国内外問わず、食の探求のためにさまざまな地に暮らしてきたノマドなエディター、ヤミー高山こと、高山裕美子さんがこのたび、北海道・十勝へ拠点を移し、冒険開始。食指も心も動かされた素晴らしい作り手たちに、北の大地を駆け抜けていま、会いにゆきます。今回は山を開墾して羊の放牧をする、羊飼いの夫妻を訪ねた

TEXT & PHOTOGRAPHS BY YUMIKO TAKAYAMA

たっぷりの愛情を注がれて健やかに育てられる、「ニニウファーム」の羊たち

画像: 「ニニウファーム」の牧草地。羊は10~15cmの短い草を好んで食べる。土地を耕し、肥料を敷き、種をまき、草刈りをするなど、牧草地の管理は重労働だ COURTESY OF NINIU FARM

「ニニウファーム」の牧草地。羊は10~15cmの短い草を好んで食べる。土地を耕し、肥料を敷き、種をまき、草刈りをするなど、牧草地の管理は重労働だ

COURTESY OF NINIU FARM

 仕事柄、国内外とさまざまな食に携わる生産者に会っているが、“羊飼い”と呼ばれる人たちに会ったのは、占冠村にある「ニニウファーム」の黒井宏諭(ひろつぐ)さんと光絵さん夫妻が初めてだ。羊飼いは、ひろびろとした牧草地で羊の放牧を行い羊肉として出荷、毛は刈り取って羊毛として販売することを生業としている。

 初めてふたりに会ったのは2021年3月。知り合いのシェフたちに連れられて「ニニウファーム」を訪れた。その時期は羊の出産のシーズン終盤。最後の一頭が出産する現場に立ち会わせてもらったのだが、宏諭さんはこの時期、畜舎に泊まり込んで24時間体制で出産のタイミングを見守っていたことを鮮明に覚えている。その夜、やっと生まれた子羊は息をしておらず、母羊が悼むように泣き続けていて、胸が締め付けられる思いだった。宏諭さんは子宮を触り、「もう1頭いる!」と小さな子羊が取り出されたのだが、子羊の息づかいは弱々しく、「朝までもたないかもしれない」と不安な夜を過ごした。朝になって元気よく母羊の乳をのむ子羊を見て、「ああ、よかった」とみんなで手を取り合って喜んだ。羊一頭一頭に対して愛情を注ぐ黒井夫妻に、羊たちが絶対的な信頼をもって集まってくる姿が忘れられなかった。

画像: 冬の間の畜舎。右が光絵さん、左が宏諭さん。ふたりが畜舎に入っていくと、甘えたい羊たちが次々と集まってくる PHOTOGRAPH BY YUMIKO TAKAYAMA

冬の間の畜舎。右が光絵さん、左が宏諭さん。ふたりが畜舎に入っていくと、甘えたい羊たちが次々と集まってくる

PHOTOGRAPH BY YUMIKO TAKAYAMA

 その後、「ニニウファーム」の羊肉を、イタリアンレストラン「ジロトンド」ほか東京のレストランでいただく機会が何度かあったのだけど、私は世界一おいしい羊肉だと思っている。どこか野性味があり、うまみが強いサフォーク種ならではの味わいもあるのだが、ふたりの羊への真摯な思いが味わいに反映されているように感じるのだ。
 今回、4年ぶりに「ニニウファーム」を訪れた。宏論さんと光絵さんが元気に迎えてくれたが、前回訪れたときはまさか自分が北海道に移住するとは思っていなかったのだから、人生は面白い。

「羊飼いになった最初のきっかけは、毎日自然の変化を感じられる場所に住みたい、という思いがはじまりでした」と宏諭さん。ふたりは札幌で居酒屋を経営していたが、昼夜逆転の生活を続けるのは肉体的にも精神的にも限界があると感じていたという。自然とともに暮らすには、どこで何をすれば生活ができるのか? ふたりとも犬が好きで牧羊犬のヘディングドッグを飼っていたが、“牧羊犬”つながりで、道内で羊飼いを職業にしている人たちと話す機会が増えた。
「羊飼いは歴史的にも古い職業。牧羊犬と一緒に牧草地から牧草地へと羊たちを移動させる、その仕事のスタイルがなんだかすごくかっこよく思えたんですよね」と宏諭さんは話す。「自分が自然のなかで生活したいという理想と、羊飼いという職業が合致したんです」

場所は、すでに害獣の鹿をとらえたりと狩猟の仕事で通っていた、村の面積の9割が山林という占冠村に的を絞り、札幌との二拠点居住という形で準備を進めた。「牧草地にできそうなところを探して土地を借り、木々を伐採して開墾して。住居のためのあばら家を修復するなど、休みを利用して占冠村に通いました。準備から、晴れて羊を飼うまで2年かかった」

画像: 手前の4匹がニュージーランド原産のヘディングドッグ。当初は牧羊犬として活躍してもらうつもりだったが、黒井家では日本の牧羊地の規模では必要ではないという結論となり、現在は楽しい同居人として存在感をアピール COURTESY OF NINIU FARM

手前の4匹がニュージーランド原産のヘディングドッグ。当初は牧羊犬として活躍してもらうつもりだったが、黒井家では日本の牧羊地の規模では必要ではないという結論となり、現在は楽しい同居人として存在感をアピール

COURTESY OF NINIU FARM

 2014年に完全移住し、雄羊1頭、妊娠している雌羊6頭、子羊1頭と共に2ヘクタールの牧草地からスタート。羊飼いの知識は専門書や海外のインターネットで得たもののみだったという。不安じゃなかった?と聞いたところ、「“俺は羊飼いになる”という、バカからくる自信しかなかった(笑)。なんでも自分でやってみないと納得できない性格。扱う羊も育てる環境もそれぞれだから、本に書いてあることが必ずしもベストな方法でないこともある。羊専門の獣医もいないので、問題が起こるたびにそのつど解決法を考えていましたし、失敗もたくさんありました」

 目指すのは、羊たちが自然のなかでストレスなしで過ごすことで本来もつ力を呼び戻し、病気に強くて健康な羊を育てること。10年の間に牧草地は20ヘクタールまで広がり、羊の数は多いときで子羊を含めて150頭前後。羊の数を増やしすぎると寄生虫のリスクが高まったり、自分たちの目がすべての羊に届かなくなることを実感し、羊生産者のなかでは決して多くはないこの頭数を維持している。

画像: 雪のなかで干し草を食む羊たち。占冠村は雪が最大1メートル積もることも。2月中旬から3月上旬が出産シーズンになる COURTESY OF NINIU FARM

雪のなかで干し草を食む羊たち。占冠村は雪が最大1メートル積もることも。2月中旬から3月上旬が出産シーズンになる

COURTESY OF NINIU FARM

「ニニウファーム」の周りには、鹿やヒグマ、キタキツネ、野鳥など多くの野生動物が生息。普段から宏諭さんは山に入り、敷地内のヒグマが行きそうな場所の草を刈るなど整備を行っているのだが、それは羊たちを守ることにつながると話す。「自分たちは羊を連れてやってきた新参者。わざと大きな声で羊たちを呼んでみたりすることで、ヒグマに“人間がここに住んでいるよー”と知ってもらう。お互いの領域を犯さないように共存できるのが理想」。一昨年、初めてヒグマに2頭の羊が襲われた。その年は山ぶどうやどんぐりがならず食料がないため、ヒグマが山奥から下りてきたのだ。「ヒグマに関わらず、ディフェンスが手薄になると自然界とのバランスがくずれて何かが起こる可能性が高くなる。僕は狩猟も大切な生活の糧なので山に入る機会も多いですが、自然や野性について理解できていることなんて一部分しかない。ここで生活していくうえで、自然との共存バランスを保つ方法を考え、失敗しながらも工夫していくという営みが、自分たちの生きる活力であり、喜びでもあるんです」

画像: 「ニニウファーム」の仲間たち。左から烏骨鶏と名古屋コーチンの鶏たち、ヤギの長老モク、にゃんこ先生 COURTESY OF NINIU FARM(左・右)、PHOTOGRAPH BY YUMIKO TAKAYAMA(中)

「ニニウファーム」の仲間たち。左から烏骨鶏と名古屋コーチンの鶏たち、ヤギの長老モク、にゃんこ先生

COURTESY OF NINIU FARM(左・右)、PHOTOGRAPH BY YUMIKO TAKAYAMA(中)

「占冠は冬はマイナス32℃にもなる寒い地域。春になると今まで畜舎で過ごしていた羊たちが、待ち遠しかった!という風に牧草地に飛び出していくんです。それを見ると自分もうれしくなりますね」と光絵さん。「羊を通して、シェフたちや、羊毛で作品を作るニットデザイナーやフェルト作家さんなど、いろんなジャンルのおもしろい人と出会うことができたし、羊たちのおかげだあなぁと」
宏諭さんも光絵さんも全力で羊たちに接し、愛情を注ぎ、山の生活を謳歌している。
 唯一無二ともいえるおいしい羊肉の秘密は、加工へのこだわりにもあることが判明。と畜場に運ばれた羊たちが解体された後、精肉にするための加工は宏諭さん自らが行っているのだ。食肉処理技能士の資格を取り、加工所も自分で建てたという。つまり、最短で精肉加工されるため、抜群の鮮度で流通されるということにもなる。「大切に育てた羊たちですから、最後まで責任を持ちたいんです」

画像: 羊たちと満面の笑顔の光絵さん。元料理人で、料理も美味。前にいつか宿泊施設を作りたいと話していたが、「今はとてもじゃないけど忙しくて無理、無理!」と笑う COURTESY OF NINIU FARM

羊たちと満面の笑顔の光絵さん。元料理人で、料理も美味。前にいつか宿泊施設を作りたいと話していたが、「今はとてもじゃないけど忙しくて無理、無理!」と笑う

COURTESY OF NINIU FARM

「ニニウファーム」
公式インスタグラムはこちら

高山裕美子(たかやま・ゆみこ)
エディター、ライター。ファッション誌やカルチャー映画誌、インテリアや食の専門誌の編集者を経て、現在フリーランスに。国内外のローカルな食文化を探求することがライフワーク。2024年8月に、東京から北海道・十勝エリアに引っ越してきたばかり

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