BY MICHINO OGURA, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE MIYAZAKI AT SEPT, STYLED BY NORIKO SUGIMOTO, HAIR BY ASASHI, MAKEUP BY ASAMI TAGUCHI AT HOME AGENCY COOPERATION: BACKGROUNDS FACTORY, PROPS NOW
浅田真央スペシャルインタビュー「今が一番パワーにあふれているとき。一度しかない人生だから、できることは全部やりたい」
プロフィギュアスケーター・浅田真央は今、新しいチャプターに進もうとしている。2017年に現役を引退し、自身のアイスショーに注力してきた。今年11月11日に念願の「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」が東京・立川に開業した。浅田のこだわりが貫かれたリンクとは?
「従来のスケートリンクよりも、少しクラシカルなムードでアーチを多用した温かみのあるデザインを提案しました。建物の外壁には金、銀、銅を配色していますが、将来、このリンクで育った選手たちが五輪のメダルを持ち帰ってくれるようにという願いをこめています。外壁のパンチング部分に、フィギュアスケートの基礎である、スケートの刃で氷に正確な図形を描く"コンパルソリー" の模様があるのを見つけられると思います。ここで学ぶ子どもたちにも基礎の大切さを忘れないでほしいと思ってデザインしました」
「MAO RINK」は子どもから大人までスケートに触れることのできる「スクール」と、世界で戦える選手を育てる「アカデミー」の二つの機能を備えている。とりわけ、自身の選手時代に感じたことをもとに、アカデミーで学ぶ選手へのサポート面を充実させた。
「リンクはメインとサブの2 面をつくりました。通常の1 面だけだと日中は一般の方に開放しているため、選手はそれを避けて早朝や深夜に練習することが多いんです。一日じゅう建物の中にいて四季も感じられないような生活を私も送ってきたのですが、『MAO RINK』のサブリンクは白を基調とした内装で、半分を窓に。窓の外には桜並木があり、春は桜の花を見ながらスケートできますよ。メインリンクは黒を基調にしていて、選手が集中できる環境です。国際大会の基準に則したサイズなので試合やショーにも使用できます。また、氷上以外のトレーニングやバレエなどのレッスンが行える設備、栄養バランスのとれた食事を提供するレストランなどで選手をサポートできるようにしたいと思います。調整中ですが、コーチ陣も信頼をおける方々に声をかけているところ。スケート選手に必要なものがすべて揃う環境にしたいんです」
理想のリンクの実現に手を差し伸べたのは、立川エリアの再開発を手がける立飛ホールディングスの村山正道社長だ。
「ちょうど私が初めて手がけたアイスショー『サンクスツアー』が終わった3 年前に、村山社長と直接お話する機会がありました。このタイミングは逃せない!と、すぐにリンクの構想を紙に書き出し、私から直接ご説明しました。プロに転向し、スケートをする以外に私には何ができるのかと考えていたとき、未来の子どもたちに向けて、自分が経験してきたことを教えていきたいという思いがずっとあったんです。関東にこだわっていたわけではないのですが、立川はいろいろな施設が揃っていて、住みやすい街。子どもも多く、文化やスポーツへの興味も高い。リンクが身近にあれば、それだけスケート人口も増え、盛り上がると思います」
指導者への道を直近で考えているのかと尋ねると、「将来はぜひと思うけれども、そのためには勉強が必要。今は、アイスショーを充実させたい」と答える。
浅田の手がけるアイスショーは年々グレードアップし、観客動員数も増えている。今年6 月の『Everlasting 33』では、劇場に見立てたアイスリンクで15公演が行われた。バレエ、映画音楽、ミュージカルの演目はもちろん、今回初めて挑戦したというエアリアルやタッ
プダンス、モダンダンスまで、氷上の斬新かつ多彩なエンターテインメントを凝縮。10人のカンパニーとともに生オーケストラが生み出す舞台の全32曲中、浅田自身は15曲にも出演した。従来のアイスショーでは考えられないハードな構成を自らに課している。
「ショーを重ねるうちに、自分はスケーターを育てることが好きだということに気づきました。"この人にはこんな衣装が似合うかも""こんな曲目で演じてもらうとさらに輝くかも" と、プロデュースすることが楽しいということにも。私も選手時代にさまざまなジャンルの曲で滑ってきたので表現したいことがたくさんありますし、やるからには必ず前作を超えていきたい」
浅田は、「常に自分自身を超えていきたい」と言う。プロになって、さまざまな経験をするなかで人を信頼する気持ちが揺らいだこともあると語る彼女は、それを乗り越えるためにある境地にたどり着いた。
「人生、いろんなことがありますよね。私もどん底に落ちて、もう諦めようって思ったことがあります。でもそこで逃げたら自分に納得できないし、自分の人生を後悔する。どん底まで落ちたら、あとはもう這は い上がっていくだけ。最終的には自分自身なのだと思います。"諦めない" という気持ちしかないんです。大変なのは自分だけじゃない、みんなそれぞれの人生で大変なことを乗り越えている。だから、どんなに辛いときでも、これは人生勉強で、きっと意味があることなんだって思うようにしています」
高い目標を次々と設定しては成し遂げる姿は選手時代から変わらない。周囲と手を携え、夢を着実に実現する浅田の胆力と実践力に、新時代のリーダー像をそこに見たと伝えると、やさしい笑顔ではにかんだ。
「自分が演じるなら100%では足りなくて、お客さまには130%以上のものしか見せたくないんです。その姿を見せていると、自然とみんなもついてきてくれるように感じます。選手時代は自分との戦いでしたが、アイスショーやリンクのプロジェクトはみんなでつくり上げていくもの。とにかく現場ではみんなで話し合いますね。私はちょっと抜けているところもありますし、みんなに助けてもらうことで、できることは何十倍、何百倍にもなるんですよね」