レガシーを進化させるサンローランのクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロ。今、自らの軌跡とストーリーを語る

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY LISE SARFATI, STYLED BY DELPHINE DANHIER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

アンソニー・ヴァカレロの物語①②はこちら

画像: トップス(参考商品)・パンツ¥253,000・靴¥187,000/サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ

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 ディオールのデビューショーで称賛を浴びたイヴ・サンローランとは違って、サンローランにおけるヴァカレロのデビューは手放しで絶賛されたわけではない。2016年9月、ファーストショーの会場として選んだのは改修工事中だったサンローランの本社予定地。ランウェイには、1982年にイヴ・サンローランが披露した、ジゴ袖(註:羊の脚のような形に膨らませた袖)のレザードレスのマイクロミニ版や、エディ・スリマンが2015年秋冬コレクションで発表した、片胸を露わにしたブラックレザードレス(スリマンも、1990年にイヴ・サンローランがデザインしたトーガドレスを下敷きにしていた)の新バージョンなどが現れた。その後、おぼつかなさを感じさせた数シーズンの間、ヴァカレロは独自の美の定義にこだわりながら(スカートやショートパンツの丈はどんどん短くなっていった)、同時にイヴ・サンローランのアイコニックなスタイル(ファーコート、タキシード、サファリジャケットなど)を踏襲しようとしているように見えた。親友のフリンによると、当時のヴァカレロはまるでデータを収集していくように、あらゆるフィードバックを吸収していたという。「アンソニー自身についてあれこれ取りざたされただけでなく、彼が創るドレスは下品すぎるとか、セクシーすぎるとか批判を受けていました。でも少なくとも彼が描く女性像は、どんなときもパワフルで、何事にも屈しないように見えました」

 スリマンと同様に、ヴァカレロもピエール・ベルジェの支持を得てようやく自信がもてるようになった。2017年、ベルジェが亡くなる数カ月前、モンテーニュ通りの裏にある行きつけの日本料理店でランチをしたとき、ベルジェから「イヴのまねはすべきじゃない。自分なりのサンローランを打ちだすように」と助言されたそうだ。幸い、ヴァカレロが手がけたウェアもバッグなどの小物も売れ行きがよく、彼には着実に前進していくための時間的な余裕が与えられた。この時代にこんなチャンスが得られるデザイナーはめったにいないだろう。彼のインスピレーションソースは主に、ルキノ・ヴィスコンティやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画作品だ。まず核となるキャラクターを見つけてからデザインに取りかかる。最近は「夜の出会いとか、ちょっと危険な薫りがする何か」に惹かれているという。映画好きな彼の嗜好を反映して、サンローランのショーはシネマティックな演出がされることが多い。これまで、モロッコのアガファイ砂漠や、カリフォルニアのマリブビーチの波打ち際など壮大なロケーションを舞台にしたショーが催されてきた。また新型コロナ対策として最も厳しい規制措置が取られていた2020年と2021年には、単なるショーの動画とは一線を画す、アーティスティックな短編映画を配信した。

 クリエイティブ・ディレクター就任当初のヴァカレロは、まるで〈ほかの誰かの作品〉のアートディレクションをしているように感じられるときがあったが、ここ数シーズンのショーを見ると彼が自分なりの世界を築き上げたことがわかる。昨年2月、2023年冬コレクションのショーはいつものようにエッフェル塔を望む庭園で行われた。そこに設置された巨大なブラックボックス内の舞台には、メゾンのコアアイテムであるスカートスーツが次々と現れた。その力強いパワーショルダーのジャケットを羽織れば、ファッション帝国がもたらすプレッシャーもはねのけられそうだ。シャンデリア(イヴ・サンローランがクチュールショーの会場としてよく使った、パリのインターコンチネンタルホテルのボールルームにアイデアを得た)の柔らかな光に照らされたモデルたちは、ヘルムート・ニュートンが写したファム・ファタルを彷彿させた。胸が見えるくらい襟元を深くカットしたトップスが象徴するように、エレガンスはセクシーさを完全に打ち消すものではない。両者はもはや対立する要素ではないのだ。このショーの約1カ月前に開催された2022–’23年秋冬のメンズショーでも、相反する二つの要素が見事に溶け合っていた。会場はパリの旧証券取引所(現在はケリング社の会長兼CEO、フランソワ=アンリ・ピノーの現代アートコレクションを収蔵・展示する美術館)。ランウェイとなった円形の大広場に登場したのは、かつてイヴ・サンローランが女性に着せたスモーキングを、再び男性向けにアップデートした一群のルックだ。ヴァカレロはすでにウィメンズで展開してきたシルエットを、ロマンティックなメンズウェアへと進化させたのだ。か細く青白い顔をしたモデルたちが身につけていたカウルネック(註:ゆったりとしたドレープが入ったネックライン)のシルクシャツや、巨大なボウタイつきブラウス、ハイネックニット、フーデットコートなどは、厳格でありながらふんわりとした軽やかさをたたえていた。ヴァカレロが手がけるサンローランは、もはやアーカイブの巧みな模倣ではない。そのクリエーションは時代の空気をはらんだフェティッシュでグラマラスな魅力を、絶妙に、鮮明に描きだしている。

「ファッション界に身を置いていたときは、ほかのデザイナーやその作品について、あれこれ言いたくなかったんだ」。こう切りだしたのは、今年初めに自身の会社を28億ドルで売却したトム・フォードだ。「自由の身になった今だから言うけど、アンソニーがサンローランで成し遂げてきたことは素晴らしいと思う。最近は写真映えだけして、とても着られないような服を創るデザイナーが増えている。ファッションショーもますます見世物化して、実際に買える服が提案されていないこともある。そんななかでアンソニーは、本当の服を創っている稀少なデザイナーだと思う」

画像: シャツ¥242,000・パンツ¥363,000・ブーツ¥187,000/サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ サンローラン クライアントサービス TEL.0120-952-746 MODELS: MCCABE TEEMS AT MARGAUX THE AGENCY, THURSDAY AT THE SOCIETY MANAGEMENT, NYLE KHAN AT HEROES MODELS AND YAHYA TARI AT AMR AGENCY. HAIR BY NENA SOUL-FLY AT THE ONLY AGENCY. MAKEUP BY HOMA SAFAR AT DAY ONE STUDIO USING WELEDA AND GLOSSIER. CASTING BY AFFA OSMAN AT CLM.

シャツ¥242,000・パンツ¥363,000・ブーツ¥187,000/サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ

サンローラン クライアントサービス
TEL.0120-952-746

MODELS: MCCABE TEEMS AT MARGAUX THE AGENCY, THURSDAY AT THE SOCIETY MANAGEMENT, NYLE KHAN AT HEROES MODELS AND YAHYA TARI AT AMR AGENCY. HAIR BY NENA SOUL-FLY AT THE ONLY AGENCY. MAKEUP BY HOMA SAFAR AT DAY ONE STUDIO USING WELEDA AND GLOSSIER. CASTING BY AFFA OSMAN AT CLM.

 6月の暑い午後、ヴァカレロはベルリンの「ソーホーハウス」(註:会員制のサロン兼ホテル)のプールサイドに腰かけていた。この街に来たのは、サンローランの2024年春夏メンズ・コレクションを披露するためだ。ショー会場として選んだのは、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ設計の、ガラスとスチールで構成された新ナショナルギャラリー。この圧倒的な存在感を放つ建築物は黄昏時が最も美しい。幻想的な夕闇をバックに、ハイウエストのスラックス、サテンのタンクトップ、ゆったりしたジャケットをまとったモデルたちが颯爽と現れた。このコレクションもまた、ヴァカレロがここ数シーズンにわたって研ぎ澄ましてきたビジュアルランゲージを明確に描きだしていた。ちなみに、ヴァカレロ自身はほとんど夜遊びをしなくなったらしいが(「年を重ねた今は睡眠のほうが大切」と言う)、このショーをナイトライフが盛んなベルリンで催したのは、彼が無意識のうちに〈触れられざるべき部分までをも含む、ムッシュ・サンローランのダークサイド〉にこだわっているからかもしれない。

 振り返ってみると、2008年のイヴ・サンローランの死(享年71)は、伝説的デザイナーの時代の終焉を予感させる出来事だった。手織りのジャカードジャケットに悪魔がモチーフのプリントを加えたアレキサンダー・マックイーンは2010年に自ら命を絶ち、問題発言でしばしば人々の怒りを買ったカール・ラガーフェルドは、2019年に帰らぬ人となった。また90年代のグラマラスなグランジスタイルを代表する反逆児、マーク・ジェイコブスとジョン・ガリアーノは、何年もかけてようやくアルコールなどの依存症から回復した。かつての私たちは、こうしたデザイナーの生き方と、彼らのクリエーションを結びつけようとしていた。彼らは、自身の美学を体現した、複雑でときに退廃的な人物であるにちがいないと期待していたのだ。だがヴァカレロの場合、服を通して彼が発信するビジョンと、彼の人生はほぼ無関係だ。ヴァカレロはファッション界における夢のポジションに就いてからも、その聖域の外側にいるアウトサイダーとしての視点を失わず、彼独自のアイデアを発信し、それを形にしている。

 ベルリンで催されたメンズ・コレクションの数週間前、ヴァカレロはカンヌ国際映画祭に出席した。彼が衣装デザイナー兼アソシエイトプロデューサーを務めた短編映画『Strange Way of Life』がプレミア上映されたからだ。監督はペドロ・アルモドバル。イーサン・ホークとペドロ・パスカルが扮するゲイのカウボーイのふたりが活躍する西部劇だ。今年に入ってヴァカレロは、サンローランが映画製作に乗りだすため「サンローラン プロダクション」を設立したことを発表した(イヴ・サンローランが、ルイ・ブニュエル監督の『昼顔』で主演を務めたカトリーヌ・ドヌーヴの衣装をデザインしたのが1967年。このときに始まったメゾンと映画の関係をさらに深めていくことが狙いだ)。こうしてサンローランは映画界に本格的に参入した初めてのファッションブランドとなった。「才能ある監督たちの映画作品に出合えたおかげで今の自分がある。これからはその監督たちと一緒に作品を創っていく」。これまで何十年もの間、映画やテレビを通じて文化を吸収し、あらゆるスタイルを学んできたヴァカレロ、今度は彼がそれを創りだす番だ。「ファッションと映画は本当によく似ているんだ」

 サンローランは2021年春夏コレクションを、9分間のショートムービーにして公開した。タイトルは『フレンチ・ウォーター』、監督はジム・ジャームッシュだ。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)や『ブロークン・フラワーズ』(2005年)などの作品で知られるジャームッシュは、このプロモーションフィルムの製作を引き受けたことに自分でも驚いている。「普通コマーシャルビデオの製作は受けないんですが、アンソニーのクリエーションにすっかり魅了されてしまって」。ふたりはSMSで定期的に「シュールな短編映画を作るためのアイデア」を交換し合った。全編から優美さが匂い立つこの映画のストーリーは、インディア・ムーア、ジュリアン・ムーア、クロエ・セヴィニーなどの女優が扮するパーティの招待客たちが、いなくなったり現れたり、またいなくなったりするというもの。また2016年にヴァカレロは、マイアミビーチで催された現代アートフェア「アートバーゼル」で、もうひとりの信頼できるコラボレーターに出会った。『アレックス』(2002年)や『エンター・ザ・ボイド』(2009年)など賛否両論を巻き起こす作品を世に送り出してきたギャスパー・ノエ監督だ。ふたりが知り合ってしばらくしてから、ノエはヴァカレロに次作のために出資してもらうことは可能か、可能な場合、出資条件は何かを尋ねた。ノエは当時自分がした質問をまだ覚えているそうだが、それに対し、ヴァカレロが出した条件は二つだけだった。映画に出演する俳優たちがサンローランの〈仲間〉になり、サンローランの服を着ること。ノエにはそれ以上ヴァカレロに聞くことなど何もなかった。「自分と同じ映画マニアの人に、なぜ映画マニアになったのかなんて野暮なことは聞けないから」とノエ。サンローランからの出資が決まり、ノエは映画の製作現場を風刺的に描いた『ルクス・エテルナ 永遠の光』(2019年)の撮影に取りかかった。女優のベアトリス・ダルとシャルロット・ゲンズブールが本人と同名の役で主演し、大部分がアドリブで作られたというこの長編映画は、カンヌ国際映画祭でも上映された。

 それから2年後、ヴァカレロとノエは再会を果たした。サンローランの2021年春夏コレクションをフィーチャーした短編映画『Summer of ’21』を製作するためだ。映画の冒頭に写しだされるのは、オレンジ色の不穏な光に包まれた密林。そこにたたずむ、モデルのアイラ・ピーターソンが扮する若い女性がひとりで怯えている。すると遠くから咆哮(ほうこう)のような恐ろしい物音が聞こえ、彼女は悲鳴を上げながら逃げ去っていく。やがて彼女はサンローランのアトリエによく似た大邸宅にたどり着き、躊躇(ちゅうちょ)しながらもそのドアを開ける。目の前に広がるのは、贅沢なウェアに身を包んだ美しい女性たちがくつろぐ夢のような空間。彼女はようやく落ち着きを取り戻し、そこに自分の居場所を見つける。

 サンローランの牽引役となって7年目を迎えるヴァカレロは〈モード史に燦然と輝くメゾンの後継者〉という呪縛から解放されたように落ち着き払っている。パリのサンローランのオフィスで彼が口を開いた。「最近はみんなが僕のことを理解してくれるようになった。まあこれがいいことなのかどうか、ちょっとわからないけど」。そもそも父親になってからは、他人の好みや要望をいちいち気にする暇がなくなったらしい。「以前よりストレートな物言いができるようになったし、妥協することも減った。単なる偶然なのかもしれないけど、リュカが生まれてから仕事のほうもさらにうまくいっている。あらゆる物事の中心にひとつのビジョン、ひとつのメッセージ、ひとつの何かがあって、すべてがつながっているように感じられるようにもなった」。そう話しながら、彼の目は部屋の壁のほうを向いていた。何もない真っ白な壁に立てかけられていたのは、フレームに入った写真のコラージュ。一面に子どもの写真が並んでいる。微笑むリュカ、遊んでいるリュカ、笑っているリュカ。それぞれのコマがひとつにつながって、自らが主人公の、人生という映画が鮮やかに紡ぎだされていくのだ。

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