モード界の最先端を独走してきたマーク・ジェイコブス。文化の流れを予知する非凡の才能と、彼のデザインに触れるすべての人に深遠な感情を呼び起こす力―― 波乱万丈の人生の軌跡とともに、唯一無二の魅力の源を探る

BY AATISH TASEER, PHOTOGRAPHS BY ROE ETHRIDGE, STYLED BY CARLOS NAZARIO, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

「不安や恐れが僕にとっての原動力なんだ」とジェイコブスは話し始めた。

 11月のNY、ソーホー。巨大なファッション史の本がずらりと並んだ彼のアトリエで、私はジェイコブスと差し向かいに座っていた。56歳の彼は、見上げるような高さのプラットフォームブーツを履いている。軍装備品のような電子タバコ「Smok G-Priv」を持つ指先にはグリーンとサファイア色のラインストーンがきらめき、ジェルで整えた長めの黒髪にはバレッタを並べて留めている。ブラックのウールパンツに合わせているのは、セリーヌのピンストライプジャケットだ。そのダークグレーの襟元からは、ブルーのエルメスのシルクスカーフをのぞかせている。

画像: MARC JACOBS(マーク・ジェイコブス)。 2019年12月3日、NYにて撮影

MARC JACOBS(マーク・ジェイコブス)。 2019年12月3日、NYにて撮影

 どこにも隙のない彼の完璧なスタイルは、ある種の動物の鮮やかな体色と同じように、敵から身を守る鎧にも、相手を引き寄せる誘惑のサインにも見えた。すっと筋が通った鼻に、短く濃いひげを生やした、つんと突き出た顎。その彫りの深い古典的な顔だちが漂わせる厳格さとは対照的に、ハシバミ色の目はやさしさをたたえている。

 ジェイコブスを見て私が最初に感じたのは、反逆精神と繊細な弱さの両方だった。打ち解けやすく、率直な彼には、人生のすべてを語る準備ができていた。だが「どんな質問でも受けますよ」と彼に言われて、私はふと考えてしまった。ジェイコブスがこう言えるのは、これまでに山のようなインタビューを受けてきたからだろうか。それとも、クラブやアフターパーティ、ホテルやプライベートジェットといったイメージの陰で、精神的な強さ─大人になってからほぼずっと、過剰なほど注目を浴びてきた外向きの自分と、自分の本質を切り離して捉えられる強さ─を築いてきたからだろうか。

 ジェイコブスについてはすでに知っているような気がしていたし、才能と時代の精神をかけ合わせることができる稀有なデザイナーだというイメージをもっていた。約25年おきに現れるこうした特別なデザイナーたちはみんな、どこか神秘的だ。彼らのクリエーションが世に送りだされるまで、それがいったいどんなものになるかほかの誰にも予測できないからだ。

 たとえばイヴ・サンローランが女性にパンタロンを提案したのは、1966年に女性解放運動が起きる直前だった。でもあとから振り返ってみると、あの頃パンタロンが登場したのは当然だったように感じるのだ。要するにジェイコブスは、映画監督のデヴィッド・リンチ、米女性アーティストのリンダ・ベングリスたちと同じ、あの小さな集団に属している。

 彼らが現れた当初は世間を当惑させるが、ひとたびさまざまな文化面での先駆者であることがわかると、人々は彼らなしの世界を想像できなくなる。だが彩りの多い人生を歩み、アバター(註:自分の分身となるキャラクター)を次々と取り換えてきたジェイコブスは、クールで派手やかな“ペルソナ(註:心理学用語で外向きの人格、仮面)”を被っているために、過小評価されやすい。しかし、その裏を返せば、リアリティTV、ソーシャルメディア、オートフィクション(自伝的創作)に執着する病的な自己愛の時代が来る前から、彼はすでにセルフプロデュースの重要性を理解していたということになる。またジェイコブスは、小説家が自身のさまざまな性質をもとに登場人物をつくりだすように、彼の中のひとりは独創的な服作りに専念し、もうひとりは、彼のビジネスパートナー、ロバート・ダッフィー(現在65歳)の助けを借りて、ファッションビジネスの世界を刷新してきた。

 1993年には、クリエイティブ・ディレクターを務めていた「ペリー・エリス」で、ストリートとラグジュアリーを融合した“悪名高き”グランジ・コレクションを発表する。このときジェイコブスはまだ29歳だった。だがフランネルシャツをイタリアンシルクで、ベビードールドレスをポリエステルではなくシルクシフォンでリメイクしたこのショーは挑発的すぎると酷評されてしまう。彼はペリー・エリス(当時、品のよいアメリカンスポーツウェア・ブランドとして知られていた)から解雇される羽目になった。だがコンバットブーツを履いたケイト・モスの登場で締めくくられたこのショーは、グランジスタイルをハイファッションに昇華させたモード界の革命だった。これは、時代の気分をとらえ、人々の潜在意識を形にするジェイコブスの“神業”のほんの一例である。

 1984年に彼とダッフィーは会社を設立、その後「マーク ジェイコブス」を立ち上げたが、1993年のこのグランジ・コレクションこそが彼らの共同作業の結晶だった。1958年にパリの老舗レストラン「クロッシュ・ドール」で出会ったイヴ・サンローランとピエール・ベルジェが結成した共同体以来、久しぶりに現れた見事なコラボレーションだった。1997年にはジェイコブスが「ルイ・ヴィトン」のクリエイティブ・ディレクターに就任。以降16年間はふたつの顔をもち(最近のデザイナーにとっては当たり前のことだが)、ルイ・ヴィトンと自らのブランドの両方を統率した。ジェイコブスは老舗ラゲージブランドにウィメンズのプレタを導入しただけでなく、スティーブン・スプラウス、村上隆、リチャード・プリンスなどさまざまなアーティストとのコラボレーションを繰り返し、モードとアートを融合させた。これらのコラボレーションバッグや小物は今も熱望の的である。彼は、伝統に逆らいながらも確信に満ちたやり方で、メゾンのヘリテージを再構築した。新生ルイ・ヴィトンの大成功によって「伝統に忠実であることは尊ばれることだが、それだけでは退屈である」ことを実証したのである。

 常に時代の半歩先を見極める彼は、ショーで披露されたとき初めて、女性たちが“これぞ待ち望んでいたもの”と気づくようなスタイルを提案してきた。「マーク ジェイコブス」の、胸元の切り替えとラウンドカラーがきいた、セルリアンブルーの膝丈のレースドレス(2004-’05年秋冬コレクション)、ルイ14世風のスクエアヒールとバックルで飾ったシューズ(2012-’13年秋冬コレクション)、玉虫ピンクのスパンコールで覆った半袖のパジャマシャツドレス(2013-’14年秋冬コレクション)などが代表例だ。このブランドでは、時代に呼応した新しいアメリカン・ラグジュアリーを提案しながら、手の届きやすい価格帯を設定した。

 さらに2001年からはダッフィーとともに、採算性の高いセカンドライン「マーク バイ マーク ジェイコブス」をスタート。アーミージャケット、コットンのプレーリードレス(註:西部開拓時代風のドレス)、小物類(ロゴTやキーホルダー、トートバッグ)など、さらに価格を抑えたベーシックアイテムを提案し、ビジネスを拡大。高価格帯と低価格帯の両方の市場に進出した。これは新しい購買客へのアピールとなると同時に、のちに業界を席巻する“D2C(註:商品を直接消費者に販売するビジネス形態)”を予知した動きでもあった。

 ジェイコブスはファッションビジネスのみならず、ランウェイのあり方にも影響を及ぼした。彼にとってショーは単に服を見せるための手段ではない。それは今のイマーシブシアター(註:体験型の劇場)の前兆であり、ビヨンセやレディ・バニーなど、客席の多くを占めていたスターたちのリアルなスタイルも目にすることができた。確かに今ではグッチやプラダなどあらゆる有名メゾンのショーが、似たようなスケールの、似たような体験を供している。だがジェイコブスのショーほど強烈に心を揺さぶるものにはめったに出会えない。

「これまでに開催したショーの数と年数、音楽や会場演出のことまで考えると、毎回あれほど強い感情を喚起できるマークは見上げたものだよ。とてつもない難題なのに毎回クリアしてきたんだから」。ジェイコブスとコラボレーションを始めて10年以上になるフォトグラファー、スティーヴン・マイゼルが激賞する。ジェイコブスは、ショーの観客が、雰囲気やエスプリといった何かを感じ取ってくれていることに気づいている。スポットライトを浴びたモデルの顔に、ボレロハットが落とす不穏な影。暗赤色のタフタ地の、巨大なパフスリーブの圧倒的な品格。グレーの羽根のドレスに合わせた、ニットキャップの上でゆらめく羽根のロマンティックな孤独。「どうしてこういうコレクションがつくりだせるのか、自分でもわからない」。ジェイコブスは言葉を濁す。

画像: ランウェイのラスト、挨拶のために登場したマーク・ジェイコブス。 (左から)1987年、1991年頃、2003年、2005年、2006年 PHOTOGRAPHS BY FAIRCHILD ARCHIVE / PENSKE MEDIA/SHUTTERSTOCK; BARBARA ROSEN/IMAGES / GETTY IMAGES; J.VESPA/WIREIMAGE / GETTY IMAGES; MARK MAINZ / GETTY IMAGES; FERNANDA CALFAT / GETTY IMAGES

ランウェイのラスト、挨拶のために登場したマーク・ジェイコブス。
(左から)1987年、1991年頃、2003年、2005年、2006年
PHOTOGRAPHS BY FAIRCHILD ARCHIVE / PENSKE MEDIA/SHUTTERSTOCK; BARBARA ROSEN/IMAGES / GETTY IMAGES; J.VESPA/WIREIMAGE / GETTY IMAGES; MARK MAINZ / GETTY IMAGES; FERNANDA CALFAT / GETTY IMAGES

「僕には、布やジャケットに喜びを織り込むようなことはできないから。でも創作の過程で何かが起きるんだ。エネルギーが高まって、どんどん増幅して、ついにはそれが7分間のランウェイの中に注ぎ込まれていくような、そんな感じだよ」

 T.S.エリオットの詩に「君が出会ういろいろな顔に合わせて身支度を整える」という一文があるが、ジェイコブスにも同じような心の内が感じられる。彼にとってドレスアップとは、常に文字どおり「ショー」であり、真の人生がもしあるのなら、それは舞台裏にしか存在しないのだ。

 自然体でいるときの彼は、ショー後の高揚感が冷めやらぬなか、年来の友人とくつろいでいるような雰囲気だ。つま先はソファの端に軽く触れ、手もとにはお茶とカシミヤのスカーフ。興奮と疲労の入り交じったトーンで、内省的な話とゴシップの間を行ったり来たりする。私たちの会話は会ってすぐからかなり盛り上がった。アッパーウエストサイド(私の居住区でもある)の話、彼の祖母ヘレンやファーストキスの話(中学のときローレン・ボンジョルノという女の子とキャンプで起きた出来事。彼の中の〈クイーンがキングになった〉瞬間だが、ほかの男子に対して優越感を味わいたかったのが主な理由)、ドラッグ、乱交パーティの話。新しい性的パートナーを探すために誰もがGrindr(註:同性愛者向けの出会い系アプリ)に頼りすぎて、NYのゲイライフはつまらなくなったという話まで出た。だが何よりも会話の中核を占めたのは、精神を病んでいた母親が子ども時代の彼に負わせた深い傷のことだった。

 感情の起伏が激しく、強い自己防衛の本能が備わった人間になったのはそのせいだという。彼の父親はウィリアム・モリス(註:米の主要タレントエージェンシー)のテレビ番組担当だったが、ジェイコブスが7歳のとき慢性腸疾患の潰瘍性大腸炎で亡くなった(ジェイコブスは潰瘍性大腸炎と母親の病気の両方を受け継いでいる)。父親の死後、唯一の法的保護者となったのが、双極性障害を患っていた母親だった。

「子どもが見るべきじゃないものを見ていたんだよ」。ジェイコブスは怠薬したときの母親の姿を回想する。朝目覚めたときに、カタトニア(緊張病)の症状で血まみれになった母親を見たことも、救急外来に運ばれていくのを目にしたこともあった。母親はうつ状態だけでなく、ハイテンションの躁状態にもなったが彼にはどちらも受け入れられなかった。躁状態の母親はよくドラァグクイーン風のメイクをして外出していた。ハイな状態で帰宅した母親がボーイフレンドと一緒に浴室の壁に絵を描き、その上に男の陰毛のかたまりを貼りつけたこともある。別のときにはドラッグで興奮状態だった母親が、結婚するつもりでいたこの男とモデル事務所を開くと決め込んだ。すでに新姓のイニシャルの刺しゅうを入れたタオルのデザインまでしていた。

「何でも好きにすれば、って気持ちだったよ」と、彼はためらいがちに言葉を漏らした。その口調には、母親は重症にちがいないと疑念を募らせていた少年時代の、重たい不安と戸惑いがにじみ出ていた。彼がずっと疎遠にしていた母親は2008年に他界した。当時の状況は八方ふさがりだった。3人兄弟の最年長だったジェイコブスは、親代わりになることを余儀なくされた。「あんな義務は負いたくなかったよ。妹と弟の両親役なんてまっぴらだった」。だが幸い10代の前半から、彼は実家のそばに住んでいた父方の祖母と暮らすことになった(養護施設に預けられた弟妹との連絡は途絶えている)。祖母のアパートは、セントラルパークの西側、アールデコ建築のツインタワー「マジェスティック」。「そこから僕の愛すべき人生が始まったのさ」。

 ジェイコブスを心から愛した祖母ヘレンは、彼の人生にルールやマナーといったものを植えつけた。春の服、秋の服とそれぞれに合うシューズやバッグは、季節ごとに出しては片づける。ある服には黒い手袋を、別の服には白い手袋だけを合わせていたような祖母には、“まあまあ素敵な”10枚のセーターより、とびきり素敵なセーターを1枚持つことの美徳も教わった。若くしてこうしたスタイルの手ほどきを受けたこと、祖母からの絶大な信頼を得たことで、ジェイコブスの人生は好転していく(祖母ヘレンは〈ファッションに対して実用本位にとどまらない興味を示している孫は、いつか有名デザイナーになる〉と近所の人々に言い歩いていたらしい)。彼の心は安定を取り戻し、ディオニュソス(註:ギリシャ神話の酒・豊穣・演劇などの神)的な性質が開花し、自己破壊の危険からも回避した。彼はこれまでの人生で多くの人々に助けられ、支えられてきたが、この祖母こそが最初の庇護者であり、初めて必要だと感じた人だった。

「どんなときも自分の居場所を見つけてきた」とジェイコブスは言う。「自分が身を置きたいと思う世界は、自分自身でつくることができるって信じていたから」

 その空想の世界は常に閉ざされ、独自のルールに支配されていた。突然の土砂降りが、大都会の騒音をかき消してくれるように、そこでは美と芸術が安堵をもたらし、混沌を遠くに押しのけてくれた。もしかすると彼は、枠物語(註:物語の中で別の物語を語る)のように、世界の中のもうひとつの世界を見つけ、そこに創造性や感情を蓄えておきたかったのかもしれない。

 パーソンズ美術大学時代のルームメイトで、現在オートクチュールデザイナーとして活躍する友人、リッキー・セルビンが回想する。1981年、当時18歳だったジェイコブスは山本寛斎のパーティの演出を担当することになった。ジェイコブスはカナルストリートのフィッシュマーケットを借りて会場にすると、「生きた金魚が入ったビニール袋をぶら下げたネックレスを来場者全員に配った」らしい。

 ダッフィーの言葉を借りれば彼の“風変わりさ”と遊び心が、ジェイコブスのクリエーションの核を成している。それは単なるジョークとは違う。電話の受話器の代わりにロブスターを置いたシュルレアリスト、サルバドール・ダリのように、彼の生むユーモアには達観が入り交じっている。ファッションにおいてもビジネスにおいても深刻になりすぎる業界の人々に、彼のウィットがふと気づかせるのだ。華やかな会場、宝石やドレスをまとった美しいモデルといったファッションの表層的なまばゆさの下にあるのは、虚栄と塵だけなのだと。

 ジェイコブスのファッションを芸術の高みに引き上げているのは、彼の創造のプロセスだ。作家ヘンリー・ジェイムズが「風に吹きとばされた種」と呼んだ“アイデアの種”だけを武器に、彼は何かを形にすることもなく、何週間もの時間を過ごす。経験上、想像の世界に宿るざらざらした不快な砂粒こそが、創造の種であることを知っているのだ。その状態を保ちながら、そこで何かが芽生えるのをじっと待つ。子どものときから、家庭の混乱と精神的暴力から自分を守るために秩序ある美しい世界を空想してきた彼は、“混沌と規律の関係”というものを随分前から理解している。インスピレーションの最初のきらめきが形となって現れるまで、高まる不安を抑えて精神を集中させ、じっと待たなければならないということも。

 最初にはっきり姿を見せるのは、色とファブリックだ。だがこの時点ではまだジェイコブスには、どこに向かっているかさえわからない。ふと彼は、ヴァレンティノやホルストンといったデザイナーに対して人々が抱く幻想について話し始めた。「とびきりシックな机に座って美しいデザイン画を描くとまずアシスタントに手渡し、さらにドレープ担当の女性かテーラー担当の男性に回す。彼らが立ち去るときにはトワル(註:仮縫いサンプル)が完成していて、製品に使う生地の反物をモデルにあてながらフィッティングをする。みんなこんなイメージをもっているかもしれないけど、とんだ見当違いだよ」。彼は語気を強めた。「少なくとも僕らはそんなふうじゃない」。

 ジェイコブスと彼のチームは、まず2週間から1カ月ほど、テーブルを囲んで話し合う。つづいてチーム全員が外に出て、ヴィンテージショップやオートクチュールの縫製工場から生地を収集する「コラージュ」の過程に入る。ジェイコブスからの指示はない。この段階では、彼自身にも何がよくて何がだめなのかはっきりしていないからだ。そのためメンバーそれぞれの観点が、彼の視点と同じくらい貴重である。「マークの頭の中にはビジョンがありますから」とダッフィー。「でもアトリエの誰にも伝えません。まだ彼自身の中でも明らかな形にはなっていないんでね。私には、彼がいろいろな要素を組み立てて、だんだんと完成に近づいていくのがわかるんですが」。

 ジェイコブスはこうした段階を経て、シルエットやテクスチャー、生地を決めていく。2020年春夏コレクションについていえば、彼はハイウエストの60年代風スリーピーススーツに夢中だった。ひとたびビジョンの輪郭が浮かび上がると、ミツバチの巣の女王蜂のように、ヘア、メイク、シューズといったそれぞれのチームを訪れる。こうしてジェイコブスの中に芽生えてきた感覚やイメージと、各チームの創造力とを結合させるのだ。コレクションにぶれない軸があるのは、アトリエ内に協働力がみなぎり、各チームの創意を巧みに織り交ぜているからだ。

 喜びと奔放さにあふれた2020年春夏コレクションについて、ジェイコブスが説明し始めた。「あるときライ(NY州北部の市。ここにあるフランク・ロイド・ライト設計の家を2019年に購入した)で目覚めたとき、『Prepare Ye the Way of the Lord』の歌が浮かんできてね。この歌が登場する『ゴッドスペル』(新約聖書のマタイ伝を題材にしたスティーブン・シュワルツとジョン=マイケル・テベラクによるミュージカル作品。1971年初演)のビデオを観たんだ。これがとにかく最高で。なにしろ登場人物みんなが仕事を辞めちゃうんだ。モデルはウィッグとポートフォリオを投げ捨て、バレリーナは通りへ駆けだしていき、別の男がそのそばを通りすぎていくって感じでね。そう、2020年春夏コレクションは『ゴッドスペル』のフィーリングだったんだ」

画像: 2020年春夏コレクションより。 帽子はマーク ジェイコブスのためにスティーブン・ジョーンズがデザインしたもの。 (左)ジャケット、パンツ、シャツ、ブーツ、帽子(すべて参考商品) (右)ジャケット¥372,000(参考価格)、パンツ¥172,000(参考価格)、スカーフ¥51,000(参考価格)、ベスト¥122,000(参考価格)、ボタンダウンシャツ ¥86,000、サンダル ¥86,000(参考価格)、帽子(参考商品)/マーク ジェイコブス

2020年春夏コレクションより。 帽子はマーク ジェイコブスのためにスティーブン・ジョーンズがデザインしたもの。
(左)ジャケット、パンツ、シャツ、ブーツ、帽子(すべて参考商品)
(右)ジャケット¥372,000(参考価格)、パンツ¥172,000(参考価格)、スカーフ¥51,000(参考価格)、ベスト¥122,000(参考価格)、ボタンダウンシャツ ¥86,000、サンダル ¥86,000(参考価格)、帽子(参考商品)/マーク ジェイコブス

画像: (左)オークル色のジャケット、スカート、スパンコールをあしらったインナー、帽子、靴(すべて参考商品) (右)カナリアイエローのジャケット、ベスト、パンツ、パープルのブラウス、帽子、靴(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス マーク ジェイコブス カスタマーセンター TEL. 03(4335)1711

(左)オークル色のジャケット、スカート、スパンコールをあしらったインナー、帽子、靴(すべて参考商品)
(右)カナリアイエローのジャケット、ベスト、パンツ、パープルのブラウス、帽子、靴(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス
マーク ジェイコブス カスタマーセンター
TEL. 03(4335)1711

 こうして生まれたのは、色とノスタルジーが空一面に炸裂したようなコレクションだった。かぎ針編みの白い花をちりばめたオレンジ色のドレスや、イエローのストッキング。70年代風フロッピーハット(つば広帽)に、赤のボウラーハット(山高帽)。赤やピンク、オレンジのダリアで飾ったソフトオーガンザの美しいカクテルドレス。メイクは、ラガディ・アン(註:毛糸の髪と赤い三角の鼻が目印のキャラクター)風のアイラッシュや、コガネムシのようなシャイニーグリーンのアイシャドウ。エルトン・ジョンを思わせるチョウの羽根型メガネもインパクトを添えていた。それはまさに狂喜乱舞の春。サンバの女王カルメン・ミランダ(註:40~50年代に活躍)が海底散歩に出かけ、ペチコートに海綿動物やウミユリ、イソギンチャクをくっつけて地上に戻ってきたような多幸感が、ぎゅっと詰め込まれていた。

 だが、話題がデザイナーの存在意義や“寿命”に変わると、ジェイコブスは悟ったような顔つきになった。デザイナーという仕事のキャリアサイクルについて「先行きは暗い」と言う。クリエイティブな人間には誰しも栄光の瞬間があって、おそらく自分にとってのそうした瞬間はすでに過ぎ去ってしまったのだろうと彼は感じている。

「誰もが、新しい人が運んでくる新しさを望んでいる。今の自分はもう、ペリー・エリスで夢のようなポジションを得た25歳の若者じゃない。グランジ・コレクションを手がけた自分とも、90年代のバッドボーイだった自分とも違うって自覚しているよ」。「僕はただ、今もコレクションを手がける幸運に恵まれた56歳の人間ってだけなのさ」。

 その声には、経験の深さと、現実を達観したような穏やかさが感じられた。おそらく少年期に母親から受けたトラウマのせいで、彼には“ペルソナ”の力に惹かれ、仮想の自分という逃げ場に隠れようとする傾向がある。

「自分自身の一部に、名役者になれる素質があったと思う」。人生の傍観者のような口調で彼は言った。「アイデンティティをつくりだして、役を演じるっていう発想は好きだね。自分の人生という映画の中で役を演じるっていう考えにはすごく惹かれるよ」。ジェイコブスのクリエーションは、しばしば明確な特徴がないと批判される。だがそれは間違っている。ブランドのシグネチャーは彼自身なのだ。アメリカのゲイカルチャーの発展に伴う、ジェイコブスの内なる成長こそが、彼のクリエーションに貫かれたメインテーマなのである。

 インフルエンサーや、ソーシャルメディアマネジャーが活躍するはるか昔から、ジェイコブスは自らがブランドの象徴になるべきだと気づいていた。そして長きにわたり、彼は“ゲイカルチャーの社会学”を体現してきた。まず2005年前後には理想の肉体美を追求した。たるんだ体と乱れたロングヘアの蛹(さなぎ)から脱皮し、筋骨隆々のインスタ映えするボディを披露したのは有名だ。ほかには、セックスポジティビティ(註:健康で安全なセックスの重要性を強調する社会運動)、リハビリ(註:ドラッグなどの依存症が原因でリハビリ施設に入所したことがある)、ウェルネス、そして同性婚まで、あらゆることを実践した。今回のインタビューでも、ジュエリーストーンで飾ったネイルに、ラインストーンのバレッタをつけたヘアで、ジェンダーフルイディティ(ジェンダーの流動性)を具現していた。

画像: (左)エナメルのボタンとバックルがアクセントに なったロングジャケット¥415,000、ハイウエストのパンツ¥172,000、ブラウス¥100,000、セーター¥79,000、フェドーラ(中折れ帽)、¥172,000(参考価格) (右)レザーのトレンチコート、ベスト、ブラウス、パンツ、カウボーイハット(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス マーク ジェイコブス カスタマーセンター TEL. 03(4335)1711

(左)エナメルのボタンとバックルがアクセントに なったロングジャケット¥415,000、ハイウエストのパンツ¥172,000、ブラウス¥100,000、セーター¥79,000、フェドーラ(中折れ帽)、¥172,000(参考価格)
(右)レザーのトレンチコート、ベスト、ブラウス、パンツ、カウボーイハット(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス
マーク ジェイコブス カスタマーセンター
TEL. 03(4335)1711

 NYの伝説的ディスコ、スタジオ54に初めて行ったのは、ジェイコブスが15歳のときだった。ボタンダウンのシャツに小さなボウタイを合わせ、女優のモリン・ステイプルトンと、ウィンザー公爵夫人も顧客にしていた帽子デザイナーのミスター・ジョンと一緒に、パーソンズ美術大学行きのバスで向かったのを彼は覚えている。それまではまったく冴えないタイプで、ゲイであることをカミングアウトしたこともなかったそうだ。スタジオ54に通い始めてまもなく、彼はクラブ「フラー」のオーナー、ロバート・ボイキンとつき合いだした。

「フラー」はアッパーウエストサイドにある、ロックとニューウェイブを初めてフィーチャーしたクラブで、ボイキンはジェイコブスより17歳も年上だった。彼のおかげでジェイコブスは歌手のデボラ・ハリー、デヴィッド・ボウイ、アンディ・ウォーホルなどと知り合いになった。「マークは物知り博士みたいだった」。1980年代に、ダウンタウンにあるエレベーターなしの建物の4階をジェイコブスとシェアしていたセルビンは言った。「ファッションのあらゆること、ファッション界のあらゆる人を知っていたからね」

 1980年代末、9年半つき合ってきた恋人のボイキンはエイズを患い、人生の最期を迎えるためにアラバマ州に帰郷した。性的退廃の時代は幕を閉じようとしていた。それまで誰もがドラッグを使い、気軽に誰とでもセックスを楽しんでいたが、ジェイコブスの言葉によれば「なんてことだ。エイズが出現し、仲間たちみんなが感染し、どんどん蔓延している。もう従来どおりにはいかない」と状況は急変した。セルビンいわく、この頃のジェイコブスは「色気とは程遠かった」らしい。

 だが潰瘍性大腸炎の治療のために運動をし、食事にも気を配ったところ、2005年頃には21%の体脂肪率が6.5%にまで落ちた。「腹筋が割れていたし、腕をちょっと動かせば、力こぶだってできた。そうしたらジムの男たちの視線を集めるようになって」。ジェイコブスももちろん見られることを楽しんだ。だがそれから、退廃的な生活を送るようになり、彼特有の悪のサイクルに陥ってしまう。いろいろな話を聞いていた私には、その負の連鎖が想像できた。ジェイコブスはボルテージを上げて、エクスタシーを飲んでは一晩じゅうイビサ島のクラブで大騒ぎをした。

画像: ランウェイのラスト、挨拶のために登場したマーク・ジェイコブス。 (左から)2007年、2009年、2016年、 2019年 PHOTOGRAPHS BY FERNANDA CALFAT / GETTY IMAGESRANDY, BROOKE/WIREIMAGE / GETTY IMAGES, RANDY BROOKE/WIRE IMAGE / GETTY IMAGES(2016,2019年)

ランウェイのラスト、挨拶のために登場したマーク・ジェイコブス。
(左から)2007年、2009年、2016年、 2019年
PHOTOGRAPHS BY FERNANDA CALFAT / GETTY IMAGESRANDY, BROOKE/WIREIMAGE / GETTY IMAGES, RANDY BROOKE/WIRE IMAGE / GETTY IMAGES(2016,2019年)

「そのうえGrindrが登場したんだ。あの頃は、Grindrを通じて次々とデートをするのが楽しかったし、ルックスがいいパートナーに出会いたくて。相手の中身なんてどうでもよかった。セックスさえできればね」。恋人としてつき合っていたのは、実業家のロレンツォ・マルトーネや、アダルト映画のスター、ハリー・ルイスといった美しいブラジル人たちだった。ルイスの傑作といえるビデオはオンラインで入手可能だが、その中にはルイスがヨガさながら果敢に下半身を動かしながら、喉につっかえるものを取り払うようなシーンもある。だがジェイコブスは昨年、長年つき合ってきたモデルでインテリアデザイナー、起業家のチャーリー・デフランチェスコ(36歳)と結婚した。「結婚なんて僕にはどうでもよかったんだけど、チャーリーと5年間一緒に過ごすうちに、彼にとっては結婚が大事なことなんだって気づいてね」とジェイコブスはほほ笑んだ。

「幸せ」。これはジェイコブスの友人や同僚が、彼のことを話すときに何度も使った言葉だ。誰もが、今のジェイコブスは本当に幸せそうで、以前よりずっと自然体でいるという。ダッフィーも「マークは、地に足がついた、穏やかで幸せな結婚生活を送っていますよ」と切り出し、ライでの生活についても言及した。「まさかマークが郊外に引っ越すなんて、意外でしたね」(ちなみにジェイコブスはマンハッタンの家も保持したままでいる)。ダッフィーの言葉を聞いた途端、作家V.S.プリチェットの「あの幸せが、彼女の才能に陰りをもたらしたようだ」というフレーズが私の頭をよぎった。これはプリチェットが『イーディス・ウォートン(註:小説家・デザイナー)が結婚後に得た個人的な幸せ』という題で書いた文章の一節である。

 だがこの結びつけ方は間違っていた。2013年以来、マーク・ジェイコブスでスタイリストを務めるケイティ・グランドが私の早とちりを正してくれた。ジェイコブスは、スプリングストリートのアトリエの7階のドアをくぐり抜けた瞬間に「ライでの穏やかな幸福感を失って、心細さと不安を抱き始める」のだという。不安の要素は仕事以外にもあるようだ。まずお金のこと。ジェイコブスは最近、個人的に収集してきたコンテンポラリーアートの収集作品のうち50点以上をサザビーズで販売した。その中にはジョン・カリンやアンディ・ウォーホルの作品も含まれていた。さらに年齢のこと。不安に駆られるのはモード界が新しさばかりを追い求めるからだ。ケイティ・グランドは歯切れよく言った。「マークのクリエーションのプロセスはずっと変わらないわ。プライベートが幸せかそうでないかには関係なくね。いつだって彼は創作意欲にあふれているのよ」

「自分の手の内にある間は、手の内にあるすべてを楽しみたいと思っている」とジェイコブス。「でも限られた時間しかないから急いで楽しまなければっていう恐怖心もあってね。楽しいことは永遠には続かないような気がして。この幸せを誰かに奪いとられるか、消えてしまうか、僕自身が失ってしまうか。いつだって悲運や混乱と隣り合わせでいるような気持ちなんだよ。それが自分の生まれ育った環境だったから」。

 ここ5年間「マーク ジェイコブス」の状況は、思わしいものではなかった。まず2014年にはダッフィーが退任。こうしてモード界で他に類を見ないほど成功した、創造性豊かなビジネスパートナーシップにピリオドが打たれた。2013年にはジェイコブスが「ルイ・ヴィトン」のアーティスティック・ディレクターを辞任。ほぼ同時期にふたりは、ブランド再編が進む「マーク ジェイコブス」の支配権をLVMHに譲渡した。かつては、化粧品や香水の事業のほか、メンズやキッズライン、ブックストアなど、合わせて世界に250以上の店舗を展開していたが、ウィメンズのプレタ以外のほとんどを終了、または縮小することになった。キャンディカラーのバッグ、ブルーのフレアジーンズ、つい手に取りたくなるようなアクセサリーが人気だったセカンドラインの「マーク バイ マーク ジェイコブス」も廃止となった。

 当時の状況の中でダッフィーは自分が脇に追いやられたように感じたと言う。「なぜLVMHがあんな決定を下したか理解できなくてね」。ダッフィーは不満げにつぶやいた。「きちんと儲かるものだったのに、なぜすべて捨て去ったんでしょうね」。

 NY州ハドソンバレーのラインベックに家を購入したダッフィーは、週末ごとにそこでの時間を楽しんでいるそうだ。今はふたりの子どもを育てている。子どもたちのゴッドファーザー(洗礼親)はジェイコブスである。ダッフィーの辞職後、「マーク ジェイコブス」のCEOには、まずジバンシィから移籍したセバスチャン・スールが就任。2017年からはケンゾーのエリック・マレシャルがあとを継いだ。2018年2月、マレシャルが着任後、初めて重要ポジションに採用したのが、アメリカのスポーツウェアブランド「バハ イースト」の共同設立者で元共同デザイナーだったジョン・ターゴンだった。ターゴンはコレクションのデザインチームとジェイコブスのサポート役になったが、わずか3カ月で退任した。「マーク ジェイコブス」のデザイナーは、やはりブランド名でもある本人にしか務まらないのかもしれない。

 今、明らかなのは、彼自身とブランドが華麗な躍進を遂げた“狂乱の時代”は過ぎ去ったということだ。まるで栄枯盛衰の訓話のように、エネルギッシュに勢力を拡大してきた彼のキャリアは、利益減少、店舗閉鎖、ダッフィーの退任(円満ではあったが)と非運が続き、静けさと陰りを帯びている。現在「マーク ジェイコブス」は、NYに3店舗、ロサンゼルスに1店舗、パリに1店舗、その他世界各地に5店舗残るのみだ。だがもちろん軌道修正は行っている。まず2018年に「ペリー・エリス」で手がけた伝説のグランジ・コレクションを復刻。誕生から25周年を記念したこの「レダックスグランジ・コレクション1993/2018」では、オリジナルにほぼ忠実な26ルックを蘇らせた。また、2019年5月には新ライン「ザ マーク ジェイコブス」を発表。「マーク バイ マーク ジェイコブス」の新バージョンと呼ぶべきこのブランドでは、定番アイテムの復刻版や新しいコラボレーションアイテムを提案している(復刻アイテムのチョイスには映画監督ソフィア・コッポラらが参画)。

画像: フェザーのヘッドピース、ソフトオーガンザ製のダリアと葉をあしらったロングドレス(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス マーク ジェイコブス カスタマーセンター TEL. 03(4335)1711

フェザーのヘッドピース、ソフトオーガンザ製のダリアと葉をあしらったロングドレス(すべて参考商品)/マーク ジェイコブス
マーク ジェイコブス カスタマーセンター
TEL. 03(4335)1711

 そして、ここ3シーズンの「マーク ジェイコブス」は大絶賛を浴び、批評家から再び彼は“NYファッションの顔”と称されている。最近のランウェイを見ていると、ヨーロッパの編集者たちが長いこと、彼のショー見たさにNYファッションウィークに飛んできていたことを思いだす。たとえ開演まで何時間も待たされようと、彼らは毎シーズンやってきていた(最近は“大抵の場合”オンタイムで開演している)。プロエンザ スクーラー、アルトゥザラ、トム フォードなど、ヨーロッパやカリフォルニアでショーを開催したブランドもあったが、ジェイコブスはずっとNYにこだわってきた。今でも彼のショーは、この街のファッションウィークでトリを務めている。

 最近のショーはミニマルな簡素さが特徴だが、年月を重ねた巨匠としての気迫がほとばしっている(ちなみに彼は巨匠より、賢者という言葉をよく使う)。情熱を呼び覚まし、時代の空気を読みとるジェイコブスのパワーはいたって健在なのだ。今、人々が再びジェイコブスのクリエーションに興味をもつのは、ノスタルジアのせいではない。タガがはずれたようなこの時代に、勢力拡大の基盤さえ失った奇才デザイナーが、いったいどんなものをつくりだすのかと好奇心をそそられるのだ。

「アメリカのデザイナーには、この国のクリエイティブな世界に特有の、粘り強さや積極性があるわ。マークはまさにその両要素の象徴よ」。長いことジェイコブスと仕事をしてきたファッションPR会社KCDの共同経営者ジュリー・マニオンがコメントする。「伝統にとらわれない大胆さも彼の特徴ね」。

 ジェイコブスというアーティストの妙技は、時代に合わせて新風を吹き込む感性とキャパシティにある。このブランドのショー会場といえば、10年以上にわたり、NYのレキシントン・アベニューにあるアーモリー(兵器庫)だった。レンガに覆われたボザール様式の第69連隊兵器庫だ。だが2014年からは、アッパーイーストサイドのパークアベニュー・アーモリーに移動した。ルーズベルト家とヴァンダービルト家出身の民兵が多かったため「シルクストッキング(註:上流階級)部隊本部」と呼ばれた、金ぴか時代(註:19世紀後半の産業発展と成金趣味を風刺した名称)の建造物である。

 以来ジェイコブスは、何度かの例外をのぞき、ずっとここを会場にしている。かつてのランウェイは奇抜で斬新だったが、最近はどこまでもシンプルになり、会場で目につくのは、モデルと服と観客、そしてマッチ棒を敷き詰めたような、でこぼこした木の床だけだ。2018年春夏のショーは、色鮮やかな60年代風チュニック、ブローチを留めたターバン、バティック風の素材やパステルフラワー柄のワンショルダードレスなどが、水を打ったような静けさの中に現れた。約5km²の会場の外周にずらりと並んだ、座り心地の悪い金属製折りたたみ椅子。そこに腰かけた460人の観客は、きらびやかなジュエリーサンダルを履いて闊歩するモデルの足音と、スパンコールやビーズでずっしりと飾り立てた服がシュッシュッとこすれる音だけを耳にした。そこにはシンプルがゆえの圧倒的な迫力があり、若い頃にまとわりついていたノイズと混乱から解き放たれた、今のジェイコブスの心情が映しだされていた。

 彼と最後に会ったのは、クリスマスの約1週間前、暖かな日差しの午後だった。アトリエのレセプションエリアの横には、彼の飼っているブルテリア「ネヴィル」の彫刻がある。私は最近、インスタグラムでこの犬のフォローをするようになった(フォロワーは20万人以上いる)。なんとなく、ジェイコブスがなぜ周囲の人々からこれほど深く愛されるのか、ようやくわかってきたような気がした。「創造性と悲運の神秘的な結びつき」を少しでも感じるタイプの人はみな、彼が漂わせる危うさに心をかき立てられてしまうのだ。

 彼とひと言でも話せば、オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイの肖像』の主人公について書いたように、才能という「金襴(きんらん)」に「紫色の糸のような一筋の悲劇が通っている」と感じずにはいられないのである。だから庇護者たちは魅了されてしまう。「彼はとにかくとても美しい人よ」。ジェイコブスの友人で映画監督のラナ・ウォシャウスキーが高らかに言う。彼女は「ショーのあとの燃えつき症候群」だったジェイコブスに、アルベール・カミュの哲学的エッセイ『シーシュポスの神話』(1942年)を手渡した。その結果、ジェイコブスとウォシャウスキーは、この神話をテーマにしたタトゥを一緒に入れることになったのだという。

 以前ジェイコブスが、1980年にカプリ島で祖母と撮ったというスライドを見せてくれたことがある。スライドはヴィンテージの赤いプラスチック製フォトビューワー(スライドを見るための装置)に入っていた。そこに写った彼は、タフで近寄りがたいほど魅力的な今の姿とまるで対照的だった。過去と現在、ふたつのイメージは、「無垢と経験」をテーマにした二連画のようである。ビューワーの小さな凸レンズをのぞくと、ひょろっとした17歳のジェイコブスがほほ笑みながら、高級住宅街のアッパーウエストサイドらしいエレガンスをたたえた白髪の祖母と並んでいる。

 祖母が着ているのは、ジェイコブスの勧めで買ったという、シルバーの太いストライプが入ったクロード・モンタナの白いニットドレスだ。ジェイコブスは白いパンツに“ドレス風の”メンズセーターを合わせている。このセーターは、アッパーウエストサイドの今はなきセレクトショップ「シャリバリ」で、商品補充係のバイトをして得たお金で買ったものだ。ティーンエイジャーだったジェイコブスと、彼が大好きだった祖母の揃いの白い服は、ふたりの絆の証しである。それから数十年後、ジェイコブスとウォシャウスキーがともに施した、シーシュポスのタトゥと同じように。

 神々の怒りを買った男が、罰として巨岩を山頂に押し上げ、再び転落する岩を運ぶという神話は、苦行が続く人生にまといつく孤独と徒労を知る人々から、常に共感を得てきた。ジェイコブスとウォシャウスキーの前腕にあるこの神話を主題にしたタトゥには、5つの単語から成る希望の言葉が刻まれている。「Iwill if you will (あなたがするなら私もしよう)」。逃げ場のない孤独を救ってくれるのが、人と人との温かな心のふれあいなのだ。

MODELS: JANAYE FURMAN AT THE LIONS AND ELIBEIDY DANI AT IMG. HAIR BY AKKI AT ART PARTNER. MAKEUP BY SUSIE SOBOL AT JULIAN WATSON AGENCY. SET DESIGN BY ANDY HARMAN AT LALALAND. CASTING BY MIDLAND.

MANICURE: DAWN STERLING AT STATEMENT ARTISTS. PRODUCTION: HEN’S TOOTH. LIGHTING DESIGN: JORDAN STRONG. PHOTO ASSISTANTS: ARIEL SADOK, KAITLIN TUCKER AND SHEN WILLIAMS. DIGITAL TECH: JONATHAN NESTERUK. STYLIST’S ASSISTANTS: RAYMOND GEE AND ERICA BOISAUBIN. TAILORING: THAO HUYNH. HAIR ASSISTANT: REI KAWAUCHI. MAKEUP ASSISTANT: SASHA BORAX. SET DESIGN ASSISTANT: LEE FREEMAN.

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