BY TAMAKI SUGIHARA, PHOTOGRAPHS BY TAKASHI EHARA, EDITED BY MICHINO OGURA
都内から秩父方面へ、電車で1時間。平地と山地が対峙する関東平野の西端の、町と自然を分ける“キワ”のような場所に、鴻池朋子の工房「ヒノコスタジオ」はある。外観は質素なプレハブ建築。だが、室内は時間の厚みを感じさせる。使い込まれた工具や機材、動植物をモチーフとした作品群、謎めいた大量の指人形――。鴻池の過去の展覧会名にならえば、そこには、自身の力になるものを集めた「ハンターギャザラー(狩猟採集民)」の棲家をのぞくような楽しさがある。
この場所ではもっか、青森県立美術館で7月13日から開催される個展『鴻池朋子展 メディシン・インフラ』の準備が進行している。取材時に制作していたのは、「東北から海を越え旅する地」を自身の経験を起点に木炭で描いた巨大な地図だ。東日本大震災以降、何度か挑戦するも「うまくいかなかった」構想だが、「ようやくできる」と感じて手探りで描き始めた。「私たちって、経験より先に地図を与えられますよね。でも、それを手に実際の土地を歩くと、頭の中に普通の地図には載っていない自分だけの地図ができてくる。その過程は『絵が生まれてくる感覚』に似ていて、その感触の痕跡を描こうとしています」
社会の管理化が進み、どんなリスクも事前に避けられる現代にあって、鴻池ほどアートの世界のルーティンを疑い、独自の「けもの道」を拓(ひら)いている作家はいないように思える。2022年に高松市美術館や静岡県立美術館で開催された『みる誕生』展では、美術館の裏山や瀬戸内海の島全体を作品として、制作物を日光や風雨に晒(さら)し、そこに起こる変化を受け入れた。美術館の中では視覚障がい者やろう者などあらゆる身体の可能性をもつ人々のセンサーを借りてワークショップを行い、また、全作品を触れることができるようにして、美術館が暗黙のうちに前提とする「見える人」「聞こえる人」という鑑賞者像を揺さぶった。「美術館の常識やデザインされた社会の枠組みの中だけで仕事をしていたらヤワになってしまう」と鴻池は言う。
青森の展示と並行して進む「メディシン・インフラプロジェクト」も異例の試みだ。東京と青森を結ぶ東北を中心とした各地で、これまで縁のあった人たちに作品を預け、個人宅や商店、屋外などに展示・保管してもらう計画で、すでに一部が設置されている。全作品を見ようと思えば、旅をしないといけない。作品の預かり先となる人はもちろんのこと、一般の観客にとっても作品との距離感が変わる仕掛けだが、背景には、アートにとって大切なのは作品というモノではなく、その周りに起こる時間や現象なのだという考えがある。「作品を売買してお金やモノを得る『交換』に、昔から興味がもてなくて。私が欲望しているのはそれ以上のことで、大切なものとは、美術館やコレクターが持つような交換可能なモノ/作品ではないと多くの人が言いますが、具体的に何なのかは全く示せていない。それが不思議で。だったら、試しに作品を好きな一般の人たちに預けてみようと。少し日があたっても、生活の匂いがついても、壊れても、作品をタフな環境に置き、使ってもらうことで、何かが見えてくるのではないかと考えています」
「美術館の常識やデザインされた社会の枠組みの中だけで仕事をしていたらヤワになってしまう」
鴻池が活動の幅を広げた2000年代は、商業主義やグローバリズムの影響で、展覧会の数や規模が拡大した時代だった。自身も展示で各地を移動する日々を送ったが、「この職業はたったひとりで小さくて弱いことが大事なのに」とアートの巨大化に息苦しさを感じ、わざわざ迂回して地方の会場へ向かったり、作業の合間に自然の中で過ごす時間が増えたりしたという。「2000年代後半には大きな個展も経験しました。でも、美術館というハコの中で哲学的な遊びをすることにすぐ飽きてしまって。きれいなハコがあれば中身はいくらでも演出できる。仕事としてそれに順応することもできたけれど、私がやりたいのはこれじゃない、と。常に実感がなく、おなかが空いている感じでした」
決定的な転機は東日本大震災だった。「それまで何となく体にフタをしていたものが、もう嫌だってタガがはずれたんです。あれも違う、これも気に食わないって、神経が研ぎ澄まされていった」。ここから鴻池の活動は大きく軌道を逸れていく。2012年には、秋田の雪山の避難小屋に作品を設置する「美術館ロッジ作戦」を開始。2014年には、市井の人々から忘れがたい個人的な体験を聞き、鴻池が下図を作ったうえで話者自身が手芸を行う「物語るテーブルランナー」プロジェクトも始まった。狼と遠吠えし合う、雪に埋もれる、熊の毛皮をかぶって川上りし、歌を歌う――。いずれも、「アート」と呼べるかもわからない行為だった。(後編に続く)
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