどれだけ惨めな生活だったのか? 彼らを突き動かすものは何なのか?」と彼は問う。彼はこの世界の悲惨な現状を描写する中で、事態の深刻さに胸を痛めている。だが、彼はボートの一番端のひとりの男性を指さし、彼が身につけているライフジャケットに陽光があたり、明るく照らしていることに言及した。「まるで一縷の希望みたいだ」
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