ラブチンスキーや「ヴェトモン」のデムナ・ヴァザリアなど、気鋭のデザイナーがこぞって提案する"新しいロシアン・スタイル"とは

BY ALEXANDER FURY, ILLUSTRATIONS BY PIERRE LE-TAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 それなら、その対極にあるヴェトモンやラブチンスキーのスポーツウェアに宿る、新しいロシアの美意識とはいったい何なのだろう。ロシアの若者たちは結局、前述のカテゴリーと同様に、受け継がれた伝統を彼らなりに守りたいのだろうか。たとえその伝統に独自の民族文化や、帝政ロシア皇后風の壮麗さが欠けているにしても。あるいは、過ぎ去ったばかりの過去への愛着を表しているのだろうか。「ヨーロッパの人が言う“東欧風スタイル”って、最近できたんじゃなく、90年代に築かれたものなんだよ」とヴァザリアは言う。「90年代はすごくノスタルジックな時代さ。僕やゴーシャが採り入れているその時代の要素は、東欧の人が見ても懐かしさを感じるんじゃないかな。それは今のロシアじゃないんだ。今のロシアはすっかり変わってしまって面白くないから。これから10年くらいたてば、また違ってくるのかもしれないけど」

画像2: ソビエトの記憶を刻んだ
ロシアという新しいモード
<後編>

 ロシア本国とは陸続きでない飛び地にあり、かつてドイツ領だったカリーニングラードは、どこから見てもまさにロシア的な街だ。空港には、スターリンの肖像写真に不気味なほどよく似た、ウラジーミル・プーチンのテクニカラー(1916年開発のカラー映像彩色技術)のポートレートが飾られている。カリーニングラードにはモスクワのような魅力も、サンクトペテルブルクのような美しい趣と歴史もない。第二次世界大戦後にソ連領となるまで、ドイツ語で「ケーニヒスベルク」と呼ばれていた過去を彷彿させる数軒の19世紀の建造物とルネサンス様式の華麗な建物以外、ほとんどの建物は個性もなく、どこかみすぼらしい印象である。ラブチンスキーはこの街を「ヨーロッパの中にあるロシアの小片」と呼ぶ。これは彼自身にぴったりあてはまる表現かもしれない。彼のコレクションの、ヨーロッパ、アジア、アメリカ向けの卸売り業務は、パリのコム デ ギャルソンが取り仕切っているからだ。

 ラブチンスキーは、影響されたものもインスピレーションも“ロシアン・スタイル”も語らない。老舗クチュールメゾンがファッション性の高さを示す印としてブランド名に添える“PARIS”のように、彼がデビュー・コレクションでブランドロゴの下に加えた“Россия(ロシア)”が示すものとも違う。彼のファッションには、大胆な、ありのままのロシアがあるだけだ。つまり、彼は自分が作り出す服を、純粋で混じり気のないロシアの国そのものだと捉えているのかもしれない。彼の服は正真正銘、ロシアそのものだと。彼自身と、そして今の人々が求めているのは、まさにこういうファッションなのだろう。何の特徴もないように見えて、実はロシアの現実、つまり今と過去とおそらく未来をも映し出していて、だからやはり注目に値する服——彼らはきっとそんな服を希求しているのだ。

 と、述べてみたものの、実はこんな分析など表層的な言葉のあやにすぎないのかもしれない。

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