BY JULIA HALPERIN, PHOTOGRAPHS BY MELODY MELAMED, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

アーティストのシャロナ・フランクリン。カナダのブリティッシュコロンビア州のビクトリアにある住居兼スタジオで2025年7 月3 日に撮影。
1991年春のある日の午後、アーティストのジョセフ・グリゲリーはロウワー・マンハッタンにあるルーリング・オーガスティン・ギャラリーで開催中の『The Blind(盲目であること)』と題された展覧会にふらっと立ち寄った。見知らぬ人々との出会いを、覗き見するかのような親密さで描写した作品でカルト的な人気を集めるフランス人コンセプチュアル・アーティスト、ソフィ・カルの展覧会だった。ギャラリーの中に入ると、生まれつき目が見えない人々の顔写真が飾られ、その隣にはカルが彼らに尋ねた「あなたが考える美のイメージとは?」という質問に対するそれぞれの答えが展示されていた。
それを見た瞬間、グリゲリーはまるで誘惑されたような気持ちになった。彼自身、赤ん坊のときに右耳の聴力を失い、10歳のときには両耳の聴力を完全に失った。丘で転げ回って遊んでいたとに、左耳の鼓膜に木の枝が貫通したのだ。「あの展覧会では、自分がそれまで一度も見たことがないような手法で、障害をそのままダイレクトに描いていた」と彼は今年6月にZoomでのオンライン取材で私に語った(長年グリゲリーの手話通訳を務めている人が、私の質問を手話で彼に伝えてくれた)。カルの展覧会では、題材である視覚障害者たちのポートレート写真と、彼らが寄せたカルへの回答、そして、その回答に出てくる場所や布や色彩などのイメージを表現した写真がセットで、それぞれ額縁に入って飾られていた(その中には「私をワクワクさせる美しさとは、力強くて筋肉質な男性の身体だ」という回答もあった)。
だが、現在68歳になるグリゲリーは、その展覧会の当日、ワシントンD.C.の自宅に戻るまでの車中でふとザワザワした気持ちに襲われた。ニュージャージー・ターンパイク有料道路で渋滞に巻き込まれた彼は、持っていた紙切れにカルへのメッセージを書き始めた。彼は健聴者と会話するときに備えて、常に何枚かの紙切れを持ち歩いているのだ。その後、彼は同じ展覧会をさらに7回見に行き、カル宛てに32通の手紙を書いた。それらの書簡は《Postcards to Sophie Calle(ソフィ・カルに宛てた絵葉書)》(1991年)と題され、障害を題材にした美術の歴史の中で影響力を持つ作品のひとつとなった。

アーティストのジョセフ・グリゲリーの作品《Postcards to Sophie Calle (ソフィ・カルに宛てた絵葉書)》(1991年)の中の文書。
PAUL LITHERLAND; JOSEPH GRIGELY, MANUSCRIPT FOR “POSTCARDS TO SOPHIE CALLE,” 1991, COURTESY OF THE ARTIST.
カルの展覧会が開催された時期は、米国の障害者の権利が正式に認められた歴史的なタイミングと重なっていた。彼女の展覧会の1年弱前に、米国議会が障害者への差別を禁じる「障害のあるアメリカ人法(ADA)」を可決したのだ。カルの展覧会の最終日に、グリゲリーはギャラリーの外で自分が書いた文章のコピーを通行人に配布した。「障害のある人々に向かって、彼らに何が欠如しているのかを指摘するのは簡単だ。だが、障害者たちの声に耳を澄ませて、彼らがすでに持っているものは何なのかを理解することははるかに難しい」と彼は書いた。彼がカルに宛てた書簡の最後は、ひとつの提案で締めくくられていた。
「ソフィ、たとえば、君がもらったものをいつの日かお返しするというのはどうだろう。目の見えない人たちがたくさんいる部屋の中で、あなたが精神的に素っ裸になって、彼らが指で自由にあなたの身体をなぞれるようにするのはどうかな。あなたが彼らの身体じゅうに自由に視線を這わせて、観察してきたように」
グリゲリーは障害のあるアメリカ人法(ADA)が施行されれば、社会が劇的に変わるはずで、そうなれば自分の作品《ソフィ・カルに宛てた絵葉書》はすぐに時代遅れになるだろうと予測した。だが彼のその予想は大きくはずれた。現在でも世の主流の文化は、いまだに障害を隠すべきもの、または矯正するべきものだとみなしている。そして第二次トランプ政権は、発足後半年ほどで、高齢者医療と障害者福祉をカバーするメディケア・プログラムと、低所得者への食料費補助プログラムの予算を削減した。このふたつのプログラムは、何百万人もの障害のあるアメリカ人に支援を提供するものだ。それだけでなくトランプ政権は、商業施設や企業が障害者へのアクセスを拡大できるようノウハウを具体的に示してきたADA関連のガイダンス項目の表示も縮小してしまった。

フランクリンの作品《Utricle Quilt―Membrane Comforter (小嚢のキルト―膜の布団)》(2023年)には点滴用チューブや使用期限が過ぎた薬品などの素材が使われている。
SHARONA FRANKLIN, “UTRICLE QUILT — MEMBRANE COMFORTER,” 2023, COURTESY OF THE ARTIST AND BRADLEY ERTASKIRAN GALLERY.
そんな現在の政治状況を受けて、障害のあるアーティストたちが、これまで以上に、障害や慢性的な疾患そのものを題材にして作品を作るケースが目立ってきている。それは組織化された運動ではなく、各地で広範囲に見られる新しいムーブメントだ。たとえば38歳のカナダ人アーティストのシャロナ・フランクリンは、薬草や鉄製のネジ、そして注射器やその他の器具をゼラチンで固めて彫刻を作る。フランクリンは子どもの頃に全身型若年性特発性関節炎、別名スティル病に罹患していると診断された。その治療のために医師から処方され、すでに使用期限が切れてしまった薬品も、作品の材料として時々使っている。また、38歳のキャロリン・ラザードは2018年に《クリップ・タイム》という映像作品を制作した。カメラがラザードの両腕を上から映し出すと、彼女の両手が、大量の錠剤を曜日ごとに色鮮やかなピルケースに振り分けていく。山盛りのカプセルを手のひらでつかむたびにカタカタという音が繰り返し響く。彼女の指がピルケースの多数のフタを指で閉めるたびにパチンパチンと音がする。そんな音は、ラザードが罹患している自己免疫疾患のような慢性的な病につきものの、単調でうんざりするプロセスを表している。さらに34歳のジェロン・ハーマンは、脳性麻痺のアーティストでダンサーでもあり、ほかのアーティストたちと共同でパフォーマンスを行っている。彼いわく「自由というもののイメージ」を表現しているのだという。
障害のある人々が手がけた芸術作品が次第に日の目を見るようになってきたが、裏を返せば、1980年代になるまで多くの障害者たちが、日常的に施設に収容され、通常の世界から隔絶されていたという事実が存在する。我々の文化と障害の関係性をこれまでと違う次元に変容させたのが、エイズの登場だった。より多くの人々がこのまったく新しい健康危機と格闘する時代が到来すると、アーティストたちはその衝撃の大きさを作品で表現しようと模索した。たとえば、写真家のジョン・ダッグデイルはエイズによる合併症で視力を失い始めると、サイアノタイプ(註:感光紙を用いた古典的なプリント技法。青写真とも言われる)を使って作品を制作している。

フランク・ムーアの作品《Beacon (かがり火)》(2001年)。HIV陽性の診断を受けた後のムーアは、自身が実際に病院で受けた治療を象徴するようなアイテムを、次々に作品に描き込んでいった。
FRANK MOORE, “BEACON,” 2001, OIL ON CANVAS OVER FEATHERBOARD PANEL, COURTESY OF THE GESSO FOUNDATION AND SPERONE WESTWATER, NEW YORK
画家のフランク・ムーアは、1985年に自らがHIV陽性であることを知った。治療を受けて闘病する中で、彼は自分の作品の中に、棺桶や病院のベッド、さらに自分が服用した山のような大量の錠剤を新たな記号として描き込んだ。2010年代初頭には、障害のあるアーティストたちはソーシャルメディアを通して互いにつながり、観客もネット上で獲得していった。一般の人々が彼らの作品に急に興味を持ち始めたのは、コロナ禍のときだ。多くの障害のあるアーティストたちがそれまで何十年間も格闘してきた問題が、突然、それ以外の属性の人々にとっても一番の関心事になったからだ。たとえば、人々のコミュニケーションの間にテクノロジーが介入することにより、本来の意味がそのまま伝わらず、互いに誤解する場面も増えた。医療分野における官僚主義と階級格差によって、治療を受けられる層と受けられない層の分断が進み、孤独や、生身の人間の身体の脆もろさが露呈した。
▶後編へ続く
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