小前洋子は、陶でつぼをつくる造形作家だ。つぼしかつくらない。個展のたびに作品が完売するほどの人気を集めているが、陶芸を習い始めたのは58歳のときだという。そんな彼女の自宅とアトリエを訪ね、つぼの去来について話を聞いた。

BY NAOKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY MANA LAURANT

画像: 自宅のワークスペースに立つ小前。以前はベッドルームだったが、アトリエにこもると寂しがる愛犬と一緒にいるためワークスペースに改装し、ここでスケッチや成形を行うことにした。手前に置かれているのは、2014年の「DEE’S HALL」での初個展に出品した際、主宰の土器典美(よしみ)が購入して手もとに置いていたもの。2024年に土器が逝去したあと、小前のもとに戻ってきた思い出深い作品だ。

自宅のワークスペースに立つ小前。以前はベッドルームだったが、アトリエにこもると寂しがる愛犬と一緒にいるためワークスペースに改装し、ここでスケッチや成形を行うことにした。手前に置かれているのは、2014年の「DEE’S HALL」での初個展に出品した際、主宰の土器典美(よしみ)が購入して手もとに置いていたもの。2024年に土器が逝去したあと、小前のもとに戻ってきた思い出深い作品だ。

 小前洋子は、陶器のつぼをつくっている。そのつぼはすべて形が異なり、ふたつとして同じものがない。小前が陶芸家ではなく造形作家と呼ばれるのは、それが理由だろう。写真などで、すでに発表された作品を見た誰かから「同じものを」とリクエストされても、小前はそれに応えない。応えることができないのだという。
「一度つくったものをコピーしようとしても、魂が入らないのです」

画像: アトリエの作業台。置かれているのは小前が新たに取り組んでいる「タタラ」という技法で用いる板状の粘土。これを伸ばし、カットして組み合わせて形をつくる。光の入り方、空間、道具や素材のすべてが調和した、美しいアトリエ。粘土の木口を45度にカットするためのオレンジ色の道具が、特別なもののように見えてしまう。

アトリエの作業台。置かれているのは小前が新たに取り組んでいる「タタラ」という技法で用いる板状の粘土。これを伸ばし、カットして組み合わせて形をつくる。光の入り方、空間、道具や素材のすべてが調和した、美しいアトリエ。粘土の木口を45度にカットするためのオレンジ色の道具が、特別なもののように見えてしまう。

 そう、小前のつぼには、一つ一つ、魂が入っている。だから、こんな奇跡がよく起きる。個展の最終日、売約済みの小さなシールが貼られた作品が並ぶギャラリーにやってきた人が、そのシールの存在に気づかないまま、たった一つ残った作品の前までまっすぐに進み、「これが私のつぼだ」と言う。そのつぼは、売れ残っていたのではなく、その人を待っていたのだ。こうして、これまで開いたすべての個展で、すべての作品が行くべき人のもとに収まってきた。こんな作品をつくる小前洋子とは、どんな作家なのだろう? まずは、つぼをつくり始める前の話を聞こう。

画像: 心に降る形を実体化するための図面の数々。

心に降る形を実体化するための図面の数々。

「子どもの頃から絵を描くのが好きでした。当時からなんだか変で面白い人が多かった東中野で、母子家庭の一人っ子として大人に囲まれて育ちました」
 高校は美術大学の付属高校に通ったが、「こう描かなければならない」という指導に嫌気がさしていたという。「大学に行きたいなら自分でなんとかしなさい」という母の方針により、卒業後、高校に求人募集があったアクセサリー企画会社に就職。1 年で入学金を貯めてセツ・モードセミナーの夜間部に入り、働きながら通った。
「心で描け、したいことをしろ、と徹底的に自由にさせてくれて、同時にそれに伴う責任と覚悟も教わりました」

 個性的な人々が集う喫茶店「国立邪宗門(くにたちじゃしゅうもん)」でアルバイトをしながら、当時創刊されたばかりの雑誌『an・an』でイラストを描くなど、新しいカルチャーが燃え上がるように発展していく1970年代の東京で、クリエイターとして歩み始めた。

画像: 自宅の横、以前畑にしていた場所にアトリエを建てた。近所に住むアーティストが一人でコツコツと建ててくれた。天井には、昔から大切にしてきた雑誌の切り抜きや包装紙を貼った。仰ぎ見ているだけでも楽しい。

自宅の横、以前畑にしていた場所にアトリエを建てた。近所に住むアーティストが一人でコツコツと建ててくれた。天井には、昔から大切にしてきた雑誌の切り抜きや包装紙を貼った。仰ぎ見ているだけでも楽しい。

 そして、新聞の求人欄に掲載された「ヨーガンレール」の社員募集告知を発見し、応募。ところが面接で落ちてしまった。
「1 カ月後、"作品を持ってくるように" という電話がありました。その晩に数枚のデザイン画を描き上げて翌日面接に行くと、ヨーガンさんから"いつから来られますか?"と言ってもらえました。気が変わられたら困ると思い、"明日から" と答えました。ヨーガンさんには、私の中にある美の基準を引き上げてもらったと思っています」

 その後、同僚だった勝屋まゆみとともにアクセサリーと布のブランド「アンジンクチン」を立ち上げた。
「彼女とインドネシアのバリ島やロンボク島を旅したとき、バナナ畑の真ん中にある家の物干しに、生地が薄くなるまで使い古されて、ボロボロになったサロン(腰巻き布)が干してあるのを見かけました。"ものはここまで使われるのだ" と感激しました。こんなふうに大事にされるものをつくりたいと思い、ブランドを始めました」

画像: アトリエの壁に貼ってあるのは、前回の個展で発表した作品。写真も自身で撮影する。その下、右端の動物のスカルの左隣に置かれているのは、小前の過去の作品。

アトリエの壁に貼ってあるのは、前回の個展で発表した作品。写真も自身で撮影する。その下、右端の動物のスカルの左隣に置かれているのは、小前の過去の作品。

 並行して、ユナイテッドアローズの「Style for Living」のディレクションやオリジナル製品のデザイン、イメージカタログの企画なども行い、勝屋とのパートナーシップ解消後も代官山に直営店を構え、パリのアクセサリーコレクション「TRANOÏ」に出展するなど、「したかったことをすべてした」という時期を過ごす。そんなとき、住んでいたマンションの建て替え話が持ち上がった。
「将来的に自給自足が必要な時代になるかもしれないという予感と、子どもの頃からの自然豊かな場所での生活への憧れから、土地を探して家を建てることにしました。広い庭のある家を、坂のない平らな場所に建てたいと思い、かなり広範囲の土地を探し歩きました。いすみ市に来てみたら、直感的に"ここだ" とわかりました」

画像: アトリエの一部。どこを切り取っても絵になる。釉薬をかき混ぜるのは、家庭用の泡立て器。作業中に着るのは、素材感が味わい深いかっぽう着。暮らしと創作がひとつながりになっていることがわかる。


アトリエの一部。どこを切り取っても絵になる。釉薬をかき混ぜるのは、家庭用の泡立て器。作業中に着るのは、素材感が味わい深いかっぽう着。暮らしと創作がひとつながりになっていることがわかる。

アトリエでの小前。自給自足の暮らしを目指してこの家を建てた頃は、東京でのクリエイティブな仕事はもうやりきったと感じ、あまり未練がなかったという。

小前洋子(こまえ・ようこ)
東京都生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、ヨーガンレールに入社し、布雑貨、服飾雑貨などのデザイナーを務める。友人と「アンジンクチン」を立ち上げ、独立。解散後はフリーランスに。2002年、千葉県いすみ市に移住し、’08年に作陶を開始。

▶近日公開、「小前洋子─そのつぼはどこから来てどこへ行くのか」②へ続く

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