INTERVIEW BY YUKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY YASUTOMO EBISU, EDITED BY MARI MATSUBARA
2023年、エルメスは日本法人設立40周年を迎えた。1837年に馬具製造から創業したこのメゾンは日本と縁が深い。5 代目社長・ジャン=ルイ・デュマが初めてフランス国外に「メゾン」建設を構想した国、それが日本だった。そこには、職人の手仕事に支えられたエルメスの製品を正しく理解し、特別な愛着をいだく日本の顧客への深い感銘があったという。工事に時間がかかったことから、初の国外メゾンのオープンは米国ニューヨークのマディソン・アベニューに譲ったが、その翌年の2001年、東京・銀座に「銀座メゾンエルメス」がオープン。象徴的なガラスブロックのビルディングが銀座の玄関口の顔となって久しい。
遊び心あるクリエイティビティを尊び、伝統に安住しないエルメスは、皮革製品にとどまらず、シルク製品やシューズ、プレタポルテ、ハイジュエリー、ホームコレクション、フレグランスと部門を広げ、常に私たちの目を驚かせてきた。革新の連続であったメゾンの歴史の新たな1ページとなったのが、2020年にスタートした「ビューティ」ラインだ。
エルメス初となる化粧品産業への進出を発案、牽引したのが現CEO、アクセル・デュマ氏だった。ジャン=ルイの甥にあたる彼は2013年、42歳でCEOに就任。ハーバードのビジネススクール出身の俊才、そしてめったにインタビューに応じないことで知られるが、エルメスジャポン40周年記念の催事に合わせて急遽来日したところをキャッチ。インタビュアーにジャーナリストの安藤優子氏を迎えて、T JAPANが独占取材を敢行した。
安藤優子(以下、安藤) 今日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。まずここ、「銀座メゾンエルメス」についてお聞きします。今や世界45カ国で約300の店舗を展開されていますが、「メゾン」と呼ばれる特別な旗艦店は世界に5 軒しかないそうですね。なぜ「日本」だったのでしょうか?
アクセル・デュマ(以下、デュマ) それを決めたのは私の伯父、5代目のジャン=ルイですが、彼は昔から日本贔屓でしたし、私たちファミリーもみんな日本が好きです。しかしただ好きだから、という理由だけではありません。日本のお客さまはとても忠実にエルメスの製品を愛してくださるからです。それはなぜかと考えると、日本人にはもともと工芸や職人へのリスペクトがあるからだと思います。「人間国宝」という制度もあるぐらい、ものづくりに携わる人を敬うお国柄ですよね。エルメスが最も大事にしている職人の手わざ(サヴォワールフェール)をちゃんと評価してくださるのはうれしいことです。それから日本では贈り物の文化が発達していて、パッケージや包み紙にも繊細な心配りをしますね。エルメスも有名なオレンジボックスに代表されるように包装を大事にしています。もともとはマロン色の箱だったのですが、第二次世界大戦中に紙が供給不足となり、終戦後に唯一手に入れやすかったオレンジ色の紙を使ったのが始まりでした。それが好評で、いつしかメゾンの象徴となったのです。とにかく、エルメスの価値観は日本の文化や習慣と非常に親和性が高いのです。
安藤 エルメスがクラフツマンシップを大事にするのはなぜですか?
デュマ それ以外にやり方を知らないから(笑)。クラフツマンシップこそ、我々の心臓部ですよ。職人たちの手わざがあってこそ、我々の製品が生まれるのです。たとえば鞍をつくる際に必要なサドルステッチは製品を大変丈夫に仕上げるので、バッグづくりにも生かされている。こうして技は伝承され、製品に生命を与えるのです。
安藤 今日、愛用しているバーキンを持ってきたのですが、これは1991年にG8サミットの取材でロンドンに行ったときにボンドストリートのエルメスのお店でたまたま見つけて手に入れたものなんですよ。30年以上たってあちこち傷がついていますが、いまだにたくさんの資料を入れて持ち歩いてもびくともしません。
デュマ それはよかった。そしてお店に行列ができていなかったというだけで、あなたはラッキーです(笑)。冗談はさておき、持ち主の日常を生かすのがバッグの役目。使えば使うほど美しくなるのです。引っかき傷ができたらショックに思うかもしれませんが、バッグと過ごした時間こそがかけがえのない宝物であり、多少の傷はその証しなのですよ。
安藤 バッグと過ごした時間こそが大切ーーそれは素敵な表現ですね!
デュマ そこについているゴールドプレートの金具のエピソードは、我々がいかに品質にこだわるかを表す面白い例かもしれません。私たちは常に、金属の部品に業界の平均よりも高い含有量の金を使用してきました。世界的な金融危機で金の価格が高騰した際、当社の財務チームはこれらの金属部品に含まれる金の量を減らすことを検討するよう提案しました。当時レザー部門を管轄していた私は、金属部品の責任者であるチーフ職人を含む全員とのミーティングを開き、金の割合を減らすことができないか尋ねました。すると担当者はひと言「ウィ(はい)」と答え、こう続けたんです。「金の量を減らしても、外見的には職人にも販売スタッフにも、お客さまにも違いがわからないでしょう。しかし10年たったとき、使い込んだ金具の美しい色は出ませんけれどね」と。結局、私たちは金の含有量を据え置くことにしました。こういうところにエルメス製品のクォリティの秘密があるのだと思います。誰にも見えない、知られないところで品質に誠実な仕事をする。10年たってはじめて違いが出るような部分にも手を抜かないということなのです。
21世紀の世界はクライシスの連続。
エルメスはレジリエントであることを示さなければならない
安藤 あなたがCEOに就任してからの10年間は、まさに激動の時代でした。そんな中でエルメスは変化しなければならない部分と、変わらない部分があったと思いますが。
デュマ 21世紀に入ってから、世界は常にクライシスの連続でした。特に2001年のニューヨークの9.11テロ、2002〜’03年のSARS流行、2011年の東日本大震災、2015年のパリ同時多発テロなどすぐに思い出されます。こうした時代にエルメスはレジリエント(打たれ強く、再生力があること)であることを示していかなければなりません。そのためにはバランスをとることが大事だと考えています。90年代には皮革製品やスカーフのみに偏重する傾向がありましたが、何か一つのカテゴリーに過剰に依存するのではなく、いくつかの部門でバランスを保つことが重要です。そして世界的な地域戦略にも配慮しなければなりません。地政学的に不安定な世界情勢の中で、どこかの国に何らかの影響が出る可能性がある場合、ほかの国や地域間でバランスを確保することが重要であると考えます。
安藤 ビューティという新分野に参入したのもそうした配慮なのでしょうか?
デュマ 一つの理由ではあります。フレグランスは欧米では多くの人が使うものですが、使う頻度の低い国や地域もあるでしょう。基礎化粧品やメイクアップ製品も開発することで、経営はより盤石になります。
安藤 ビューティ製品の開発で特にこだわった点はどんなことですか?
デュマ まず色ですね。ご存じのとおりエルメスのスカーフにはこれまで7万5,000色以上が使われており、豊富な経験がありますから、色の選択にはこだわりました。また製法にも配慮し、最高のサプライヤーを見つけるのに苦労しました。たとえばリップスティックなら、艶のあるタイプとマットなタイプではそれぞれ製造工場が異なります。そして天然成分にもこだわっており、ナノ粒子は含まれていません。パッケージデザインはシューズとジュエリーのデザイナーであるピエール・アルディに依頼し、ひと目見て「エルメスだな」とわかるものに仕上げました。またサステナビリティに配慮し、レフィルを交換できる構造にしてケースを長く使うことができるようにしています。
安藤 ところでビューティ製品が発売されたのは2020年3 月上旬。フランスでは同月半ばにコロナ禍によるロックダウンが始まりましたね。発売にはあまり好ましくない時期だったと思いますが?
デュマ 私はまず楽観主義者です。ロックダウンの1 週間前に発売できたことはよかったと思いました。なぜなら、もし1 週間遅れていたら発売さえできなかったでしょうから。あの頃は、人々がマスクをして口紅などつけなくなるような事態になるとは誰も予想だにしませんでした。
安藤 でもエルメスは強かったですね。2023年はグループ全体の業績が極めて好調だったとお聞きします。苦境の中でもエルメスがその地位を保っていられるのはなぜなのでしょうか?
デュマ それはエルメスが「人」を大事にする企業だからでしょう。エルメスのために働いてくれる職人や従業員こそが最も重要であり、手厚く保護されるべきだという哲学があるからです。ロックダウン中、何があっても雇用を継続すること、数週間から数カ月に及ぶ自宅待機中も政府からの援助を受けることなく給料を払い続けることを世界中の全従業員に向けてすぐに通達しました。社員みんなが不安のただ中にいるとき、エルメスは彼らの避難所であるべきだと思いましたから。
安藤 エルメスはマーケティングをしない、というのは有名な話ですね。
デュマ おっしゃるとおりです。我々の役割はクライアントの要求を調査してそれに応えることではなく、お客さまが思いもよらないものを新たにつくり出すことなのです。自動車王のヘンリー・フォードはこんな言葉を残しています。「お客さまにどういうものが欲しいか意見を訊いていたら、もっと早く走る馬が欲しいと言われただろう」と。つまり、マーケティング原理に従っていたら自動車は発明されなかったかもしれない。我々も同じです。
安藤 その結果、ワクワクするようなパッケージに包まれたあのリップスティックが誕生したのですね。
デュマ はい、と言いたいところですが、一つの例をお話ししましょう。「旅」が年間テーマだった年に、ジュエリー・コレクションのデザイナーであるピエール・アルディが「飛行機に乗る旅ではなく、宇宙への旅ってどうかな?」と言ったんです。それはすごいアイデアだ!と私たち経営陣は喜び、彼はスプートニク衛星をモチーフにしたシルバージュエリーをつくりました。これが……なんと1年間でたった数ピースしか売れなかったんです。マーケティングしなかったから大失敗!(笑) でも、我々のメゾンのコンセプトは「失敗を誇りに思え」です。自分たちが誇りに思えるよいものをつくり上げることができたら、それでいい。むしろ失敗しないということは、とことんまで挑戦しなかったということに他なりません。
エルメス製品のクオリティとは品質検査で保証されるのではなく、
職人のプライドによって保たれているのです
安藤 ところでエルメスでは職人技の伝承にどのように取り組んでいますか?
デュマ 以前は3代続けてエルメスで働く職人一家もいたものですが、今はグループの規模が拡大しているので、我々はフランス国内に政府認定の職人育成学校を設立しました。ひととおりの技術を習得するのに2 年近く、エルメスの工房で職人として働けるようになるのにさらに約7 年かかります。エルメスのバッグは最初から最後まですべての工程を一人の職人が責任を持って請け負うのです。つまり個々の職人の名において手づくりしているようなもの。ですからエルメス製品のクォリティとは品質検査で保証されるのではなく、職人のプライドによって保たれているのです。
安藤 修理をしながら親から子へ、孫へと受け継いで長く使えるのも魅力ですよね。
デュマ 最近は修理品の依頼がとても多く、修理専門の職人もいます。昔はバッグの修理にはそれをつくった本人があたりましたが、バッグは人間の一生よりも長生きすることがよくありますので、そうなると弟子の世代が修理を請け負うことになります。そんなとき、縫い目の一つにもそれをつくった職人の癖や技が見て取れるそうです。我々には同じ縫製に見えても、職人たちにはその違いがはっきりとわかるそうです。
安藤 長く愛用されたプロダクトに、職人にしかわからない技術の粋が残っているとは、感動的なお話ですね。ところで、2024年2 月には東京の「麻布台ヒルズ」に新しい店舗がオープンしました。どんなコンセプトなのですか?
デュマ 「麻布台ヒルズ」自体が住宅やオフィスだけでなく、敷地内にレストランや美術館、学校、病院、公園があったりと、とてもユニークな場所であることに共感し、居心地のよい2 階建ての一軒家のメゾンを建てました。こちらもガラス張りです。「銀座メゾンエルメス」のことを、街を照らすランタンと私たちは呼んでいるのですが、麻布台の店は温かな光を放つ一本のキャンドルと言えるでしょうか。いずれにしても、エルメスには同じ品揃えの店は二つとありませんから、「エルメス麻布台ヒルズ店」も独自のセレクトをご用意します。またゆくゆくは屋上の庭園などでお客さま向けのイベントができたらと考えています。
安藤 日本にいらっしゃるときは、どんなことが楽しみですか?
デュマ 私は個人的に京都が大好きです。寺院や庭園を訪ね歩き、歴史の重なりと静謐な雰囲気に感動します。子どもたちは田舎が大好きで、温泉には大喜びしています。昨年、家族旅行で日本に来たときには、息子を連れて新宿のゴールデン街に行ったのですが、彼はすごく気に入ったみたいでした。
安藤 また来日された折には、ぜひ自由な時間をたくさんとって楽しんでください。
デュマ 本当にそうしたいです(笑)。日本に来るたびに、お客さまが変わらずエルメスの熱烈なファンでいつづけてくださっていることに胸が熱くなります。そのことに感謝を申し上げたいです。
安藤優子(あんどう・ゆうこ)
ジャーナリスト、キャスター、社会学者。1958年、千葉県生まれ。フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」総合司会ほか、各局で報道キャスターとして活躍。クリントン米元大統領ほか単独インタビュー多数。近著に『自民党の女性認識─「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)。
緑豊かな広場に面した居心地のいい“一軒家”
エルメス麻布台ヒルズ店
2024年2月29日にオープンした「エルメス麻布台ヒルズ店」。全世界の店舗同様、インテリアデザインはRDAIが手掛け、日本ならではの素材や技が随所に生かされている。
エルメス麻布台ヒルズ店
住所:東京都港区麻布台1の3の1麻布台ヒルズ ガーデンプラザC 1F
電話番号:03-3569-3300(代表)
営業時間:11時~19時
定休日:月曜(祝日の場合は営業)