BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY TADAHIKO NAGATA
2020年にコロナ禍で上演が中止となり、2023年に再演され、自身にとって25年ぶりのミュージカル作品への出演となった『アナスタシア』ではマリア皇太后を演じ、気高く、圧倒的なオーラを放っていた麻実れい。数々の名作で役の本質を捉え、体現してきた彼女が挑む次回作は、2018年にロンドンで世界初演され、ウエスト・エンド、ブロードウェイと上演を重ねてきた『インヘリタンスー継承―』。病気やマイノリティに対する差別や偏見を乗り越えていく人々が描かれており、各地で大きな話題となった作品だ。気鋭の演出家・熊林弘高がコンセプトをプレゼンして勝ち抜き、切望していた上演権を獲得して、演出を手がける。
麻実れいが本作で演じるのは、70代の主婦・マーガレット。後篇の終幕に20分だけ登場するこの人物は、どんな爪痕を残していくのだろうか。
——『インヘリタンスー継承―』を演出する熊林弘高さんとの作品創りにはどんな期待を抱いていますか?
熊林さんと私はTPT(シアタープロジェクト・東京)時代からの仲間で、“熊ちゃん”って呼んでいます(笑)。初めは作品創りで関わることはなかったのですが、2010年に上演された『おそるべき親たち』で初めてご一緒しました。当時の出演者も彼がどれだけ苦労してきたかを知っていた同じ仲間の佐藤オリエさんや中嶋しゅうさんだったので、“熊ちゃんのために頑張ろうよ”というのが、無言の意思疎通で伝わっていました。だから私も彼には好きにものを言えるし、「熊ちゃん、私はね、あなたに引き出しがいっぱいあるのは分かっているけどね、それはまた次の機会に開きなさいよ。今はここまでで十分だからね」とか、お互いにすべてをさらけ出すことのできるいい環境だったと思います。その結果、とても良い作品に仕上がって、大変良い評判を得ることができて良かったなと思いました。
今回は、弟のような存在でもあるその熊林さんからの「出てみませんか?」というひと言があったからこそ、このドラマと出会うことができました。彼とは他にも何作かご一緒してきましたが、どんどん幹が太くなってきていて、すごいですね。海外でも評判の人気のある作品なので上演権を獲得するのは大変だったそうですが、彼が手中に収めたのはよく頑張ったなと思います。ですから、熊林さんはこの作品を演出することにとても責任を感じていらっしゃるでしょうし、選んでいただいた役者一人一人が、登場する人間を演じるわけなので、私自身も責任を感じています。
——麻実さんはどの作品でも演じている役としてその存在感を放っていますが、役の切り替えは速いタイプ、それとも没頭するタイプですか?
私はあまり器用ではないので、役に入ったらどっぷりと浸かります。でも器用ではなかったことが、むしろ良かったと思っています。それは不器用者には、“絶対に役を自分の手から離して歩くことができない”という強みがあるからです。ですから、一つが終われば忘れてしまいますが、次の作品を手がけ始めると一気に集中していく。一つの作品に取り組んでいるときに、次のものが重なってしまうと、私は先に進めません。熊林さんには“自分のマーガレットを創りたい”とお伝えしたので、先入観なく取り組めるように他の方が演じている映像などは拝見していません。『アナスタシア』が終わってから『インヘリタンスー継承―』に没頭します。
『アナスタシア』が始まる前に一度、仮の台本をいただいて、私が演じるマーガレットの3分ほどの長台詞を不器用ながらも覚えました。その時に意味が分かりづらいところなどをご相談して変えていただきました。新しくいただいた台本を拝見しましたが、とてもシンプルで分かり易くなっていました。今はまだ、頭の中で文字を通しで記憶しているだけなんですが、その言葉たちが全部、私の身体に入ってきて、心の中に入ってくると、言葉が生きてくるわけです。稽古を重ね、初日が開いて回数を重ねていくと、徐々に気持ちも積み重ねていける、それが私の演り方です。
——『インヘリタンスー継承―』には、2015年から18年のニューヨークを舞台にエイズ流行の初期を生きた60代と、HIVとともに生きる20、30代のゲイの人々が描かれています。多様性を掲げている“今”を映したテーマを扱った作品だと思いますが、作品に対してどんな印象をお持ちですか?本作を通して、伝えたいと思った事を教えてください。
まだ仮の台本なので深く読めてはいないのですが、私が演じるマーガレットには17歳の時に産んだマイケルという息子がいて、一人で手探りをしながら育て、二人で成長していきます。マイケルは母親にゲイであることを打ち明けるのですが、マーガレットの登場するわずかな場面でこのドラマが集約して描かれています。私がこの作品に一番惹かれたのは、この母と子の関係で、二人のことをしっかりとお客さまに伝えたいと思いました。実際に成長してから、自分の息子がゲイだったと知る母親って、すごく多くいらっしゃると思うんです。でも、かつてはそれを絶対に秘めざるを得ない世界でした。今よりも一つ前の時代のことですが、まさに今は世の中が変わりつつはあるものの、まだこうした風潮が残っているところがあるのではないでしょうか。この秘められた世界を、役を通して私たちがドラマの上で表現するわけですが、これは真実でなければなりません。難しい作品ではありますが、やりがいがあるお役だと思います。
——マーガレットの言葉を通して実感したことはありますか?
脚本に書かれていることですごいなと思ったのは、人間は誰でも自由でその尊厳を守られるべきだと思いますが、マーガレットは、マイケルがいたからこそ “せめて人として人間らしく生かしたい”と思える人たちと出会うことができたことです。その出会いがあったことでマーガレット自身も幸せだったと思います。
人間の“尊厳”という言葉は昔からある言葉なのに、“尊厳”というものが今もあるのかと問いかけたくなるほど、寂しい時代を迎えてしまったような気がしています。例えば温暖化が原因で地球自体が悲鳴を上げるほど手の施しようがない状況に追い込まれたり、ウクライナで酷いことが起きていることを知りつつもまたパレスチナで悲惨なことがを起こったり。まずは原点に戻って、冷静に、人間とは何だろう?尊厳とは何だろう?と誰もが皆で考えるべき時代に入ったのではないでしょうか?
そして本作のテーマでもある性的な問題は、昔よりは徐々に緩和されてきて、ようやく前向きに人間らしく過ごせるようになってきました。今回、この作品を通して、これから先に向かっていく上で何か大切なものを失ってはいないかと、もう一度考える機会にもなればいいと思います。
——『インヘリタンスー継承―』は海外で上演された際にとても注目されましたが、麻実さんがおっしゃるように、作品を観た人たちが忘れかけていることに気づくなど、何かメッセージを受け取ったからでしょうか?
はい、私はその通りだと思います。同性愛者の方はご自身の意思で選んで進むこともあると思いますが、人間の生殖で、性決定については微妙な世界なので、いろんな方が誕生する可能性が高く、身体が女の子だけれど精神は男の子とか、その逆の場合とか、本当はごく普通のことですが、今まで世間がその普通なことを全く無視してきました。それがとても良いことに年月をかけて『インヘリタンス』の時代がやってきて、そして今がある。未来へと続く過程を描いたお話なので、これは大事にしなければと思います。
——麻実さんはどのようなきっかけで俳優の道を歩まれたのでしょうか?
私は三人姉妹の末っ子なのですが、二人の姉とは年が離れていました。一番上の姉は宝塚歌劇団のファンで、私が中学生の頃、進路を決めるときに、姉は自分が受けたいけれど無理だからという思いがあったようで、私に「宝塚音楽学校を受けてみたら?」と勧めてくれました。私はというと、音楽学校に合格すれば宝塚に移り住んで、親から離れて気楽に過ごせるかなという気持ちになって、受けてみたら合格しました。私が入団した1970年には大阪の万国博覧会をお祝いした公演が行われたり、1974年には『ベルサイユのばら』が初演されて大ヒットしたりと、急激なスピードで宝塚歌劇団の人気が上昇した時期でした。もし姉のひと言がなかったら、生まれ育った神田明神の界隈で適当な人を見つけて結婚して、子沢山な人生を歩んでいたのではないかとふと考える時があります(笑)。
これは余談になりますが、私の実家は刀剣金具製造業を営んでいて、父はどうしても跡取りが欲しかったんですが、産まれてきた子が二人とも娘だったので、半ば諦めていました。ところが少し間を開ければ男の子が産まれるかもしれないということを真に受けて授かったのが私でした。産院で「男の子のような女の子です」と言われた途端、父は私の顔を見ずに帰ってしまったために、母は病室で泣き明かしたそうです。父は名付けをする気力もなかったらしく、私の名前は神田明神の宮司さんにお願いして、親孝行するようにという意味から「孝子」と名付けていただきました。
人間って面白いですよね。私は神田明神とご縁があってずっと見守っていただいていて、逆に神様が心配してくださって見届けなくてはいけないと思って、今に至っているかもしれないです。ふと考える時があるんですが、私がもし細胞分裂で男の子として産まれていたら、全く別の道を歩んでいたかもしれません。その凄さや不思議さを感じますし、自分の与えられた場所で自分が生きる道を見つけられた人は幸せだと思います。
——50年間にも及んだ俳優人生を振り返って実感していることはありますか?
私は、自分でもものすごく運が強いと感じています。運が強いということは、それだけ与えてあげるのだから頑張りなさいという厳しい声も聞こえてくる気がします。宝塚歌劇団に入団したこと、『ベルサイユのばら』と『風と共に去りぬ』がヒットしていて、レット・バトラーを演じている一番いい時に退団することを申し入れて了承していただいたこと。全く違う道を歩もうと「事務員さん」をしてみたいと言ったら、事務員という仕事が大変だと聞いて諦めたこと。さらに東宝から仕事をいただいて、帝劇の舞台でミュージカルに出演させていただいたこと。その後はストレートプレイの人気が上がってきたときに『マクベス』を演らせていただいたこと。そして平幹二朗さんや江守徹さん、歌舞伎界の大御所などの素晴らしい方々と共演させていただいた際に私の基盤を作っていただいたこと。さらに外国の演出家と10年間にわたって組ませていただいたこと。不思議なことに本当に頑張らなくてはと思って取り組んでいたら、一つ演じれば必ず次に年相応の意味のある舞台が待ってくれていました。
何がきっかけで、どれが一番なのかを聞かれても、どれもこれも大切で、一つ一つ積み重ねてきたからこそ今があるので、すべてなんです。どれも忘れることはできません。私は夢中になれる作品しか受けられないんです。作品との出会いに幸せを感じることが、ずっと続けてこられたということなのではないでしょうか。
『インヘリタンスー継承―』
東京公演
会場:東京芸術劇場プレイハウス
上演日程:2024年2月11日〜24日
問い合せ:東京芸術劇場ボックスオフィス
TEL. 0570-010-296(休館日を除く10:00〜19:00)
東京芸術劇場の公式サイトはこちら
大阪公演
会場:森ノ宮ピロティホール
上演日程:2024年3月2日 前篇12時 後篇17時
北九州公演
会場:J:COM北九州芸術劇場 中劇場
上演日程:2024年3月9日 前篇13時 後篇18時
(出演)
福士誠治、田中俊介、新原泰佑、
征木玲弥、百瀬 朔、野村祐希、佐藤峻輔、
久具巨林、山本直寛、山森大輔、岩瀬 亮、
篠井英介、山路和弘、麻実れい(後篇のみ)
(スタッフ)
作:マシュー・ロペス 訳:早船歌江子 ドラマターグ:田丸一宏 演出:熊林弘高