BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY JOSHUA WOODS, STYLED BY DELPHINE DANHIER, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

コート・トップス(ともに参考商品)/エンポリオ アルマーニ
ジョルジオアルマーニ ジャパン
TEL.03-6274-7070
パンツ・靴/本人私物
ボーズマンにいるときのクローズは、家のポーチに座り、嵐が迫り来る様子を眺めている。それから数カ月の間、彼女から送られてくるテキストメッセージには、ヘラジカを目撃したこと(「美しくて原始的」)、荷造りを先延ばしにしていること(「ものすごく苦痛」)、そしてドリュー・バリモアが手がけるリバイバル版クイズ番組『ハリウッド・スクエアーズ』の新シリーズに愛犬のピップとともに3回出演すること(「『常に何でも挑戦してみる』っていう気分」)が書かれていた。それに加えて、雲の観察に余念がない彼女からは、雨雲を撮影した画像と解説つきの動画が大量に送られてきた。毎回、以前よりさらに神秘的で美しい雲のイメージが次々に送られてくるのだ。星条旗が風になびく微(かす)かな音がする。「毎日、国旗を掲揚してる」と彼女は言う。「今はまるで占領されてしまったように感じるけど、それでも私はこの国を愛してるから」
そこから話題は2020年に公開されたロン・ハワード監督の映画『ヒルビリー・エレジー ー郷愁の哀歌―』に移った。原作は2016年に出版されたJ・D・ヴァンスの自叙伝だ。オハイオ州のミドルトンの貧困家庭で、社会から取り残されたような環境で育った少年ヴァンスの祖母、ボニー・ブラントン・ヴァンスをクローズが演じた。ママウと呼ばれていたこの祖母が2005年に72歳で亡くなったとき、彼女の自宅には実弾が入った銃が19丁あったと伝えられている。クローズは撮影当時、まだ政治家ではなかったヴァンス本人とは直接話はしていないが、彼と彼の妻で元法廷弁護士だったウーシャは、クローズいわく「撮影にものすごく協力的」で、ふたりは撮影現場にも訪れたが、ヴァンスはほとんどの時間を若い頃の自分を演じた俳優たちと懇談していたという。「皮肉だなと思うんだけど」と彼女は言う。「彼はイェール大学で出会った人たちとなじめなくて劣等感や反発心を感じていた。その後、彼は、アメリカ出身ではない両親のもとに生まれた女性と結婚した」――ウーシャの両親は1980年代にインドから移民してきた――「多分、彼女を身近に感じたんじゃないかな」。クローズはトランプ政権の政策を「無神経な冷酷さ」と呼んで非難する一方で、副大統領となったヴァンスの少年時代が苦難に満ちていたことを認めている。「私の子ども時代は、穏やかだけど最低だった。今でも当時の心の傷と格闘してるし」と言う。「私はヴァンスの子ども時代の境遇に免じて、彼の政策を肯定したりはしない。でも、何しろ、ママウは自分の夫の身体に火をつけちゃったんだからね」
するとそのとき「グレニー!」と呼ぶ声がして、72歳の作家で写真家でもある妹のジェシーが、彼女の2匹の犬、グッドネスとグレイシャスを連れて通りの向こう側にある彼女の家からこちらに向かって歩いてきた(80歳の姉、ティナはアーティストで、町外れでたくさんのオウムと一緒に暮らしている)。ジェシーは明日行われる資金集めのイベントの件で相談に来た。この地域に初めてオープンした成人患者向けの入院設備がある精神病棟を援助するためのイベントだ。2010年に、ジェシーとクローズは「ブリング・チェンジ・トゥー・マインド」という非営利団体を立ち上げ、メンタルヘルスにまつわる偏見やネガティブなイメージを払拭しようとしている。来年までに高校生が主催するプログラムを800グループ以上、全米で展開する予定だ(そのプログラムの最初のボランティアであるロビン・ウォーカーは「グレンは単にこの団体の表向きの顔というだけでなく、実際に運営をしている」と言う)。部屋に置かれたチェストの上には『レジリエンス』というタイトルで2015年に出版されたジェシーの自叙伝が置かれている。ジャーナリストのピート・アーレイとの共著で、クローズが執筆したエッセイも含まれている。この本の中で、ジェシーは自身が依存症や精神疾患と格闘してきた経験を時系列を追って綴っている。その中のハイライトにあたる描写が、2004年の春のある午後、ワイオミング州のビッグパイニーにある両親の家で家族が集合したときの出来事だ。当時50代だったジェシーはクローズに、自分は自殺してしまいそうだと打ち明けた。生育環境の特殊さとクローズが有名人となっていったことが相まって、このふたりはそれまで何十年も疎遠な間柄だった――「私の収入は皆より多いし、成功していると思われてる。それに、きょうだいたちは全然違う生活をしていたし」とクローズは言う――ジェシーの告白は、予期せぬ潤滑油のようなものだった。「『自殺することを考えるのを止められない』と私は思わず口走ってしまった」とジェシーは書いている。「グレンが一歩前に踏み出して、彼女の腕が私の身体を包んだ。そして彼女はゲストハウスのベランダにあるベンチに私を誘導してティナを呼んだ」
クローズの両親は、医師で米軍パイロットでもあったウィリアム・クローズと専業主婦のベティーヌ・ムーア・クローズで、ふたりとも裕福だが複雑な事情を抱える家庭の出身だった。1914年にクローズの祖父の最初の妻の父であったC・W・ポストは朝食用のシリアルの販売で大富豪となったが、59歳のときに銃で自殺した。その1年後に、ベティーヌのおじのひとりが「自分はドイツのスパイだ」と名乗って拳銃をつきつけて4人の男性を人質にとり、そのうちのひとりに熱した火かき棒で焼き印をつけると脅した。1950年代には父ビル(註:ウィリアムの呼び名)と母ベティーヌは、宗教団体の「道徳再武装」(Moral Re-Armament/通称MRA)――クローズはこれを「カルト団体」だと認識している――に参加した。MRAは1938年にアメリカ人の提唱者フランク・ネイサン・ダニエル・ブックマンによって創設され、世界平和を標榜し、4つの絶対基準――正直さ、純潔、無私、愛――を実践することを説いた。クローズが13歳のとき、両親は一家でスイスのコーという村の丘の上にある、かつてホテルだった建物に引っ越した。MRAがこのホテルを改修し布教の拠点としていたのだ。ブックマンはかつて「アドルフ・ヒトラーのような人間の存在を天国」に向かって感謝し、若いメンバーたちに自分を「フランクおじさん」と呼ぶことを要求した。さらにMRAの指導者たちは、若いメンバーたちに、マスターベーションの回数を報告するように命じた。
1960年にはクローズの父親が当時ベルギー領だったコンゴでの布教活動のトップとして選ばれた。ビルはレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)に移住してその後の20年間を現地で過ごし、サンディやジェシー、ティナやベティーヌも時には現地に滞在した。ビルはその後ザイール(現在はコンゴ)の大統領となるモブツ・セセ・セコの主治医となり、世界初のエボラ熱の感染爆発を食い止めるのに尽力した。1962年に故郷のグリニッジに戻ったクローズは、演劇に興味をもつようになった。高校を卒業すると「アップ・ウィズ・ピープル」というMRA系列の歌と踊りのグループに所属した。彼女はこの集団内の大人たちからしょっちゅうけなされた数年間を「失われた年月」と呼び、その当時のことを振り返って語ることはしたくないという。「でも、何を言われても私は自分を曲げなかった」と彼女は言って泣きだした。「彼らは私の心をへし折ることは決してできなかった」。クローズとしては、両親が彼女にMRAの教えを押しつけたことは、ふたりが亡くなるずっと前に許している。「私はいつも『まあ、とにかく、殴られたわけじゃないし、食事と洋服はいつも与えられていたし』と思うようにしてきた。でも、あれは真の意味で心理的な虐待だったし、教えの根底には女性蔑視の意識があった」
22歳のときにクローズはアップ・ウィズ・ピープルを脱退して大学に進学するつもりだと宣言した。その1週間後に、一緒に歌詞を書いていた仲間のギタリストのカボット・ウェイドからプロポーズされた。「もし(上からの)許可がなければ、彼は私に求婚しなかった」と彼女は言う。「あれは私が逃げられないようにするためだったんだ、といつも感じてた」。ふたりの結婚生活はすぐに破綻したが、ふたりともバージニア州のウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、クローズは文化人類学と演劇を専攻した。当時、彼女は就寝中に3つの悪夢を経験した。最初の夢ではMRAの指導者たちが集う「4つのテーブル」と呼ばれる場で、指導者たちが罪を告白しろと彼女に迫り、彼女はひたすら許しを求めて懇願する。ふたつ目の夢では、彼らの言いがかりを彼女が否定する。そして3つめは、彼女が立ち上がり「違う。あなたたちは間違っている」と言って、永遠にその場を立ち去るという夢だった。
クローズと私が初めて会った日から数日後、ニューヨークのセント・ジェームズ劇場では『サンセット大通り』が上演中だった。最後のカーテンコールの歓声が静まった瞬間、クローズが楽屋裏に案内されると、主演のニコール・シャージンガーとその他の出演者たちに向かって、誰かがメガホンを通してこう呼びかけた。「紳士淑女の皆さん、ノーマ・デズモンドのお越しです!」。ふたりの女優は抱き合い、写真撮影のためにポーズをとった。シャージンガーの顔にはコーンシロップ製の血糊がべったりとつき、まだ乾いていなかったが、ふたりはまったく気にしていなかった。クローズは自分自身が『サンセット大通り』のミュージカルの主演を過去2回経験したにもかかわらず、このミュージカルを観るのは初めてだった。彼女は黒いタートルネックのセーターに黒いパンツ姿でヒョウ柄のコートを羽織っていた。目立ちすぎず、地味すぎず、緻密に計算された装いだった。第一幕が始まるとき、室内の照明が薄暗くなると、クローズは私の腕をぎゅっとつかんで、まるでジェットコースターが最初の急降下をするときのように息を止めた。終演後、クローズはメモを送ってきた。ステージ構成(「素晴らしい」)、シャージンガーの歌声(「圧倒された」)、スモーク(「うまくいかなかった」)、主演男優のトム・フランシス(「セクシー」)。とはいえ、クローズは結局のところ、虚構の登場人物たちに命を吹き込むためだけに存在するこの「はみ出し者たちの国」の一員であることに、感謝の気持ちでいっぱいなのだと言う。――vol.4へ続く
PRODUCER: SHAY JOHNSON STUDIO. PHOTO ASSISTANTS: SHEN WILLIAMS-COHEN, KYLE NIEGO. TAILOR: OLIVIA NIEGO. MANICURIST: ALEXA GROUEFF. STYLIST’S ASSISTANT: KATEY KABU-KUBI
※カタカナの人名表記は、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。









