BY JUN ISHIDA,PHOTOGRAPHS BY TAKASHI HOMMA
桜が満開になった4月初旬、インタビューが行われることになった原宿のギャラリーに、荒木経惟は約束の30分前に現れた。自宅からタクシーでふらりと一人。「片眼になってからは眼が疲れるから、タクシーに乗ってるときは休憩って決めたんだけど、ダメだね。今、ここに来るまでもクルマド(荒木は自動車の窓から撮影することを“クルマド”と呼んでいる)。写真展が一つできるぐらい撮っちゃった」と笑う。
ここ数年、体調のすぐれないことも多かったが、今日はどうやら絶好調の様子。表紙撮影を行うことを告げると、カバンから眼鏡を取り出す。フレームが「6」と「9」の形になった眼鏡を見せ、「いいだろ」のニヤリ。「69歳になったときにもらったんだよ。6×9のカメラで撮った『69猥景(わいけい)』って展覧会もやってね」。荒木は言葉遊びの天才だ。荒木の周りのあらゆるものが写真に結びつけられ、そこから新しいストーリーが生まれてゆく。今、撮りたいものはと聞くと、「なんでも撮りたくてしょうがない」との答え。生活すべてに写真が密着し、まさに写真即人生、である。
2017年の荒木は多忙だ。「今日聞かれると思ってさ、書き出してみたんだ」と見せてくれた手帳の見開きには、8月までの展覧会スケジュールがびっしりと書き出されていた。月に1~2本の展示が開かれ、毎日、日本のどこかで荒木の写真が見られるというわけだ。
「今年、ついに最終コーナーを回って一直線に入っちゃおうって思ったんだ。自分がやりたいのは撮ることだけだから、来るものは拒まず。そうすると、こんだけの数になっちゃう。今年の終わりは丸亀(猪熊弦一郎現代美術館)でやってくれっていうから、そこを終着にしようと思ってね。まあひと区切りだよ。だから今年はそれに向かって一直線」
荒木はこの5月25日に77歳になった。そして7月7日から今年の山場のひとつとなる展覧会が始まる。東京オペラシティアートギャラリーで始まる『写狂老人A』だ(一般公開は7月8日~)。
荒木がここ数年、しばしば好んで用いている「写狂老人A」という名は、葛飾北斎の晩年の雅号「画狂老人卍」からきている。北斎はしばしばその号を変えたことでも知られるが、75歳以降は「画狂老人卍」という号を用いた。「茶も飲まず、酒もたしなまず、いつも貧乏で、ひたすら絵を描くことに打ち込んだ」と『葛飾北斎伝』(飯島虚心著)にはその晩年の姿が描かれているが、荒木はその姿に自らを重ね合わせる。
「5月25日から『後期高齢写』(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム『写狂老人A 17.5.25で77齢後期高齢写』展、~7月1日まで)を始めるんだよ。写狂老人Aと称して、今日の日付で日記を撮ってるじゃない。それにつけるタイトルなんだけど、最近のヒットだね。老いることをみんな悔しがるけど、老いていかなければ見えない、映らないこともある。年をとると出てくる味や魅力もあるしね。私はそれをやる。それでいこうって決めてるからね」
東京オペラシティ アートギャラリーの展示は、新作を中心に構成される。その中には7月7日の日付で撮られた大量の写真も含まれる。日付は荒木の写真にとって欠かせない要素のひとつだ。それは、撮るものと、撮られるもの、そして写真を見るものをつなげ、過去と現在、さらには未来を一枚の写真の中に混入させる。
「日付が入っていると作品ではないっていうじゃない。でもそうじゃなくて、日付が入っていないと作品ではない。1日にはストーリーがあって、過去とこれから暗示させる未来とが混ざっている。日付はすごく魅力的で、それが入ると写真が線だけじゃなく、面になる。そういうのでないと写真としてはよくないよ。写真って、すごくせっかちで魅力的なアートなんだ」
しかし、なぜ荒木がこだわった日付が7月7日なのか? 荒木の年齢、展覧会の開始日、あるいはラッキーセブン...... 理由はさまざまだが、なによりもそれは同月から始まるもうひとつの展示へと続いている。