BY NOBUYUKI HAYASHI, PHOTOGRAPHS BY TAMEKI OSHIRO
茶の湯の原点を再解釈し、美学を現代的な形で再構築
冒頭でも紹介した茶道宗徧流は、承応元年(1652年)に千家の三代目、千宗旦(せんのそうたん)から皆伝を得て始まった流派。現在は十一代が幽々斎山田宗徧として家元を務める。テクノロジーの進歩で効率化が進みすぎた現代、多くの人が「アンチ効率」だったり、自分を見つめ直す時間を求めて「茶の湯」を再評価していると感じている。
家元の山田は、宗徧流の活動とは別に本名の山田長光の名義で、グローバルリーダー層対象のリーダーシッププログラムなどを提供するUrban Cabin Instituteも営んでいる。組織名は「市中の山居」を英訳したものだ。
初代の美意識について考えることが多いという山田。茶道というと「伝統文化を守る」行為と捉えられることが多いが、おそらく初代は当時の最先端の街・京都にいるシティボーイで、「伝統文化を守る」というよりは「最先端の文化である茶の湯を一番弟子として真っ先に取り入れようと入門した」のではないかと想像している。捉え方ひとつで「茶の湯」の印象はガラリと変わる。
では、初代は茶道のどんな部分に魅力を感じたのか。山田によれば、茶道が形成される前からあった「市中の山居」の概念が重要だという。都市の中に田舎家を持つことが最高の贅という考え方だ。「これは富に対する極めて日本的な価値観」と山田。「今も昔も、世界中どこでも富を得た人は豪華な家を建てることが多いが、日本では田舎にあるような小さな家を建てることが精神的にも高く最高の贅なのだという考えがあった。初代山田宗徧は、その系譜を伝承した」
だから、当代は宗徧流の茶道を通して伝統の様式を伝えつつ、もう一方のUrban Cabin Instituteの活動を通して、茶道教室では伝わらない美意識や価値観を伝えているのだという。経済界の人々やヨーロッパの老舗企業の後継者など、多くの人が同組織のプログラムを体験している。
鎌倉の宗徧流不審庵には美しい庭や茶室もあるが、山田がUrban Cabin Instituteの活動で目玉のひとつとしているのが、同じ敷地にあるBlack Cube。火事で炭になりながらも残った築百年の古民家に山田が集めた現代アートの作品が飾られている。半分だけ炭になった本棚など、佇まいそのものがアート作品のようで非日常感が漂う。最近はそこに「小座敷」と名付けた二畳の空間をつくり、お茶を振る舞うこともある。二畳は初代宗徧が基本とした茶室の大きさであり、利休の晩年の茶室の大きさでもある。山田は今後、この空間を多方面に展開することで、茶の湯の文化を広めることを計画しているようだ。
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