ウォッチジャーナリスト高木教雄が、最新作からマニアックなトリビアまで、腕時計にまつわるトピックを深く熱く語る。第14回は、世界初の腕時計へのオマージュから誕生したレディスウォッチ・コレクション「クイーン・オブ・ネイプルズ」

BY NORIO TAKAGI

 パリを象徴するエッフェル塔は、フランス革命100周年を記念したパリ万博の目玉として1889年に竣工した。構造体の高さは、約300m。完成当時は、世界で最も高い建造物であった。パリ観光の名所として、エッフェル塔はあまりに有名だが、その第一展望台のバルコニーの外側に、偉大な功績を残した72名のフランスの科学者や技術者のネームプレートが設置されていることは、あまり知られていない。質量保存の法則を発見したアントワーヌ・ラヴォアジエ、電流の単位アンペアの由来にもなった電磁気学の創始者アンドレ=マリ・アンペールなど偉大なる科学者らの名が並ぶその中に、“BREGUET”と刻まれたプレートがある。現在に続く時計ブランド「ブレゲ」の創業者一族は、3代に渡ってフランス科学アカデミーの会員に名を連ねてきた。初代アブラアン-ルイ・ブレゲは、稀代の天才として時計史にその名を残す偉人。2代目のアントワーヌも父の時計製作技術を受け継ぎ、3代目ルイ-クレマンは時計に加えて電気通信の分野でも大きな功績を残している。

画像: 初代アブラアン-ルイ・ブレゲは1747年にスイス・ヌーシャテルに生まれ、15歳でパリに渡った。今ある時計機構の実に3/4は、彼によって発明・進化されたといわれる、まさに不世出の天才である

初代アブラアン-ルイ・ブレゲは1747年にスイス・ヌーシャテルに生まれ、15歳でパリに渡った。今ある時計機構の実に3/4は、彼によって発明・進化されたといわれる、まさに不世出の天才である

 フランスの科学史を語る上でも欠かせないブレゲ家の歴史は1775年、パリのシテ島に初代アブラアン-ルイ・ブレゲが開設した工房に始まる。彼はここで自動巻き機構ペルペチュエル、ミニッツリピーター用のリング状のゴング、耐衝撃装置パラシュート、そして重力の影響を平均化するトゥールビヨンなど、数多くの機構を発明し、時計の進化を2世紀進めたと称賛されてきた。また金属プレートに凹凸状の幾何学模様を施すギヨシェ彫りを初めて時計のダイヤルに応用し、今では他社でも採用する先端にリングが備わるブレゲ針や流れるような書体のブレゲ数字を考案するなど、装飾やデザインにおいても優れた才能の持ち主でもあった。

 1970年代にブレゲは製造拠点をスイスに移したが、本店ブティックは今もパリのヴァンドーム広場に置く。その2階はメゾンの歴史を伝えるミュージアムになっていて、創業時からの顧客台帳が大切に保管されている。搭載される機構や外装の素材、製造コスト、販売された日付に購入者名などが記載される台帳は、メゾンの歴史を知る貴重な史料。それらに残る初代ブレゲの顧客には、フランス国王ルイ16世とその王妃マリー・アントワネット、ナポレオン・ボナパルト将軍とジュセフィーヌ皇后など、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

画像: ブレゲの重要な顧客のひとりであった、ナポリ王妃、カロリーヌ・ミュラ。彼女は生涯で34個ものブレゲの時計を所有した

ブレゲの重要な顧客のひとりであった、ナポリ王妃、カロリーヌ・ミュラ。彼女は生涯で34個ものブレゲの時計を所有した

 ナポレオンの妹でナポリ王妃であるカロリーヌ・ミュラも、ブレゲの大ファンであった。そして1810年に彼女の依頼で製作した「ブレゲNo.2639」は、時計史において重要な意味を持つ。残念ながら実機は行方知らずになっているが、台帳には「極薄リピーターウォッチであり、そのフォルムは細長く、温度計を備え、髪の毛とゴールドの細糸を縒り合わせたブレスレットに取付けられている」とある。すなわちブレゲNo.2639は、世界初の腕時計だったのだ。その後、二度修理に持ち込まれたとの記録も残り、実際に製作されたことを証明する。

 2002年に誕生した「クイーン・オブ・ネイプルズ」は、ナポリ王妃のために作られた世界初の腕時計にオマージュを捧げるレディスウォッチ・コレクション。台帳の記述に基づいた縦長のオーバル型ケースに小型の自社製機械式ムーブメントを収め、ブレゲ数字やブレゲ針、ギヨシェ彫りといった初代から受け継ぐ意匠と装飾で可憐な外観を創出してきた。

画像: (左)「クイーン・オブ・ネイプルズ 8928」¥3,910,000 <33×24.95mm/18KWG、ダイヤモンド、マザー・オブ・パール、自動巻き、アリゲーターストラップ> ベゼルとダイヤルのフランジに加え、ストラップを留めるラグにもダイヤモンドを敷き詰めた。ダイヤルは、マザー・オブ・パール製。ブレゲ針を置くダイヤル外周には、ギヨシェ彫りが施されている (右)「クイーン・オブ・ネイプルズ 8918」¥4,050,000 <36.5×28.45mm / 18KWG、ダイヤモンド、自動巻き、アリゲーターストラップ> 伝統的なグラン・フー・エナメル製のダイヤルに、デフォルメされたブレゲ数字が印象的に踊る。6時位置にはケースと同じオーバル型のダイヤモンドをセット PHOTOGRAPHS:COURTESY OF BREGUET

(左)「クイーン・オブ・ネイプルズ 8928」¥3,910,000
<33×24.95mm/18KWG、ダイヤモンド、マザー・オブ・パール、自動巻き、アリゲーターストラップ>
ベゼルとダイヤルのフランジに加え、ストラップを留めるラグにもダイヤモンドを敷き詰めた。ダイヤルは、マザー・オブ・パール製。ブレゲ針を置くダイヤル外周には、ギヨシェ彫りが施されている

(右)「クイーン・オブ・ネイプルズ 8918」¥4,050,000
<36.5×28.45mm / 18KWG、ダイヤモンド、自動巻き、アリゲーターストラップ>
伝統的なグラン・フー・エナメル製のダイヤルに、デフォルメされたブレゲ数字が印象的に踊る。6時位置にはケースと同じオーバル型のダイヤモンドをセット
PHOTOGRAPHS:COURTESY OF BREGUET

 レディスウォッチとしては珍しいトゥールビヨンやミニッツリピーターといった初代が発明・革新した複雑機構も、ラインナップするのがブレゲらしさ。そして2021年の最新作「クイーン・オブ・ネイプルズ 9825 ハート・エディション」では、かつてないユニークな機構が考案された。

 その名の通り、分針は巨大なハートを象り、ダイヤル中央の窓の数字でアワーを示す仕掛け。そして異なる分を示す3枚の写真を注視すると、ハートの形が違っていることに気づくはず。そう、ハート型の分針は、オーバル型のダイヤルに沿って、伸び縮みしながら運針するのだ。現代のブレゲは、分針にハートフルでロマンティックな魔法をかけた。

画像: REINE DE NAPLES CŒUR 9825 Ⓒ BREGUET youtu.be

REINE DE NAPLES CŒUR 9825
Ⓒ BREGUET

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 回転軸に取り付けられたハートの終端は二層に分かれていて、それぞれを個別の歯車で動かす構造に。それら2つの歯車は、ダイヤルと同じオーバル型のカムに設置された歯車で駆動され、針が進むにつれてそれぞれ回転速度を変える仕組みになっている。0~20分の間は、回転方向前側が速く進み、ハートを引っ張ることで形を縮ませる。20~40分の間は、どちらも同じ速度となって形をキープ。そして40~60分では回転方向後ろ側が速くなってハートを押し、形が伸びる。極めて巧妙なアイデアで、ハートが伸び縮みしながら進むロマンティックな機構が生み出された。これを実現するために新たに取得した特許は、4つ。初代アブラン-ルイ・ブレゲ製作の腕時計からインスピレーションを得て生まれたクイーン・オブ・ネイプルズは、彼の革新の精神も現代に継承する。

高木教雄(NORIO TAKAGI)
ウォッチジャーナリスト。1962年愛知県生まれ。時計を中心に建築やインテリア、テーブルウェアなどライフスタイルプロダクトを取材対象に、各誌で執筆。スイスの新作時計発表会の取材は、1999年から続ける。著書に『「世界一」美しい、キッチンツール』(世界文化社刊)があり、時計師フランソワ・ポール・ジュルヌ著『偏屈のすすめ』(幻冬舎刊)も監修

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