BY CHIKO ISHII
往く年をふりかえって、来る年はどんな1年になるだろうと心躍る季節。今後の活躍が期待される新鋭の作品を紹介したい。
芥川賞候補にも名を連ねる坂本湾
『BOXBOXBOXBOX』
まずは1999年北海道生まれの坂本湾。第62回文藝賞を受賞したデビュー作『BOXBOXBOXBOX』は、第174回芥川賞にもノミネートされている。荷物を仕分ける宅配所で働く人々を描いた小説だ。
〈薄霧のたちこめるなかに箱がある〉という一文で始まる。なぜかこの宅配所には、霧が蔓延しているのだ。箱の中身を妄想することで単純労働によって引き延ばされた時間をしのいでいる安(あん)、家事と介護と労働を一手に担うストレスから酒に溺れている斉藤、次の派遣先を見つけるまでの生活費を稼ぐために入ってきた新人の稲森、正社員とアルバイトのあいだに挟まれトラブル対応に追われる契約社員の神代。4人にとって宅配所の仕事は機械的に身体を動かすだけの苦役だ。ミスをすれば罵倒されるが、うまくやりとげても称賛されるわけではない。ベルトコンベアに載せられた箱のように時間が流れていく。

『BOXBOXBOXBOX』著 坂本湾、装画 杉野ギーノス、装丁 川名潤
¥1,650/河出書房新社
読みながら思い出したのは、安部公房の『箱男』と、スティーブン・キングの『霧』(映画『ミスト』の原作)だ。『箱男』はダンボール箱をすっぽりかぶって暮らす男の話で、『霧』は町を突然覆った濃霧とその奥に潜む怪物から人々が逃げる話だ。
『箱男』の男は、ダンボール箱の中に引きこもって、世界から見えないところに自分を隠している。一方『BOXBOXBOXBOX』の登場人物は、宅配所という箱に閉じ込められ、世界から疎外されている。箱の中にたちこめる霧が濃くなるにつれて、荷物を仕分ける作業員たちの人間性は薄れていく。
安が特に惹かれる〝人間サイズの箱〟を開けることに成功するくだりは印象深い。箱の中に入った奇妙なものを見て、安は〝路上生活者の所持品〟のようだと思う。もしかしたら本当に人間が入っていたのでは、と想像させるのだ。
その後、宅配所では荷物が次々と消える。霧の中で起こる出来事は現実感が薄いのに、ところどころ異様に生々しい。やがてカタストロフが訪れる。安が箱を開けたことで、怪物的な何かが解放されたのかもしれない。苦痛に満ちた労働によって育まれた怪物は、4人を不思議な形で解放する。
小説を書き上げたのは、本作が初めてという坂本。文藝賞受賞記念の対談記事(「文藝」2025年冬号掲載)で、選考委員の小川哲に〈単純労働のつらさや、同じことを繰り返すうちにだんだん変になってしまうということは、ブルーカラーの労働に限らない普遍的な現象だと思うんです。「正気を保ったまま労働を続けることはこんなにも困難なのか」と思います。宅配所の作業員たちの行動をただリアルに描くだけでなく、それが人生の閉塞感とか生きづらさとか、あらゆる人が感じているであろう普遍的なものとして読めるように意識して書きました〉と語っている。これからは小説家で食べていきたいとのことで、次の作品が楽しみだ。
上村裕香の初の単行本
『救われてんじゃねえよ』
もうひとり、彗星のようにあらわれた新人と言えば上村裕香だ。2000年、佐賀県生まれ。難病の母の介護をしながら高校に通う沙智が本音を激白する「救われてんじゃねえよ」で第21回R-18文学賞大賞を受賞した。『救われてんじゃねえよ』はその大賞受賞作を表題にした初めての単行本だ。表題作の続編である「泣いてんじゃねえよ」「縋ってんじゃねえよ」を同時収録している。
わかりやすいラベリングをするとしたら〝ヤングケアラーの物語〟だ。上村は新潮社の公式サイトに掲載されたインタビューで、〈小説はもちろんフィクションなのですが、介護をしている母を起き上がらせようとした沙智が一緒に倒れてしまい、床に倒れ込んだ二人が思わず大笑いをしてしまうというエピソードは実体験に基づいています。一見、絶望的でなんの救いもないように見える状況でも、笑える瞬間は訪れるし、その笑いによって救われることもあるということを書きたいと思いました〉と語っている。自らの介護体験に、友人に聞いた話も取り混ぜているという。

『救われてんじゃねえよ』著 上村裕香、装画・挿画 水元さきの
¥1,540/新潮社
母の身体の臭いや重さ、父の浪費の金額、トイレしか個室がない家など、細部の描写は凄まじくリアルで引き込まれる。だが、実話に裏付けられたリアリティだけが本作の魅力ではない。
上村にかぎらず、まったく実体験に基づかないで小説を書く人はいない。読書も体験だ。それなのに実体験に基づくことがクローズアップされるのは、その体験が特殊だと見なされるからだろう。要するにヤングケアラーは“かわいそう”と思われるのだ。
沙智は過酷な生活を送りつつ、他者から向けられる“かわいそう”という視線に抗う。現実逃避でも痩せ我慢でもない、自分の心の傷や両親の言動を徹底的に観察することで生まれた“笑い”に救いを見い出す。
たとえば「泣いてんじゃねえよ」は、給付奨学金を得て東京の大学に進んだ沙智が、3年生の春休みに帰省する話。大学を卒業したら、沙智は東京で就職するつもりだ。そのことを知った母は、あの手この手で沙智の就活を妨害する。父も沙智が地元に戻ってくることをあてにしていて……。
ようやく自分の人生を生きようとしている沙智が、何度も希望を打ち砕かれるところはつらい。ケアを求めて娘の夢を押しつぶす両親は、背中に乗ってきてどんどん重くなる妖怪子泣きじじいのようだ。でも、彼らはあくまでも人間として描かれている。人間だからこそ、利己的になってしまう。その人間味あふれすぎる行動が、なんともいえないおかしみを醸しだす。思わず声を出して笑った場面がいくつもあった。そして、就職後の沙智を描いた最終話「縋ってるんじゃねえよ」は清々しい。
上村は2025年4月に『救われてんじゃねえよ』を出したあと、7月に『ほくほくおいも党』、12月に『ぼくには笑いがわからない』を上梓している。2026年も精力的に執筆活動を続けるだろう。

石井千湖
“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。某メディアで紹介された自宅の本棚も話題に。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当している。
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