BY JUN ISHIDA,PHOTOGRAPHS BY TAKASHI HOMMA

荒木の最新作を展示
撮り下ろしの最新作を中心に構成される「荒木経惟 写狂老人A」展。7月7日の日付入りの日記シリーズや、荒木初となるデジタルカメラの作品が登場
NOBUYOSHI ARAKI

NOBUYOSHI ARAKI
荒木にインタビューするにあたり、どうしても聞きたいことがあった。ファッション誌の仕事で何度か荒木に撮影を頼むことがあったが、被写体が日本人でも外国人でもレディー・ガガでも、すべて荒木の女、荒木の写真になってしまう。人でも花でも空でも、荒木の写真には、ひと目でそれが荒木のものとわかる何かがある。それはなぜかと尋ねてみた。
「それはね、自分の本能で撮ってるからね。自分の写真に教えられることもある。たとえば、花屋がとびきりの花を持ってくるじゃない。でもなんだか写欲をそそられないから、ほっとくの。SMだからね(笑)。でもドライフラワーになっちゃだめなんだ。枯れるちょっと前がいちばんいい。今際(いまわ)の際、最後の1息、1日だね。それぐらいに惹かれる。女性を撮るときも、一種の恋愛関係で、気持ちが行ったり来たりする。するとある湿度が出てくるんだ。そういうときにシャッターを押したくなる。出会って、燃えて、去るまでの、そのときをものすごく充満させて別れるわけよ。恋愛なんだよ。だから私の写真はすごくいい」

デジタルカメラを背中に吊るし、オートで撮影する荒木のポートレイト
NOBUYOSHI ARAKI
『センチメンタルな旅 1971―2017― 』の展覧会タイトルには、最後に「―」が入っている。「そろそろセンチメンタルな旅も終わりにする頃だろうと思ってたら、こうなってるんだよ。これからも続くってこと。今年で全部さらけ出したと思ったら大間違いだね。(『センチメンタルな旅』に)陽子の舟の写真があるじゃない。以前、吉増(剛造)が死の舟と言ったけれど、今は胎児に見える。生への執着なんだ。ここからまた荒木が生まれるんだよ。そういうふうに感じることは、もうちょっと生きたいと思ってるんだな。写真に教えられたり、勇気づけられたり」
荒木経惟、77歳。彼のセンチメンタルな写真の旅は、まだまだ終わらない。