BY ASAKO KANNO
早くも夏日となった6月のある日曜日、四谷の荒木町へと向かいました。明治時代には風情ある花街だったという荒木町は、今も粋な文化人たちが集う街、という印象。かつて勤めていた出版社も自宅もこの近辺だったにもかかわらず、自分には身分不相応な気がして遊びにきたことのないエリアです。ついにそんな大人の街へ、足を踏み入れる時がやってきました。
煎茶道美風流教授の薛風(せつふう)先生こと塩見文枝さんが、この荒木町にお座敷ライブハウス「津の守(つのかみ)」をオープンされたのです。そして今回のお披露目公演では、お家元が「津の守」の襖絵をライブで描かれるというのですから見逃せません。演目は「文人趣味茶会」。お家元の席画を拝見しながら、茶席をはじめ、月琴のパフォーマンスも楽しむことのできる贅沢な宴です。
お家元は、方外閑人 素履(ほうがいかんじん そり)という画名を持つ水墨画家でもあります。実は、私も今まで4回ほどお家元に水墨画をお稽古していただいたのですが、あまりの難しさと、自分の不器用さに唖然。お茶のお点前と同様、同じところで永遠の足踏みを続けていることを白状しましょう。
そんな私からしたら、大きな襖4枚と戸袋を、たったの3時間で描きあげるなんて異次元な話。そしてここで、さらなる驚きを見ることに。
何の下絵もなしにさらさらと描き始めたお家元。20人超えの観客を前に、絵を描きながら、みなの心を離さない話術で3時間ずっと喋りっぱなし。す、すごい、すごすぎる・・・・・・。しかも私が美風流の先輩や、一緒に参加した友人に「話ながら絵を描き続けられるってすごすぎですよね?」と小声でささやくと、お家元が急にくるりと振り返って「ぼくはね、話してた方が筆がよく動くんですよ」とにっこり。え、え〜?こちらの小声まで聞こえてるって、聖徳太子? それとも超人レオナルド・ダヴィンチでしょうか?
小唄・伊吹派の二代目家元、伊吹清寿先生が奏でる月琴の生演奏を聞きながら、美風師匠が描いていく山水画に釘づけになり、そして水墨画にまつわるお話に耳を傾ける。同時に薛風先生の茶席もはじまります。なんとも五感が刺激される状況に、脳内はフル活動です。
実は、薛風先生は赤坂の元芸者さん。いつもはきりりとした和服姿がまぶしいですが、この日は唐服姿で登場です。煎茶道は中国・唐の時代の文人たちの思想や精神性を礎とします。その唐の時代の衣装をまとったお茶席は、まるで天平文化の花開いた奈良時代にタイムスリップしたよう。
今回のお茶は5種。香煎、玉露、釜炒り茶、蓮茶。お菓子はすべて、薛風先生の手作りです。玉露にあわせて出てきたお菓子は、金魚と波文様が涼しげな干菓子。次に、奈良の瑞徳舎で手摘みされた釜炒り茶を、すすり茶でいただきます。すすり茶とは、蓋付の茶碗の隙間から、すするようにして飲む飲み方で、清代に皇帝や貴族の間で流行ったのだとか。白きくらげやなつめ、蓮の実、クコなどが入った薬膳スイーツといただきます。蓮の花にくるまれたお茶は、紅茶と煎茶の2種。この生の蓮の花にお茶をとじこめ、花の香りをうつした手づくりの蓮茶は、今ではベトナムでもなかなかお目にかかれない貴重なもの。かつて皇帝が愛したお茶だそうです。甘くロマンティックな香りが異国情緒へと誘います。
そしてお茶を堪能したあとは、薛風先生の舞を観賞します。日本のお座敷文化や伝統芸能を継承・発信することを目的としたこの「津の守」。それは、活動する場所が年々減っている芸者衆や伝統芸能の演者たちに、舞台やお稽古の場を提供するという大きな意義もあるのです。クラウドファンディングで1200万円を超える支援を集め、着工から1年あまりを経てオープンとなったといいます。その平坦ではなかったであろう道のりを思うと、その情熱に胸が熱くなります。そして、ツテなしにはなかなか足を踏み入れるのに勇気がいるお座敷文化に、気軽に触れられる場所が誕生したことも、とても嬉しく思うのです。
さて、美風師匠の襖絵のゆくえは? なんと3時間ぴったりに完成したことも驚愕ですが、その描かれた山水画の景色に心奪われます。山水画とは、自然の風景と想像上の風景を混在させたものなのだそう。空想の世界を旅した3時間。墨の濃淡の美しいその絵を見ていると、脳裏には、不思議と豊かな色彩に染まった記憶の奥の光景が浮かんでくるような気がします。
荒木町に全く縁のなかった若かりし自分に教えてあげたい。「大人になると、ずいぶん楽しい世界が待っているよ」と。「津の守」斜め前には、姉妹店の座敷カフェ&バー「穏の座」もあります。ここは、江戸の日本文化だけでなく、多様な文化が交差した古代日本の景色が宿る場所。みなさまもぜひ、まだ見たことのない日本を見つけてみてくださいね。
津の守
公式サイトはこちらから
穏の座
公式サイトはこちらから
菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」