だが、だからといってロシアの幻想的イメージや、バレエ・リュスの伝説がモード界から消え去ったわけではない。ラブチンスキーのメインオフィスは、スターリン時代の超高層建築物を背にしたバリカドナヤ駅の近くにあるが、そこから15分ほど歩けばウリヤナ・セルギエンコのブティックにたどり着く。37歳のセルギエンコはモスクワ出身のデザイナーで、ビスチェ、ジプシー風のティアードスカート、数々のイブニングドレスといった、ドレッシーな(でも時折飾り立てすぎた)オートクチュール・コレクションをパリで発表している。マトリョーシカのようにスカーレットレッドの口紅をくっきりと塗って、バブーシュカ風にスカーフで髪を覆ったセルギエンコの外見とそのコレクションは、ラブチンスキーの世界と数百万マイルの距離を隔てた対極にある。

ロシアの保険会社社長で億万長者のダニル・ハチャトゥーロフの前妻だった彼女は、自らがオートクチュールの顧客でもある。そんな彼女のクリエーションは、ロシアの歴史にどっぷり浸かったデザインと、時代の流れに即して積極的に伝統技術を採り入れている点が特徴だ。アトリエでは100名ほどの職人たちが、刺しゅう、ビーズ装飾、スモック刺しゅうなどを手がけている。もともとこういった装飾は、彼女の故郷で旧ソ連領だったカザフスタンを含む、東欧諸国の民族衣装に用いられているものだ。
また、ティアードスカートやコルセットでウエストを絞ったロシアの伝統服に加えて、彼女はロシア王室の肖像画に見られるような、パールで飾った大きなトサカ型の奇妙な髪飾り〝ココシュニック〞もデザインしている。ラブチンスキーとヴァザリアの服がプロレタリアート(無産階級)的ならば、セルギエンコは農民と王妃の装いを奇妙に織り交ぜた服を作っているといえるだろう。
言い換えれば、“スタイルはペザント(農民)風だけれど値段は王室向けの服”であり、そんな彼女のメゾンに通う顧客の多くはロシアの有名人たちである。セルギエンコをはじめ、ヴァレンティノやジャン=ポール・ゴルチエといったメゾンは、ロシアの輝かしい過去をテーマに、帝政ロシアの皇后を彷彿させるスタイルを何度も提案してきた。
確かにこれは、ディアギレフ時代からモード界に繰り返し影響を与えてきた、ロシアのひとつの側面である。そしてこの側面をもとに、ハイネックとロングスリーブのシルエットがどこかロシアの農民風なのに、ファーの縁取りとふんだんなビーズで飾り立てているために、オリガルヒ(ソ連崩壊後に生まれたロシアの新興財閥)にしか手が届かない、そんなドレスの一連が作られてきたのである。
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