アートとの関わりからブランド像を読み解く連載の第三回は、シャネル。世界で唯一のシャネルのカルチャースペース<シャネル・ネクサス・ホール>について、その生みの親であるシャネル合同会社会長のリシャール・コラスが語った

BY JUN ISHIDA

画像: <シャネル・ネクサス・ホール>で開催中の「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」(〜10月2日) ©CHANEL

<シャネル・ネクサス・ホール>で開催中の「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」(〜10月2日)
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 シャネルの日本最大級の店舗であり、銀座のランドマークの一つともなっている「シャネル 銀座」。この建物の4階に、世界中にあるシャネルの店舗の中で唯一、カルチャーに特化したスペースがある。<シャネル・ネクサス・ホール>(以下、ネクサス・ホール)は、2005年に誕生して以来、展覧会や音楽会を定期的に開催し、ユニークなプログラムを発信している。そしてこの試みをリードするのは、ネクサス・ホールの生みの親であるリシャール・コラスだ。

「2004年にオープンした<シャネル銀座>のコンセプトを考えていた時に、何か文化的なことを行うスペースを作りたいと思いました。パリの本社は特に関心を示さず、好きにやればと任せてくれたのがラッキーでしたね。建物をデザインしたピーター・マリノは、長く続かないからブティックと繋げたほうがいいと冗談交じりに言いました(笑)。でも逆にそうしたことが私の心に火を付け、『プログラムを年間300日やるぞ』と決意したんです」

画像: 2011年「バコマ美女 ルシール レイボーズ写真展」写真家のルシール・レイボーズはKYOTOGRAPHIEの創設者&ディレクター。シャネルは2013年のKYOTOGRAPHIEスタート時よりサポートしている。 ©CHANEL

2011年「バコマ美女 ルシール レイボーズ写真展」写真家のルシール・レイボーズはKYOTOGRAPHIEの創設者&ディレクター。シャネルは2013年のKYOTOGRAPHIEスタート時よりサポートしている。
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 そもそもブランドの創始者であるガブリエル・シャネルは、多くの芸術家との交流で知られた人物だ。ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、サルバトール・ダリ、セルゲイ・ディアギレフ……。名前を挙げれば切りがないほど、ガブリエルは芸術家たちを愛し、そして彼らの活動を支援した。精神分析医で、彼女の伝記も書いたクロード・ドレは、「シャネルはビグマリオン。人の才能を引き出すのが上手い」と述べたと言う。

 ネクサス・ホールは写真展とクラシック音楽に特化したプログラムを展開しているが、これはコラスのアイデアだ。写真はファッションには欠かせないメディアだが、ガブリエルもポートレイトをマン・レイやロベール・ドアノーに撮影させるなど、その造詣の深さを窺わせる。映画監督としてキャリアをスタートする以前のロベール・ブレッソンに、シャネル専属のスチール・カメラマンとしてメゾンの商品を撮らせていたのも、先見の明のある彼女ならではのエピソードだ。そして音楽もまた、ガブリエルにとって身近な存在だった。20世紀ロシアを代表する作曲家イゴール・ストラヴィンスキーとの親交は、映画にもなっている。

画像: 「シャネル・ピグマリオン・デイズ」。2018年の室内楽の演奏風景。

「シャネル・ピグマリオン・デイズ」。2018年の室内楽の演奏風景。

 コラスはクラッシック音楽の若い演奏家たちを支援する目的で、ネクサス・ホールの開館時から「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というプログラムを行っている。毎年5人の若手音楽家を選出し、年5回ホールで演奏を行う機会を提供するというものだ。
「日本の若い音楽家は、技術レベルは高いのですが、パーソナリティを育てる機会にはなかなか恵まれません。自分の世界が広がるよう、ここで経験を積んでいただくのが目的です。プログラムでは、演奏するだけでなく、曲や楽器についても話をしていただきます。またシャネルならではの試みとして、メイクのアドバイスも行います。2005年以来、78名の方々をサポートしてきましたが、一年のプログラムが終わった時、彼らに変化が見られるのが嬉しいですね。プログラムを立ち上げた時は、日本の音楽学校に生徒を推薦していただくよう、説明するところから始めて非常に大変でした。でも今や多くの学生たちから申し込みがあり、公演観覧の応募も、とても高い倍率での抽選を実施するようになりました。今の若者たちはクラシックを聴かなくなりましたが、自分の目で観て耳で聴いたら、興味を持っていただけるのでないかと思います。きっかけさえあれば、自分の人生、生活の中でも生きていくようになるのではないでしょうか」

画像: サラムーン 2018年「巡りゆく日々 サラ ムーン写真展」 ©CHANEL

サラムーン
2018年「巡りゆく日々 サラ ムーン写真展」
©CHANEL

画像: メイプルソープ 2017年「MEMENT MORI ロバートメイプルソープ写真展 ピーター マリーノ コレクション」 ©CHANEL

メイプルソープ
2017年「MEMENT MORI ロバートメイプルソープ写真展 ピーター マリーノ コレクション」
©CHANEL

画像: 2022年「Soul ジェーン エヴリン アトウッド写真展」 ©CHANEL

2022年「Soul ジェーン エヴリン アトウッド写真展」
©CHANEL

 1972年に初来日した目的が、ニコンのカメラを買うためだったという写真好きのコラスらしく、写真展にも独自のこだわりがある。ネクサス・ホールでは、若手から大御所まで幅広い写真家の展覧会を行っているが、若手がプロジェクトを提案した場合、気に入ればシャネルが制作費をサポートし、作品のクリエイションについては白紙委任しつつ一緒に展覧会を形にしていく。そして大御所の場合は、日本でやっていないことを試みてもらうというのが基本姿勢だ。
「バランスが大切なので、ネクサス・ホールを認知してもらうためにも有名なアーティストの展示も行いますが、彼らには日本で見せたことのないものを展示していただきます。例えばサラ・ムーンの展示ならば、人々は彼女らしい写真を期待します。でも、我々は、そうしたイメージからちょっと出たものをお願いするんです。新しい試みを厭わないことは、ガブリエルのスピリットにも通じます。彼女は誰も考えていないこと、場合によってはショッキングと捉えられることを行いました。しかし目的はショッキングなものとして話題を集めることではありません。あくまで新たな世界を見せることなのです。日本はなかなかそうした議論を巻き起こすものは見せたがりませんよね。例えば、ロバート・メイプルソープは『ポルノか?芸術か?』と問われる作家ですが、私たちは彼のヌード作品も展示しました。展示にはショッキングな写真もあると告知しましたが、観客からネガティブなコメントはありませんでしたね。今年の春には、ジェーン・エヴリン・アトウッドによる女性刑務所に収監された女性たちの写真を展示しました」。

画像1: 「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」展示風景 ©CHANEL

「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」展示風景
©CHANEL

画像2: 「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」展示風景 ©CHANEL

「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」展示風景
©CHANEL

 ネクサス・ホールでは、現在、ジャーナリストで写真家のアンヌ・ドゥ・ヴァンディエールによる個展「シャネルを紡ぐ手」が開催中だ。シャネルが2019年にパリの19区に開設した、メティエダールの工房を集めた施設<le19M>をテーマとしたもので、アンヌはそこで働く様々な職人たちの“手”を撮影した。
「le19Mのプロジェクトは、故カール・ラガーフェルドがきっかけとなったものです。オートクチュールを作るの欠かせない手仕事の工房がこのままだと無くなってしまう状況を鑑み、工房をシャネル社の傘下に収めることを始めました。彼らに良い環境を与え、自由に仕事をしてもらうことが目的です。今では50ほどの工房が集まりました。彼らのために作った施設がle19Mで、その名の通りパリ郊外の19区にあります」。
 アンヌは、1ヶ月半ほどの時間をかけ、le19Mにある工房と、オートクチュールのアトリエなど15の場所で撮影を行った。ネクサス・ホールでは工房ごとにコーナーが設けられ、各20点ほどの写真がギュッと一つの塊をなすかのように展示されている。写真は全てモノクロで、作業する職人の手がクローズアップで撮られている。マニュキュアや指輪を身につけたお洒落心を感じさせる手、樹木の年輪を思わせる熟練した手……。一つ一つの手は、目にしたことのない人物へと思いを馳せさせ、空想の物語が生まれてゆく。
「le19Mがパリにできたので、それに呼応するような展示を日本で行いたいと考えていたのです。アンヌが30年ほど前にヴォーグ誌で撮影した職人のためのプロジェクトを見て、彼女にオファーしました。工房の知識が豊富なスタッフが撮影をエスコートしたのですが、アンヌはストロボを使わず自然光で、静かに素早く撮るので、作業を邪魔することもなく、職人たちも喜んで撮影に協力したようです。彼女には何か職人と通じ合うものがあったのでしょう。展示プランも全てアンヌが考えました。214点という、これまでの展示の中でも一番多い写真点数になり、どうなるものかと心配していましたが、完成したものを見て、彼女の考えがわかりました。塊で見せることにより、ストーリーの中に入り込んで行けるのです」

画像: 「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」刺繍アトリエ「モンテックス」の手仕事。 ©Anne de Vandière

「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」刺繍アトリエ「モンテックス」の手仕事。
©Anne de Vandière

画像: 「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」靴のアトリエ「マサロ」の手仕事。 ©Anne de Vandière

「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」靴のアトリエ「マサロ」の手仕事。
©Anne de Vandière

 こうした日本独自の活動に刺激されたのか、シャネル本社でも変化が起きた。2020年、本社に文化部が立ち上がり、英国<サーペンタイン・ギャラリー>のCEOであったヤナ・ピールが責任者に就任した。
「ガブリエル・シャネルは、20世紀において多大な影響力を持った人物であり、彼女のおかげで成功したアーティストも数多くいます。シャネルにとって、アーティストをサポートすることは自然なことであり、アートはシャネルのアセットの一つです。ネクサス・ホールは来年20周年を迎えます。私はもう引退ですが、ヤナさんとネクサス・ホールがどのように連携してゆくのか、楽しみですね」

画像: リシャール・コラス シャネル合同会社会長。1953年生まれ。フランス、オード地方出身。1975年、パリ大学東洋語学部卒業後、来日。1985年シャネルに入社、1995年シャネル株式会社代表取締役社長に就任、2018年より現職。作家としても精力的に活動し、2006年に小説「遥かなる功績」を出版。最新作の「Le Dictionnaire amoureux duJapon」を含み、現在までに著書は9冊を数え、日本・フランスで出版されている。2008年日本政府より、旭日重光章受章、母国フランスでは2006年にレジオン・ドヌール勲章、2014年国家功労勲章オフィシエを受章。 ©Lucille Reyboz

リシャール・コラス
シャネル合同会社会長。1953年生まれ。フランス、オード地方出身。1975年、パリ大学東洋語学部卒業後、来日。1985年シャネルに入社、1995年シャネル株式会社代表取締役社長に就任、2018年より現職。作家としても精力的に活動し、2006年に小説「遥かなる功績」を出版。最新作の「Le Dictionnaire amoureux duJapon」を含み、現在までに著書は9冊を数え、日本・フランスで出版されている。2008年日本政府より、旭日重光章受章、母国フランスでは2006年にレジオン・ドヌール勲章、2014年国家功労勲章オフィシエを受章。
©Lucille Reyboz

「シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」
会期:〜10月2日
会場:シャネル・ネクサス・ホール
住所:東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階
開館時間:11時〜19時(最終入場〜18時半)
入場料:無休
電話:03(6386)3071
公式サイトはこちら

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