BY MARI HASHIMOTO

1 〈京都〉国宝 《源氏物語絵巻 宿木三》 平安時代・12世紀 愛知・徳川美術館蔵 展示期間:11月17日〜29日 ©徳川美術館イメージアーカイブ/DNP artcom 匂宮の想われ人として屋敷に住み、子を宿しても、後見人のいない中の君の立場は弱い。夕霧の娘・六の君を正妻に迎えた匂宮は、そんな中の君を慰めようと琵琶を弾く。しかし彼女は顔を背け、その音も香りも扇で遮ろうとしているかのよう。
日本美術史において、もっとも数多く、そして長きにわたって絵画や工芸の意匠とされてきた物語こそ、『源氏物語』だ。長大な『源氏物語』の中からさまざまな場面を選び出して絵画化したいわゆる「源氏絵」は、紫式部によって作品が成立した当初から制作が始まり、それから約1 世紀ののちに、徳川美術館、五島美術館に分蔵され、美術史上に屹立する国宝《源氏物語絵巻》(1)を生み出した。残念ながらそれ以外の平安・鎌倉時代の絵画作品はほぼ残っていないが、室町時代末期から桃山時代、江戸時代初期にかけては膨大なやまと絵の作品が描かれ、江戸時代以降は出版文化の興隆に伴い、浮世絵として広く親しまれるようになっていく。
当然、これまでもさまざまな形で展示のテーマとされてきたが、国立博物館での開催は、1975年の京都国立博物館『特別展覧会「源氏物語の美術」』以来、なんと51年ぶりとなる。
「(本展覧会の開催は)NHK大河ドラマとの関連について訊かれるのですが、『光る君へ』の制作発表前から準備をしていたので、たまたまです(笑)。中世以前の展示物、特に絵画となると、国宝の《源氏物語絵巻》を含め、限られてしまいますが、それでも写本や注釈類などを含めればかなりの数があります。また工芸や書跡、浮世絵など、分野・時代を網羅できるのは国立館ならではなので、海外からの里帰り作品も含めて、『源氏物語』の決定版の展示にしたいと考え、準備してきました」(京都国立博物館・井並林太郎主任研究員)
写し、読み継がれた王朝文学のかたち

2 重要文化財 《紫式部日記絵巻断簡》鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵 京都会場展示期間:11月3 日〜29日 紫式部が中宮彰子に仕えた時期の日記を、のちの時代に絵巻に仕立てたもの。彰子が出産した敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生50日目の祝いの日の様子を描いた場面で、画面右の背を向けた女性が彰子、向かい合う女性が皇子を抱く彰子の母で、画面下に彰子の父・藤原道長を描く。
展示は第1章「源氏物語を写す」から、第2章「源氏物語の作者 紫式部」、第3章「国宝 源氏物語絵巻」、第4章「源氏物語を深める」、第5章「源氏物語でかざる」、第6章「源氏物語でいろどる」、第7章「源氏物語であそぶ」、終章「源氏物語を描き継ぐ」まで、8章、約250件の作品(予定、巡回を含む)で構成される。一般論として期待されるのは、もしかすると紫式部の自筆原稿かもしれない。だが、中宮彰子(しょうし)の出産にあたって、藤原道長が豪華な全巻揃(光源氏が登場する「幻」あたりまでと考えられる)を作らせるため、紫式部自身が用意したものは、写本を請け負う能筆たちに渡されたまま返却されなかった。さらに、作家本人が手元に置いた1部は、彰子の妹・妍子(けんし)のためにと道長が勝手に持ち去ってしまったことが、『紫式部日記』(2)に書かれている。要するに作家自身が、完全原稿を失ってしまったのだ。高価な紙や墨を費やし、それを書き写し、製本する手間をかけて作られる書物は贅沢品となる。だからこそ現代とは異なり、読者であり注文主である高貴で富裕な女たちは、時に自分の好みに従って、内容に手を加えることもあっただろう。それができない者たちは手を尽くして借りて読み、あるいは音読に耳を傾けるしかなかった。
そうしていつしか「原文」は曖昧になった。一方、道長が威信をかけて建立した壮麗な法成寺(ほうじょうじ)さえたびたび火災に見舞われ、鎌倉時代には見る影もなく荒廃したことに象徴されるように、王朝の美麗は遠ざかり、朝廷の力は失われていった。そのような時代に、失われた理想的な王朝の美意識を体現しようとする者、あるいは天皇をもしのぐ光源氏の超越的な権威にあやかろうとする者が、『源氏物語』の証本(基準本・正典)を求めるようになる。
鎌倉時代前期には鎌倉将軍家の権威を背景に、源光行(みつゆき)・親行(ちかゆき)父子が30年がかりで『源氏物語』の古写本21種を校合し、いわば国家プロジェクトとして、現在では「河内本」と通称される証本を制作していた。それは新興勢力である武家政権にとって、京に対する文化的優位を確立するための、よりどころとなるべきものの一つであったのだろう。だが、現代の我々が通常目にする『源氏物語』の本文は、この河内本ではない。
同時代の京都にあって、「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」と嘯(うそぶ)いた藤原俊成、そして河内本とは比べるべくもないわずかな資力を傾けて『源氏物語』の校訂を行なっていたのが、その息子で、のちに歌聖と仰ぎ見られる藤原定家であった。「青表紙本」と通称されるこの本文は、当初そこまで普及したわけでも、評価が高かったわけでも、そして紫式部の原文に肉薄しているものでも、恐らくない。だが応仁の乱(1467〜1477年)以降の連歌師たちの動きや、文化的権威であった公家の三条西家と結びつくことで、決定的な評価を得、現在に至るまで『源氏物語』の標準テキストの地位を保っているのである。

3 《源氏物語(定家本) 若紫》 鎌倉時代・13世紀 京都会場展示期間:通期展示 画像提供:八木書店 『源氏物語』の中でもっとも有名な場面を収める第5巻「若紫」。三河吉田藩(現在の愛知県豊橋市)藩主を務めた大河内松平家の子孫宅で2019年に発見され、大きな話題となった。ストーリー展開が変わるほどの差異はなかったが、今後の研究の深化に寄与することが期待されている。
この青表紙本ですら、定家が直接関与したもので現存するのは4帖(すべて重要文化財)のみとされてきた。それが2019年、新たな1帖が発見される。しかも『源氏物語』の中でも非常によく知られた第5 巻「若紫」(3)、のちに紫の上と呼ばれ、光源氏最愛の妻となる少女と出会う物語で、定家本人による注釈を含め132ページ(66丁)ある。京都会場では、この新発見の「若紫」を含め、青表紙本すべてが展示される(11月3日〜15日)。私たちが読んできた『源氏物語』の、まさに始まりの1帖と呼ぶべき作品だ。
絵画と意匠に花開いた『源氏物語』の世界

4 《車争図屛風(右隻)》 土佐光茂筆 室町時代・永禄3 年(1560) 京都・仁和寺蔵 京都会場展示期間:10月6 日〜11月1 日 六条御息所が生霊となって葵の上に取り憑く契機となった、賀茂祭での事件を描く。この図様はのちに、『源氏物語』の文脈を離れ、京の年中行事を描いた月次絵(つきなみえ)の「賀茂祭図」に用いられる例も見受けられる。本作を伝える仁和寺は「若菜」で、朱雀院が出家した「西山なる御寺」とされる寺という縁も。
文化的権威の表象となる「正典」を生み出すための、校訂を行い、注釈を加える作業は、溺れるように物語を読みふけり、現実から離れて物語世界に遊ぶこととは違う。『源氏物語』は、自らもそのように物語を読んできた貴族女性が、同種の女たちのために書き綴った物語であった。『源氏物語』に先行する、「女子どものための」物語にも絵が付されていたことが知られている。それらは当時「女絵」と呼ばれ、専門の絵師による「男絵」に対して、素人の男性・女性が手すさびに描く、恋物語に付随する絵と認識されていた。そのような物語絵の需要が高まり、専門絵師たちも注文に応える形で女絵の技法を取り込むことで生まれたのが、現存最古の国宝《源氏物語絵巻》である。物語の各巻より1〜3場面を抜き出して絵画化し、美麗な装飾を施した料紙に、対応する本文の一節を添えた絵巻として、当初は10〜12巻程度の規模で作られたと推定されている。これが尾張徳川家に3巻、阿波蜂須賀(あわはちすか)家に1巻の絵巻として伝わり、現在は徳川美術館、五島美術館に分蔵されている。今展では全期間を通じて、常にこの国宝《源氏物語絵巻》のいずれかを観られる。

5 《源氏物語図扇面貼交屛風(左隻)》 室町時代・16世紀 広島・浄土寺蔵 京都会場展示期間:10月6 日〜11月1 日 右隻・左隻合わせて60面、実際に使用された痕跡のある扇面が貼られるが、3 、4 面の場面が貼られる巻もあれば、まったく登場しない巻も14巻あり、当初は大規模な『源氏物語』全巻の扇面によるセットであったと推定される。
その後も多数作られた絵巻には、全54帖から1場面ずつを絵画化した大規模なもの、墨1色の線描を主体としたものなどもある。あるいは扇を飾るものとして描かれた扇面、小型の色紙に細密に描いた色紙絵、扇面や色紙を貼り交ぜた屛風(5)など、「源氏絵」には、無数のバリエーションが生まれた。現存するものは少ないが、平安時代、鎌倉時代を通じて、それぞれの巻でもっとも重要な情景、象徴的な場面としてどこを選び、それをどのように描くか、という試行錯誤のプロセスが行われるうちに、場面選択が固定化される。さらに各場面の人・もののパターン化も進む。たとえば「若紫」といえば、「満開の桜の下、逃げた雀の子を追って縁先に現れた若紫を、小柴垣の合間から光源氏が垣間見る」場面(6)のように図様が定型化されていくと、細かい説明やテキストなしでも、空の鳥籠、飛び去る雀、桜などが並ぶだけで観る者にはその含意が伝わり、工芸などへの意匠の展開が容易になるのだ。

6 重要文化財 《源氏物語画帖 若紫》 土佐光吉・長次郎筆 安土桃山~江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵 京都会場展示期間:通期展示、帖替えあり(この場面は10月6 日〜11月1 日展示) ※若紫は京都会場のみ展示 土佐派は室町時代の朝廷で絵所預を務めたが、直系が絶えたため、桃山時代に門人の光吉が跡を継いだ。本作は詞書・絵ともに54面から成り、詞書には後陽成院、八条宮智仁親王、近衛信尹、烏丸光広ら、朝廷周辺の能筆が筆をとる。
京都会場の1階展示室の一角では、『源氏物語』から想を得て中世に創作された、「葵上」「野宮」「夕顔」「源氏供養」といった能の演目に着目し、「葵上」「玉鬘」で使用する能装束を露出展示で大きく空間をとって展開。また東京会場では、江戸時代の出版文化の発達とともに市井の人々にも親しまれるようになった『源氏物語』が、登場人物や場面を当世風俗に置き換えた浮世絵を多数展示するなど、会場ごとの特徴も打ち出す。

7 〈京都〉重要文化財 《能面 泥眼》 「天下一河内」焼印 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 展示期間:通期展示 「天下一河内」とは、江戸時代第一の技巧家と伝えられる能面作者・河内大掾(かわちのだいじょう)家重のこと。白目に金泥(きんでい)を塗ることから「泥眼」と称される能面は、能の演目「葵上」では前シテの六条御息所の生霊の役に用いられる。能の中で「金」は人間を超越した存在を意味し、御息所が人ならざる者へ変化する姿を表す。
「国宝《源氏物語絵巻 御法》が象徴的ですが、この絵巻には、登場人物の死に関わる場面が描かれています。こうした場面は、たとえば近世の画帖などではまず取り上げられることはありません。それは《源氏物語絵巻》固有の特徴というより、この時代の和歌などにも見られる、"源氏物語の中の死" に対する関心の高さゆえのことで、それが絵巻制作にあたっての場面選択に現れている。ともすると"連綿と受け継がれてきた王朝美" という話型に落とし込まれがちですが、『源氏物語』の受容のされ方は、それぞれの時代ごとに異なり、物語を絵画化、意匠化する場合にも、そうした影響は免れません。そんなふうに、それぞれの時代の『源氏物語』に対する眼差しの中に、作品を置き直すように展示を観ていただけると、この名作の奥深さをより味わえるかもしれません」(井並)

8 〈東京〉《焔(ほのお)》 上村松園筆 大正7 年(1918) 東京国立博物館蔵 貞淑、上品な美人画で知られる上村松園の異色作で、松園自身が謡曲に想を得て描いたと述べている。嫉妬に狂う六条御息所の生霊をモチーフとし、その装いは平安時代ではなく、近世のもの。打掛けには藤花が咲き誇り、その花に蜘蛛の巣が絡む。当初は謡曲「鉄輪」を主題に取材を進めていたため、蜘蛛の巣は「鉄輪」の一節に基づく。
奇しくも本展覧会の会期と同時期に、東京・国立新美術館では『少女漫画・インフィニティ 萩尾望都×山岸凉子×大和和紀 三人展』(10月28日〜2027年2月8日)が開催されている。そこに展示される大和和紀『あさきゆめみし』は、現代を生きる多くの女性たちにとって、初めて『源氏物語』に触れる契機となった漫画作品であり、今の「源氏理解」の少なからぬ部分を形づくるものだ。その「視点」を意識し直したうえで、改めて向かい合う「王
朝美」がどのように目に映るのかを楽しみたい。
※作品キャプション内の〈京都〉は京都国立博物館のみ、〈東京〉は東京国立博物館のみで展示される作品です。
橋本麻里(はしもと・まり)
学芸プロデューサー。小田原文化財団甘橘山美術館開館準備室室長。金沢工業大学客員教授。「刀剣乱舞ONLINE」日本文化監修。新聞、雑誌等への寄稿のほか、美術番組での解説、キュレーション、コンサルティングなど活動は多岐にわたる。近著に『かざる日本』(岩波書店)、共著に『図書館を建てる、図書館で暮らす 本のための家づくり』(新潮社)。
特別展『源氏物語 王朝のかがやき』
<京都会場>
会期:2026年10月6日(火)~11月29日(日)
会場:京都国立博物館 平成知新館
休館日:月曜日、10月13日(火)、11月24日(火)
※10月12日(月・祝)、11月23日(月・祝)は開館
開館時間:9時~17時30分(入館は17時まで)
金曜日は9時~20時(入館は19時30分まで)
問い合わせ:075-525-2473(テレホンサービス)
<東京会場>
会期:2027年1月19日(火)~ 3月14日(日)
会場:東京国立博物館 平成館
休館日:月曜日 ※2027年2 月22日(月)は開館
開館時間:9時30分~17時(入館は16時30分まで)
金・土曜日は9時30分~20時(入館は19時30分まで)
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
※両会場とも、会期中に一部の作品の展示替えあり






