BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

すりガラス越しのピクチャーウインドウが古き良き大磯の気配を映して(大磯迎賓舘)
《SEE&EAT》「大磯迎賓舘」
瀟洒な空間美で食す
湘南のイタリア料理

白い外壁にライラックカラーのアクセントが美しい
大磯の駅舎を出て左に進み、徒歩でわずか数十秒。ふと右手に視線を移すと、わずかに小高い場所にノスタルジックな洋館を見上げる。地元の人々から“三角屋敷”の愛称で100余年もの間、この地で親しまれてきた洋館だと聞く。創建は大正元年(1912)、貿易商だった木下建平の別邸として建てられた。設計を依頼したのは、渡米経験のある建築家・小笹三郎と伝わる。当時アメリカではツーバイフォー工法(正式には木造枠組壁工法)の住宅が流行、その最先端の工法を木下邸にも採用されたという。建物の改修時に、骨組みを成す赤松材を検証したところ、明治期から使用されてきた丸鋸の痕跡が認められたことから、国産材が用いられていることが判明。現存する国内最古のツーバイフォー住宅として2012年に国の有形文化財に登録され、同年には景観重要建築物にも指定された。

台形に張り出したクラシカルな出窓「ベイウィンドウ」

白壁とダークブラウンの柱、赤い絨毯のコントラストは、どこを切り取っても絵になる
“三角屋敷”の愛称で親しまれた遠目にも印象的な屋根は、頂部から両側に傾斜をもつ「切妻造ストレート葺き」。その屋根を中心に、台形に張り出した出窓「ベイウィンドウ」を据えたサンルームを左右対称に配し、正面の玄関ポーチの上部には、上品なバルコニーを設えた。さらに、小さな屋根つきの突き出した「ドーマー窓」や南京下見板張の外壁など、随所にこだわりの洋館建築の面影が残る。
一方、館内にも見所がちりばめられている。わずかに残る大正時代からの照明をはじめ、換気口を兼ねた草花模様の天井のレリーフから、アカンサスの花模様が彫られた竣工当時からのドアノブまで。日常の何気ない瞬間に、どれほど目を楽しませたことだろう。建物に秘めた美的感性を宝探しのように見つけながら、ゆったりと優雅に流れる時間に心が満たされた。

大磯の間伐材を薪に用いて

地元の蜜柑とゴルゴンゾーラが溶け合う、季節限定のピザ
建物を堪能した後は、増築された新館のダイニングレストランへ。海を見下ろす全面ガラス窓の開放的な空間で、ひと際目を引いたのは、イタリアから海を渡ってきたというナポリ式の本格ピザ窯。季節のスープとピザ、デザートがセットになった「ピッツァランチセット」をオーダーした。地元の名産である蜜柑がたっぷりとあしらわれ、フレッシュな酸味がゴルゴンゾーラのコクと溶け合っていた。季節によっては庭の湘南ゴールドとリコッタチーズを合わせたメニューも登場するという。今、こうして原稿をしたためている瞬間にも、遠く光る漣の煌めきとフレッシュなピザが、寄せては返す波のように大磯の思い出の断片として蘇る。

海を見下ろす窓辺の特等席

切妻造のデザインが特徴的な“三角屋敷” *2025年11月撮影
住所:神奈川県大磯町大磯1007
電話:050-3385-0013
公式サイトはこちら
《SEE&CAFE》
豊かさの本質を考え、探索する“五感の箱”
「TANKE home&gallery」

シンプルかつ普遍的な建物は、フランスを拠点とする建築家・田根 剛氏による設計
大磯の旅の最後を締め括るのは、江戸末期まで霊山として保護されていた高麗山(こまやま)の裾野に佇む「TANKE home&gallery」だ。緩やかな裾野に沿って“土のフロア”と“木のフロア”が積み木のように重ねられた躍動的な建物は、もとはギャラリーの代表・加瀬さやかさんの住まいであった。設計は、加瀬さんがスウェーデン留学時代に交友関係を築いた、建築家の田根 剛氏。「エストニア国立博物館」を発表し世界にセンセーションルなデビューを果たす1年前、田根氏が設計を手掛けた最初の建築として2015年に産声をあげた。

1階の土のフロア。庭に面した大きな窓は、山からの吹き下ろしの風が強いため開閉できないFIX窓に

木の温もりに包まれた2階は、祈りの空間を感じさせる
「100年先に続く家」という加瀬さんからのリクエストに応え、田根氏が心を注いだのは、高麗山の土地の生命力を宿すこと。客人を迎える機会の多かった加瀬家において、1階は人々が集う開放的な空間に、2階は幼い子どもたちが安心できるプライベートな場として構成された。1階の床と壁面は、建築時に採掘した敷地内の“太古の土”を用い、野趣溢れる土肌が左官職人の手によって現代的に昇華。基礎を深く掘り公道とのレベル(高低差)をズラすことでプライバシーと静けさを確保し、どの方面も最大限に窓を大きく設置した。明るさと重厚さが溶け合う土の間を抜けると、2階は一変して優しい光の巡る木の間が広がる。三角屋根のシルエットに沿った繊細な曲線をはじめ、ティアード状に重なる木の外壁構造は、大磯の宮大工職人による渾身の作。加瀬さんの言葉を借りるならば「半分開いて半分閉じた」見たこともない空間となった。
着想から3年半もの年月を費やした家は、田根氏によって“a house for Oiso”と名付けられた。土地の記憶と共に風景に溶け込みながら、7年ほど加瀬さん家族の暮らしを灯してきた。その後、段階を経てショップや喫茶ルーム、茶室やギャラリーが融合した「TANKE home&gallery」として2025年10月に再出発をきる。店名にはスウェーデン語で“思想”や“考え”を意味する“TANKE”に、漢字で“探家”(タンケ)という思いを重ね、世代を超えた人々が新たな思考や感性の扉を開く家へと生まれ変わった。

庭のハーブを摘み、オリジナルのブレンドティーを振る舞ってくれた加瀬さやかさん

この日のお茶は、有機ベルガモットと葵の花の香りが響き合う「ブルースター」
喫茶ルームで振る舞われるのは、加瀬さんが大磯でもう一軒営む茶舗「TE HANDEL(ティーハンデル)」のお茶である。有機茶葉にハーブやスパイス、植物から抽出した上質なアロマを用いたブレンドティーは、深い呼吸とともに静かに“只ここに在る”自分の姿を運ぶよう。そんなお茶の世界と加瀬さんが巡り合ったのは、16歳でのスウェーデン留学へと遡る。どこにいても自分らしくいられない居心地の悪さを抱えながら、“ここ”じゃない何処かを求め、トーベ・ヤンソンが綴る本の世界に遊んだ北欧へ、一人海を渡った。湖を見下ろす丘の上の古いホームステイ先、マンマが淹れてくれたのは、どこか懐かしく清々しいお茶だった。張り詰めた心を溶かした優しいお茶が原体験となり、2003年に個々を癒し社会との繋がりを育むプロジェクトとして、茶舗「TE HANDEL」をスタート。スウェーデンのティーブレンダーとともに、香り高いオリジナルのブレンドティーを作り上げた。

基本のブレンドは全20種類に及ぶ。「TANKE」 はもちろん、「TE HANDELオンラインショップ」(https://www.tehandel.com/online-shop)や大磯駅前の茶舗 「TE HANDEL platform」(住所:神奈川県大磯町大磯1009、電話:0463-61-1327)でも購入できる
物語のような加瀬さんの半生に耳を傾けながら、たっぷり注がれたポットのお茶がなくなるころ、窓の外には冬の闇が訪れていた。新たなお茶が注がれティーポットを温めるのは、敷地の土で作ったという、どっしりとしたキャンドルホルダーだ。取材が一区切りつき、ポットから洩れる小さな炎を見つめていたら、作家・梨木香歩のエッセイ『ぐるりのこと』(新潮社)に綴られた「飛行機は体だけ運んで魂のことを忘れている」という一節を思い出した。加速する情報とタスクに追われ、心が置き去りにされがちな日々。霊山の土が織りなす空間で、優しいお茶を味わいながら数時間を過ごしたことで、流れる時間にブレーキがかかり内なる声が聞こえてきた。喜びが連鎖することを仕事とする――この旅の連載は、まさにそんな仕事のひとつである。

健やかなお茶とともに、太古の土から成るキャンドルホルダーにも心を緩める魔法があるようだ
住所:神奈川県大磯町大磯131-1
電話:0463-61-1327
公式サイトはこちら
格調高い歴史を軸に本物が集う大磯の街には、古き良き湘南のノスタルジーが流れている。取材のいっときを過ごしただけでも、気持ちが穏やかに解けた。旅の途中でレコメンドされた、まだ見ぬ大磯の魅力を、また改めての機会に紹介したい。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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