BY MEGAN O’GRADY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
クルーガーが賛美の言葉に懐疑的であるとしても、歴史上、彼女ほどその作品をおおっぴらに模倣されてきたアーティストはほとんどいないと言っていい。白いサンセリフの書体が描かれた赤地のボックスロゴはコピーしやすく、元の作者である彼女に断りなしに、世界中であっという間に増殖していった(昨日、私が海岸で見かけた、毛深い男性が着ていた黒いタンクトップには、赤地の上にフーツラ体で「残虐な」という白い文字がくっきりと描かれていた。彼はクルーガーの名前を一度も聞いたことがないと言った)。
2011年に彼女は、インターネット上で見つけたクルーガーの作品のまねをした数百種類のテキストでコラージュを作り、《無題(それが私たちのやり方だ)》というウォールアートを作った。この時点で、彼女の模倣者たちですら彼女に模倣されるという、クルーガーにとって実に痛快な展開となったのだ。2013年には、クルーガーの作品をそっくり模倣して自社ロゴを作成したことを認めているストリートウェアブランドのシュプリームが、限定版のフードつきスウェットを売るために、別のストリートウェアブランドのマリード・トゥー・ザ・モブのデザイナーのリア・マクスウィーニーを流用で訴えた。つまり、特筆すべきなのは、流用した本人たちが、自分たちは流用された被害者だと裁判を起こしたことだ(シュプリームは現在10億ドル規模の売り上げを叩き出す企業に成長した。かつて多くの軍事企業と関係していた投資ファンドのカーライル・グループが同社の株の一部を保有している)。
クルーガーはこの訴訟が起きた当時、『コンプレックス』という雑誌の取材に電子メールで答えた。「何をバカげたことやってんだ! 全然クールじゃない連中が」と彼女が書いたのを今も覚えている。「私はこういう哀しいまでにバカげたドタバタ劇を題材にして作品を作っている人間だ。彼ら全員が私を著作権法違反で訴えてくるのを心待ちにしている」とも。この一連の出来事からヒントを得て、クルーガーは2017年のパフォーマ・ビエンナーレで初めてにして唯一の舞台パフォーマンス《無題(ザ・ドロップ)》を行った。シュプリームの「ドロップ」商法(註:ごく少量の限定商品をリリースし、再生産せずにその価値を上げる手法)をパロディ化したクルーガー商品の限定版を作り、ポップアップストアを設置した。商品ラインナップには「嫌なやつになるな」という言葉が書かれたスケートボードもあった(マクスウィーニーは現在、リアリティ番組『ザ・リアル・ハウスワイブス・オブ・ニューヨークシティ』に出演しており、彼女のアパートにはクルーガーが作ったスケートボードが飾ってあったと番組を観ていたクルーガーは言う)。
クリエイティビティを盗んで商売にしてしまうという病的なサイクルを作品で表現することで、クルーガーはそんな現象が世の中に存在していることを、彼女なりのやり方で大衆に知らしめ、盗人たちを断罪せずに放免した。クルーガーは何でも自分の中に取り入れて独学でマスターしてしまうが、ヴァルター・ベンヤミンやロラン・バルトと同等に『Vanderpump Rules(ヴァンダーパンプ・ルールズ)』や『90Day Fiancé (90日間の婚約者)』などのリアリティ番組のことを話題にするのも大好きだ。「これが私の愉しみ。OK?」と言いながら。1980年代の『アートフォーラム』誌で映画とテレビの批評を書いていた彼女は、時にはバルトから離れてテレビ番組を観てはインスピレーションを得ているのだ。
1993年に出版された彼女の批評集『Remote Control: Power, Cultures and the World of Appearances(リモート・コントロール:権力、文化、そして見た目の世界)』には彼女の論評の古典ともいえる、今読んでも新鮮なエッセイ『アートと娯楽』が載っている。私たちは文化を高尚と下劣に二分化して考えてしまい、その思考法を何にでもあてはめてしまう。そんな二進法はとても有害だ、と彼女は論じている。勇敢さに加えて、スノッブさや押しつけがましさがないところが彼女の魅力のひとつだ。そしてそんな特質が彼女の大がかりなプロジェクトには必須なのだ。私たちを分断するカテゴリー的思考や延々と続く偏見の力を解体する作品を作るためには。彼女がリアリティ番組の大ファンなのは、およそ現象論的で、彼女が批評家であることの延長だと言えるだろう。プライバシーを非常に大事にする人であるがゆえに、現代の自己開示の基準は、彼女を魅了し、同時にそこから遠ざかりたいと思わせてもいるのだ。
「リアリティ番組はナルシシズムと露悪主義の衝突を研究する非情な文化人類学なのだと思う。人はカメラを向けられることなしにこの世に存在することなど可能なのだろうか?」と彼女は私に尋ねる。それは彼女のビデオ・インスタレーション作品のテーマでもある。《The Globe Shrinks(縮む世界)》(2010年)と、シカゴ美術館で開催する展覧会で披露する新しい作品《無題(ノーコメント)》もそうだ。どちらも野心的で、複数のデバイスを駆使している。後者はアニメーションやビデオ画像やテキストを使い、ほぼすべてインターネット上で、主張と内省をデジタルを通していかに行うかを問う作品だ。
アイデンティティをどうやって構築するか、また、意味をいかにして形にし、そこから不純物を取り除くかという点に興味がある彼女は、ニュースとソーシャルメディアにも当然好奇心をもっている。彼女はMSNBCとFoxの両方のテレビ局を視聴し、オンラインではニューヨーク・タイムズ紙を読み、Reddit(投稿サイト)やBreitbart(保守向けニュースサイト)やStormfront(ストームフロント/白人至上主義的なウェブサイト)もチェックする。ストームフロントは南部貧困法律センターが「インターネット上で最初のヘイトサイト」と認定したメディアだ。ニュースもソーシャルメディアも、私たちの分断された公に対する意識を反映するツールだ。「コメントを読むのがすごく楽しい。『ゴージャス』とか『美しさ』とか『Yass クイーン』(註:Yassはイエス の感嘆バージョン)など、どれも最高。恐ろしくもあるけど、かまってほしい私たちの本質を突いている。驚嘆すべき真実を掘り下げたある種の文化人類学だと思う」。
クルーガーも私も、最近、暗くて、よりショッキングなカルチャー表現に惹かれてしまうことをお互い発見した。それは、彼女いわく「デメロール(註:中毒性の高いオピオイド系の鎮痛剤)みたいな」フィクションの世界が奇妙な癒やしになるからだ。「いきなり終焉を迎えそうなこの地球と比べればね」と彼女は言う。私は彼女がすすめてくれたハンガリー生まれの作家アゴタ・クリストフの第二次世界大戦時代の小説『悪童日記』を読んでいる。ほぼ野生児として育った双子の少年の話だ。彼らは人間の邪悪さ極まる行為を濁りのない目線で観察する。この本を読むと、自分が直面している困難など何とかなると思えるほどだ。クルーガーが最近読んだのは、アンジェラ・デイヴィスの自伝、メルサ・バラダランの『The Color of Money: Black Banks and the Racial Wealth Gap(貨幣の色:黒人銀行と人種的富のギャップ』、そしてマイク・デイビスとジョン・ウィーナーの共著『Set the Night on Fire: L.A. in the Sixties(漆黒の夜を炎で照らせ:60年代のLA)』だ。