スーツをモードに昇華したトム・ブラウン。アメリカを代表するデザイナーのひとりであり、世界各地に熱狂的なファンを持つ彼は、いかにして「トム・ブラウン」になったのか。コレクション、そしてパフォーマンスが映し出す独創的なビジョンはどこから来るのか。稀代のデザイナーの素顔に肉薄する

BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPH BY DANIELLE NEU, STYLED BY MATT HOLMES, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

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 2000年代初期といえば、メンズファッションがカジュアル化して、スキニーなデザイナーズジーンズやレザーのライダースジャケット、何百ドルもするパーカなどが流行(はや)った時代だ。そんな時期になぜブラウンはスーツを打ち出し、ましてや、なぜシルエットを刷新しなければならないのかと多くの人は疑問に思った。当時はブティックに出勤する彼のスーツ姿を見て、ニューヨークの小学生までもがクスクス笑っていたそうだ。〈男の足首は、女の胸の谷間のようなもの〉と考えるブラウンが提唱した〈足首を見せるパンツスタイル〉は、当時あまりにも斬新すぎたのである。

 だが彼は自分の考えやアイデアに忠実であろうと努めた。あるときテレビ司会者のジミー・ファロンが店にスーツを買いに来た。ファロンはボトムの丈を長くして、ジャケットの身幅を広げ、全体的にゆったりしたシルエットに変えたいと言ったが、ブラウンは首を横に振った(だが最終的にファロンはスーツを購入したそうだ)。その数カ月後に来店したデヴィッド・ボウイは、驚いたことに「トム ブラウン」ならではのシルエットのスーツが欲しいと言ってきた。それからほどなくして現れたのは、当時最も影響力があったパリのセレクトショップ「コレット」のサラ・アンデルマンと、ニューヨークの高級デパート「バーグドルフ・グッドマン」のマーガレット・スパニオーロ(のちにトム ブラウン社のCOOに就任した)だった。ふたりのバイヤーは、もともと小さめに作られたブラウンのグレーのスーツを、男性だけでなく女性のためにも買いつけた。2006年はこうした出来事が続き、ブラウンは未来に希望がもてるような気がしたという。

 そもそもブラウンはなぜスーツを選んだのか。当然、自分が着たいものを作りたかったわけだが、それに加えて彼は「頭にはっきりと浮かんだイメージ」を形にすることで、ブランドを構築できることも知っていたのだ。確かにスーツは誰もが着る服なのに、真の意味でアップデートしたデザイナーはわずかしかいない。1920年代にツィード素材のスーツを生んだフランスのフェミニスト、ガブリエル・「ココ」・シャネル、1980年代にシャークスキン(註:サメ皮風の生地)のルーズシルエットのスーツを生んだイタリアのプレイボーイ、ジョルジオ・アルマーニ。そして数十年にもわたって、ジャケットのパーツを大胆にカットしたり、オーバーサイズにしたりと絶えず実験を繰り返してきた、「コム デ ギャルソン」の川久保玲といったところだろう。ブラウンはこの小集団に属しながらも、その先達について言及したり、彼らのクリエーションや世界観をムードボードに載せたりしない(彼のデザインチームはムードボードを活用すること自体、許されていない)。「自分らしい方法にこだわりたいので、ほかの人が何をどうやっているかには関心がないんだ。それにファッションは進化すべきだと思うけれど、その変革は望んでいないから」

画像: 2013年秋冬ウィメンズ・コレクションより

2013年秋冬ウィメンズ・コレクションより

 西洋で男性がスーツを着るようになったのは400年以上も前のことだ。17世紀のフランスやイギリスの宮廷で貴族が好んで身につけたブリーチ(註:裾がすぼまった膝下丈の半ズボン)とウエストコート(ベスト)がその原型だと考えられている。ヴィクトリア朝、エドワード朝ではよりリラックスしたスタイルになり、第二次世界大戦後は衣料品の配給制が導入されたこと(註:布地不足による)、またアメリカのミドルクラスが既製服を好んだこともあり、今のようなシンプルなスーツが普及するようになった。1955年にスローン・ウィルソンが書いた『The Man in the Gray Flannel Suit』(註:『灰色の服を着た男』。主人公は戦場でのトラウマに苦しみ、酒を心のよりどころにしている)という小説の題にもあるとおり、グレーのスーツは当時のトレンドだった。だが同時にこのスーツは、服従や同調の意味を帯び、アメリカ人の戦後の葛藤を示す陰鬱(いんうつ)な象徴でもあった。

 ビジネスマンだった彼の父親ジェームスの仕事着もスーツだった(ブラウンは、父親がひいきにしていた「ブルックス ブラザーズ」と2007年から2015年にかけてコラボレーションをした)。一家は、かつて鉄鋼の街として栄えたペンシルベニア州アレンタウンに住んでいた。弁護士だった母親バーニスは7人の子どもをカトリック系の学校に入れたため、兄弟誰もがオックスフォードシャツとネイビーのブレザーに革靴という制服で通学したという。兄弟の真ん中の子だったブラウンは当時から今にいたるまで、とにかく負けず嫌いで、高校時代にはテニスで、その後、経済学を学んだノートルダム大学では水泳で活躍した。同大学には何人かの兄弟が通っていたが、彼らは医師や弁護士として活躍している(今も家族仲はよく、男兄弟よりも姉妹たちが「トム ブラウン」の服をよく着ているそうだ)。ブラウンには多くのルーティンがある。朝に13㎞ほど走り、朝食にトーストを食べ、夜はクリスタルのグラスでクリュッグのシャンパンを飲む。こうした日課は、ブランドの本質に横たわる〈厳格さ〉と重なる。「スケジュールはきっちり組み立てるのが好きなんだ。それがより規律正しい毎日を過ごすための秘訣だよ」

 この「強いこだわりや信念」は間違いなく、育った環境やスポーツでの自己研鑽を通して生まれたのだろう。だがこうした特質をしのぐ、何よりの快挙といえるのが、彼が父親世代のファッション(と郊外住宅地のごく普通の生活様式)を手本としながら、それを覆し、まったく新しいスタイルを生んだことだ。ブラウンはスーツの役割と目的を見直して、ホワイトカラー層の味けない通勤服を、エッジの効いたモードに変換したのである。以来、ブランドのシグネチャーとなったグレーのスーツを常にアップデートしつつ(時折、元のバージョンに戻しながら)、これまで76のコレクションで数えきれないほどのバリエーションを発表してきた。さらに彼はアメリカの家父長制的な男女二元論をほのめかすようなショーを披露しながらも、この規範に逆らうように、アーティスト、トムボーイ、トランスジェンダー、外国人、さまざまなアウトサイダーに似合う服を提案してきた。ブラウンはこうした人々に〈かつてマイノリティにとって窮屈だったこの国で創られ〉〈ひと昔前まで彼らのためではないとされた〉服を、堂々と着てもらいたいと願っているのだ。

MODELS: ERNESTO PEЦA-SHAW AT NEXT MANAGEMENT, DANIEL AVSHALUMOV AT WILHELMINA MODELS, AMBAR CRISTAL AT NEXT MANAGEMENT AND JORDY EMMANUEL AT CRAWFORD MODELS. HAIR BY DYLAN CHAVLES USING ORIBE HAIR CARE AT MA + GROUP. MAKEUP BY INGEBORG USING DIOR FOREVER FOUNDATION. CASTING BY GABRIELLE LAWRENCE.

PRODUCTION: LOLLY WOULD. PHOTO ASSISTANTS: XAVIER MUДIZ, PIERRE BONNET. TAILOR: CAROL AI. STYLIST’S ASSISTANTS: GABE GUTIERREZ, SOFIA AMARAL

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