BY KIMIKO ANZAI
帝国ホテルの第14代東京料理長 杉本雄さんの食品ロス削減への取り組みは、「サステナブルソルト」や耳まで白くて新食感な食パン「W・E Bread」の開発だけではない。未利用魚、青いトマト、規格外食材など、市場に出回らない食材の活用にも力を注いでいる。きっかけのひとつは、2022年4月、社内に商品開発に特化したチームができたこと。それまで付き合いがあった生産者だけでなく、地方の自治体やほかの生産者ともコンタクトが取りやすくなり、会って話す機会も増えた。すると、自分たちの耳に今まで入ってこなかった、現場の課題に気づくようになったという。
たとえば未利用魚。サイズが不揃いで規格外であったり、流通には不十分な漁獲量であったり、一般に知られていないために食べ方がわからなかったり、トゲなどがあって調理が面倒であったりと様々な理由から買い手がつかず、低価格で取引される魚のことである。時に流通されることなく破棄されることもあるという。この話を聞いた時、杉本さんはやりきれない思いを抱いた。
「漁師さんが経費や時間、そして命をかけて獲る魚なのに、価値がないからと捨てられてしまう。ならば自分たちが買い、活かす道を考えてみようと思いました」。未利用魚を活用することで生産者の助けにもなり、少しでも食品ロス削減に寄与することができれば……。そんな思いからのスタートだった。
未利用魚は、時にブイヤベースのスープの味わいを深めるのに一役買うこともあれば、同ホテルで開催される特別セミナーのテーマと食材として登場することもある。
トマトの成長過程で未熟果となってしまう「青いトマト」も、同ホテルが注目する食材のひとつだ。杉本さんはこれを、“規格外の野菜”としてではなく、完熟したトマト(赤や黄色のトマト)とはまたひと味違う魅力を持つ野菜として捉えた。爽やかな風味や加熱したときの味わいの魅力を活かして、レストランのサラダとして登場することも。それは、決して‟サステナブルを軸に考えた‟メニューなのではない。料理として美味しいことが一番大切、と杉本さんは考える。こうした食材はゲストにおいしい食事を楽しんでいただくために、吟味した素材のひとつにすぎない。だから、サステナブルな特徴を、あえてゲストに話すことはない。興味を持って問いかけられた場合は、食事の後でさらりと種明かしをすることもあるという。
「私たち料理人は、お客様の楽しい時間をクリエイトするために働いています。”食事を楽しんでいただく”という本質をブレさせてはいけません。お客様に”おいしくて楽しい”時間を提供することが使命です。未利用魚も青いトマトも、それらがある時にしか購入しません。仮に『常に青いトマトが欲しい』といえば、あえてそれを作る生産者が出てきて、本末転倒になってしまう。ものごとを実践するのに大切なのは、バランスだと思っています」
ほかにも杉本さんが着目している食材のひとつに、「ソルガム」がある。ポリフェノールや食物繊維が豊富で、スーパーフードとして知られる雑穀の一種だ。栄養価に優れているのみならず、肥沃な土地でなくてもよく育ち、休耕地などでも栽培できる。生産者との縁を得た杉本さんは、ソルガムに農業の未来を拓く可能性も感じたと言う。
帝国ホテル 東京では、現在、様々な試作を行っている。「栽培が成功し、需要が増えれば、若い農業従事者が増え、農村の過疎化や休耕地問題を食い止めることの助けになるかもしれない。まだ先は見えませんが、いい結果が得られることを期待しています」と杉本さんは笑顔を見せる。
料理長みずから率先して行う取り組みによって、若い料理人たちの意識も少しずつ変わってきた。「この部位は捨てないで活かしてみよう」、「作り方をもう一工夫してみよう」と、食品ロス削減を意識したレシピに変化してきたという。
「”おいしい”は味のみならず、心が健康で豊かになることも含まれていると、私は思っています。ホテルにいらして下さったすべてのお客様に、幸福な時間を過ごしていただきたいと願っています」と杉本さん。ホテルには世界中から多くのゲストが訪れる。健康上の理由や嗜好によるベジタリアンやヴィーガン、宗教上の理由からハラルフードしか口にできないゲストなど、さまざまだ。杉本さんはこう語る。
「たとえば、グループのお客様の中にヴィーガンのお客様がひとりいらしたら、そのお客様だけ料理を楽しめないという状況にはしたくない。お客様が安心して召し上がれるメニューをきちんとご用意し、全員がテーブルを囲む時間を楽しんでいただけるよう対応しています。当ホテルにいらしてくださるお客様を、誰ひとり食の楽しみから遠ざけてはいけない。常々、そう思っています」。
最後に、「おいしく社会を変える」ためには、何が必要なのか、何から始めるべきなのか、聞いてみた。杉本さんはこう即答した。
「最初の一歩を踏み出すことです。そうすることで、考えるきっかけになる。そのうちに少しずつ形になり、広がっていく。そうやって加速していくことで、健全で幸せな世界に近づいていけると、私は信じています」。
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