ファッションとテクノロジーが相思相愛となった始まり、そしてそのレガシーは、先頃亡くなったデザイナーの三宅一生とともにある

BY VANESSA FRIEDMAN, TRANSLATED BY T JAPAN

画像: 1992年春夏のパリ・ファッションウィークで、ショーのフィナーレに登場した三宅一生 GETTY IMAGES

1992年春夏のパリ・ファッションウィークで、ショーのフィナーレに登場した三宅一生
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 三宅一生がスティーブ・ジョブズのお気に入りのデザイナーであったことは、なんの不思議もない。

 ジョブズのパーソナルなユニフォームである黒のモックタートルネックをデザインした三宅は、8月5日、84歳でこの世を去った。

 三宅はあらゆる面でパイオニアであった。1974年4月にパリ・ファッションウィークでショーを行った最初の外国人デザイナーであり、アーティストとコラボレーションした最初のデザイナーの一人であり、「コンフォート・ドレッシング」という言葉が存在するずっと以前から、その提唱者であった。しかし、それにもまして彼を際立たせていたのは、テクノロジーに対する理解と評価、そしてテクノロジーを美的観点からどのように活用し、新たに魅惑的な実用品を生み出すことができるかという点だった。

 ウェアラブルが生まれる前、高機能ジャケットが生まれる前、3Dプリントのスニーカーやレーザーカットのレースが生まれる前に、過去と未来の架け橋として素材のイノベーションの境界を押し広げるデザイナーとして三宅がいた。彼はファッションテックの元祖チャンピオンだったのだ。

 1988年、三宅は熱プレスの研究を始めた。通常の2~3倍の大きさの生地を2枚の紙で挟んでプレスし、工業用機械に送り込んでエッジの立ったプリーツに成形すると、シワにならず、平坦で、複雑な留め具を必要としない衣服ができあがる。1994年には、この「プリーツ・プリーズ」(後にメンズウェアの「オム プリッセ」に発展)は、マリアノ・フォルチュニによるクラシックな古代ギリシャ風ドレープを、実用的かつ奇妙に楽しいものに再構築したラインとして知られるようになった。

 次に三宅は、工業用織機に糸を送り込み、さまざまな衣服の形をトレースする縫い目を内蔵した一枚の布を作るという実験を行った。「A-POC」(a piece of cloth)と名付けられたこのコレクションは、「ゼロ・ウェイスト」がファッションの責任ある行動の指針となる何十年も前の1997年に発表された。

 2010年に発表された「132 5.」は(三宅は日常的な責務から離れた後も、ブランドに関わっていた)、コンピュータ科学者、三谷純の研究にインスパイアされたコレクションで、折り紙のような複雑な折り目を持つフラットパックのアイテムが、開くと立体的なパーツを身体の上に作り上げるというものだった。このコレクションは、2007年に設立された三宅の社内研究開発チーム「Reality Lab.」と共同で開発された。(この名前は、Meta社のRealityLabs部門とは関係ないものだが、間違いなくその前身であり、後には東京の小売店の名称ともなった)。

 これらの作品はすべて、メトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、ロサンゼルス郡立美術館などの美術館に収蔵されている。それは身体に合わせて変形し動くソフトスカルプチャーであり、単に美しいというだけでなく、日常のニーズを解決するものとして考えられたことが特徴であり(三宅の基本的価値観は「生活のための衣服」の重要性だった)、実際にそのように機能していた。

画像: 三宅一生の作品。ニューヨーク近代美術館での展覧会にて PHOTOGRAPH BY MARK WICKENS

三宅一生の作品。ニューヨーク近代美術館での展覧会にて
PHOTOGRAPH BY MARK WICKENS

 そして登場するのが、黒のタートルネックだ。三宅の衣服の中で最も面白いアイテムというわけではない。もっとも平凡な服であったかもしれない。しかし、三宅の創業の理念を体現し、ファッションに特別な関心がない人でも三宅の世界を知ることができる扉となった。スティーブ・ジョブズがそれを実現したのだ

 ジョブズが三宅に出会ったきっかけがテクノロジーであったことは、決して偶然ではない。アップル社の創業者である故ジョブズは、伝記作家のウォルター・アイザックソンに語っている。

 アイザックソンの著書『スティーブ・ジョブズ』によると、ジョブズは1981年に三宅がソニーの社員のために作ったユニフォームのジャケットに魅了されたという。リップストップナイロン製で、ラペルがなく、袖のファスナーを開けるとベストになる。ジョブズはこのジャケットとその意味するところ(企業の絆)を非常に気に入り、アップルの従業員のために同様のスタイルを作るよう三宅に依頼した。しかし、このアイデアを持ってカリフォルニア州クパチーノの本社に戻ったとき、彼は「ブーイングを受けた」とアイザックソンに語っている。

 だが、アイザックソンの著書によれば、二人は友人となり、ジョブズはしばしば三宅を訪れ、最終的には三宅の服、黒のタートルネックを自分のユニフォームの一部として採用したという。首元の余分な折り返しをなくし、Tシャツやスウェットのような気軽さと、ジャケットのようなクールでミニマルなラインを併せ持つアイテムだった。

 三宅はジョブズのために黒のタートルネックを「100着くらい」作ったと、2011年に亡くなるまでそれを着ていたジョブズは本の中で語っている。(アイザックソンは、ジョブズのクローゼットに積み重ねられているのを見たと書いており、この本の表紙は、当然ながら黒いタートルネックを着たジョブズのポートレイトが飾っている)。

 リーバイス501やニューバランスの靴以上に、タートルネックはジョブズ特有の天才的な集中力の代名詞となった。朝、決断しなければならないことの数を減らし、仕事に集中するために彼が決めた制服のあり方。これは、後にマーク・ザッカーバーグやバラク・オバマも採用した服装の考え方だ。また、それは彼自身のスタイルだけでなく、アップル製品におけるエレガンスと実用性のさりげない融合をも示している。

 Gawker誌のライアン・テイトが書いたように、タートルネックは「彼を世界で最も認知されたC.E.O.にするのに役立った」。ブルームバーグのトロイ・パターソンは、“世俗的な修道僧の法衣”と呼んだ。セラノス社を設立したエリザベス・ホームズは、自身にジョブズのような才能があることを世間に認めさせるためにこのアイテムを着用したが、それほどこのスタイルはポップカルチャーに浸透していた。(イッセイミヤケは、ジョブズの死後、2011年にこのアイテムの生産を中止したが、2017年にアップデート版を「セミダルT」として発表した)。

 そんなことはどうでもよかった。その時点で、衣服への価値観全体が変容していたのだ。ジョブズが三宅と出会うまで、黒いタートルネックは主にビートニクやサミュエル・ベケットのもので、クローブタバコやダウンタウン、詩の朗読に関連していた(忍者や泥棒、夜の闇に溶け込みたい人たちとも関連していた)。しかしその後、それはパラダイムの転換を意味するようになった。

 そして、それは三宅なしではあり得なかった。ジョブズは、ファッションのいわゆるミューズのような存在ではない。しかし、三宅の服に惹かれた建築家やアーティスト以上に、彼はデザイナーを歴史上の人物とするアンバサダーとなった。デザインの窺い知れぬ聖域だけでなく、私たちの服に対する考え方をも形作ることとなった三宅の功績の、純粋に大衆的な部分の、である。

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