BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

美味しさの生まれる、清らかな窓辺。「日々の料理」にて
《EAT》「日々の料理」
いのちを育む、暮らしの滋味

柾目の杉のお重に楚々と咲く、季節のちらし寿司。ハナダイは塩水で締め、カゴカキダイは軽く炙り、イサキは醤油ベースで味を含ませた
呼吸をすること、食べること、散歩をすること、眠ること。そんな当たりまえの生きる営みを、淡々と丁寧に続けるには小さな覚悟が必要だ。自分を慈しむことから心が離れるほど、慌ただしい時間を過ごしていたなか、「日々の料理」を訪れた。高台の住宅街、Googleマップを見ながら辿り着いた位置には、一見して料理店らしきものが見つからない。狭い路地の端に、さりげなく置かれた看板を頼りに奥へと進むと、居住まいを正した日本家屋の入り口で、店主の坂間洋平さんと料理人の上田碧さんに出迎えられる。
玄関いっぱいに吊り下げられたのは、フィンランドの伝統装飾であるヒンメリだ。そのおおらかな影を抜けると、堂々としたカウンターが空間を一文字に横切る。7席限りのアンティークの肘掛け椅子にはギャッベのクッションがあしらわれ、今も現役の古いアラジンのストーブや、天井で舞うヒンメリ、窓辺に並ぶ土鍋や野辺の枝木も視界を満たす舞台装置のようだ。

イーゼルに掲げたアイアンの看板が目印

そこかしこに吊り下げたヒンメリが、壁やカウンターに穏やかな影を映し出す
店主の坂間さんは結婚を機に整体を学び、夫婦で大磯に「さかま整体所」を開業。地元のコミュニティーに参加するなかで、2014年に旧い木造の電気部品工場を活用する機を得る。「“今”の暮らしに“古き”良き知恵を取り入れ、より豊かな“今”をうむ」という願いから建物を「今古今(こんここん)」と名付け、ギャラリーとして幕開ける。次第に、人が絶えず自然と集えるようにと料理を提供する「日日食堂」を内包するようになった。
「今古今と日日食堂」を運営しながら坂間さんは、大磯に存在しない要素を持ち込むことで街づくりの一手を担うことを考えていた。だが、あるとき「無理に特別なことを持ちこまなくても、大磯は十分に素敵なものに満ちている」と教えられる。それが、当時19歳で今や料理のパートナーとなった大磯生まれの上田 碧さんだ。「この言葉から、大磯の人々は自分の “箱庭”をそれぞれの速度で育むということが見えてきた。暮らしを軸に据えた優雅さこそが、この街の魅力だと気付かされた」(坂間)。“日々”に光を注ぎ9年の月日を経た「今古今と日日食堂」は、2023年に食べること慈しむ「日々の料理」として再スタートをきった。

店主の坂間洋平さん。京都ではバーを営み、貴船の料亭で料理の修行をした経験もある

「栗を扱うときには、栗の気持ちになって扱う」と語る上田 碧さん。料理の完成に至るまでの、イメージやプロセスも大切にしている
「日々の料理」で振る舞われる料理は、すべてがコース仕立て。「これまでのお客様の最高齢は101歳。全てを食べ切ってお帰りになりました」というエピソードを聞くだけで、どれほど尊い味わいかを思い描く。この日、オーダーしたのは季節のちらしコースだ。最初の一皿は「季節野菜のおひたし」。大根や葱、複雑な青味を含んだアブラナの交雑種を、昆布とかつおの出汁にたっぷりと浸す。透き通るような野山のエッセンスが、じんわりとお腹を潤す。定番の「ポタージュの茶碗蒸し」は、季節の白い野菜たちと米が混然一体となった“お米のポタージュ”が優しさを運ぶ。主菜となる「大山鶏と秋野菜のふきよせ」を味わいながら、目はちらしの具を愛おしそうに盛り付ける上田さんの手元を追いかける。美辞麗句で語り尽くせない美味しさの秘密を探るべく、素材について尋ねると、意外だったのは地産地消には固執していないということだった。「同じ産地の人参一本でも個体差がある。だからこそ大切なのは産地ではなく、じっくりと食材の個性と向き合い、その日その日の味を実直に表現すること」(坂間さん)。

ふくよかな出汁が香る「季節野菜のおひたし」

同店のシグネチャー「ボタージュの茶碗蒸し」
コースの最後にお願いしたのは、店を訪れる前から気になっていたコーヒーである。扱う豆は、写真家の蓮井幹生さんが自家焙煎した深煎りの豆。ネルドリップだと和食の余韻には強すぎるため、一晩かけて水出しで落としているという。ホットコーヒーでお願いすると、上田さんが手際よくラップフィルムと温度計を取り出す。コーヒーの香りがとばないように、適温で湯煎をするためだ。その一連の所作から、人目に触れない美味しさへの探究心が垣間見られた。
店をあとにすると、不思議と足取りが軽やかになっている。生きる底力を得て、地球の重力の海を軽やかにクロールしながら進むようだった。

コーヒー豆の品種は世界でも最高峰といわれるゲイシャ。挽いた豆に水が均一に沁み渡るよう、淹れ方にもさりげない含蓄が秘められていた
「日々の料理」
住所:神奈川県大磯町東町2-3-12
電話:0463-71-5474
公式サイトはこちら
《EAT》「拙宅」
昼膳で味わう野菜のオーケストラ

オープンキッチンからは店内のすみずみまで見渡せ、絶妙のタイミングで料理が運ばれる
大磯の海と大地を存分に味わえる新進気鋭の店があると聞き、訪れたのは2024年にオープンした「拙宅」。店を切り盛りするのは、「湯河原惣湯」で若くして料理長をつとめた料理人の松村康基さんと、同じ職場でデザートを担当していた妻の綾子さんだ。店名の由来を尋ねると、「独立する前から、休日に自宅で食事会を開き、料理をふるまっていた。自分の店を持つなら自宅でもてなすような、ゆっくり寛いでいただける店にしたかった」と松村さん。
ふたりが渾身の野菜料理をふるまう所以は、大磯町の農園「uramachi FARM」との出会いにある。農薬や化学肥料を使わずに緑肥を用いた元気な土づくりから手掛けることで、安心して食べられることはもちろん、本来の個性が際立った野菜が何にも変え難い料理の礎となっている。

直接仕入れることで、旬の朝採れ野菜をはじめ珍しい野菜とも巡り合えるとか

とりどりの前菜は、あたかも野菜のオーケストラ
築60年を超える心地よい古民家で、さっそく昼膳コースをいただくことに。コースの序奏は、味わいも彩りも豊かな前菜。下味をしっかりと含ませ素揚げした里芋は、添えられた柚子胡椒が洒脱な変化をもたらす。冬瓜と蓮根のマリネ、ゴマの風味とひじきの余韻に包まれる金平のサラダ、白菜とお揚げの蒸し煮も味わい深い。クライマックスの主菜はエボダイのあられ揚げ。まわりを彩るのは、銀杏や柿のマリネ、紫大根のグリルなど。ご飯は蕪菜と干し椎茸に、菊が深まる季節の彩りを添える。妻・綾子さんが手がけるデザートは、生姜プリン。つるりとした食感とすりおろした生姜のさっぱり感、トッピングした小豆や落花生の塩けとシロップの甘味が織りなす、絶妙なハーモニーにハッとした。見慣れた野菜、知り尽くしたはずの野菜料理に、爽やかな風が吹いたような体験となった。

この日の主菜は「季節魚のあられ揚げと旬野菜」

白玉と茹で落花生、小豆をあしらった生姜のプリン

年月を重ねた静かな空気が流れる古民家
「拙宅」
住所:神奈川県大磯町大磯1622
電話:090-4835-3124
公式インスタグラムはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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