カルティエのアイコンとともに受け継がれるさまざまな愛の形。作家・朝吹真理子が、「トリニティ」と「タンク」に想を得たオリジナルエッセイを書き下ろす

BY MARIKO ASABUKI

The Essay for 'TRINITY'
「祖父の小指」

 朝ごはんを食べるために近所の喫茶店に行ったとき、ちょうど朝日がさしこむテーブルに座っていたからか、友達がつけている指輪がよく光った。熱々のトーストのうえにあんことバターを乗っけて、バターが溶けるのをみながらいそいで頬ばる。ナイフを持つ友達の手がきれいで、カフェオレボウルの陶器の滑らかさも、彼女の指輪も、光を浴びていた。

 ふだん、私は装飾品をつけないのだけれど、クローゼットのなかにいくつかの大切なアクセサリーをしまっている。子供のころは、鉱物やパールがおいしそうにみえてこっそり箱をあけて舐(な)めたりしていたが、さすがにいまはくちにはふくまない。それでも、たまにあけて眺めたりする。そのうちのひとつに祖父の指輪がある。祖父は、友人の彫刻家に作ってもらったリングをたまに小指に嵌(は)めていた。祖父が亡くなったころだったか、有名な推理小説のドラマをみていたとき、主人公の探偵エルキュール・ポワロの小指にも指輪があることに気づいた。神経質そうに髭を整える仕草のときに小指が光る。祖父の手は骨張っていて、ポワロのように肉厚ではなかったが、おなじように小指に指輪をつけていたことをうっすら思いだした。いまはおしゃれのひとつとして、古くは印鑑の代わりとして、小指にリングを嵌める習慣が男性にはあったようだ。詩人のジャン・コクトーも、カルティエのトリニティリングを小指に重ねづけしている。

画像1: HAW‐LIN SERVICES © CARTIER

HAW‐LIN SERVICES © CARTIER

 祖父はずいぶん昔に鬼籍に入った。彼との思い出は淡々としていて、子供のころ、雛人形を買ってもらった帰りに吉祥寺のお団子屋で花見団子を食べたこと、庭いじりにつきあっておもちゃのシャベルを持って祖父のそばにいたことくらいしか、長く一緒に過ごしたという記憶がない。祖父は、誰に会うというわけではない日でも、糊(のり)のきいた白いシャツを着るような人だったので、少し近寄り難くみえていた。子供を喜ばせる遊びを祖父は知らないので、孫への声がけはたいてい決まって、最近読んだ本は何ですか、だった。声は穏やかだけれど、私は漫画しか読んでいなかったので、毎度困惑した。いまであれば、祖父の好きな詩をたずねたり、自分が好きな漫画がいかにおもしろいかを考えながら言葉にしてみたりしたいけれど、当時は質問自体が怖いし、ちょっと億劫(おっくう)でもあって、早く自分の遊びに戻れないかとどこかで思っていた。祖父はよく、ゆったりした手つきでトーストにマーマレードジャムをどっさり塗って食べた。せっついてものを食べるくせのある私とずいぶん違う人だなと思った。私が何か話すと、そうですか、と孫にも敬語を使う。祖父は、終生、距離を保った付き合いをする人だった。

 ジャン・コクトーの作品のひとつを祖父が翻訳していたことを、最近知った。祖父は自分のことをほとんど話さなかったし、私も家族のことに何の興味ももたなかった。1960年、モンパルナスのカフェで、三島由紀夫と一緒に祖父の妹がコクトーに会っている。そのことも偶然読んだ本のなかで知った。同時期に祖父もフランスにいたから、彼もまたパリでコクトーに会って、コクトーの小指をみたりしただろうかとふと思う。

 いまは祖父の残したものごしに、交流をしている。数年前、フランスのポンピドゥ・センター・メスというところで、私は小説の朗読をすることになった。真冬だったので、漢方や、蜂蜜、ほうじ茶、ブランケットをトランクに詰めながら、祖父の指輪も一緒に持ってでかけた。最初は薬指につけていたが、少し緩かったので、途中からポケットにしまって連れ立って歩いた。真冬のメスは石畳が凍っていて、足首に冷気が巻きついてくる。うっかりしていると滑って転ぶので、ガニ股でクリスマスマーケットを歩いた。滞在中、道に迷ったり、フランス語がわからなくて困ると、ズボンのポケットに手を突っ込み、指輪のごろごろした感覚を握って安心した。指輪を護符に近いもののように思っていた。ポケットのなかで指輪に触れていると、祖父の指に触れているような気がしてくる。ふしぎなことに、亡くなってからの方が、祖父を近くに感じている。

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